九、雷 後編
翌日、おやじは三つ子の話を聞くことになった。
ずいぶん、話の進みが早いと思うが、おやじの頼みとあれば片眼鏡の変人軍師が断るわけがない。
「猫猫、ついてきて話を文書にまとめてくれないかい?」
「……変なのが来そう」
変人軍師が同席するなら、と猫猫は首を横に振る。
「羅漢は来ないから安心おし」
「じゃあいいけど、姚さんたちはどうするの?」
猫猫はちらりと見る。
「姚には速記が出来ないから無理だと断ったよ」
(私もできないけど……)
言いかけてやめた。
下手に言うと姚がやるといって聞かないだろう。そして、それを絶対に許さない燕燕と平行線になる。
姚は自分の実力不足だとわかれば、悔しがりつつも納得する性格なのでそのまま黙っておいたほうが賢明だ。
さっきから、柱に隠れて悔しそうに姚が猫猫を見ている。その後ろで、燕燕が「さっさと行ってください」と言わんばかりに、白い巾を振っている。
「わかったから、行こうか」
早く終わらせて早く帰ろうと思った。
用意された場所は、軍部の会議室だ。広くもなく狭くもなく、会議室というより尋問室という広さに思える。
「おっ、来たか」
部屋の前で出迎えてくれたのは見覚えがある大型犬、いや李白だった。
「よろしく頼むね」
おやじが丁寧にお辞儀をする。
「ああ、何か問題があったらすぐ呼んでください。中にはもう一人、書記官を用意していますが、なんせ文官なので」
厚い胸板をぽんと叩く李白。相変わらずのさっぱりした性格だ。
「なんで、李白さまが?」
猫猫が首を傾げつつ、質問する。
「上からの命令だよ。相手が相手なので、逆上されたら困るだろ。腕っぷしのいい護衛が必要になる。んでもって、三つ子とも、牧とも面識があるし、何よりおまえさんのことを知っている俺が選別されたわけだよ」
「なるほど」
理にかなっている。
「たまにはこういう仕事も、いい気分転換になるしな」
にかっと笑う好漢の腰には、前とは違う階級の房飾りがついていた。
「ずいぶん、順調に出世なさっているようですね」
「ああ。おかげで、最近は机仕事が多くてな」
どのくらい収入は上がりましたか、と聞きたいところだが、野暮なのでやめておこう。あとどれくらいで、李白は愛しの君である緑青館の白鈴を身請けできるようになるやら。
「話をしている中、悪いんだけどいくつか聞いていいかい?」
おやじが李白を見る。
「ああ、すみません。どうぞ」
「三つ子と面識があると言っていたけど、三人がそれぞれどんな性格をしているか知っているかい?」
おやじの質問に、李白は顎に手をやって首を傾ける。
「どうと言われても、何て言うんだろうな。三人とも、ずる賢い奴だってことは言えるな。顔はそっくりで、声もよく似ている。性格については、似たようなもんかな。見分けがつくほど長く付き合ってないからわからないです」
「ほう」
おやじは、頷く。
「三人とも仲がいいのかねえ」
「いや、そんなことないと思います」
李白はきっぱり否定する。
「以前、仕事の失敗があったとき、三人のうち誰が失敗したのか追及することがあったんですが、そんときは失敗した相手を庇うようなこともなかったんですよ。むしろ、こちらに害を与えるなと言わんばかりな態度だった」
「その失敗とやらは、三人でばれないようにとかやらなかったのかい?」
「やれると思いますか? 羅か……、いや、片眼鏡のおっさんの前で誤魔化しが」
前に、猫猫が言ったことを覚えている律儀な李白だ。
変人軍師は、基本、人間として駄目な要素を集めたような生き物だが、碁と将棋、それから人間を見る目だけはずば抜けている。
「面白かったなあ。あんときは。あっ、それで思い出したんだが」
「何を?」
「三つ子のうち、二人は正直に話をすると思います。親の権威を笠に着て好き放題やっているけど、自分が罰を受けるつもりはないはずです。なので、自分に非がないことを庇いだてすることもなく、やましいことがなければ嘘はつくことはないでしょうね」
「信じていいのかい?」
おやじが目を細めて確認する。
「信じろと言っても、必ず絶対なんてことはないでしょう? まあ、傾向として、相手を庇うために自分に不利になるような嘘はつかないだろうってくらいでとらえてください」
「君はとても正直な人だね」
「そ、そうですかねえ」
「ありがとう。では、なにかあったらすぐ駆けつけてもらうね」
おやじは、そう言って部屋に入る。
猫猫もあとに続く。
部屋にはもう一人、文官らしき男がいた。李白が言っていた書記官だろう。
書記官は猫猫たちに気がつくと、椅子から立ち上がり一礼する。
「もうすぐ、来るはずです。こちらにお座りください」
「すまないね」
おやじは椅子に座る。卓には書類が一枚置いてある。
(脅しか?)
