十五、点心
夏の盛り、秋の匂いにはまだ少し時間があるころ。都は祭りの雰囲気でいっぱいになっていた。異国からの人々がくれば、経済が回る。結果、自然に催しが増え、祭りへとなっていく。
お祭りというものは嫌いではない。なんだかんだで周りに活気が出てくる。それが宮廷内でも顕著に現れる。
どう現れるかといえば。
「働きすぎだ」
仏頂面の医官から、真っ青な顔をした文官が運び込まれて言われたのがその一言だ。目の下にはくまがあり、ぼんやりとうつろな目をしていた。
「睡眠はしっかりとれ。文字通り死ぬぞ」
睡眠は大切だ。一日、二日寝なくていいといきまいていたのが、年をとってぽっくりくたばることは珍しくない。一時期、壬氏もかなり危ないくらい寝ていなかった。
都で店を構えるには役人の許可が必要だ。露店なら勝手に広げているところも少なくないが、ちゃんと大がかりに店を構えるとならば、税の関係上必須なのだ。ばれたら、罰金どころか牢獄へ入れられることもある。
お祭りごとの前には人が集まる。異国の人間がやってくるので、交易品は前よりも増えているし、それを狙って都に住み着くものも少なくない。
文官はおかげで書類整備に明け暮れている。
武官のほうも忙しくないわけではない。おかげで、最近変人軍師がくる回数が減ったのはありがたい。
人の流入が増えれば治安も悪くなる。それをとりしまるのは武官の仕事だ。生憎、文官に比べて武官は訓練の時間を仕事に回せばいいことと、脳筋なのでの一言で倒れる者はいない。
ただ、けが人は増えた。
「っつ! もうちょっと優しくできねえのか!」
姚が武官の腕に薬を塗っていた。切り傷で三寸ばかり赤い筋が入っている。
(皮が切れたくらいだろうに)
露店を勝手にはじめて、なおかつ怪しげな薬を売っていたようだ。取り締まりをしようとしたら、逆上され刃物を出されたらしい。
「すみません」
姚は変わらぬ声の調子で返したが、唇をちょっと尖らせている。怒っているというより、泣くのをこらえているように見えた。
燕燕はそんな主人にそっと手伝いに行く。よく冷えた茶を「鎮痛剤です」と差し出すのだが、たしかあれは普通の水出し番茶のはずだ。
医官が官女たちに患者を任せることはまだまだ少ないが、こういう燕燕の気配りに対しては評価しているらしい。医局に対する苦情が減ったようだ。
そして、猫猫は何をしているかといえば。
ごりごりと薬を作っている。
簡単な塗り薬くらいなら作れるだろうと任されていた。もっと変わった薬を作りたいという欲望をおさえれば悪くない。猫猫は接客には向かないし容姿としても他二人に劣るのでちょうどいいだろう。
「猫猫、塗り薬を」
例の焼き菓子の件から燕燕はだいぶ砕けた物言いになってきた。ただ、そんな態度を燕燕がするところを見ると、姚が少し口を膨らませる。燕燕は主人の子どもじみた行動を狙ってやっているのではと思う時がある。
「塗り薬ですね」
猫猫は塗り薬を渡そうとして、ちらりとけが人のほうを見る。さっきわめいていた武官だ。たいした傷ではないのにうるさい。
「……」
猫猫はそっと懐にもっていた塗り薬を取り出すと、渡すはずの塗り薬とすり替える。
(ちょうどいい)
あれだけ元気なら新しい塗り薬の実験体にしても問題はなかろうと思ったのだが。
「おい、何やっている」
後ろから声をかけられて驚く猫猫。振り返ると医官が目を細めてみていた。
「いま、薬すり替えなかったか?」
「なんのことでしょう?」
しらばっくれる猫猫だが、医官に渡そうとした薬を奪われた。医官は目を細めながら、指先で塗り薬を確かめる。
「おい、何か違うもの混ぜてるだろ。これは」
「なんのことでしょうか?」
さらにしらばっくれる猫猫の頭にげんこつが落ちた。
「羅門には、厳しくするように言われているんだ」
おやじの知り合いとなると、動きにくい。
「なにを入れた?」
「蛙を少々」
蛙の油を使うといいと聞いて試してみた。実際、蛙から油などほとんどとれず、ようやくできたのが今持っているものだ。
「異国では蛙の油が薬となると聞いたもので」
「言っとくが、聞いたことないぞ」
そうだ、猫猫も聞いたことがない。ただ、もしかして何か効用があるのではないかと試してみた。ちゃんと毒がない蛙を選び、猫猫の体で異変がないか調べている。さすがに毒性があるかないかわからないものを試すほど非道ではない。
「とりあえず没収だ」
「ああ!」
とられてしまった。せっかく、休みの日に田んぼにでて探したというのに。
「あなた、蛙って……」
真っ青な顔をして姚が見ていた。信じられないような顔をしている。
「そんなものを薬に入れるなんてどうかしてるわ!」
猫猫は片耳をほじほじしながら聞き流す。さすがに態度が悪かったらしく、燕燕に肘で小突かれる。
「姚さんには縁がないと思いますけど、庶民にとってはごく普通に食べられていますけど」
またもや信じられないという顔をする姚。燕燕に意見を求めるように見る。
「はい。普通に食べられていますね。たまに魚と偽って蛇の切り身も売られていますし」
『蛇』と聞いて、顔を真っ青にする。
「ご安心ください。ちゃんと姚さまが食べるものに、不確かな物は入っておりません」
「蛇もいけますよ」
ちょっと小骨が多いのが面倒だが、からっと揚げてしまえば問題ない。臭みが気になるなら香草や薬味で消してしまえばいいし。
