二十七 巫女と打算
猫猫はもう一口と、匙を伸ばした。しかし、美味しい茸粥は巫女の付き人によって奪われる。
「な、なにをするんですカ!」
「何をと言われましても、毒見です」
向こうがこちらの言葉に切り替えてきた。猫猫の砂欧語はやはりうまくなかったらしい。こちらのほうがありがたい。
「そちらの粥をください。まだ、毒見は終わっていません。それとも、その残りの粥を巫女に食べてもらうつもりなのですか?」
「……」
付き人が黙っていることをいいことに猫猫はさらに続ける。
「本当ならそんなわけありませんけど、なかなか貴重ではないのですか? 証拠を残さないように手に入れる毒物というのは」
「なにを根拠に」
付き人は一瞬顔をひきつらせたが、すぐに落ち着いた表情に戻す。あれだけ手の込んだことを考える人たちというのは面の皮も厚い。巫女も何食わぬ顔をしている。
(そうだろうな)
ここで簡単に白状してくれたらどんなに簡単なことか。
「ではしばらくお待ちいただけますか? 今、食べた粥が毒であれば、私に毒の症状が出るはずです。たった一口では毒も効くかわかりませんので、残りをください」
手を伸ばす猫猫。付き人は粥を渡そうとしない。
「今の一口では、せいぜい茸がひとかけらしか入っていませんでした。致死量には届きません。渡してください」
「莫迦をいわないデ。毒というなら吐き出しなさイ」
「いいえ、吐き出しません」
猫猫は懐から記帳を取り出す。
「それハ?」
「巫女さまの毒見を行っていた姚という官女の手記です。勉強熱心な娘で、毒見の際、変な匂いがしたら食べないようにと教えていました。仮に愛凛妃が毒として盛ったにしても、匂いで気づくはずです。経験は未熟ですが、初歩的なことを間違えるような娘ではありません」
そして、手記には食事会前数日のことが事細かに書いてある。
「巫女さまの食事についてもどんなものを食べていたかちゃんと書いていました。食事会の前、朝食にはこれと同じと思われる粥がでているようで」
記帳には『朝 雑炊茸入り』と書いてある。
「毒の効き目はちゃんと計算したんでしょうね。食事会の終わったあとにうまく体調を崩すようにと。そして、さすがに多少の罪悪感はあったのでしょうか? 適切に処置すれば、致死量になることはない毒の量でした」
今は落ち着いている。内臓に後遺症が残るかどうかは心配だが命を落とす心配はなくなったらしい。燕燕も一安心しているだろう。
「さっきから、わけのわからないことを言わないでくださイ。すでに犯人は自白しているはずでしょう?」
「ええ、自白しています。犯人が見つかり処分が決まったと連絡があったのは、今日でしょうか? ゆえに安心して、自殺することができる」
犯人を愛凛にしなくてはいけない以上、有罪が確定してから自殺する必要があった。毒が二段階で効くものを選んだのはそれが理由だろうか。加えて、愛凛が犯人と確定すれば、巫女のその後の死についてはうやむやにされる可能性が高い。下手に真犯人を見つけることは却って双方の立場から困ることになる。
冷静に猫猫を見る二人。
(ここでいきなり口封じされるとかないよな)
羅半は巫女の離宮で待機を命じられている。使いにおやじを呼びに行かせているのですぐやってくると思われる。
(口封じは難しいけど、ここで暴かれるのはもっと困るのだろう)
わかっている。それが猫猫にとっても得になることとはいえない。今まで脅すような言い方をしたのは、別に罪を暴くためではなく、いかに猫猫の話を聞いてもらうかの布石だ。
「巫女さま。愛凛妃とは既知の仲のようですね」
「……ええ、過去に巫女候補としテ」
巫女が口を開いた。どこか寂し気な顔をする。
(やはり)
愛凛は巫女のことを庇っていた。巫女が一方的に罪を押し付けていたのであれば、そんな反応をするだろうか。むしろ、この巫女たちのことだから、最初から愛凛が後宮入りすること自体も計算に入っていたのではなかろうか。
「彼女はこのままであれば、絞首刑になりますよ」
ぴくりと巫女が動く。付き人に比べて巫女のほうが役者としては大根のようだ。揺り動かすなら巫女を狙うほうが良かろう。
「砂欧はどうかわかりませんが、この国では暗殺はもとより暗殺未遂もまた死刑と決まっています。あなたのために命を張る人をそのまま見殺しにするというのですね」
二人は無言のままだ。
「愛凛妃を見殺しにするのですか?」
(やっぱ無理か)
猫猫は、次はどう言いくるめるか考えていると、巫女が寝台の上で首を下げた。嗚咽のようなものが聞こえてくる。
「み、巫女さま」
「……ど、どうすればいいというのですカ?」
漏れ出た声に威厳はなく、どこかすがるような儚いものだった。
「生まれたときから、生き方を捻じ曲げられ、ただその流れに逆らわぬように生きてきましタ。私にはただ巫女という立場しかなかっタ。なので、最後まで立派な巫女として生きようと思ったのニ」
「巫女さま!」
付き人が巫女を揺さぶるが巫女は独白を続ける。
片言の茘語と流暢な砂欧語が入り混じる。
