二十五 裏の裏
猫猫は自分の言葉が絶対とは思っていない。だが、壬氏らに話して、なにかしらの影響はあると思っていた。今までがそうであったので、少し自意識過剰になっていたのかもしれない。
巫女毒殺未遂事件は容疑者が愛凛のまま、話が進んでいった。
愛凛を問い詰めたら自白したとあった。理由については、好きでこの国に来たくなかったが、来る羽目になった。要因の一つである巫女には恨みがあったと。元々、巫女候補として巫女になるべく育てられた。しかし、その機会はずっと巫女の座に居座り続ける人物によってなくなった。
巫女と茘という国への不満を交えて自白するのであれば、もうやけっぱちになったとしか思えない。
(帝への不満も入れると印象最悪だ)
浅はかな異国の女が、恨みで巫女を襲ったとしている。
したほうが、都合のいい。
「ふざけるな……」
猫猫は報告しにきた羅半に思わず吐き捨てていた。使いで済ませるような話ではないため、猫猫を呼び出し、直接話をしている。わざわざ薬のお使いに見せかけて呼び出された。
「僕に言われても困る」
お使いの品の胃薬を飲みながら言った。こんな奴でも胃を痛めることがあるのかと猫猫は今更ながら思う。
「あの姚とかいう官女はどうだ?」
「たぶん、もう大丈夫だろうけど、後遺症があるかもしれない」
おやじと燕燕の看病でだいぶ良くなった。ただ、まだ完全回復までは至らず、「毒を知らずに食べるなんて」と落ち込んでいた。毒茸は案外美味しいのでわからなくて当然だ、と猫猫は言おうとしたが、おやじにやんわりと止められた。慰めにならず逆効果になるらしい。
猫猫は一日一回、巫女の元へ容態を診に行っているのだが、正直、うまく表情を隠せているかわからない。
巫女が仮病を使っているのであれば、猫猫が容態を聞く必要もないし、何より愛凛に罪をかぶせた共犯になる。
巫女と面会する時間はあるのに、それを問い詰めることができないのが悔しい。
なにより猫猫が言ったのはあくまで推測であり、はっきりした証拠がない。もし、愛凛を陥れるためにわざわざ、外遊をするとすればどんな弱みを握られているのだろうか。あまりに弊害が大きすぎる。
「巫女のどんな弱みを握っていたのかな、あの女は……」
「確かに。僕はてっきり良好な関係とばかり思っていたのに」
羅半は卓に肘をつきつつ、水を飲む。猫猫が思い出したかのように「何か食べた後でないと胃が荒れるぞ」と言ったら、不服な顔をして棚から点心を取りだした。芋餡の入った饅頭で猫猫が「肉餡はないのか」と聞いたら、「ない」と言われた。つまらない。
仕方なく、勝手に芋餡の饅頭を奪いながら話を続ける。
「良好なら、こんなことにならないだろ」
「少なくとも、愛凛殿は巫女を慕っていたと思うよ。でなければ、あんな供述はしないだろ? 仮に冤罪だったとしたら」
「……それはそうだな」
「弁明があるならちゃんと聞くと言っているのに、あからさまに自暴自棄になって……。かなりの役者だね」
羅半は愛凛の冤罪を信じているようだ。
巫女を悪しざまに言いながら自白しているというが、裏を返せば自分で罪を被ることになる。
猫猫は二人がどういう関係なのかまだよくわかっていない。
「愛凛に巫女との関係について、どこまで聞いた?」
「世間話程度だよ。次代の巫女候補として愛凛殿は巫女の元で五年ほど行儀見習いをしていたとさ。見習いは今でも月の物が始まり、巫女としての資格がなくなるまで同じ宮に住むそうだよ」
巫女の見習いをしていたと聞いたが、そんなに長く一緒にいたとは思わなかった。
「ふーん、……ってちょっと待て」
異国人の年齢はよくわからないが二十代半ばくらいだろうか。逆算すると……。
「ちょうど巫女の妊娠疑惑の時期と被るじゃないか!」
「そうだよ。言ってなかったかな? だから、お前にわざわざ調べるように頼んだんだ」
「まて、五年も一緒に住んでいたのなら、妊娠したか、してないかわかるだろう!」
「……そういうものなのか。普通の人間は体格を服の上から把握できないだろう?」
「お前みたいなことは出来なくても、妊娠を隠すのは難しいぞ。ましてや見習いとして一緒にいるのならな」
羅半はもぐもぐと饅頭を食べ、茶で流し込む。
「言われてみればそうかもしれない」
一見しっかりしているようだが、こいつも所詮、羅の一族なのだ。どこかずれて抜けている。
「なにより、その当時からおかしいと思っていたら、今更暴こうと考えるほうが不自然だろ?」
「確かに」
羅半は美女に弱いのだろうか、少し思考回路が鈍っているようだ。眼鏡をくいっと上げて考え込む。
「じゃあ、こう考えればいいか?」
羅半は腕を組み、目を瞑る。
「実は子持ちかどうか調べるのはこけおどしだった」
「そう来たか」
「それをはったりに裏でもっと大きなことを隠していた。今の事態に陥っているのがそれが原因だと」
「言われたら辻褄が合わなくもない」
問題は何を隠しているかだ。
猫猫と羅半は唸る。
「ここにおやじがいれば」
「大叔父なら確かに何か知っていそうだなあ。知っていても、話そうとはしないかもしれないけどね」
そういえば何か引っかかっている顔をしていた。猫猫が気づかぬ何かを知っているのだろうか。
「巫女も直接、大叔父上が診たらなにかわかったかもしれないのに」
「未熟者ですまんね」
猫猫が厭味ったらしく返した。でも、猫猫も思う。いくら男でも宦官なら触れてもよさそうなのに。
