二十三 食事会と毒見の役割
食事会というものは気楽に楽しくやってもらいたいものだがそうはいかないのがお偉いさんたちというものだ。
部屋の中央には大きな長卓、左右に椅子が並び、その先に大きな卓がつながっている。奥は主上と后、壬氏に、そして客人である巫女も座っている。
その他大勢は、長い卓に左右対称に配置されている。前の園遊会のときと並びは同じだが、違うとすれば、室内で椅子に座れることだろうか。
猫猫は「はやく終わらねーかなあ」という顔をしながら壁際に立っていた。周りを見ると、毒見役なんて大層なものは主上と客人に后たちといったご要人についている。
(こいつには必要ないだろうよ)
けっ、と吐きだしたくなりながら、猫猫は変わり者の背中を見ていた。中肉中背、やや猫背気味、片眼鏡をかけた釣り目を除けば特に目立った特徴のない冴えない男だ。この国の軍師というやつは。
大体、軍師という肩書も名ばかりだ。本来は太尉とかいう位らしいが、猫猫はそれがどんなものかわからない。ただ、座っている席を見る限り、かなり偉いほうなのだろう。
(毒見なんて欲しがるなら出て来なければいいのに)
変人軍師の周りの人たちも同じ顔をしている。この駄目なおっさんは、暇になると周りにちょっかいをかけはじめるので困るらしい。園遊会やらなにやらの催事を休んで文句を言われないのは、いても邪魔だからだろう。
早速、変人は暇になったらしく横に座っている武官らしき男に話しかけ始めた。
猫猫は半眼で見ながら、そっと手に持っている布を引っ張る。布は長くひも状に伸びており、先は変人の足首に結ばれている。引っ張るごとに変人がびくっと動く。動いて後ろを見て、なんだか満足そうな顔をして、ぴしっと背筋を伸ばす。
いちいち、こちらを見るのがなんとも不愉快だが、仕方ない。守銭奴の羅半が、毒見役のついでにと監視も仕事に加えてきた。もちろん、言うことを聞く気はなかったが、おやじにも頼み込まれたのと、今度、交易品の珍しい薬をくれるというので引き受けた。というわけで、猫に鈴ならぬ、変人に紐をつけたわけである。
周りは少々変な目で見る気がするが、元々、変な目で見られているのがこの変人ということで、誰も何も言わないので気にせずにいく。
食事会といってもいきなり食事が始まるわけではなく、いくつか前置きがある。外での園遊会と違い、派手な剣舞といった催しはないが、心地よい音楽が聞こえるのはいい。少し異国情緒あふれるのは、砂欧の音楽を想像しているからだろうか。
軍師は音楽に興味ないのか、懐から碁の本を取り出して読み始めたので、また紐を引っ張る。本当に主上がこの男を縛り首にしない理由がわからない。
なにやら偉そうな人が偉そうに話をして、話が終わったところで食事が始まる。壬氏の後ろには、燕燕がいる。本当なら、ばあやである水蓮が付きたいところだろうが、そば仕えの侍女は若い者が多い。元気なばあやでもこういうときは、空気を読んで燕燕に任せたのだろう。
(なんか順調に出世しているみたいだな)
どうにも他人事には思えない。ただ、燕燕はちらちらと視線を横へとやっている。理由は、壬氏に燕燕がついているように、砂欧の巫女にも姚がついている。姚は緊張しているのか、少し顔色が悪かった。
燕燕は今朝がた、屍のようにうつろだった顔がちょっと元気になっていた。しかし、まだまだお嬢様不足から解放されないようで、早く終わらないかと訴えかける目を周りに向けていた。姚の顔色が悪いのも気になるようだ。
