二十五、簪盗人 前編
玉葉后は飄々とした人だと思っていた。
後宮という女の園の中で、帝の寵愛を受けた女への仕打ちは恐ろしい。だが、彼女は笑顔を絶やさずにいた。少女のような好奇心を持ったまま、女のしたたかさを合わせ持った彼女は、別に猫猫がいなくとも平気だと思っていた。
(そんなわけなかったか)
たとえ后であろうと、国母となるかたであろうと人間だったのだ。
猫猫は預かった簪を確認する。
今日はもう遅いから泊まっていけと言われた。すでに寮には連絡済みだということだ。
距離的には四半時もかからない場所に寮があるし、何より、部外者が后の宮に泊まることのほうが色々大変だろう。
(簪をどうにかした相手を見つけるまで不安というやつか)
とはいえ、他に頼める相手はいないのだろうか。
それとも――。
猫猫は、用意された部屋の寝台で胡坐をかき、腕組みをする。
(黒ずんだ銀)
銀は腐食する。手入れを怠るとすぐ曇ってしまうので、いつも磨かされていた。
やんごとなき人たちは銀食器を好んで使う。いや、使わざるをえない。
砒毒に触れると黒くなるからだ。
砒毒の類は、銀をすぐ黒くする。砒毒は無味無臭無色だが、この特性のおかげで発見が容易い。逆を言えば、銀食器は手放せないのだ。
玉葉后が砒毒に触れるようなことはあっただろうか。いや、后の体調は、気分はどうであれ概ね良好だ。毒が盛られた雰囲気ではない。
なら、どうして黒くなったのか。
(簪が盗まれてから黒くなった?)
毒でも使おうとしたが、使えなかった。だから、玉葉后を脅すために簪を盗んだ。
(いや……)
回りくどすぎる。
何か意図があったとしても、猫猫には想像がつかない。一体何がやりたかったのだろうか。
それにもう一つ、気になることがある。
「壊された様子はないよな」
紅娘曰く、中には大きな水晶が入っていたらしい。その水晶はどこへ行ったのか。
(水晶ねえ)
「ふむ」
腕組みをしていると、戸を叩く音がする。
「猫猫、ちょっといい?」
誰かと思いきや、桜花だった。
「どうしたのですか?」
いつもなら駄弁りにでも来たのかと思うが、そういう風には見えない。しかし、ちょうどよかった。猫猫も聞きたいことがあった。
「か、簪のことなんだけど」
どこか気まずそうな顔をしている。
ふと、猫猫はぴんと来た。
「あのもしかして、この簪に使っていたという水晶ってのは――」
前に翡翠宮にいたときに作っていた物を思い出した。
「塩の結晶ですか?」
小粒の結晶から地道に大きくしていった。綺麗に出来たものをいくつか玉葉后に渡したのだ。何で出来ているか言わなければ、水晶と見間違えるだろう。
「……さすが猫猫。よくわかったわね」
ぽかんとした顔をして桜花が頷く。
「やっぱり」
猫猫は簪を布でつまんで振った。
「なんでまた塩なんかを簪にしようと? すぐ砕けてしまいますよ」
玉葉后にも渡す時に湿気が多いところだと溶けてしまうかもしれない、と注意した。いくら綺麗でも塩は塩だ。
「玉葉さま、最近ずっと退屈していたのよ。だから、園遊会の場くらい少し遊んでもいいかなって」
玉葉后が意匠設計したという。
もちろん、頭が固い紅娘には内緒だった。桜花が気まずそうにやってきたのは、それが理由だ。
「もし途中で割れたりしたらどうするつもりだったんですか?」
園遊会は女たちの値踏みの場でもある。つま先から髪の毛先まで観察される。
後宮時代は、玉葉后と同じように寵愛を受けるために、彼女の真似をする中級妃、下級妃が大勢いたのだ。
簪の中身が壊れでもしたら、みっともないだろう。
「その前に着替えるように仕向けたのよ。お色直しまでの半時くらい持つだろうからって」
この鬼灯のような形の簪は、形容が独特で皆の視線が集まるだろう。籠の中の石はなんだろうかと、皆、考えよう。特に、宴の手伝いをしていた女たちは。
後宮内だけでなく、外でも帝の気を引こうと考える女たちは多い。
簪に何を使っているのかわからない周りの様子を楽しんでいたのだろうか。もしくは、壊れたらどうしようと危機感を楽しんでいたのかもしれない。
玉葉后らしいといえばらしい。
(簪をしっかり観察すべく侍女が盗んだのだろうか)
可能性は皆無ではない。いっそ、盗んだことに、気が引けてあとから返すというのが原因であればまだほっとする。でも、簡単に返せるものではない。
「すみません。園遊会の時の周りはどんな風でしたか?」
「どんな風って言うと?」
「宴の席の配置や、裏方はどうなっているかです」
「わかった」
桜花は部屋の外に出ると、紙と筆記用具を持って戻って来た。さらさらと見取り図を描いてくれる。
「ここが宴の中心で主上がいたところ。向かって右に皇太后さまと壬――じゃなくて月の君。左に玉葉さま。少し離れたところに玉袁さまよ」
今回の園遊会では玉袁に名を与えることが大きな目的なのでわかる配置だ。もちろん、他に重鎮も控えている。
「着替えをなさったところはどこでしょうか?」
「今回は宮が近くにあったから、そこまで移動したの」
厠も宮にあったため、今回は比較的楽だったらしい。
「ただ、ちょっと厨房が遠かったのよね。お料理が冷めてしまうのはいつものことなんだけど、人数分の料理運ぶのは大変そうだったわ」
毒見をしているうちに料理が冷める。せっかく味はいいのにもったいないと猫猫は思う。
「ここ、宮のすぐそばに鍋がおいてあったわね」
「……」
猫猫は目を細める。
「鍋に見張りはいましたか?」
「見張り、はいなかったと思うわよ。たぶん、末席の人たちの分でしょう」
毒見を必要とする方々の分はもっと別に用意している。
「では、その鍋があったとき、簪は無くなっていました?」
「あっ、そうそう。ちょうど食事の準備途中によ。私は別の用事を頼まれていて、一度玉葉さまのもとを離れていて、戻ってきたら簪がないって騒ぎで」
(ああ、そういうことか)
納得しつつ、猫猫は簪を見る。なぜ黒ずんでいたのか理由がわかった。
「猫猫、なんかわかった顔してない?」
「していますか?」
「してる! なんなの、教えてよ!」
教えてと言われても困る。まだ、立証したわけではなく予測の範囲内だ。
「まだ情報が足りません」
「足りませんじゃないの! 教えて!」
猫猫は唸る。
しかし、ここで言わないといっても素直に黙る桜花でもない。
「わかりました。ただ、もう一つ確かめたいことがあるんですが」
「なんなの?」
「大したことじゃないです。その時間、宮にいた人たちはだれかわかりますか? わかる人だけでもけっこうですので」
「それなら――」
猫猫は、桜花が語る人たちの名前を紙に書き加えていった。