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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
壬氏編2
206/390

二、羅漢邸


 羅半ラハンの家に姚たちが厄介になる。


 条件としては理想的だが、同時に問題がある。


 その一、変人軍師の家であること。


 その二、他人の男の家に泊まること。


 いわば男やもめの家だ。世間体的にも、若い娘が泊まりたがるとは思えなかったのだが――。


「いやあ、花があっていいなあ」


 眼鏡をくいっと上げてやってきたのは羅半だった。


 あの後二人はすぐさま文を書き、下男に命じて羅半に届けた。


「一応、あやつも雄ですが大丈夫でしょうか?」


 あまりに素早い動きに、猫猫マオマオはたじろいでしまった。


「大丈夫じゃないかしら? いやらしい目つきではないし」


 姚はのんきに答える。


 いや、姚はもっと考えるべきだ。女性に関してはけっこうじろじろ見ている。ただ、観点が他人と少し違うだけだ。数値として何事もとらえる羅半は、ある意味、美術品を愛でるような気分で女性を見ているのだろう。


「羅半さまなら問題ないかと」


 反対すると思った燕燕も乗り気なのだ。理由を聞いてみると――。


「羅半さまの女性関係は後腐れがないので、年上ばかりですし」


(聞きたくなかった)


 三枚目の割に遊び人なのだ。わかっていても知りたくないことの一つくらいある。


 というわけで、とんとん拍子で休暇初日から姚と燕燕は羅半の家に世話になることになった。羅半はご丁寧に、宿舎まで迎えに来たわけである。


「ご丁寧に馬車ねえ、どこから銭を出す気だ? 燕燕に宿代でも請求するのか」

「人聞きが悪い。女性に対して親切にするのは当たり前でしょう?」


 胡散臭い。


「本当は?」

「……」


 しゃべる気はないらしい。何か裏がありそうで怖い。


「まあいい」


 猫猫は姚と燕燕を見送ったら花街に帰るつもりだ。変人軍師のことだから、誰か他の人間が増えたところで気にしないだろう。


「猫猫」

「なんだ?」

「おまえもお兄様と一緒に帰るんだ……って、その顔やめなさい」


 顔が歪んでいたらしい。燕燕がやってきて猫猫の顔をほぐしては去っていく。なんだったのだろう。


「無理」


 猫猫は端的に断った。一度、部屋に戻ると、荷物を持ってくる。


「じゃあ、私は帰る」


 じゃっ、と姚と燕燕に手を振るが、服が引っ張られた。誰かと思いきや、姚が猫猫の裾を持っていた。


「猫猫も来るの」

「私は関係ないです」


 ここはしっかり言わないといけない。しかし、姚は傷ついた顔をする。なぜ猫猫が付いてこないとだめなのだろうか、迷子の子どものような表情をしていた。


「猫猫……」


 燕燕が睨む。過保護過ぎないだろうか、この従者は。


「安心しろ。義父上は数日出かけて帰って来ないように仕組んだ」


 眼鏡をきらっとさせる羅半。






「変な噂がたってもいいんですか?」


 馬車の中で姚と燕燕に確認する。


 未婚女性二人が男所帯に泊まり込むことは、つまり、周りから関係を疑われても仕方ないことだ。


「……」


 姚が複雑な顔をして猫猫を見る。何か言いたそうだが、言い出さない。見かねた燕燕が口を開く。


「友人の家に遊びに行くのは不自然ではないかと」

「はあ?」


 思わずどすのきいた声をあげてしまった。


「そ、そういうことにしておけば、私たちも面目が立つわ。だから、猫猫も一緒にいなきゃだめよ」


 姚がどもりながら言った。


「私、嫌ですよ。なんか加齢臭しそうですし」

「猫猫、義父上は年齢の割には臭くないほうだぞ」

「はあ?」

「猫猫」


 燕燕がまた猫猫の顔をほぐす。姚が何とも言えない顔で猫猫と燕燕を見る。


「ともかく、義父上はいないから、そんな顔しない。ほら、つくぞ」


 場所は都の東の端あたり。上流階級が住むには少々下町よりの場所だが、敷地の広さはなかなかのものだろう。元は良い建築だとわかるが、年月が経っているのがわかる。


 庭が何もないが、機能美を思わせる配置なのは羅半の仕事だろうか。


 不気味なことに、建物の柱や欄干、壁にところどころ妙な焦げ目や刀傷がある。


 実は、変人軍師の屋敷に猫猫は初めて来た。幼い頃、変人軍師に何度か連れて帰られそうになったが、そのたびにやり手婆が箒でぼこぼこにして解放してくれたのだ。


「ここは夜盗が出入りするような場所なのか?」


 猫猫は焦げた柱をなぞる。赤塗が剥げた柱は、補修しても意味がないという諦めが見えた。


「人聞きが悪い。ちゃんと見ろ、焦げ目は義父上がやった物だし、刀傷は古いだろ? 悪漢が押し入るのは十年くらい前から減っている」


(たまに来るような言い方だ)


