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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
壬氏編
196/389

十八、前触れ

 厄介ごとはいきなりやってくる。


 予兆は見えていたので想定の範囲内と言えば、範囲内であったが、実際に来るとやはり面食らうものだ。


 何が起きたと言えば。


「北の遊牧民族が攻めて来たぞ」


 小競り合い程度はたまにあることだ。普段は様子見程度で終わるのだが。


「狙いは小麦だったようです」


 馬良バリョウは細かく書かれた報告内容をかいつまんで壬氏に教える。


「……だろうな」


 部屋に馬良ともう一人、麻美マーメイしかいないので、頬杖をついて答える。高順ガオシュンがいたら、眉間にしわを寄せそうだ。


 麻美は今も素早い動きで書類整理を行っている。実に働き者の姉弟だ。もう一人の弟、馬閃はこの時間、軍部に鍛錬に出している。刃引きで一騎打ちを行い、負けるまで試合を続けるそうだ。あまり愛想が良くない馬閃は対戦相手に事欠かないようだが、それもまた壬氏には少し羨ましく思える。


 遊牧の民とはいえ、彼等も人だ。山羊の乳や肉だけでなく野菜や穀物だって食す。畑を持っていない彼等は、街で毛皮や肉を他の食糧に交換することが多い。国境くにざかいの街では、彼等との交易も珍しくないのだが――。


「本来なら、もっと北にいる民族なのですが」


 北方には警備を多く配置していたが、それでも、逃げ遅れた賊を数人捕まえることしかできなかったらしい。


 一応、いきなり襲い掛かるのではなく、他の街で買い付けを行おうとしたらしい。だが、持っている貨幣が北亜連ホクアレンの物しかないことと、言葉による意思疎通がうまくいかず交渉が決裂したそうだ。


「こちらの言葉がわからなかったのか?」

「そのようですね。なまりがひどくて聞き取りづらいようで、捕まえた者たちの尋問にも苦労したようです」


 頭が痛い。


 そこまでの情報で推測されるのは、本来、彼等は別の場所で穀物を買っていた。しかし、買うことができずに、違う街に来たが結局買えなかった。購入せずに帰るわけにもいかず、農村を襲ったというところだろうか。


「北亜連では売り渋りが起こっているのだな」

「はい。そう考えるのが妥当かと」


 茘も今年、穀物は豊作とは言えないが、売り渋りが起こるほど不作の地帯は、蝗害が起きた地域くらいだ。それでも、他の地方と合わせて考えれば、まだ不足を補える。


「甘藷の出来について聞いているか?」

「確か羅半殿から資料が届いております」


 すかさず書簡を渡す麻美。


 できる女を素で行う。


「おおむね、予想通りの収穫量だそうです」

「そうか」


 最悪、収穫がないことも考えていたので、ほっとする。あとは、保存や加工、輸送手段など問題はあるが、そこのところは羅半に任せておけば大丈夫だろう。癖は強いが、性質さえわかれば信頼できる人物だ。最近、用事を任せすぎている気もするので、これ以上は仕事を増やさないようにせねばならない。