内容としては、猫猫の予測はそうそう間違いではなかったようだ。力をつけすぎた巫女を邪魔と思った王派によって、巫女の座から降ろされそうになっていた。降ろされるだけならまだいいが、その末に、嫁ぎ先まで決められているとなれば慌てるだろう。
「巫女という存在を地に落とすことが目的なのでしょウ」
巫女の正体を気づいてのことか、それとも巫女という神聖なものをただの人の嫁にすることで否定しようというのか、どちらかわからない。ただ、巫女の代替わりだけでも大きく力は削がれる。
猫猫は巫女の正体が男とは言っていないが、話の文脈からもう気づいているのだろうという物言いだった。感情が高ぶったために口を滑らせているのかもしれないが、それをあえて指摘する気にはならなかった。
「話を持ち掛けたのは愛凛からでしタ」
愛凛は茘の国事情に詳しかった。巫女が国外で亡くなった場合、その遺体は骨として返す。茘では土葬が基本で火葬は死罪になった者のみ行われるのだが、文化の違いだ。巫女は火に焼かれることで、太陽の元へと帰るのだと言う。
(骨までなったら、誰も性別がどうこう言う人はいない)
巫女の死によって茘は砂欧に借りができてしまう。犯人は砂欧の人間であれ、そこは間違いない。対して砂欧は邪魔な巫女が消える。それだけで、王も満足するだろうと。
「巫女さまがいなくなることで結局、同じなのではないのですか?」
「いいえ」
巫女はそっと付き人を見る。
「私がいなくても次の巫女がいます」
(そういうことか)
巫女は初潮を迎えていない娘を立てる。付き人が帰国するとなればその頭脳は付き人になる。
「次の巫女は私よりもずっと優秀なのです。だから引き渡せます」
四十路の巫女よりも年端も行かない娘のほうが優秀だというが、根拠はあるのだろうか。猫猫は疑問に思いつつも、そこは黙っておく。
「私がいなくても、問題ないのです」
だが、巫女のこの発言には口を挟まずにいられない。
「本当にそうでしょうか?」
猫猫は水を差すように言った。
「あくまでそれは巫女さまたちの理想の筋書きです。もし、このことを主上がお怒りになったことを考えたことがありますか?」
ここで述べられたのはあくまで砂欧の利益のみだ。勝手に騒ぎを起こされた挙句、砂欧に借りを作ってしまう茘はまったく得しない。たとえ、巫女と愛凛が犠牲になったとしてもだ。
国を思う巫女、だが、その憂いは他所への迷惑をかけることによって成り立つ。
「もし姚が死んでしまったらどうするつもりでしたか?」
これだけは言いたかった。
姚の手記を叩く。彼女の非はどこにあったのか、問いたい。
「そ、それは」
二人はさすがに罪悪感があるようだ。下手に弱い毒を使うわけにはいかない。巫女の死に納得がいく毒の強さを見せる必要があった。毒の効き目を調整したとはいえ、一歩間違えば死んでしまっただろう。
「我が国に不利益だけをもたらせて、そのまま自分たちだけ綺麗におさまろうというのであれば、私も黙ってはいられません」
「……私が死んでもですカ?」
「死んでなんでも終わらせようとするのが気に食わないのです」
猫猫は一番言いたかったことがいえてすっきりした。つまり、最後まで結末を見ないということじゃないのだろうか。
ふと、虫が好きだった天真爛漫な娘を思い出す。雪の中に消えて、そのまま見つからなかった娘を。
「巫女さまが死んだあとで、砂欧が無茶な要求をしないという確証はありましたか?」
「……それは、いくつか要求を呑んでもらおうかと」
「どんな? 食糧の件ですか?」
「それもあります。もう一つは、そちらにいるはずの白い娘を引き渡してもらおうと考えていました」
「白娘々……ですか?」
親子、なわけがないはずだ。そういえば最初から、愛凛もにおわせていた。一体、どんな関係があるのか。
「あの娘は本当なら、次の巫女として養育するはずでした」
巫女とは親類関係にあるという。血族として、やはり白子が生まれやすい家系だったようだが、それでも珍しいものだったらしい。
「あのとき、素直に受け渡していれば、今、このような事態にならなかったはずです。巫女として、その座に縋りつくしかなくなっていた私は、白い赤子を帰したのです」
だが、こうしてわざわざ他国を騒がせた挙句罪人になっている。
「白子がもう一人いるとなれば後々問題になる。そう思って隠すように育てるように伝えました。でも……」
「どうして、この国にいるのですか?」
「私を貶めたい者が利用したと。五年ほど前に、あの娘が連れていかれたと聞きましタ」
ただ悲しそうに顔を伏せる巫女。
たとえ巫女にならなかったとしても、存在を隠匿された白子の娘に行く場所はない。
「……つまり、巫女さまのせいでこの国は本当に迷惑しかかけられなかったと」
「なにを!」
猫猫のあけすけな言い方に、冷静だった付き人が怒りをあらわにする。それを制するのは巫女のほうだ。どちらかが感情的になると、もう片方が落ち着く。長年の相棒という雰囲気だ。
「本当のことですかラ」
「ええ、なら残りの人生をそちらの贖罪に使う気はありませんか?」
猫猫は考えるだけ考えて他に思い浮かばなかった案を提示することにした。これがだめなら、もう仕方ない。
「一度、本当に死んでもらいましょうか」
猫猫の言葉に二人は顔を見合わせた。