 焼け焦げたあとはもしかしたら火薬で何かやらかしたのかもしれない。敷地が広いのと、高級住宅街に位置してないのには理由がある。


「兄さまに任せなさい。ちゃんと護衛は頼んでいる」


 やっぱり出るようだ。


 羅半は母屋を通り過ぎ、離れに向かう。母屋に比べたらこじんまりとした造りだが、それでも二階建ての家があった。


 中は派手ではないが、だからといって質素というほどでもない。燕燕が頷きながら、見ているので及第点だろう。


「ちょっと手狭なのだが、問題はないだろうか? さすがに母屋に通すわけにはいかない。あと、使用人は……」


 羅半は回廊を歩いていた中年の女を呼び寄せる。特に目立った風貌ではないが、この屋敷で働いている時点でなんともいえない空気を漂わせていた。


「この者を使ってくれ。ごく一般的な命令なら聞いてくれる」


(どこまでが一般的なのだろうか)


「よろしくおねがいします」


 丁寧に頭を下げる下女は、邪魔にならないようにとさっさと出て行ってしまった。


 屋敷の広さの割に使用人は少ない。他にいるとすれば、庭のがれきを片づけている下男か、働いているのか遊んでいるのかわからない十歳くらいの少女が三人いた。いや、一人は少年だろうか。


「食事についてはこちらで用意するが、もし自炊のほうがよければここにある台所を使ってくれ。材料は母屋の裏の台所へと行けばある。さっきの使用人がいることが多いので頼むといい」

「ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げるのは燕燕だ。姚も感謝の意を表す。


「質素過ぎて申し訳ない」

「いえ、十分です」


 燕燕としては、姚の世話を一人でできるので問題なかろう。隠れ家さえあればなんとかなる。


「あの……」


 姚がおずおずと手を挙げる。


「家主の羅漢さまはいつ帰ってきますか?」

「最低三日はいないはずだよ。棋聖と勝負をする」


 羅半は質問に、一度猫猫の顔を見て答えた。


「公式ではないものの、観客も多いからね。専用に建物を借りて泊まり込みでやっている」

「わざわざそんなことをしてくれたんですか?」


 姚がちょっと驚いている。


「いや、毎年決まってやっていることだよ。三日位、僕も義父上のお守りから離れてもいいだろ? そこで、君たちから文が届いたんだ。ちょうどいいと思ったのさ」

「それじゃあ、私たちのことは?」

「大丈夫。君たちに害意さえなければ、義父上は気にしない」


 あの変人軍師には、敵と味方を瞬時に判別できるなにかがあるらしい。


「では、僕がいても邪魔だろうから消えるね。僕の部屋を教えてもいいけど、猫猫の手前大人しくしていよう。用があれば使用人の誰かに言えばいい」


 離れから出て行く羅半。


「あっ、そうそう。猫猫」

「……」

「今晩位は泊まっていきなさい。知らない家に友人二人を置いていくのは忍びないだろ? 緑青館には、僕から言っておくから」

「私もここ、知らない家なんだけど」

「知らないも何も、奥の部屋をのぞいてごらん。元は誰が使っていた部屋だかわかるから。きっと一晩じゃ物足りないぞ」


 羅半は思わせぶりに言うと、去っていった。


「誰が使っていた部屋?」


 猫猫は離れの中をぐるりと見渡す。年代物の造りだ。廊下の奥に進んでいく。台所が右側に、部屋が左側にある。さらに奥の戸を開ける。


「……」


 紙の匂いがした。


 棚には古めかしい医術書が並んでおり、反対側には薬棚が置いてあった。


(あっ、そうか)


 羅の家ということは、元はおやじも住んでいたはずだ。


 そして、兄から疎まれていたおやじは母屋ではなく、離れた場所に部屋を与えられたに違いない。


 薬棚の引き出しを開ける。中身はさすがにないが、染みついた生薬の匂いが鼻孔をくすぐった。


「すごい……。なにこれ?」


 姚と燕燕も驚いている。書を開く。古い書物には紙魚の食い跡が目立つ。


 猫猫を養育するためにおやじは花街へと移り住んだ。後宮を追い出された元宦官は、ほぼその身一つで屋敷を追い出されたのだろう。


 過去に猫猫がのぞき見しようとして怒られた本がたくさんあった。


「……これ、一晩じゃ読み切れない量だわ」


 姚が猫猫の心を代弁してくれているようである。


「一晩じゃ物足りない」


 悔しいが、その通りだった。



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― 新着の感想 ―
ちょっとこの2人図々しいよね 読んでてイラっとすることが多い
私も燕燕は好きじゃない。 いろいろとイラッとする。
本当に燕燕嫌いだわ。 逆に同じ事されたら…どう思うのか? 家柄がいいなら…家長の言うことは聞かないと。 嫌なら籍を抜けばいいだけ。2人だけで暮らせばいい。 人に頼らないで欲しい。
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