十三、燕燕の小話
妃が后になる。もう表向きには、玉葉后は正室であったが、それを明白に周りにも見せることは重要らしい。
戦とは圧倒的に力の差があればあるほど、被害は少なくなる。もし、同じ位の妃が同じころに男児を産んだとすれば、血の雨が降るものだ。正室として玉葉后となったのは、同じ上級妃であった梨花妃が子を産む前である。
梨花妃の血筋は、后になるにふさわしい。だが、前に男児を産んだ際、正室にならなかったのには理由がある。
(子が長生きするかわからなかったことと、ある意味血筋の問題)
帝は近親婚を現在避けている傾向にある。先の帝の時代、繰り返された近親婚によって弱った血筋は同じはやり病でどんどん亡くなっていったと考えられる。
梨花妃が王母としての資格を有しながら、なれないとなれば彼女の資質とはまた別のことだ。
あともう一つあるとすれば。
今後、他国との関係で玉葉后の一族とは仲良くしておく必要があるのだ。
ともあれ、今現在、玉葉后は頂点に近い雲の上の人であられる。初対面の人間が委縮してしまうだろうし、実際委縮していた。
「ふふふふ。点心は気に入ってもらえるかしら?」
久しぶりのたおやかな声の主は、甘さを控えたお菓子を準備してくれた。給仕をするのは有能な侍女、に見せかけて噂好きのきらきらした目が見え隠れする桜花だ。世話好きの明るい侍女は半年ちょっと会わずとも変わらず接してくれるらしい。残念なことに、そばで侍女頭の紅娘が目を光らせているので声をかける真似はしないが、お目付け役もすぐそばを離れていく。
(一つつまんでいいですか?)
そんな余裕がある猫猫と違い、隣に座った姚は氷のようにかちこちになっている。燕燕は無表情なのでわかりにくいが、ちらちらと姚を見ているので多少は心配なのだろう。
後宮で妃たちの往診に慣れてきたころ、ようやく猫猫たちは玉葉后の往診の付き添いをさせてもらえるようになった。
玉葉后としてはこの時を待っていたのだろう。わざわざ猫猫が医官付きの官女になる試験を受けるようにと推薦したくらいだ。そして、猫猫が来たとならば、数少ない娯楽の時間だと考えるに違いなく、現在、茶会のようなものが行われている。
「あ、あの、漢医官は?」
姚が桜花に聞いた。漢医官とは、おやじのことだ。
「はい、今は東宮を診ておいでです。せっかくですので、鈴麗さまと侍女たちも診てもらうことになりました。何もすることがありませんので、お茶でも楽しみましょうと玉葉さまが」
紅娘が出て行ったのは、その様子を監視するためだろう。
鈴麗公主はずいぶん大きくなった。よちよち歩きだった子どもは、宮に着いたとたん客人だと走り出して見学に来ていた。お転婆なところは玉葉后に似たらしい。生憎、猫猫のことは覚えていないようだが、来客はみな遊び相手という認識らしくずっとついてきていた。途中、紅娘に追い返されて悔しそうに出て行ったが。
(建前だなあ)
正面に座った玉葉后の目はきらきらして、面白い話が聞きたくて仕方ないようだ。
(そんなねたはないんだが)
桜花もちゃっかり座っている。
「ねえ、たまには面白い話など聞きたいのだけれど、何かないのかしら?」
(無茶ぶりきた!)