「……」
「どうした?」
「宦官」
猫猫は額をおさえた。ちらばっていた答えの欠片がまだたくさん残っている。それを思い出す。
猫猫は懐の記帳を取り出す。記帳には巫女の問診をした際、書き留めたものがある。他に、食事会の時、姚に書き留めてもらった文も挟んでいる。
「これは?」
「巫女がよく食べている食材。婦人病に効く、つまり女の気を高めるもので、これがその効用」
医官のじいさんが昔飲んでいたという薬の材料でもある。不味かったから嫌な顔をしていると最初思っていたが、効用を見て苦笑いするしかないことが書かれていた。
「……猫猫、お前が服用したほうがいいんじゃないのか」
「はい、次な次。宦官の特徴言ってみろ」
「兄さまの扱い雑だな。はいはい、わかりました、言いますよ。男の気がそがれ、毛が薄くなり、声が高くなるかな」
「他に、年を取ると太りやすくなり、その後、一気に老け込む。おやじ見ればわかると思うけど他にある特徴がある」
どんなものだ、と興味深そうに羅半が見る。
「男としての成長が始まる前に去勢すると、声変わりはせず、体毛も生えてこない。そして、成長に関わる男の気がないため、手足がやたら長くなるわけだが……」
「僕は巫女のことをまじまじと見たことはないんだけど、もしかして」
「女にしては長身、手足は長く、ここ数年で太り始めた。女の気が減ることによってかかる病も、宦官なら似たような症状の病気がある」
特徴としては当てはまる。
「おい、ちょっと待て。さすがにお前でも宦官と女性の区別はつくだろ。上半身くらいは確認したのだろうし」
「ええ、胸はちゃんとありましたね」
猫猫は厭味ったらしく、先ほどの記帳を取り出す。燕燕にもらった文には薬の効用が書かれている。その中に雪蛤も書いてあった。
『雪蛤 美肌、美容によい。栄養価が高く滋養強壮に良い。ただし、食べ過ぎると胸部が肥大する』
燕燕が姚に食べさせていた食材。姚の発育がいいわけだ。
老医官が苦笑いした理由もこれかもしれない。食べ過ぎたら、胸が膨らんだなんて冗談にならない。
「まず男女の違いを見るには胸を確かめるからな。へその位置で気づけばよかったが」
ふくよかだったので、怪しく思っても気づきづらかっただろう。男女の裸をよく知っている猫猫でさえこれなのだから、姚や燕燕も疑わなかったのは必然と言えよう。
宦官ですら近づけなかった理由は、むしろ宦官のほうがより身体的特徴が近い。ばれることを恐れたためだ。
最初から仕組まれたことだった。
『巫女が経産婦かどうか調べる』
この時点で、巫女が男だと考えなかった。
(しまったな)
完全に騙されていた。おやじが微妙な顔をしていたのも、猫猫から聞いた巫女の身体的特徴からその可能性も示唆していたのだろう。
「つまり、これが、巫女が隠し通しておきたかった秘密だとすれば」
どうしようもない弱点になる。
「いや、でも待て。たとえそうだとしても、今更他国の妃になった女を口封じに来るか? ここまで手の込んだやり方をして」
「そこなんだけど」
巫女が女ではなかった。その仮定が通るなら、他のことも翻るのではないだろうか。
巫女が罪を擦り付けた、いやむしろ愛凛が罪を被ろうとしたら。そうなると、罪を被る理由がわからない。罪を被ってもらって得をするのはむしろ茘の国だ。
「……もし、巫女をうちの国の住人が殺したとすればどうなる?」
「一応、国の顔だ。下手をすれば戦になるだろうな。今、愛凛殿が自供してくれるのはありがたいに違いない」
「じゃあ、愛凛なら問題ないわけか」
「そうでもないが、戦とまではならないだろう。ただ、砂欧に対して、我が国は下手に出る羽目になるだろうけど」
戦にならず、隣の大国に対して大きな顔ができる。
頭がこんがらがってくるが、落ち着いて話をまとめなくてはいけない。巫女の性別について考えてみよう。
「巫女が砂欧で男とばれた場合、どうなる?」
「この国で主上がもし女性だったらどうなる?」
愚問だった。まず前提からありえないと言っていい。茘では今まで一度も女帝は出ていない。そうだ、先帝の母君である『女帝』はあくまで通称に過ぎず、肩書は皇太后であった。
性別を偽って即位しているのであれば、本人の処罰のみならず国の威信さえ揺らいでしまう事態になる。
「砂欧の場合、政は巫女と王、二つの柱がある。それが一本になるのなら、愉快な人は愉快に違いない。たとえ、次の巫女が決まったとしても、威信は地に落ちてしまう。せっかく白子の巫女の時代に作ってきたものは完全に崩れてしまうだろう」
今の巫女が即位している期間は長い。おかげで、砂欧では女も強い意見が言えるようになっている。だが、その巫女が男だとばれたら、根本から崩されてしまう。
「巫女の敵側、たとえば王もしくは王の関係者がそれを嗅ぎつけたとしたら。巫女は遅かれ早かれ暴かれる立場にあった。ゆえに、本来やらぬはずの外遊に出た」
猫猫が確認するように口にする。
「外遊に来た理由は、王たちに自分の正体がばれないよう――」
もうばれるような場所から、手の届かない場所にいるために。証拠を残さないために。
猫猫は額を押さえる。いや、まさか、これはあり得るだろうか、と歯ぎしりしてしまう。けれど、今までの行動を考えると、これがしっくりくる。
「自殺するために」
猫猫は、口にするとともに部屋を飛び出した。