内容は三つ子の役職とその親族が誰であるということだった。変人軍師の命だから来てやったが、お前に罰する権利はねえ、と言わんばかりだ。
「さて、どうしようかねえ」
三つ子は別々に一人ずつ話を聞くことになっている。
ともかく、最初の一人目がやってきたので、話を始めないといけない。
猫猫は出来る限り、書き留められるようにと、筆の先を墨で濡らした。
〇●〇
何か、勘違いしているようですけど、俺は別に牧の妹のこととは関係ないですよ。
十四歳なんて小娘に手を出すなんて考えられないですね。何を根拠に俺が疑われなくちゃならないんだか。
ん? 一昨日はどこにいたかって?
そりゃ、仕事も終わって街をぶらぶらしていましたよ。一杯ひっかけるくらい、誰だってやるでしょうに。
一昨日の気分は、ちょっと安酒をあおりたかったもんで、南のほうへと向かいましたよ。
花街までは行ってませんね。あそこは酒を楽しむ場所ではないんですし。
雷?
ああ、あの大きな雷のことですか。
近くに落ちたようですね。空が光ったと思ったら、しばらくして大きな音が響きましたよ。びっくりしました。
いつごろかって?
夕刻の鐘が鳴った頃ですよ。そのあとすぐ、雷鳴が響きましたから。
ええ、ということで俺は関係ないです。
やらかしたのは弟二人のどちらかなんで、お好きなように。
でもね、根拠もなく、あてずっぽうに俺たちの誰かを犯人にした場合は、どうなるかわかっているんでしょうね?
〇●〇
一人目は長男だった。
誰が犯人かわかるものかと言わんばかりの声である。
猫猫はいらいらしながらも書き留めた。
おやじは「ふーむ」と顎を撫でながら考えている。
猫猫や書記官が書き留めなくても、おやじのことだ、一字一句間違えずに暗記できるだろう。それだけ有能な人だ。
長男と入れ替わりでまた同じ顔がやってくる。書類を見ると、次は次男。わかりやすく上から順番にやってくるらしい。
〇●〇
本当にいい迷惑ですよ。仕事の合間に呼び出されて、尋問なんて、俺が犯人じゃなかったらどうするつもりですかね?
まあ、無実なのは確定しているんで、さっさと話すこと話して帰らせてもらいますよ。
一昨日どこにいたかってことでしょう。ちょうど非番だったんで、軽く馬で走ってきましたよ。翌日は仕事なんで、日帰りで夕刻には戻りましたけどね。
疲れたもんで、うちに帰ってそのまま眠りましたね。うちの場所は、わかるでしょう? おやじは誰だか知っているならね。
誰か証言できる人間はって?
んなもん聞いても、うちの使用人の発言なら信じないでしょう。
そういうことです。
俺の部屋は離れているんで、誰も気づいちゃいないでしょうね。
夕刻の鐘のころはどうしていたかって?
ああ、あれか、雷が鳴ったときでしょう?
びっくりしましたよ。鐘の音とともに空が光って、そのあと激しい雷鳴が響いたんで。
鐘を鳴らした者も驚いたでしょうねえ。あんな高いところに立っていたら、雷にうたれてもしかたないだろうから。
生憎、そんな心配はなかったみたいですがね。
いいですか?
仕事戻りますよ。
兄貴と弟のどちらがやったか、ちゃんと調べてくださいね。
まあ、もちろん、それが間違えているわけにはいかないんで、しっかりよく考えてからをお勧めしますよ。
〇●〇
これまた挑発するような言い方だ。
猫猫は半眼になりながら、また書き留める。
おやじはまた頷きながら顎を撫でている。
早く、こんな茶番を終わらせたい。
三人目、末っ子の尋問が始まる。
言うまでもなく同じ顔なので、なんだか飽きてきたが、我慢だ。
〇●〇
なんだよ、俺が最後か。
兄貴たちが自白してくれりゃ、俺がこんな目にあわなくてすむのに。
ああ、早く終わらせてくれません?
もう今日は仕事終わりなんで。
一昨日はどこにいたかと言えば、一日仕事してたんすよね。
ええ、帰宅時間でしたけど、なんか面倒臭い仕事押し付けられてね。
書庫の書物取ってこいなんて、文官に頼めばいいのに。ああ、もう、あの変人軍師……。っていや、なんでもないです。ともかく取りにいったわけなんですけど、ちょうどいい感じの官女がいたもので、つい楽しくお話をしていたわけですよ。
どこの書庫かって?
