二十 診断の結果
「き、緊張したわ」
帰りの馬車に乗るなり、姚が漏らした。声が出たことに気が付いて、すぐさま何もなかったかのような顔をしたがもう遅い。ここに燕燕がいたら、「迂闊なお嬢様超かわいい」みたいな顔をしていただろう。代わりに猫猫がじっくり観察しておく。
初回の往診は終わったのだが、猫猫としては微妙としか言えなかった。その場で、状態をおやじと確認することも出来ず、離宮を出てから話し合うことになっている。
(回りくどすぎる)
せっかく、遠い場所から船にのってやってくるくらいなので、こちらの医療に期待しているのかと思いきや。
「それでどうだったかい?」
どうだったかい、おやじは確認するが、猫猫はなんとなくこの柔和で優しくてそしてとてつもなくお人好しな男が答えを知っているように思えた。その上で報告する。
「巫女様は本当に、ご病気なのでしょうか?」
猫猫の正直な感想だった。
「何言ってるの? わざわざ砂欧から来たのよ」
姚が口をはさんでくる。
「ええ、わざわざ船に乗って長旅をしてこられた。たしかに、ご病気だと思いますが、異国の医師に頼ってまで治すようなものには思えませんでした」
一応、姚の前なのでおやじ相手にも丁寧な口調を心がける。
「じゃあ、どんな病気なのかい?」
おやじの質問に猫猫は、姚が書いた記帳を見ながら答える。
「症状は倦怠感と不眠、体力低下、それに肥満も入るようです。あと、一番心配していたのが」
骨が折れたのが治らないという。場所が左手の小指ということで、日常生活にはほとんど影響がないのだが、それでも不自由だろう。
「おそらく女の気がなくなることによる障害かと思います。別に珍しくもない人が年を取ればなる病気です」
主に、月経が止まることでなる病だ。女の気が減ってしまうことで、心体ともに不安定になってしまう。その中の一つに、骨がもろくなるという。
四十代という年齢を考えると少し早いが閉経もおかしくないし、もし、元々、本当に月経が来ていなければ、より病になりやすいだろう。
「そうかい。では、猫猫の見立てが正しいと仮定して質問するよ。国によって医療にも違いがある。砂欧では、本当に巫女の病を治せないと思って茘に頼ったのかもしれないよ。何か根拠でもあるのかい?」
「はい」
猫猫は何を食べていたのかを書き記した紙を取り出す。
「薬には、女の気を増やすものは含まれていませんでした。でも、普段の食生活を見る限り、その必要がないほど薬の代わりになるものばかり食べていました」
「それってもしかして……、あのとき、店で買い占めていた……」
姚は気が付いたらしい。数日前に、巫女の付き人は食材を大量に買い占めていった。あの中には、婦人病の薬となるものがたくさん含まれていた。
巫女は己の病気に対してどう対応していいのか、わかっていた。それなのに、わざわざ茘までやってきたのは、政が大きく関係しているのだろうか。
「おまえたちの考えは、二人とも一緒ということでいいのかね?」
おやじが姚にも聞いた。
「私には、猫猫ほど医学の知識はありませんが、先日、巫女さまの付き人が薬を大量に買っているのを見ていますので、異論はありません」
ちょっと悔しそうなのは実力不足を口に出さなくてはいけなかったからだろう。認めるだけの素直さがあるからかわいい。
(薬ってわかっているんだ)
なら、雪蛤を食べているのも薬という自覚はあるのだろうか、とふと思った。そのうち、聞いてみよう。
おやじは困った顔をしている。普段から困った顔をしているので、どういう困った顔と言えば、やや困った顔程度の困った顔だ。
「一つ言っておくね」
「はい」
「はい」
猫猫たちは返事をする。
「私たちは人の命に係わる仕事をしている」
当たり前のことだ。
「巫女に対する医療処置が命に係わるようなものであってはいけない」
「はい、そのとおりですけど?」
不思議な顔をして姚が聞く。
「間違っても、先ほどの話を巫女側にしてはいけない。私たちは、巫女の病について適切な処置をすればいいだけだ」
