九、血と白衣
医局に着くと山のようにたまった洗濯物が置いてあった。
「早く片付けてくれ」
劉医官は何でもないように言ってくれるが、冬の洗濯は寒い。手がかじかんでしまう。
「わかりました」
洗濯物がたまっているということは、猫猫たちが休暇中も医官は働いていたということだ。黙ってやるしかない。
洗濯物のほとんどが消毒を必要とするさらしだ。まず比較的きれいな物と血や体液で汚れている物に分類する。
汚れがひどいものは捨てる。さらしなので汚れている箇所が少なければ切断して使えばいい。
基本、さらしは古くなると捨てる消耗品だ。血がついたものはできるだけ使いたくない。人間の血は感染症の原因にもなる。
「なにこれ……」
姚が指先でつまんで見せる。誰かの白衣らしい。重症患者の治療でもおこなったのか血が付いている。消毒でもしたのだろうか、少し酒精の匂いがついていた。
「医官服をこちらに入れられては困りますね。誰のでしょうか?」
燕燕が服の裏地を見る。皆、同じ服のため名前が裏側に刺繍されているはずだ。
「……」
燕燕の眉間にしわが寄った。猫猫がのぞき込んでみると、『天祐』とある。見習いの若い医官で、軽薄な男だ。何度も燕燕に誘いをかけているが、そのたびに無視されている。
(投げ捨てた)
燕燕は何事もなかったかのようにさらしの仕分けにとりかかる。
「燕燕、せっかくだから洗ってあげましょ?」
「姚お嬢さま。たとえ相手が医官とはいえ、甘やかしてはいけないと思います。規則ですから」
「でも、私たちが休暇中に仕事をしていたわけだし」
燕燕の顔が珍しくぐぬぬとなっている。
「血のしみってどうやって取るのかしら?」
燕燕の動きが鈍いので仕方なく猫猫が前にでる。
「ちょっと貸してください」
猫猫は血がにじんだ部分を見る。赤黒く変色している。落ちるかわからないが、桶に水をはって漬ける。
「どうするの? 灰でも使う?」
汚れを落とすのに灰を使うことがあるがここで必要なのは違う物だ。
「ちょっと材料を取ってきますね」
猫猫は医局に戻ると棚を漁る。
「何を探している?」
在中していた劉医官が聞いてきた。
「染み抜きに大根を使おうかと思いまして」
たしか咳止めの材料に大根を使っているので在庫がまだあるはずだ。
「染み抜き? ああ、血を落とすのか」
大根と聞いてぴんと来るのがさすがだ。
「せっかくだ。ついでにこれも洗ってくれ」
どどんと追加で血がついた医官服を渡される。一枚二枚ではない。五、六枚あろうか。
「……」
「不満か?」
「いえ、なんでもありません」
ちょっと意地悪っぽくいうのがこの鬼医官だ。若い頃はもてていたであろうきりっとした顔つきだが、年をとれば意地悪爺さんである。
「大掛かりな手術でもあったのですか?」
「まあな」
曖昧な返事で劉医官は日誌をつけている。
しかし、手術でこれだけの服が汚れるということは、複数もしくはよほど大掛かりなものをやったのだろう。
(前掛けはかけていたよな)
血の量自体はそれほど多くはないが、ところどころの汚れが気になるのと。
(なんか臭い)
冬場で洗濯屋が休みだったからか知らないが、放置しないで欲しい。
猫猫は洗濯籠に医官服を入れると、大根を摺り金ですりおろしておく。
「使うなら一本使っちまってくれ。さらしほど消耗品にできねえからな」
「……わかりました」
上の命令なので大人しく聞いておくが、これなら黙って大根だけ持って行けばよかったと後悔した。
荷物を増やして戻ってきたのを見て、姚が苦笑いを浮かべる。
申し訳ないと思いつつ、猫猫は白衣を濡らして、しみがある部分の下に布を置く。その上に大根おろしを木綿で包んだ塊でとんとん叩きつける。
「これでしみがとれるの?」
姚がのぞきこむ。
「はい。大根には血を分解する成分が含まれているので。血の他に、おねしょや卵をこぼした汚れにも効きます」
「へえ。そうなんだ」
感心する姚に見せるように猫猫は、下に敷いた布を見せる。白衣に付いた血が溶けて、下の布にうつっている。
「やり方がわかるなら手伝ってください。おろしたてが一番効果あるので早く終わらせたいです」
「わ、わかったわ」
燕燕も加わり、三人で白衣をとんとん叩きつける。
「終わったわ」
「では、すぐ水洗いします。今度は大根の汁で汚れが付いては意味ないので」
「……わかった」
姚は言われたらすぐできる子だ。相手の意見にさえ納得ができれば基本素直で、同時に疑いがあると前に進まない。
洗い物が終わりさらしと白衣を干していると顔色が悪い医官が通りかかった。見習い医官の天祐だ。
「すみません。白衣が混じってましたけど」
猫猫が声をかける。燕燕は天祐を邪魔に扱っているし、姚が話しかければ面倒くさいことになる。消去法で猫猫が話す。
「あー、うん。悪い。洗っといてくれ」
軽いと言えば軽いがいつもより元気がない。
「手術の手伝いをされたんですか?」
「あっ、うん、まーな」
どこか曖昧な物言いだ。
猫猫は引っかかる。
「疲れているようですが、今後は洗いませんよ。そこに干してあるので乾いたら持って行ってください」
「へーい」
天祐はやる気ない返事をしてどこかへ行ってしまった。
「もうだらしがないわ」
姚が怒りつつ使った桶を片づける。白衣は干したが、さらしはこれから煮沸消毒しないといけない。
白衣も衛生面では同じように煮たほうがいいのだが、消耗品ではないので生地が傷む。火熨斗を当てるのが適切かなと思いつつそこまではしたくない。
(竈で火を焚くついでに芋でも焼こうかな?)