西側の書庫ですね。武官があんまり立ち寄るような場所じゃないっていうのに。まあ、新しい出会いに感謝しましょうか。
まあ、そんなかんだでやっていたら、定時を過ぎてしまって。
ええ、夕刻の鐘のときは書庫にいたと思いますね。
鐘の音は聞こえなかったけど、たぶん、そのくらい。
雷の音なら聞きましたね。
両手に書簡を持っていて、いきなり光ったもんだから驚いて落としてしまったんですよ。
それで拾おうと屈んだら、これまた地響きみたいな音がするから。あれは本当に大きかった。
屈むまでの時間?
ちょっとぼんやりしてましたけど、せいぜい四、五秒くらいですね。
早く帰りたいんで、こんなもんでよろしいですか?
はい、じゃあ俺、帰るんで。
〇●〇
三人とも三人でどうしようもない。
猫猫は書き留めるだけ書き留めてどっと疲れてしまった。
おやじだけは納得した顔をして頷くばかり。
書記官の仕事はまだらしく、書いた文書を早速清書していた。
猫猫は、書記官に聞こえないようにおやじに耳打ちする。
「おやじ、わかったのか?」
「まあね。材料は大体そろったかな?」
なんともあっけらかんと言ってのける。
猫猫は顔に疑問符を浮かべる。
おやじからいろんなことを習ったつもりだが、まだまだ知らないことが多い。
この老宦官の頭の中はどうなっているのだろうか。
「さて、帰ったら情報を整理しようかね」
よろめく身体を杖で支えながら、おやじは椅子から立ち上がった。
部屋の外では、「出番はなかったか」と少し残念そうな李白の顔が見えた。
医局に戻って来るなりおやじが欲しがったのは、都とその周辺の地図だった。
書庫から借りてくればいいのか、と思っていたら、劉医官が出してくれたので良かった。
「汚すんじゃないぞ」
書きこむ気でいたおやじは、そっと筆を隠す。
かわりに何かないかと、周りを見渡し、薬包紙が飛ばないように置いている小さな色とりどりの焼き物を持ってくる。
「何をするんですか?」
姚と燕燕がやってくる。
今日は、もう二人とも仕事終わりの時間だ。劉医官も何も言わない。
「ちょっと情報を整理しようと思ってね。二人ともいてくれると助かる」
ちょっと期待を寄せた言い方をしたものだから、姚が少し赤くなりながら「当然です」と言わんばかりにそっぽを向く。
燕燕がそんなお嬢様の様子を心の画布に深く刻みつけている。
「まず、ここに一つ」
おやじが赤い焼き物を都の中心に置く。
「それは?」
「夕刻の鐘はここで鳴らしていなかったかい?」
「たしかにそこです。都中に聞こえるように配置されてますから」
三つ子の次男が言っていたように、物見やぐらのようなところに鐘がある。
おやじは次に、紺色の焼き物を三つ置く。
「これは長男がいたと言っていたところで、こちらは次男が言っていた自宅の場所、あと三男の西の書庫はここだから」
「事件当時、皆別の場所にいたと言っているわけですね」
「そうだね。牧さんの話では、妹さんがいたのはここらへんだっていうし」
おやじは、赤い焼き物を指す。ちょうど商店が並ぶところだ。
「誰か目撃者がいればいいけど、三人ともそれはなし。誰が嘘をついているのかわかりますか?」
おやじに今度は叱られないように少し丁寧な口調を心がける猫猫。
「ああ。でもその前に、もう少しだけ情報を収集しようかね」
おやじは猫猫たち三人を見る。
「一昨日の雷はみんな、覚えているかい?」
「ええ、すごい音でした」
「宿舎は近かったですものね」
都の北西にある宿舎は、北西の森からさほど離れていない。
「ここらへんだったね」
おやじは青い焼き物を地図の上に置く。
「そして、雷が落ちた場所は」
黄色い焼き物を置く。
猫猫たちはぱちぱち瞬きをする。まだ、何がやりたいのか理解できない。
「もう一つ質問いいかい?」
「どうぞ」
「雷の光と音とそれから夕刻の鐘の音、どんな順番だったかわかるかい?」
勢いよく手を挙げたのは、燕燕だった。
「まず、空が光りました。そのあと、三秒ほど後に雷が鳴りました。夕刻の鐘もほぼ同時だと思います。地響きの余韻とともに、鐘の音が鳴っていましたので」
「しっかり覚えているね」
おやじが感心する。
猫猫は、燕燕の記憶力は姚が抱き着いてきた感触とともに鮮明に刻み込まれているのだと納得する。
それしかない。
(なんで、おやじはそんなことを聞くんだ?)