 頼れる人物に仕事を頼むのはいいが、頼みすぎると厄介なことにつながる。


 それはわかっているつもりだが――。


 受け取った書類を机に置いた時だった。


 戸が大きく開かれた。


「壬氏さま!」

「馬閃!」


 突然入って来た馬閃を麻美が怒る。しかし、馬閃は息を切らしつつ、壬氏の執務机の前に立つ。服装は、鍛錬用のもので、練習場からそのままやってきたことがうかがえる。


「どうした? 無遠慮すぎるぞ」


 顔を真っ赤にする麻美の手前、壬氏も少し責めるような口調をする。しかし、いくら馬閃が短慮でもこれだけ急いでいるのなら何か理由があるだろう。


「あ、阿多アードゥオさまの屋敷に、賊が入った模様です」

「なんだと?」


 壬氏はぴくりと眉を上げる。


「聞いていないぞ」

「はい。私も初めて耳にしました……。ぐ、偶然」


 息が切れ切れなので、壬氏は麻美を見る。弟に腹が立ちつつも、有能な官女は馬閃に水を差し出す。


 馬閃は受けとった椀から水を一気に飲み干し、ぐいっと唇の端からこぼれた水を拭った。


「偶然、耳にしたんです。十日ほど前、阿多さまの宮にて、賊らしき者が侵入したこと、ともに、逃げる際、火を放ったと」

「本当か?」

「はい。問い詰めました。内密にと口留めされていたようですが、ふと仲間内で話しているのを耳にしたので問い詰めました」


 ぐっと拳を握る馬閃。ふと漏らしたとはいえ、詳細を口にすることはあるまい。手荒な真似をして吐かせたのではないだろうか。


 物取りの犯行、いや、わざわざ阿多の宮を狙うだろうか。元は帝の離宮だ。たとえ宮廷の外にあるとはいえ、警備は多い。


 物取りならまだ、豪商の家を狙うほうがよっぽど簡単だろう。


 さらには、子の一族の生き残りの子どもたち、先帝の孫にあたる翠苓、そして、西の巫女までいる。


「……」


 今更ながら頼りすぎたと反省する。


 阿多は敏く、信用できる人物だ。だが、それに頼りすぎてはいけないと思っていたはずなのに。


「――この後、阿多殿の元へ向かう」

「用件はどのようにしましょうか?」


 麻美が木簡と筆を用意する。質の良い紙が増えて、木簡を使うことはだいぶ少なくなってきたが、あえて使うこともある。麻美の場合、香りがある木を使うことが好きらしく、よく利用している。


「……碁でも一局打ちたいと書いてくれ」


 阿多は盤遊戯よりも鷹狩りに誘ったほうが食いつきそうだが、時間も遅い。


「壬氏さま」

「まだいたのか、馬閃」


 壬氏は少し疎まし気に言った。


「私も連れて行ってください!」

「……だめだ」

「なんでですか!」


 憤る馬閃だが、壬氏とて考えがないわけではない。そして、この場にいる麻美も馬良も、弟が何をしたかわかっている。


「あんた、阿多さまのことを無理やり聞きだしたんでしょう? 人目につかないところでやったの?」


 麻美の追及に、ぎくりと馬閃が身体を震わせる。馬閃は女性全般に弱いが、特に母と姉にはめっぽう弱い。


「い、一応、裏へと連れて行った」

「周りはちゃんと確認していなかったのね。大体、その恰好何? 修練の途中だか何だか知らないけど臭いのよ。わかる? く、さ、い、の。汗と脂まみれで執務室にやってこられたら、周りはどう思うかしら? あからさまに怪しいと思うでしょ? 子どもでもわかる、猿でもわかる、お前の頭はお猿さんなわけ?」

「……」


 馬閃の顔が情けなく歪む。


 馬良が哀れそうな目を仕切りの隙間から見せている。


 馬の家の女はすこぶる強い。


「もうばればれなのよ。あんたには隠密行動なんてものは無理。だから、壬氏さまも碁にかこつけて阿多さまの元へと向かうわけよ」

「わ、わかってる」

「わかってない! ほら、出て行って。臭い臭い。うわっ、あんた、今朝、大蒜にんにくでも食べた? むわっとするんですけど」


 袖で鼻をおさえる。


 怖い。


 これでも、壬氏の前だから遠慮しているほうだろうが、それでも怖い。


 馬良は馬閃を可哀そうに思いつつも、口を出したところで負けるのがわかっている。じっと隙間から見るだけだ。


「その臭いどうにかしないと、女にもてないわよ。嫌われるわね」

「……嫌われる!」


 衝撃を受ける馬閃。


「えっ、何? その反応、もしかして好きな子でも出来たの? あら、本当、お姉ちゃんに教えなさい」


 麻美の目がきらりと光る。


 二児の子持ちであるが、まだ年齢は二十二。良縁があったから、十六で結婚したものの、その手の話が嫌いなわけではない。


「なっ、何を言っているんですか? じ、壬氏さまの前ですよ」


 馬閃が慌てる。むしろ逆効果だと壬氏は思う。


 麻美が馬閃の身体を肘で小突きまわっている。 


 さすがにこれ以上は話が進まなくなる。


「麻美。それくらいにしてやれ。そうだ。せっかくだから、菓子を持っていこうか。水蓮にあの焼き菓子を用意できるかも確認しておいてくれ」

「はい」


 麻美は木簡を、伝令に持たせ、水蓮のいる宮へと向かう。


 ふうっと、息を吐く馬閃。


「……っで、誰なんだ?」

「壬氏さままで」


 馬閃がほとほと弱った声を上げるので、壬氏は思わず笑った。

 


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― 新着の感想 ―
[気になる点] この時はまだ馬閃の想い人が里樹妃だとみんな知らなかったんですね。麻美姐さんはどうやってそれ知ったのか、その手腕が気になります。
[一言] この上司も鈍いな。
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