七、くず粉
どんどんとあばら家の横で何かを殴るような音が響く。音に引き寄せられて好奇心旺盛な悪餓鬼が近づいてきた。
「なにしてんだあって、そばかす! やっと帰ってたのかよ!」
趙迂だ。頬が絵の具で汚れている。画家から絵を習っていると聞いていたが、まだちゃんと続いていたようだ。
猫猫は手に槌を持って木の根っこを叩いていた。根っこ、葛根を水洗いしたものだ。横では左膳も槌を持って葛根を叩いていた。克用にも手伝ってもらおうと思ったが、ちょうど薬を買いに来た客がいて留守番をしてもらった。あんまり空けておくとやり手婆がうるさい。
(貴重品は置いてないし、やり手婆が目を光らせているだろ)
今は左膳にくず粉の作り方を教えるほうが先だ。
「なんだ、いらいらしてんの? 木の根っこなんかに八つ当たりして」
「違う。薬を作ってんだよ」
「ふーん。なんかばっちぃな」
「見てるなら手伝え、井戸から水汲んで来い」
「えー」
まったくやる気がない趙迂。生意気な子どもは何か餌を付けないと動かない。
「手伝ったら、食べたことない菓子を作ってやる」
「やる!」
趙迂は目をきらきらさせて井戸へと向かう。
「餓鬼は元気でいいねえ」
穴掘りのあとに槌を振るう羽目になった左膳はくたくただ。目に生気がない。
「これ、ずたずたにしてどうすんだ?」
槌でつぶしてしまった葛根を掲げる。
「洗ってざるで濾すのを繰り返す」
猫猫は桶とざるを用意する。
「水持ってきたぞー」
よたよた歩きながら趙迂が戻ってきた。
「おう」
猫猫は水を張った桶で丁寧に葛根を洗う。洗ったら、ざるで濾す。肌を切るような水の冷たさを我慢しつつ繰り返す。
「やっぱばっちーな」
茶色の濁った水がざるから落ちる。ざるには木の根っこが残る。
「いいからまだ水が足らない。ほらもっと汲んで来い」
「そばかすー。水汲んでくるの大変なんだぞ」
「私がお前くらいのときは、一日五十往復くらいさせられたぞ」
「……っ」
負けず嫌いなところもあるのかまた水を汲みに行った。
「五十往復って子どもじゃきついだろ?」
左膳が次の葛根を潰しながら言った。
「でもやらされた」
「なにやったんだ?」
「……」
(緑青館の酒すべてに蛇を漬け込んだ罰で)
やり手婆が目を怒らせて、終わるまで食事抜きにされた。ちなみに漬け込んだ酒は後ほどやり手婆が、精力が付くと客に見事売り切ったのだけれど。
左膳が葛根を砕き、趙迂が水を持ってきて、猫猫が丁寧に洗ってざるで濾す。
負けず嫌いな趙迂だが、甘ったれた餓鬼でもある。気が付けば暇そうな男衆を捕まえて、水汲みを手伝わせていた。
(あいつめ)
男衆に手伝わせたらやり手婆が何をいうかわからない。給金替わりに何か用意しなくてはいけなくなる。
「おーい、猫猫。おまえの……同類を、どけてくれ」
左膳が苦しそうな声をしている。いつの間にか猫の毛毛が仕事をする左膳の背中に乗っかっていた。
「誰が同類だ」
猫猫は毛毛の両脇に手を入れて持ち上げた。にゃあと鳴きながらびろんと伸びた胴体はやたら長い。
「ほら、邪魔するな」
毛毛もまた緑青館の住人に甘やかされているので、ちょっと人間を小莫迦にしているきらいがある。特に左膳といった下っ端ならなおさらだ。
ちょっと不機嫌そうに猫猫をぺしぺし叩く毛毛。
「邪魔すると、筆にするぞ」
毛毛は一瞬びくっとなったと思ったら、後ろ足で首の裏を掻き、どこかへ行ってしまった。
「猫いじめはいいが、全部潰し終わったぞー」
左膳が肩を回している。
「これがどうやったら粉になるんだ?」
左膳が摘まむのは、ずたずたになった葛根だ。すでに水にさらしたものだ。