結局、せっかく医官付きの官女を育てようとしたところで、皆、毒見役になってしまうのがまた面白いところだと猫猫は思う。本来、毒見とは代わりがたくさんいる位の低い者がやる仕事だというのに。姚はいいところのお嬢様のようだが、親は止めなかったのだろうかと少し不安になった。
(一応、毒見のやり方は教えたけど)
毒見といってもたとえ誰がやろうと、失敗するときは失敗する。新しい毒だったり、遅効性のものだったり。
(結局、人間死ぬときは死ぬ)
そんなものだ。でも、猫猫はどうせ死ぬなら、新型の毒に当たって死にたいと考える。できれば、どういう毒性があるのか確認してから息を引き取りたいと考えるのは贅沢だろうか。
さてさて、そんなことを考えているうちに食事が運ばれてきた。
いつも通り、毒見を行い、さくさくと終わってもらいたい。
猫猫は毒見用の小皿を受け取り、食べているところをねっとりと変人軍師に観察されながら思った。
食事を始めたら食事会はさくっと終わった。このあとは宴ということで、食事会と宴の差がわからない猫猫はため息をつくしかない。
場所を変えて、先ほどより少ない人数で行うらしい。姚と燕燕は引き続き、仕事のようだが猫猫はこれで仕事が終わりということで、部屋を出て猫の鈴ならぬ、軍師の紐を投げ捨てようとしたところ……。
がたっと音が響いた。なんだろうと振り向くと、官女が倒れていた。誰かと思えば姚だった。
「お嬢様!」
そこに飛び込んできたのは、燕燕だ。どうしたのかと姚を起こす。
猫猫は紐を投げ捨てると、二人の元に近づいた。姚は俯き、床には吐しゃ物がまき散らされていた。
近くにいた官女たちがわめきだす。お偉いさんがいるところで吐き出すなんて、無礼だと言わんばかりで金切り声を上げるが問題はそこじゃない。
「お嬢様、お嬢様!」
姚を揺らす燕燕の頬を叩く。
「残留物がないか、確認して! 喉に詰まってたら、窒息してしまう」
「……はい」
動揺していた燕燕だが、猫猫が言うと指を姚の口に突っ込む。呼吸はあるようだが、震えて腹をおさえている。瞳孔が広がっている。
(姚が倒れたということは)
巫女はどうなっているのだろうか。猫猫が見たところで、すでに巫女の周りには人が集まっていた。姚とともに毒見役をやっていた女も真っ青な顔をしてふらふらしている。口を押さえながら移動し、巫女もまた離れていく。
(巫女に毒が盛られた)
猫猫は震える姚に上着を着せる。燕燕は「お嬢様、お嬢様」と顔を真っ青にしながら、どうすればいいか考えていた。
「水、塩水を、それから……」
なんの毒かわからない場合は、ただ腹の中身を出すことを先決とする。無理やり吐かせようと、燕燕を引き離し、姚の口に指をつっこんでいると、足の悪い老人が近づいてきた。
「猫猫。かわりなさい」
やってきたのはおやじだ。手には水差しと桶を持っている。上掛けも持っていて、そっと姚の腰に掛けた。腹痛と嘔吐とくれば、下痢も症状に現れる可能性が高い。粗相をしても、目立たぬよう気を利かせてくれたのだ。
「おまえは巫女のほうを優先すべきだろう。こちらは私にまかせなさい」
と、おやじは猫猫が投げ捨てた紐を拾うと引っ張った。反応するのはぼうっと突っ立っていた変人軍師だ。
「炭を持ってきてくれるかい。できればすり鉢で、粉々にしてくれるといい。あと、部屋を準備しておくれ。この子と巫女たちを見る部屋だよ。できるね、羅漢」
「ああ。叔父貴。すぐ用意する」
返事をしたのは変人だが、反応するのは周りにいる部下たちだ。おやじが直接命令するより、変人が言ったほうがより早く動いてくれる。
「おやじ、姚を頼むね」
猫猫はそれだけ言うと、巫女たちがいるほうへと向かった。
巫女たちは早急に用意された部屋に入った。
