十八、選出の基準
季節はまだまだ夏真っ盛り。ばてつつも毎日、さらしの洗濯と消毒を繰り返す医官手伝いたちの元に通知が来た。
「私にですか?」
首を傾げるのは燕燕だ。通知は燕燕のみに来ていた。
「一体、なにかしら?」
不思議そうにのぞき込む姚。猫猫を合わせて三人の中で一番体格がいいのだが、興味津々の姿は年相応に幼い。
「辞令のようですが」
内容を見て、三人は顔をしかめる。そして、通知を持ってきた医官を見る。
「ということで、しばらく燕燕はこちらの仕事を優先してくれ」
医官の言葉に一番顔をしかめたのは言われた燕燕本人だった。
「申し訳ありませんが、私は、姚さまと離れるのはどうも」
「断れる相手だと思っているのかい?」
あくまで丁寧な物言いだが、有無を言わさぬようだ。
何が書いているかと言えば。
「ええっと、つまり皇弟殿下の付き人をやれということよね、期間限定で」
姚が文書をかいつまんで読む。つまり壬氏のお世話係だ。
「一つ質問をよろしいでしょうか? なぜ、私なのですか? 成績等を顧みれば、姚さまのほうが優れているかと思われますが?」
(いや、それはあんたが手抜きしたからだろ)
つっこみたいけどつっこまないでいるのが猫猫のやさしさだ。
「それに家柄を考えると私は不適当かと思います」
姚はともかく燕燕は庶民だ。皇族の侍女ともなれば多少家柄が良いものが選出されるのが基本だ。
しかし、猫猫としては燕燕が選ばれた理由がわかる気がする。
「むしろ、家柄の良い者は避けているのだよ」
すこし訳知り顔で医官が言った。
「下手にいい家の者を選出すると、殿下の妃候補と勘繰る者が少なくない」
壬氏は猫猫より一つ上、二十歳だ。見た目はもっと老けているが、そろそろ側室の一人でもいておかしくない、むしろいないほうがおかしい。
「あと、あの顔であるからして、下手な者をつけると困るとのお達しだ」
予想通りだ。燕燕なら多少歪んでいるがお嬢様命なので壬氏にうつつを抜かすことはないだろう。むしろ、異動したくねー、と顔が語っている。
「猫猫も候補に入っていたのだが……」
ちらりと医官が外を見た。窓にはりついているのは片眼鏡の変人だ。最近見ないと思ったらまた復活していた。皆、もう慣れたものだ。
「とある方より、ふさわしくないとのお達しがあったので、除外した」
じろじろ見ているところ後ろから部下らしき二人組に手を取られ引きずられて帰っていく。二度と来ないでほしいが、またしばらくしたらやってくるのだろう。
(そういえば)
変人軍師は見かけるが、そのお付の陸孫は見ない。人の顔を一度覚えたら忘れないということで重宝されている男だったが、他に仕事があるのだろうか。
「早速だが明日から、行ってほしい」
「……」
無表情だが、絶対嫌ですという気が出ている。姚に助けを求めようと、窺っている。その姚と言えば「家柄と言われたら仕方がないわ」と納得していた。嫉妬するかと思いきや、そういうところは案外さっぱりしている。燕燕が実力者であることを知っているからかもしれない。
「燕燕ならどこへ出してもおかしくないわ。頑張ってね」
きらきらとした笑みを浮かべて言ってくる姚。普段、燕燕にやられていることに対する仕返しかなと思いきや、そんな雰囲気はまったくなく、完全に祝福していた。まるっきり燕燕の意図が読めていない。
燕燕の顔が歪む。ここで、主人が口を出してくれたらよかったのに、完全に送り出す姿勢に入っているものだから何も言えない。
「では頼むな」
ぽんと医官に肩を叩かれて、燕燕はがっくりうなだれた。
「一人減るとやっぱり仕事が忙しくなるわね」
姚が薬を棚に片付けながら言った。前より猫猫に話しかけることが増えてきたが、燕燕がいないことでより増えている。
「そうですね、燕燕はよく動いてますから」
猫猫は薬が何か確認しながらわけていく。たまに珍しい薬が混じっていることもあるが、今日持ってこられたものは、大体、普段使う薬の追加分だけだ。
「大丈夫だとは信じたいけど、まさか皇弟殿下に粗相がなければいいわね」
「問題ありませんよ」
「そうよね、燕燕だもの大丈夫よね」
(いや、多少粗相しても首を斬られることはないから)
燕燕の能力というより、壬氏の人柄を見ての判断だ。壬氏はなんだかんだで、あまり人を罰することを得意としない。もちろん、止むを得ずという場合は処分するが、燕燕がそこまでひどい失敗をするとは思えない。
(謀反でも起こさない限りね)
ともあれ、猫猫はいつも通り仕事をするのであった。
〇●〇
執務室にはいつもより人が多かった。壬氏は書類仕事片手に、紹介される文官、武官、官女を見る。
本来、壬氏の立場ならいちいち新しく配属される者の顔合わせなどしない。しかし、わざわざ確認するのは壬氏なりの考えである。
「これから忙しくなるが、がんばって働いてくれ」
壬氏はにこやかに笑う。別に愛想をふりたいわけでもなく、部下を気遣ったわけでもない。
そこにいる人物はみな、表情を崩さずその場にいる。
笑いかけるという行為は、相手に好印象を与えることもあるが、壬氏にとっては逆に災難を呼ぶことが多い。
宦官として後宮に入った初日、笑顔で他の宦官に挨拶をしたところ、高順が一瞬目を離した隙に茂みに連れ込まれた。一物がなくなっても完全に性欲がなくなったわけではなかったらしく、壬氏をお稚児扱いしようとしたわけだ。どうやってことを起こそうとしたのかわからないが、とりあえず身の危険だった。
「今となってはいい思い出の、わけがない」