羅半の実父が大量に作った芋を持ってきた。くず粉のように扱えるか確認するためでもあるが、普通に焼いたほうが美味い。
芋を食べると考えたらちょっと元気になる。
「猫猫、置いていくわよ」
「はい」
猫猫は濡れたさらしを担いで、姚と燕燕のあとについていった。
さらしを煮沸消毒し干し終わるまでに一日の業務は終わりに近づこうとしていた。
「何もできなかった」
洗濯物が多すぎたせいもあるが、それ以外のことができないのはなんだか癪だ。やっていることが後宮の下女時代と変わらない。ちなみに芋は姚と燕燕もなんだかんだで食べた。小蘭と駄弁っていたことを思い出した。
(なんか調薬したいなあ)
とはいえ、暗くなるとすぐに官女たちは帰されてしまう。さらしもある程度乾いたら室内に移動させないと、霜が降りてしまえば意味がない。
猫猫は物干し場の端っこに干した白衣を見る。数が一枚減っていることから、天祐が自分の服を持って行ったのだろう。
(全員分持って行けよ)
猫猫は白衣の裏地を確認する。誰の分があるのか確認しておこうかと思ったのだが。
「……」
劉医官の白衣があった。それは当たり前だが、他の医官服の名前を見て首を傾げたくなる。
(手術って言ってたよな)
大掛かりな手術なら大勢の医官がいる。だが、その中で熟練の医官が劉医官だけというのはどういうことだろうか。
他の白衣の主の名前は、猫猫が覚えている限り、皆見習い医官だった。
ふと、朝に燕燕としていた話を思い出した。医官と見習い医官の違いについて。
(いやいや違うでしょ)
と思いつつ、猫猫は白衣を持って医局に戻る。
医局には天祐一人だけいた。何をやっているかと思えば、取り込んだ白衣に火熨斗を当てていた。
(自分だけかよ)
「白衣はこちらに置いておきます」
「あーわかったー」
だるそうな顔で火熨斗を当てる天祐。あまりやりたくなさそうだが、衣服にしわがあると劉医官が怒るし、家で火熨斗を準備するのは面倒なので今の内にやっておこうというのだろう。
集中しているのか、猫猫には見向きもしないし、なにより見向きするほど興味もないのだろう。
猫猫は気にせず劉医官の机の横に白衣を置いておく。多少湿っているが仕方ない。
(ん?)
医官の机の上には、朝書いていた日誌が置いてあった。猫猫は手に取るとぺらぺらとめくる。特に見られて問題ない物だが――。
(変だな)
猫猫はここ数日の記録を見る。
血の汚れから考えて、猫猫たちの休暇中に医官は手術をおこなった。
おこなったはずだ。
けれど――。
(記録がない)
日常業務の怪我の手当ならともかく、医官を何人も連れだっての大掛かりな手術であれば日誌に一言でも書き留められるべきだろう。
『異常なし』
短く一言だけ書いていた。
猫猫は天祐を見る。
「天祐さん。手術は大変でしたか?」
「……大変だったね。あれはきつかった」
少し遅れて返事をした。作業中のせいか、それとも戸惑ってかの反応の遅れか判断しづらい。
「どんな手術でしたか?」
猫猫は白衣を折りたたみつつ聞いた。
「どんな手術も何も、気持ちのいいもんじゃあないねえ」
どちらともとれる反応を見せる。
(口止めされてる?)
天祐は燕燕への態度から軽薄で空気が読めない阿呆のように思えるが、少なくとも医官試験を通る程度には頭が良い。また、他の見習い医官に比べると口が達者なのだ。
(話しかける相手間違えたかな?)
せめて燕燕を使って話しかければよかったかなと少し後悔しつつ、畳み終わった白衣をぽんと叩く。
(他の見習い医官を当たるか)
猫猫は暗くなり始めた外を見ながら、さらしを取り込まねばと医局を出た。