巫女ともう一人の毒見は嘔吐を繰り返す。塩水を渡してひたすら胃の中身をだしてもらわなくてはいけない。一緒に、粉々にした炭と下剤も飲んでもらう。まずいが、胃の中を空っぽにするためには必要なことだ。
巫女の容態は、おやじが診られない以上、猫猫が責任を持つしかない。胃の内容物を全部出し、腸の中身も全部排泄してもらう。下剤が効かないようなら、肛門から薬液を入れて無理やり排泄させるところだったが、巫女も毒見もそれは嫌だったらしくちゃんと下剤の効果があって安心していた。
この二人は、姚に比べて症状が軽いようで、中毒症状がでても意識ははっきりしていた。
姚のほうといえば、かなり深刻で燕燕は今の主人である壬氏のことはおかまいなしに姚の看病をしている。壬氏も鬼ではないので、さすがに連れ戻そうとはしない。
ただ、巫女の容態が少し安定したころ、食事会の翌日、猫猫の元にやってきた。いつもより質素な恰好だが、相変わらずきらきらしさは変わらなかった。隣には復帰した馬閃がいた。
猫猫は、昨日から同じ服のまま風呂にも入っていなかったが、この際、失礼とか考えるほど余裕もない。
「巫女の容態はどうだ?」
「落ち着いています。姚、毒見を行った娘ほどひどい症状はないので」
医官が猫猫の元に逐一姚のことを報告してくれる。猫猫も医官に、事細かに巫女の容態を伝える。何かあったら国際問題だ。これ以上、悪化させてはいけない。
壬氏が直々にやってきたのも、そこが関わっているからだろう。
「姚とか言ったな。燕燕の主人とかいう」
「ずいぶん、燕燕のことはお気に入りのようですが、そろそろ帰してやってください。姚不足で死に体になってましたから」
そんな中で、姚があんな風になってしまったのだから、気が気でないだろう。猫猫は少し落ち着いたのか、ちょっと冗談交じりでいってみた。
「同僚があのような目にあっているのだが、お前は心配じゃないのか?」
「心配していないというほど、冷血ではありません。ただ、私の今の仕事は巫女を診ることであり、姚には養父がついていますので」
おやじがついている以上、なんとかしてくれると信じている。燕燕も医術はかじっているので、落ち着けばちゃんと看病ができるので猫猫が仕事を投げてまで行く必要はない。
なにより巫女がここで一大事となれば、国の問題に発展する。それだけは避けなければならない。
「……ところで、巫女に毒を盛った犯人はわかりましたか?」
巫女の関係者以外は、誰も中毒症状はなかったという。
巫女が助かっても、命を狙われたことには変わりない。ならば、早急に犯人を見つけ出し、処罰をしなければいらぬ諍いの原因になる。
壬氏はなんともいえない顔をした。そして、ちらりと馬閃を見る。馬閃は微妙な顔をしながら、懐から布包みを取り出した。中から何が出てきたかと思えば小瓶だ。蓋を開けると粉が入っている。
「これは……」
猫猫は鼻を鳴らす。どこかで嗅いだことのある匂いだ。それも、すぐ最近……。
「⁉」
思い出して思わず瓶に手を伸ばしたところで、馬閃が布包みで覆った。
「何か知っているようだな」
「……これは抹香ですか」
「ああ」
抹香、植物を使った香の一種だ。その材料に樒という植物がある。毒性が強く、嘔吐、腹痛、下痢と言った症状がみられる。
「毒性があると漢医官から聞いている」
「はい。今回の症状にそっくりです」
摂取後、数時間で中毒症状を起こす。
「この香についてだが……」
壬氏は神妙な面持ちで猫猫を見る。
「愛凛妃が持っていた」
(やっぱり……)
猫猫は食事会の前に、愛凛の元へ蚊やりを持って行った。そのとき嗅いだ匂いと同じだった。