猫猫は地図を見て、焼き物の位置を確認する。
(⁉)
猫猫はさっき書き留めた内容を確認する。
長男、次男、三男、それぞれの証言を見る。
「猫猫、どうしたの?」
「ちょっとこれ読んでどう思います?」
姚に記述を見せる。主に、雷のところを。
「……ん? なんかおかしくない?」
姚はじっと長男の記述を確認する。
「燕燕、見て頂戴。おかしくないかしら? これだと、順番が違うわよね」
長男の記述をまとめると、『空が光ったあと、夕刻の鐘が鳴り、そして雷の音がした』とある。
「あっ、こっちも」
次男の記述では、『空が光ると同時に鐘の音が鳴り、そして激しい雷の音』とある。
「これだけは一致するかな。ただ、夕刻の鐘はいつ鳴ったかわかんないけど」
三男の記述では、『空が光ってから四、五秒後に地響きのような雷鳴』とある。
「長男と次男が嘘ついているのかしら?」
「いや、違う」
姚の言葉を猫猫は否定する。
(そうか、そういうことか)
猫猫はおやじを見る。
おやじは柔らかい表情のまま、三人が答えにたどりつけるか見ているようだ。
「少なくとも二人は嘘をついてない」
李白の言葉を信じるなら。大型犬の出番はなかったように見えたが、彼はずいぶん面白い情報を教えてくれた。
三つ子は互いのことを庇ったりしない。
それを考えると、牧の妹に手を出した一人以外は、やましいことがなければ嘘などつく理由がない。
となると。
「猫猫、どういうことか説明をお願いします」
燕燕が聞いた。
猫猫はおやじをそっと見る。おやじは、「説明してごらん」とほほ笑んでいる。
そう言われると、猫猫としては間違った答えは出したくない。深く息を吐く。どこから説明をすればわかりやすいか頭の中で整理する。
「姚さんと燕燕は、雷が遠いか近いかわかりますか?」
「そんなの、光ってから音がすぐ鳴ったら……」
姚も基本的に頭がいい子だ。ちょっと教えれば、答えに気が付く。
「つまり、音がすぐ聞こえた順番ほど、雷に近い場所にいたってこと?」
おやじがこくりと頷く。
「それとともに、音が大きく聞こえたらより近いというのもありますね」
三人の記述を比べる。
姚が眉間にしわを寄せる。
「時系列がよくわからない。雷鳴はともかく、鐘の音にずれがあるのが」
混乱する理由もわかる。
だが、猫猫はこう考える。
「雷が鳴り、その音が距離によって時間がかかるとすれば、同じように鐘の音も違いが出るのではないでしょうか?」
だとすれば、雷鳴と鐘の音が前後する理由もわかる。
そして、それに当てはまると一人だけおかしな記述が出てくる。
「次男ですっけ。もし、一昨日、雷の時、家にいたというのであれば、矛盾がでますね」
燕燕が指で黄色と赤と紺の焼き物の位置を確かめる。
「大体の距離ですが、もし家にいたとすれば、雷の光とほぼ同時に鐘の音を聞くのはおかしいことになります」
鐘の位置は、次男のいたという家とは遠い。大体、猫猫たちの宿舎と同じくらい離れているので、光ってから数秒は遅れて聞こえてくるはずなのだ。
なのに、ほぼ同時に聞こえたとなれば。
「次男がいた場所は」
赤い焼き物が置いてある場所からそれほど遠くない。
雷の供述については具体的で嘘ではない。それが仇になった。
つまり、牧の妹が三つ子の誰かに声をかけられた場所となる。
『……』
猫猫たち三人は、おやじを見る。
おやじは最初からこれを狙って、質問していたのだろうか。
(誰が音で相手の位置を確認するんだよ)
到底、信じられない。
相手もそんなことを考えると思わずに、雷の供述は素直に答えたのだ。
「さて、書記官の記述もあるし、これを手土産に牧さんのところに行くよ。もちろん、それでも駄々をこねる可能性はあるだろうけどね」
よっこらせ、と立ち上がるおやじ。
「……なんで、あんなすごい人が宦官なのかしら?」
姚のふと漏らした言葉に、猫猫も同感と思いつつ、足が悪いおやじの身体を支えた。
老医官を転ばせた不届き者たちには、次男だけでなく全員に処罰が下るようにと願いながら。