たとえ、すでに相手がやっている療法だとしても。
(納得がいかない顔をしている)
その通りだろう。姚としては、なんでわざわざ相手がやっているものと同じ療法を言わなくてはいけないのかと思っている。そんなことをすれば、己が無能だと言っていると言いたいのだろう。
(莫迦なふりをしておくのも、大切だよ)
おやじはさっき、「命に係わるようなものであってはいけない」と言った。
ここで言う『命』というのは、猫猫たちのことだ。
政治的なきな臭さが漂う中で、下手に本当のことを口にするのは命の危険にかかわる。擦れてないお嬢様にはまだ理解しがたい話だ。
(燕燕ならうまく言いくるめてくれただろうけど)
現在、出張中なので仕方ない。
「姚、もうすぐ着きますよ」
猫猫は話をそらすために馬車の外をのぞいた。離宮から宮廷より、宮廷から医局に帰る前のほうが長いから一苦労だ。
「医局に戻ったら、薬を探しますか? この国にしかない薬があるかもしれませんし、それで体調が少しでもよくなればいいじゃないですか」
「……わかったわ」
基本は頭がいいので、ここで騒いだとしても意味がないことをわかっている。
一度はおとなしくなってくれた。
医局に着くと、おやじはさっさと資料をまとめて報告に行く。
猫猫たちはおやじの許可を得て、薬剤室に入ると処方する薬を探し始める。巫女の体質によってきかないもの、もう使っているものもあるだろうが、とりあえず並べていく。
猫猫は覚えているものからかたっぱしに、姚は本を見ながら一つずつ出していく。許可はもらったものの、薬剤室を占領しているので医官が気になって顔を出してきた。
「どうしたんだい、こんなに広げて、何の薬……、うわっ!」
嫌そうな声が聞こえた。誰かと思えば、おやじの古い知り合いの老医官だ。前に、里樹元妃の不貞を確かめるために同行した医官の一人である。
「どうかしましたか? 変な組み合わせでもあったのですか?」
猫猫が不思議そうな顔をする。
「ああ、いや、また、あそこに行かされるのかと一瞬どきっとしただけさ」
「あそこ?」
「あそこ」
老医官は宮廷の北側を示す。
「後宮だよ」
「どうしてですか? 確かに、婦人病の薬をかき集めたんですけど、後宮とは別件ですよ」
猫猫は不思議に思いながら並んだ薬を見る。
「婦人病かあ。ならわかるわ。宮廷ではほとんど男相手だからあんまり処方しないんで、慌ててしまったよ」
何か嫌な思い出でもあるのだろうか。そういえば、昔は宦官以外の医官も後宮の出入りがあったことを思い出した。
「そういえば後宮医官を以前していたことがあったと聞きますが、そのとき何かあったんですか?」
「大したことじゃないよ。ちょっと嫌な思い出があっただけさ。これと、これと、あとは……」
猫猫たちが取り出した薬をつまんでいく。
「他数種類混ぜると、特製偽宦官薬になる」
『偽宦官薬?』
猫猫と姚は声をそろえる。
「大したもんじゃないよ。後宮に宦官でもない男が入る必要がある場合、問題が起きたら困るだろ。だから、宦官とは言わないまでも男としての欲を抑えるための薬さ」
「ああ」
猫猫は納得した。壬氏はともかく高順が後宮を出入りしていた際、なにも問題はなかったのだろうかと思ったが、おそらくこういう薬を飲まされていたのだろう。
「とりあえずまずそうですね」
「うん、すごくまずいよ」
体験者は語る。
「しかも、慣れてきたら変な副作用あるし」
「やっぱあるんですね、副作用」
「あるよ。なのであんまり好きじゃないの」
嫌な声を上げた理由がわかった。どんな副作用があるのか聞きたかったが、仕事のようで薬剤室を出て行ってしまった。
「こういうの、燕燕は得意なんだけどなあ」
「得意そうですね」
「さっきの副作用の話もあるし、一応、文で確認してみようかしら?」
「そうですね、燕燕は喜びますよ」
お嬢様不足でそろそろ禁断症状が出ているかもしれない。
でもそのおかげか、姚とはだいぶうまく話せるようになってきたのは良かった。猫猫は薬の組み合わせをどうしようか、考えながら思った。