「使うのはそっちじゃないぞ」
「え?」
猫猫は薄汚れた水を指す。
「使うのはこっち」
「こっちって、汚れた水だろ? 捨てるんじゃないのか?」
「わー、莫迦! 捨てんじゃねえ!」
思わず声を荒げてしまった。
くず粉作りでは一番大切なのはこのざるで濾した水なのだ。
「なんで葛根をずたずたに砕いたかと言えば、根っこに栄養が入っている」
「ふんふん」
「その栄養を水に溶かしこむ。つまり砕いた根っこは水にさらしたあとは用済みなんだよ」
猫猫はできるだけ丁寧に話したつもりだが、左膳にはまだ理解が追い付かなかったらしい。
「ともかくこの濾した水は一晩おくから家の中に。出来るだけ揺らさないように」
「いや、まだよくわかんねえんだけど」
「明日になったらわかるから」
「ふーん」
曖昧な返事だが、明日実物を見せればわかるだろう。
猫猫は最後の葛根をざるに濾すと大きく息を吐いた。
猫猫は一仕事終えたあとも休みはなかった。緑青館の厨房を借りている。案の定、やり手婆に男衆の賃金を要求されたからだ。
「なー。珍しい菓子ってなんだよー」
「あー、うるさい。今から作るから黙っていろ」
猫猫は残っていたくず粉を取り出すと、大鍋に入れる。水で溶いて糖蜜も入れる。
(色が悪くなるから、砂糖や蜂蜜のほうがいいんだけど)
高いので勿体ない。糖蜜ですら贅沢だ。
「なんかきちゃない色だぞ」
「黙ってろ」
竈にかけるとひたすらしゃもじで混ぜる。
「なんかどろどろしてきた」
「くず湯と同じだよ」
くず粉は熱をかけると粘る。水を飛ばせば餅のようになるはずだ。
「こんだけじゃあ、婆は物足りないって言うからな」
胡桃を加える。胡桃もまた滋養強壮の薬として使われるので、妓女にはぴったりだ。
「こんなもんかな?」
猫猫は大皿に黄色い粉を敷くと、煮たくず粉を流し込む。もう粉ではなく餅なので、くず餅といったほうがいい。
「なんだ? この黄色い粉?」
「大豆だよ、つまりは黄豆粉だな」
漢方としては香鼓と呼ばれることが多い。主に煮て発酵させて粘った豆を利用する。これは、炒った大豆を臼にかけた物だ。粉にもほんの少し砂糖と塩を入れた。塩は少しだけ入れると甘みが増すのだ。
流し込んだくず餅に黄豆粉を満遍なく絡ませる。
「あらー、美味しそうねえ」
匂いにつられてやってきたのは白鈴小姐だ。
(小姐はこれ以上精力つかないほうがいいんだけど)
見つかった以上やらないわけにはいかない。
「小姐、すぐよそうからつまみ食いしないで」
「わかっているわよう」
といいつつ、ぺろりと舌を出している。
「趙迂、皿用意しろ。人数分な」
「おう」
残り物とは言えくず粉は高い。胡桃に砂糖に糖蜜に黄豆粉まで使っている。
これを緑青館にいる妓女、男衆全員に配るのだからやり手婆も文句は言わないだろう。
「ほうほう、これが男衆の賃金代わりかい?」
のそうっとやってきた婆が値踏みするようにくず餅を見る。
「なんか貧相だねえ」
「何を言うのか、このお婆は。後宮仕込みの菓子作りの腕前を信じてないと?」
「あはは、あんたはその前に娼館で仕込まれたんだから、腕前もなにもありゃしないよ」
とか言いつつ、皿を取ると箸でつまんでぱくっと食べた。
「……中に胡桃入りなのかい。餅に比べて柔らかいねえ。もう少し噛み応えがあったほうがいいんでないかい?」
「本当なら冷やして食べるもんだよ」
「こんな真冬に冷たいもんなんか食べられるかい」
(あー、喉に詰まらせてくれないかなあ)
口が減らない婆さんは、百まで生きそうだ。
猫猫は冷たい井戸水で皿の底を冷やしながら、糖蜜を薄めて汁を作った。
