21 園遊会その参
昼になると、猫猫は、紅娘と交代し玉葉妃の後ろについた。
桜花の助言を聞いて、とりあえず貰った三本の簪はすべて帯につけることにした。玉葉妃のくれたのは首飾りなので、簪は一本くらいつけていてもいいのだが、それではつけなかった簪と優劣がつくとのこと。
あらためて宴席を上座から眺めると、なかなか壮観である。
西側に武官が並び、東側に文官が並んでいる。長卓に座れるのはその中の二割ほどで、高順も武官側の席に座っていた。思ったよりお偉いさんなのはわかったが、宦官が違和感なく並んでいることに驚いた。
さっきいた大男も座っている。高順よりも末席に近いが、年齢を考えると出世頭なのかもしれない。
壬氏は反対にどこにも見えない。あれだけきらきらしていたら、すぐ見つかりそうなものなのに。
探す必要もないので、本業に徹することにした。
最初に食前酒がきた。玻璃の器から銀杯に少しずつそそがれる。
ゆっくり杯を揺らし、接触部分に曇りがないか目視する。
砒石の毒があれば、色が黒ずんでくる。
ゆっくり回しながら匂いを嗅ぎ、口に含む。毒のないことはわかるが、毒見役として嚥下しなければ、毒見として認められない。ごくんと喉を潤すと、真水で口をゆすぐ。
(おや)
どうやら注目されているらしい。
他の毒見役はまだ、杯に口もつけていない。
猫猫が何もないのを確認すると、恐る恐る杯に口をつけるのだ。
(まあ、普通はね)
誰もが死ぬのは怖い。
誰か先にやるのであれば、見届けてからやったほうが安全である。
(宴席で毒を使うとすれば、即効薬しかないだろうし)
この中で好んで毒を食らうのは猫猫くらいである。世の中にそうはいない希少な人種である。
(どうせなら、河豚がいいなあ。内臓をうまく羹に紛れ込ませて)
あの舌の先がしびれる感じがたまらない。あれを感じるために何度、嘔吐と胃洗浄を繰り返したことか。そんなことを考えているうちに、前菜を持ってきた侍女と目があった。口角が上がっている。気持ち悪くにやにやしていたようだ。完全に引かれているようである。
いつもの無表情に顔を戻す。
受け取った前菜は、皇帝の好物で夜食にたまにでていたものだ。
食事は後宮側で作っているらしい。いつもと同じものである。
他の毒見たちが猫猫をじっと見るので、さっさと箸をつけてやる。
魚と野菜のなますだ。
好色親父であるが、案外食生活は健康志向だと、毒見役はいっておく。
(配膳間違えたな)
いつもと具が違う。
皇帝の好物の調理法を間違えることはない。
あるとすれば、別の妃用に作られたものがこちらにきているのだろう。
後宮の尚食は有能で、同じ献立でも皇帝用と妃用と作り分けている。
玉葉妃が授乳中はずっとお乳によいメニューを作っていた。
毒見が終わり、皆が前菜を食べているところをみると、やはり配膳を間違ったらしい。
空気の読めない里樹妃が青白い顔をしている。
(嫌いなものだったか)
皇帝の好物という手前、残すわけにいかないものである。
我慢して食べている。
後ろを見ると、毒見役の侍女が目を瞑り、唇を震わせていた。微かに弧を描いているのは、見てわかった。
(嫌なものを見た)
視線を戻し、次の料理を受け取った。
○●○
ただの宴席ならばよいのに。
李白は殿上から見下ろす高貴なかたとはそりが合わないと思った。
なにが楽しゅうて、この寒い中、風が吹きすさぶ中、外で宴会など考えるのだろう。
いや、ただの宴会ならいい。故事にならって、桃の園のなかで気の合う同士で酒を食らい、肉を食むのはさぞや楽しかろう。
しかし、高貴なおかたとともになると、常に毒ともご一緒になる。
いかに高級素材を使い、秘伝の技を駆使した会席も毒見を終えて冷えればうまさは半減する。
毒見を責めるわけではないが、毎回、怯えた青い顔でゆっくりと匙を食むさまは、それだけで胃の大きさを縮めるのだ。
今日もまた、同じように無駄に長い時間が過ぎるのだと思っていた。
だが、なんだかそうでもないらしい。
いつもは、毒見役が皆、顔を見合わせながら匙を運ぶ順を決める。
でも今日は、やたら威勢のいい毒見役がいるようだ。
貴妃の毒見役、小柄な侍女は周りを一瞥もせず、銀杯を揺らして食前酒を口に含む。
ゆっくり嚥下すると、何事もなかったかのように口をゆすいだ。
どこかで見たことがあると思ったら、先ほど簪を渡したひとりだった。さして、目だった容貌でない、整っているが特徴がない。美形の多い後宮の女官の中ではあまたに埋もれるほうだろう。
しかし、無表情のどこかに、他人を威圧する眼力を持つ娘だった。
愛想のない娘だと思ったが、表情は案外豊からしい。
無表情と思えば、なぜかいきなりにやにやして、かと思えば元に戻り、今度は不機嫌な顔をする。
それなのに、当たり前のように毒見をするので、これはどうにもおかしかった。
次はどんな顔をするやら。暇つぶしにはちょうどいい。
羹を差し出され、娘が匙をいれる。目視し、舌の上にゆっくりのせる。
娘の目が一瞬、見開いたかと思えば、急にとろんと蕩けるような笑みを浮かべた。
頬に赤みがさし、目が潤み始める。唇が弧を描き、半開きになった口から白い歯と艶めかしい舌が見えた。
これだから女は恐ろしい。
唇についたしずくを舐めとるさまは、熟れた果実のような最高級の妓女の笑みであった。
どれだけ美味い料理なんだ。
平凡な娘をあれだけ妖艶にするなにかがあるのだろうか、宮廷料理人の匠の技によるものか。
ごくりと生唾を飲んだ時、娘は信じられない行動にでた。
懐から手ぬぐいを取り出し、口につけると食べたものを吐き出した。
「これ、毒です」
無表情に戻った侍女は、業務事項を伝えると幕の裏側に消えていった。
宴席はどよめきをみせながら終わりを告げた。