二十一 妈妈
数度の巫女の往診を終えた帰り、馬車の中から見る通りの雰囲気は年始のような賑わいになっていた。
「歩いて帰ったほうが早そうですね」
姚がそんなことを言い出した。猫猫はおやじの足が悪いことを知っているので、黙っている。
おやじは困った笑いを浮かべていた。
「すまないねえ。ちょっと私の足では遠いものだから」
しまった、という顔をしたが、もう遅い。おやじだからいいものの他のお偉いさんならご機嫌を崩すところかもしれない。
意味があるのかないのかわからない往診だが、いくつか役に立っている面もあったようだ。残念なことに役に立ったのは、猫猫たちが準備した薬ではなく、水分をもっと取るようにという生活指導だった。
水が貴重だという砂欧では水を頻繁に飲むという習慣はなく、巫女という立場であれば簡単に小用にも行けないので飲む回数が極端に少なかったようだ。ちょっと水を飲む回数を増やしたら、頭痛が減ったと喜ばれた。
あとは、散歩ができるのがうれしいと片言で報告してくれた。白子であるがゆえ、夜しか外を歩けなかったのだが、砂欧に比べて茘は日差しが弱く雨の日も多い。天候が悪いときに傘をさして、外を散歩しているという。
(のびのびしている)
実は観光のために茘に来たのではと勘ぐってしまいたくなる。
もちろん、一日中ずっと暇というわけではなく、時折、訪問者も来るという。お偉いさんならわかるが、「一度、話を聞きたい」という理由でやってくる人もいる。
白娘々が人気だったように、異国の白子の巫女もまた、人を魅了するのだ。
「今日の訪問者は占いを望んでいたようですね」
ふと思い出し、猫猫が口にする。
「巫女という立場を考えると占いも仕事の一つなんだろうけど、ちょっと不敬かもしれないね。一応、他国の重鎮だというのにねえ」
おやじの言葉に皆納得する。
加えて言えば表向き療養にも来ているのだ。気遣いが感じられないが、困ったことに大抵の人は、そんなものである。
「占いが当たると言いますが、それに寄りかかるのはどうかと思います。はっきりした理由もなく、占いで将来を決めるのはどうかと思いますけど」
猫猫としてはそこが気になった。占いなんて根拠がない。あるとすれば、あの巫女が読心術を持っているということだろう。
「猫猫はあるかないかをはっきりさせたがるからねえ」
「占い嫌いなの?」
姚が口をはさんできた。
「気持ち悪くないですか?」
なんでも白黒つくものがあるわけではないとはわかっている。でも、猫猫は世の中の不思議なことは、自分の知識や情報が足りないだけで何かしら根拠があることだと思っている。
「亀の甲羅を焼いて、それで遷都を決めるのはどうかなと」
「いや、案外それは理にかなっているんだよ」
おやじが反論する。
「その地方の動物を使うことで、その時の栄養状態がわかる。つまり、土地の富み具合もわかるというわけさ。占いと称し、神や仙を表に出すことで、人が信じるのであれば大がかりにやるものだ。それが政の始まりかもしれないね」
(なるほど)
おやじのいうことには納得できる。姚も興味深そうに聞いている。
「ただ、困ったことに過去に意味があったことでも、どうしてそれをやっていたのか、意味が分からないまま形だけ残る。こういうのが一番厄介だね」
おやじが悲しそうな顔をする。
「昔、不作になるとその年に生まれた赤子を人柱に埋めるという村に行ったことがあってね。人柱を埋めても不作がなくならず、どんどん新しい生贄を埋めていったわけさ。とうとう生贄になる村人がいないというときに、旅の途中の私が通りかかったわけさ」
(あっ、想像がついた)
受難体質のおやじのことだから、ここまでくれば話が読めてくる。
「縄に巻かれて穴に落っことされたときは本当に死ぬかと思ったよ。あとから来た連れが気づかなかったら、今も地面の下だっただろうねえ」
「……」
姚が絶句している。おやじはおっとりした口調でかなり重い昔話をしてくれる。聡明なおやじだが、己の不幸話には少し麻痺しているきらいがある。
「生贄なんて莫迦らしいと思うかもしれないけど、昔はそれで効果があったってこともある。その村では、連作が当たり前に作られていた。肥料は足していたけど、どうしても足りない栄養があった。それが人体に含まれるものだったってわけだよ」
もちろん、その理屈で言えば連作による障害以外では意味をなさないわけだ。おやじが立ち寄った村は、虫から仲介する病気による不作で、生贄など無意味だったのだ。
「意味がわからなくても経験則でやってしまう場合がある。生贄の起こりも土葬で死体を埋めた周辺だけはたまたま作物が実ったとかそういうものだろうさ。だが、時とともに神様が付け加えられ、神聖化される。神様という言葉はとても便利なんだよ」
砂欧の巫女もそういう過程で神聖化されたものなのかもしれない。
などと話しているうちに医局についた。猫猫は足の悪いおやじを支えながら馬車を下りる。これからまた報告書を書かなくてはいけない。
しかし、医局が騒がしい。
どうしたかと思えば。
「やっと帰ってきた」
困り顔の医官が近づいてきた。
「どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたも、二人がいないときに来るとは思わないじゃないか。いないと言っても帰るまで待つと言って困ったよ」
その口ぶりからしている人物は限られる。
猫猫はおやじと顔を合わせる。
「仕方ないねえ」
おやじが先に医局に入っていく。中にいたのはご想像の通り、片眼鏡の変人だった。変人軍師はどこからか持ってきたソファに横になっていた。
「叔父貴! 遅かったじゃないか!」
「こら、羅漢や。勝手に他所の備品を持ち込まないでおくれ。ほら、菓子の包み紙はちゃんと塵箱に捨てなさい。あと、果実水ばかり飲んでむし歯になっても知らないよ」
背を丸めながら包み紙を拾い始める姿はなんというのだろうか。
「ば、ばあやみたい」
乳母に育てられた姚の感想はこんなのだが、他の人たちは似たような感想を持っているだろう。
おやじがせっせと周りを片付け始めたので慌てて変人の部下や医官見習いが塵を拾い始める。本来なら猫猫も混ざって片付けるべきだろうが、近づいたらまたうるさそうなのと、単純に手伝いたくないので柱の陰で観察する。
「叔父貴! 猫猫は! 猫猫は近くにいるな!」
くんくんと鼻を鳴らす。
「気持ち悪い……」
猫猫は思わず漏らしてしまう。
「猫猫、あんたの顔、本当にすごい顔してるから、やめてくれない。ちょっと、私までひいちゃうから」
姚に言われたので、ねじ曲がった口と眉間のしわを指の腹でもみほぐしながら戻す、それでもぴくぴくしている。
「猫猫! 猫猫を出してくれ!」
「どうしたんだい? 騒いだら夕飯に人参たくさん入れてもらうよって言ったじゃないか。今日は人参粥で行くよ」
先ほどの『ばあやみたい』な行動に加えて、この台詞だ。腹を抱えて撃沈している者が数名いる。残りはどうすればいいか戸惑っているようだ。
「粥は卵がいいんだ、叔父貴。いや、それより猫猫。今日はちゃんとした理由で来たんだよ!」
「持ち込んだ長椅子に寝そべって菓子食い散らかしている時点でどうかと思うけどねえ」
おやじは言いながら、医務室のひきだしを開ける。中から房楊枝を取り出して、変人軍師に渡した。歯を磨けと言いたいらしい。
「まず私が話を聞くよ。おまえは猫猫のことになると見境がなくなるからね。ちゃんと私が納得できる話であれば取り次ぐから」
変人軍師は房楊枝を嚙みながらこくこく頷いた。
おやじに任せておけば大丈夫だろう。猫猫は廊下に置かれた使用済みの包帯が入った籠を持つ。洗っている間に話が終わればいいと思った。
包帯を洗い終わり、干し始めるところで呼び出されたので半時ほど時間が過ぎただろうか。おやじが疲れた顔で猫猫の元にやってきた。
「結局、何の用だったんですか?」
聞いたのは猫猫ではなく姚だった。年相応に好奇心はあるらしい。
「いやねえ、意外な申し出だったんだよ」
「どのような?」
「東宮のお披露目がもうすぐあるんだけど、その時の食事会の毒見を猫猫にやってもらいたいそうだよ」
(出る気あるのか)
羅半曰く、変人軍師はことあるごとに園遊会やら会合をさぼっている。以前、猫猫が毒見した園遊会のときもさぼって出ていなかったくらいだ。
「なんでまた……」
恨みだけはしっかり買っているのはよくわかる。でも、まさか猫猫を指名してくるなんて本当に意外だ。毒を飲むなんてとんでもない、と前にあった経験から言いそうなものなのに。
「侍女にしろというのならともかく、毒見役なら断りづらいんだけどどうするかね?」
「どうすると言われても」
おやじの断りづらいというのは、断れないに等しい。なんだかんだで押しが弱い。どうでもいいが今さっきのやり取りでおやじのあだ名は『妈妈』になった。本当にどうでもいい。
「質問をいいですか?」
そっと手を挙げるのは姚だ。おやじがどうぞとうなずく。
「猫猫と私は、食事会では巫女さまと同席する話になっていませんでしたか?」
「そうだよ。でも、どちらか一人とのお達しだった」
猫猫か姚か、まだ決まっていない。他国の要人のため、周りには付き人やら護衛やらたくさんいるので同席できることでさえ、よかったほうだ。
「なら、猫猫、あなた行きなさい。私がいれば問題ないから」
姚ははっきり言った。
「ちょ、ちょっと待ってください。私にも選ぶ権利があるのでは?」
「せっかくご指名を受けたのだから受けたほうがいいわ。何より、下手にあなたが巫女の傍にいて、軍師さまが周りをうろつく羽目になったらどうするの?」
何も言えない。
おやじも無言だ。
この国では傍若無人な態度が当たり前になっているが、異国の巫女さまの前でやられては困る。去勢した男でさえ、触れることを許されないようなおかただ。
「猫猫……」
おやじが猫猫の肩を叩く。
「巫女さまは私に任せなさい」
姚も肩を叩く。
「ちょ、ちょっと待ってください」
猫猫は両手を振りながら二人を見た。
「猫猫、悪いがおそらく断れないよ。巫女さまの件を考えると、どうしてもお前は羅漢のほうにつくべきだよ。国際問題になるからね」
「い、いや、おやじ、もっと頑張ってよ」
「無理」
はっきり言われて、もう一度猫猫は肩を叩かれた。