十四、碁大会 二日目夕
覆面男こと壬氏の次の対戦相手は、恰幅のよいおじさんだった。
覆面の変な男にいぶかしみながらも、碁を打つ。壬氏はあっさり勝った。
「それなりにお強いと聞いていたが、かなりお強いの間違えだったようだな」
「そうかあ?」
猫猫は一時期、壬氏に仕えていたが、それほど碁をやっているようには見えなかった。元々、器用な人なので、たしなみ程度に、普通よりは強いくらいのものだろうという考えだ。
「対戦相手のおっさんが弱いんじゃないのか?」
あまりにあっさり壬氏が勝ってしまったので、おっさんの不正疑惑が持ち上がる。
「そのようだな。運がいい」
碁盤の前で頭を下げて、また新しい対戦相手の元へと向かう。
「いかさまして勝ったおっさんは罰しないのか?」
「負けたら参加料をまた払ってくれるお得意さんをか?」
「……」
どうしようもない。
「冗談だよ。どちらにしても、金さえ払えば、義父上との対戦は出来るんだ。問題なかろう」
「……勝ち上がった挙句、さらに金をとっていたわけじゃなかったのか?」
「対戦と指南は別だろう。まあ、義父上が指南の意味を理解しているかどうかは知らないけど。燕燕にはちゃんと後日、義父上と会うようにするから」
ちらちらと変人軍師のほうを見る羅半。
「後日? 今日、このあとでということじゃないのか?」
「うーん。そろそろ限界かもしれないかな。あの様子だと、大会が終わったらすぐ寝てしまうぞ」
羅半は頭の算盤を弾き始める。
おやじから、変人軍師は一日の半分寝ると聞いたことがあったが、用事が済めばすぐ眠るとなるとどこの子どもだろうか。
突如、眠る病気があると聞いたことがあるが、あのおっさんの場合、それとは別なはずである。
「すでに前金を受け取っているかたには後日訪問すると、いや、単品で連れていくと問題があるから、なんとか一度寝かせてから起こして、いや、無理だから……」
「金の亡者め」
猫猫は呆れた顔で壬氏に視線を移す。次の対戦相手が決まったようだ。
「あれは勝てないだろうな」
先ほど見かけた元玄人のおじさんだ。
何を考えて、こんな大会に出るのだと思いつつ、遠目で対戦を見る。覆面をつけた人物が目立つため、周りには人が集まる。
将棋ならともかく、碁はよくわからないので、地味に受付をしたり、気分が悪くなった人がいないか見回ったりする。
(片付けて出ろよな)
食べかすをぼろぼろ零している席がいくつもあるので、片付けながら回っていると、「あー」と残念そうな声が聞こえた。
壬氏の周りにいる観客だ。勝つことを諦めて、観戦にふける参加者も多い。
猫猫は観客に混じっていた羅半に近づく。
「どうした?」
「悪くない打ち方だったんだが、さすがに相手が悪かったよ。うまい具合にはめられてしまって」
「そうか」
そんなものだろう、と猫猫は頷く。
「逆転も難しい?」
「できなくはないけど、相手がよほどのぽかをしない限り無理だろうね。そんな初歩的な失敗をするような人でもない――」
羅半が言い切ろうとしたとき、会場がざわめいた。
ふぁさっと、場に不釣り合いな覆面がはがれた。艶やかな黒髪が宙に舞い、着物に焚かれた香の匂いがあたりに漂った。
「……っ」
声を出そうとして、出せない人たち。
そこにいるのは、到底、絵巻物の中でしか見られないような天上人の姿だった。
一瞬、女性かと見まごうような美貌だが、凹凸のある喉と広い肩幅がそれを否定する。声にない声の中には、小さな落胆も混じっていた。
右頬にすっと入った傷は消えることはなく、玉に傷とはまさにこのことと言わんばかりだ。
後宮という色とりどりの花たちの中ですら際立った美しさを放っていた壬氏だ。
周りを呆けさせるには十分だろう。
(忘れていたが、害悪になるくらい面倒な容姿だったな)
ぱちりと石を置く姿もさまになる。そのたびに、「おおっ」と感嘆の声が上がる。
何を考えて覆面をとったかはともかく、困ったのは対戦相手の男だろう。先ほどまで優勢だったのに、今は顔が真っ青になっている。
戦況を覆されたのか、いやそうではない。
昔、やんごとなき人たちに碁を教えていたというのなら、多少は殿上人について知っているのだろう。
昔、壬氏と面識があったのか、それとも、右頬に傷がある美丈夫が誰であるか、予想がついたのか。
(これは勝てるわ)
周りはこの美丈夫が誰なのか気づいていない。皇弟の右頬に傷ができたという話は、巷でも噂になっているはずだが、まさかこんなところで碁を打っているとは思うまい。
もちろん、対戦相手以外にも、気づいた人間がいる。皆、青ざめているやら、赤らめているやら忙しい顔色ばかりだ。口に出せず、魚のようにぱくぱく口を動かすばかりだ。
(よほどぽかしないかぎり)
そのぽかをやらかしてしまった。
真っ青になり脂汗をたらたら流しながら、頭を下げる男。
「負けました」
震えている。ぽかをやらかしたことが原因か、それとも、壬氏に粗相をしていないかという不安だろうか。
(可哀そうに)
これは猫猫も手を合わせるしかない。
なんのために覆面をしていたのだろうか。顔を出すなら最初から出しておけばいいのに、まさか相手に揺さぶりをかけるためにやっていたのだろうか。
(卑怯だな)
しかし、これで勝ち星二つ。勝ちは勝ちだ。何も規範を破ってはいない。
ずるい戦い方に思えるが、元々、壬氏はこういうことは平気でやる奴だったと猫猫は思い出す。散々、後宮では自分の顔がいいことを利用して、女官や宦官をたぶらかしていたのだから。
そこに権力の一つが入ったところで、今更軽蔑するほどのことでもなかろう。
(本気で、勝ちにきてるわ)
そこまでして、変人軍師と対決したいのだろうか。
まさか、本当に羅半の流した噂を信じているのか、と猫猫は睨む。
「……⁉」
ふと、ぞくっとして後ろを振り向くと、舞台のほうから、無精ひげのおっさんがこっちに視線を投げていた。
「猫猫、少し離れてくれ。義父上が勝負に集中できない」
「ああ」
「月の君の判別が出来るようになったんだよ、義父上は」
「むしろ、できなかったのか」
人の顔が判別できないというのは本当に大変だろうに。
猫猫は、掃除道具片手にまた持ち場に戻る。
受付には新しく勝ち上がってきた青年がいて、菓子と茶を渡した。まだ若い、二十歳になったかなっていないかの初々しさだ。
目をきらきらさせて、これから勝ち上がるぞ、と拳をぎゅっと握っていたが――。
次の試合で、やたら眩しい同世代の青年に当たり、心をかき乱されて惨敗することになるとは、知る由もなかろう。