思わず一人ごちる。その場で殴って逃げた。実は、宦官同士でそういう関係を結ぶことは珍しくもなく、表向きは義兄弟と呼んでいるらしい。
考えたくない。
「どうしましたか、壬氏さま?」
ようやく怪我が治り戻ってきた馬閃が首を傾げる。全身、ばきばきになったはずだが、こいつは毎日鍛錬を欠かさずにやっているらしい。高順も父親ながら息子の丈夫さに呆れていた。
「いや、なんでもない」
今回の人選は悪くないようだ。どうしても若い侍女をいれなくてはいけないと聞いて少し不安だったが、今のところ問題はなさそうだった。
ただ、前回、毒を盛られた件もあるので気を引き締めることにこしたことはない。しっかり目を光らせていかねばならない。壬氏個人的には、旧知の人間を入れてもらいたかったのだが、今回入れてもらったのはその旧知の人間の同僚とのことだ。つまり、医官付きの官女とのことである。
初めて作る部署の人間として試験はそれなりに難しく作っていた。その中で、医官に適性のないものはどんどん落とされたと聞いているので、実力は確かなのだと思う。
これから各々、東宮のお披露目のため、仕事を割り当てられる。壬氏もまた仕事に取り掛からなくてはいけないので、さっさと解散してもらうことにした。
皆がいなくなったところで、壬氏は大きく息を吐く。部屋にいるのは馬閃のみなのでこれくらい大目に見てくれる。
馬閃は休んだ分の仕事も頑張ろうとしていた。苦手な書類仕事も頑張ってくれるのは喜ばしい。
「壬氏さま、離宮に砂欧の巫女がいらっしゃっている件はいかがいたしましょう」
書類を一枚手にして馬閃が聞いた。
政治というのは実に面倒臭い。口頭で伝えれば早いことをいちいち文書にして回す。確か、相手方が離宮にやってきたのはけっこう前だった気がする。今頃、書類で問われても困る。たしか一度、壬氏は挨拶をしたが、それっきりだ。誰か別のものが対応しているのだと思っていたが、今さら壬氏の元に回ってくるなど思いもしない。
「私がやるのか……」
山になった書類を見て息を吐くしかない。後宮関連の仕事もいまだ回ってくるし、子の一族が抜けた分の穴も全部こちらに回ってきている気がする。
「みな、私のことを嫌っているのだろうか?」
「いえ、むしろ愛されているのではないかと思いますが」
「真顔で言うのはやめてくれ」
「そうですか? 皆、壬氏さまに会いたくて来ているものかと」
まったく悪気なく言うから困ったものだ。
官女を立ち入り禁止にしていた理由は、わざと書類を落として仕事を長引かせるという輩が多かったのもある。たまに、文官でもそういう者がいるので、一度書類を落とした者は出入り禁止にするしかない。
出入り禁止と言っても、相手方に悪いようには言わないが、どうしても変な方向に勘繰られるのだ。
おかげで一部では、失敗すると処分が下される場所だと思われているが。
それでも、書類は減らない。
「砂欧の巫女をどうするかという件だが、まだ、医官たちは対面していないのだな?」
「はい。行くのなら漢医官と医官付きの官女たちということになります」
相手は異国の重鎮であり、巫女という肩書を持つ人物だ。医療目的とはいえ、おいそれと男が触れていいものではなく、元宦官である漢医官、つまり漢 羅門、猫猫の養父であり、羅漢の叔父が行く。触れて診るのは官女たち、羅門がその情報を元に病気を診るというものになるのだろう。
まどろっこしいが相手方の要望なので仕方ない。ちょうど一人引き抜いたところであと二人残っているが、猫猫がいるので羅門との連携はうまくいくだろう。
「では、こちらの都合とあちらの都合を聞いておけ。できるだけ向こうの都合に合わせて、訪問するように医局に伝えよう」
「かしこまりました」
早速、馬閃が書にしたためて、執務室の外で待っている伝令を使う。
「他になにかあるか?」
重要な話を先に終わらせておきたい。何度も舞い戻ってくるくだらない案件は後回しでいい。
「特にないのですが、あっ、あると言えばありました」
「なんだ?」
「……早速、異動願を渡されました」
「……」
達筆で書かれた異動願を受け取る。さっき顔合わせしたうちの誰かということになるが。
「医官付きに戻してくれと、燕燕という官女が申し出てきました」
やはり同じ穴の狢という言葉があるが、ちょっと変わった職種を求める者は変わった者が多いらしい。
若い侍女はできるだけおきたくないので、他の侍女たちが仕事を覚えて問題がなさそうなら数を減らしてもいいと壬氏は思っていたので、しばらく我慢してもらえれば要望には応えられそうなのだが。
「その燕燕という官女は、どういう推薦を受けている」
「仕事内容はそつがなく、相手を立てることを得意とするとあります。また、侍女としての技術も十の頃から躾けられているため問題がないそうです。物覚えもいいのですが、自分から前に行かないのが長所であり欠点というところと」
「確かに悪くないな」
「それから……、少々、能力とは関係ない話になりますが……」
馬閃はどこか言いにくそうに顔を書類から背けている。
「なんだ、言ってみろ」
「……はい。備考に、男が苦手、嫌いというわけではないのですが」
少し躊躇して続ける。
「少々、百合の気があるようです」
百合、すなわち異性より同性と仲良くするほうを好むことである。
「採用!」
壬氏は異動願を払いのける。
「じ、壬氏さま!」
「能力は関係ないのだろ? いい人材じゃないか。絶対逃がすなよ」
壬氏はにやにやと笑いながら馬閃に言うと、仕事の続きを始めた。