甘味ということもあって、部屋で稽古や昼寝をしていた妓女たちがのそのそとやってきた。
食事処には全員入らないので、下っ端妓女たちは玄関先の広間で食べている。今日は昼の客がいないのでちょうどよかった。
趙迂は喜びながら皿を持ち、仲良しの禿と一緒に広間で食べている。
「んー、おいしい」
白鈴小姐が顔をほころばせる。薄めた糖蜜を少しかければさらに味が引き立つ。
「悪くないわ」
ちょっと上から目線な感想を述べるのは女華小姐だ。不愛想な彼女にとってはこれでも誉め言葉である。
「くず粉でできてるのね。もっと安い粉で出来たらいいのに」
梅梅小姐が箸でつまんで観察しながら言った。
「そうねえ、小麦粉とかじゃできない? でなきゃ、米を潰すとか?」
提案するのは女華小姐。白鈴小姐はもう食べることに夢中で聞いていない。
「小麦じゃ饅頭に、米ならただの餅になるなあ」
「せっかく小麦も米もいっぱいあるっていうのに」
緑青館には猫猫がもらった小麦や米が保管されている。前に酒の飲み比べでいただいた物だ。
「くずって葛根よねえ。似ているから木の根っこで出来たりしないの?」
女華の質問に猫猫は両手でばつを作る。
「くずの根っこには養分がたまっているんだよ。それを取り出したもんがくず粉だから……」
猫猫は、首を傾げる。
(根っこに養分を蓄える)
つまり、芋みたいなものだ。
そして、芋に関しては猫猫にはあてがある。
「甘藷でやってみるのも手かもしれない」
「甘藷かあ。甘藷ならそのまま焼いたほうがいいんじゃない?」
皿を空にした白鈴が口を出す。
「そうねえ。普通に食べたほうがいいわ。何より手間がかかるし」
梅梅も頷く。
「でも、粉にしたほうが保存には適しているね」
頭の回転が速い女華はちょっと違う方向で見る。
「保存、確かに。場所もかさばらなくなる」
(そうだ。保存がきくんだよ)
芋は米ほど長期保存には向かない。すぐ芽を出してしまうし、腐ってしまうこともある。だが、粉にしてしまえば、保存のしやすさが格段に上がる。芽も出ず、腐敗もしにくくなるし、何より場所がかさばらなくなる。
(一応、提案だけしてみるか)
産地では芋が余って腐ることもあるかもしれないし、加工することで雇用が生まれるかもしれない。
そこのところは、猫猫は門外漢なので誰かがやってくれるだろう。
「女華も猫猫も頭いいわねえ。ぱいりんねーちゃん、お芋は食べるってこと以外、よくわからないわ」
「小姐は、踊り以外のお勉強あんまり好きじゃないものねえ」
梅梅はちょっと呆れている。
「そうなの。最近よく来るお客さんもなんか難しい話をするんだけど、とんとわからなくて」
「小姐はずるいよね。にこにこ笑っているだけで、お客が満足していくんだもの。私は、全部答えているのに辟易されることあるんだけど」
科挙受験生も真っ青な知識を持つ女華に、あえて難しい問題を投げかける客がいるのだろう。いつか女華の鼻をあかしてやろうと文官たちが何度も足を運ぶのだ。
「へえ、どんな話? そういえば最近西からの客が多かったけど」
「そーなの。西都からきたお客さん。検閲だとか税が上がったとか。しゃべるなって言われているらしいけど、なんかしゃべっちゃっててさ。私、すぐ忘れるからいいんだけど」
(検閲? 税?)
西都というと玉葉后の出身地だ。今は、そのお父上が都に来ているが――。
(壬氏が飢饉に備えて税を上げているはずだから、そのこと?)
いや、だったら検閲はなんだ。しゃべるな、というのは箝口令のことだろうか。
(ちょっときな臭いぞ)
猫猫は眉をぴくぴく動かしながら、くず餅を口に入れた。