ちょうど小腹がすいたときの点心がわりに、蛇を干し肉にしたものを持ってきていた。食うか、と差し出したらくらりと壁にもたれかかり、力なく否定された。
猫猫は仕方なしに懐に戻す。
「おい、おまえら、さぼるな!」
医官に言われて、猫猫たちは駄弁りをやめて仕事をつづけた。
猫猫たちの昼食は、食堂で食べる。食事は出るのだが、量が少ないため、追加で食べる分を持参している者も多い。
官と官女の食べる場所は分かれている。普段は、猫猫に素っ気ない姚だが、このときばかりは少しだけ近づいてくる。
理由は周りの雰囲気だ。
後宮でも花街でも思うのだが、女は女だけにならないと見せない本性がある。男の目がなくなった食堂の一画では、下世話な話が飛び交っていた。
「ねえ。やっぱり武官って駄目だわ。忙しいわりに給料もそれなり。やたら食べるから、食費も莫迦にならないので、まともに飯もおごらないのよ」
「うわあ、最悪。でも、文官がなんでもいいわけじゃないでしょ。この間、誘ってくれたのがいたのはいいんだけどさ。窓際よ。ほんと。かびた文書並べるだけの出世に縁がなさそうなやつ。簪くれたのはいいけど、流行おくれで嫌になっちゃう」
「くれるだけまだましじゃない。どうせ質に入れるでしょ?」
官女とは良家のお嬢様がたが多い。でも全員が全員育ちとともに性格がいいというわけではない。
完全にお育ちのいいお嬢様から見たら、どうにも受け入れがたい現実らしい。猫猫が食堂の隅っこに座ると、そっとついてくるのだ。
理由は、猫猫がいるとそういう輩、特に新部署である医官手伝いの官女を敵視する者たちが近づかないためである。
(ちょっと注意しただけなのに)
近づかなくなってしまった。
何があったかといえば、おぼこ臭い医官手伝いたちに先制攻撃を食らわせようと、やってきた官女がいたのだ。とりまきを引き連れて、まるで当初の姚のような雰囲気だった。違うのは仕事に生きるというより、男漁りのために宮廷に来ましたという感じだ。毎回、食べるものを変えています、といった雰囲気をむしろ誇りにしている型だった。
猫猫はその官女の口の周りに発疹ができていることに気が付いた。
「失礼ですが、お相手は複数いるようですけど、病気についてご存じですか?」
と確認した。
「病気の男とは付き合わないわよ!」
と否定されたが、猫猫は潜伏期間について教える。あと、相手は病気でなくとも相手の相手が病気であれば、病の元はうつっている可能性が高い。自分だけが複数を相手にしているとは限らないのだ。
また、性感染症は一つだけでなく複数まとめてうつると説明する。
「最近、体がだるいことはありませんか? あと陰部にただれやしこり、もしくは出血などは?」
猫猫が問診をしているうちに顔を真っ青にして、近づかなくなってしまった。
猫猫はけっこう真剣だったのだが、姚の顔が真っ赤になっていた。燕燕は性感染症についての知識はなかったらしく記帳を取っていた。
さて、話を戻すとして、今日の食事は粥に羹に菜が一品。菜はいくつかあり、好きな物を選べるがあとからだと売り切れで選択肢がなくなる。
食事の量が少ないといったが、普通なら朝夕二回の食事だ。昼に点心の時間の代わりに飯がつくのである。
猫猫は菜に蒸し鶏の冷菜をとった。肉料理は人気なので早めにこなければすぐなくなってしまう。二人とも同じものをとっている。
「別にあなたの真似をしたわけじゃないからね」
(うん、言ってないから)
見方によってはかわいらしい反応だ。
ほかの菜を見ると、魚料理と酢の物。魚の切り身は見ようによっては蛇に見えなくもない。魚を避けたのはそういう理由だろう。
そうなると少し意地悪をしてみたくなるのが、ひねくれた猫猫である。
食堂の端っこに陣取り、普段なら黙々と食べるだけなのだが。
「そういえば、よその国からお偉いさんがくる話ですけど」
ここ最近の話題はこればかりだ。
「砂漠では蛇や蜥蜴が貴重な栄養源だといいますけど、やはり食するようです。料理はどうするのでしょうか?」
西方へ行くとわかるのだが、食文化が違う。前に西へと連れていかれたときわかった。これといって観光をできたわけではないが、露店にはけっこう下手物が多かった。
「猫猫」
ちょっと非難めいた目で燕燕が言った。姚は持っていた匙を止めたままだ。
「……もう食欲がなくなる」
そっと匙を置く。
「姚さま、ちゃんと食べないと」
「点心だったら入るわ」
少しぶすくれた顔で燕燕に言った。燕燕は困った顔で、布包みを取り出した。中は竹筒の水筒だ。食べ盛りの姚は、食堂の食事だけでは足りずいつも点心持参である。
「食後なら食べていいんですけど」
ちらりと姚を見る燕燕。姚はぐぬぬと顔をゆがめて、粥に手をつける。
(扱い方うまいなあ)
ところで竹筒の中身は何かといえば、器を取り出し中身を入れる。甘い匂いと半透明のぷるぷるしたものが出てきた。
「これって……」
さすがは金持ちだ。高級な点心で、夏にぴったりの水菓子である。滋養強壮、美肌効果があり、たまに玉葉后の夜食にも出していた代物だ。
「姚さまの大好物です」
そっと燕燕は唇に人差し指を当てる。この水菓子がなんなのか猫猫がわかっていると思っての行動だろう。
(なにが不確かなものは入っていないのか)
やっていることは残酷だ。
「あー、ちょっとぬるいけどおいしいわ」
しみじみとぷるぷるした点心を食べている姚。
その菓子の名前は『雪蛤』。
材料は、蛙の卵巣であることは黙っておいたほうが姚のためだろう。