これですっと面白い話が出てくれば、猫猫は口下手とは言われないだろう。だが、残念なことにそんな舌先三寸で言える性格ではない。
しかし、意外な人物が手を挙げる。誰かといえば燕燕だ。
「お気に召すかわかりませんが」
「あら、本当?」
「昔あった事件の話なのですが、よろしいですか?」
「あら、楽しみ」
興味津々の玉葉后。燕燕は普段無口なのとは打って変わってつらつらと語り始めた。
〇●〇
昔、とある場所で料理人による料理対決が催されました。料理人は矜持とともにとあるお屋敷の料理長の座をかけていました。
一人は昔からその地方に住む料理人で、もう一人は遠いところから流れてきた料理人でした。
料理は、主人が好きな卵料理と湯圓でした。料理人はどちらも腕に覚えがあります。なので、地味な題材でもしっかりと料理に打ち込んだのですが。
どちらの料理も甲乙つけがたい物になるはずでした。しかし、一方の料理人、遠くからきた料理人はうまくできませんでした。卵料理があまりにひどい出来の物を作ってしまい、とてもお屋敷の主人に出せるようなものではありませんでした。
せめて、湯圓だけでもと出したものの、それを食べた主人は激昂し、料理人を手打ちにすると言い出しました。
料理人にはまったく意味が分かりません。材料も、すでに用意されたものしか使っておらず、使った材料についてはもう一人の料理人も同じです。
どうして、料理に違いが出たのでしょうか。
〇●〇
(面白い話というより)
猫猫にはなぞかけのように聞こえた。
どこか試すような雰囲気が燕燕を見ればわかった。
「どうして料理を失敗したのかわかりますか?」
ちらりと猫猫を見た。この流れは大体覚えがある。
「普通に料理をして失敗したのではないのかしら?」
口を出したのは桜花だ。
「まだ若い料理人って言ったわよね」
「ええ。でも料理人としては一流で、だからこそ遠いところから呼び寄せられたのです」
補足を付け加える燕燕。主人の姚は静かに座っていた。神妙な顔で茶の揺らぎを見ている。
(料理の失敗、出せないってことは余程ひどいものができたということだろうに)
団子も食べて明らかにまずいというのであれば、塩、砂糖を間違えるほどひどかったのだろうか。
(味覚障害?)
でもないだろう。考えられるとすれば。
「いくつか質問です」
猫猫は挙手する。
「なんですか?」
「その地方はどんな水が主に飲まれていましたか?」
「水ってどこも一緒じゃないの?」
桜花の答えに、猫猫に代わり燕燕が首を振る。
「そこは真水が貴重な場所でしたので、飲み水以外は塩が混じったものを出すことが多くありました。もともと水が硬く、岩塩が産出されるので混じることが多かったのです」
「つまり、団子をゆでる際、よそ者で水の性質を知らなかった料理人は塩水を知らずに使ったというわけですね」
猫猫の答えに、燕燕はゆっくりとうなずいた。桜花も納得したように手を叩く。
だが、玉葉后は首を傾げる。
「ねえ、塩水でお団子をゆでてはいけないのかしら?」
玉葉后の質問に猫猫は答える。
「団子は中まで火が通ったらすぐあげます。ゆであがると団子は自然と湯の上に浮き上がってきますから」
でも、塩が入ると話が違ってくる。塩を水に入れることで水の重さが変わる。重くなった湯で団子をゆでると、中まで火が通る前に浮かんできてしまう。
「つまり、お団子が生だったということ?」
「はい」
燕燕も黙ってうなずいているのでこれは正解でいいのだろう。たまに翡翠宮で料理をする立場だった桜花は塩水でゆでたと聞いてぴんときたようだ。
「でも、卵料理のほうはどうなの? これも塩水のせいってわけじゃないよね?」
また桜花は首を傾げる。
「卵料理が何かと、あと用意された材料がわかればこれもわかります」
「では何を作り、何を材料にしたと思いますか?」
燕燕の言葉に猫猫は答える。
「蒸蛋に灰樹花を使ったのではないかと」
灰樹花は地方によっては高級食材だ。卵はもちろん栄養価が高い食材だが、料理対決させるには目玉の食材も必要だろう。
「灰樹花は歯切れの良い食感が美味しいので、それを生かすためにあまり加熱させずに蒸したのでしょうね。生の灰樹花は、肉を柔らかくするので、卵もまた固まらなかったと」
食べ物の中には肉を溶かす作用があるものがある。果物など多く、一緒に煮込むことで肉を柔らかくする場合もある。
「そうなんだ!」
面白いことを聞いたと目を輝かせる桜花。
「正解です」
燕燕はちょっと眉をぴくりと動かしていった。無表情だが、なんとなく猫猫にすらすら答えられてつまらなさそうだった。
さっきから燕燕は饒舌だが、かわりに姚は静かだ。どこか照れくさそうにうつむいたままである。
「あら? その料理人はどうなったの?」
「ご安心ください。別のかたに助けられました。お屋敷の料理人にはなれませんでしたが、別の家で働くことになりました。蒸蛋をちゃんとした形で食べたいと言ってくれたかたがいらしたのです。幸運にも屋敷の主人とは面識がある家のお嬢様でした」
「それはよかったわ」
朗らかに玉葉后は笑う。玉葉后が望む面白い話とは違ったがこれはこれで楽しんでもらえたようだ。
「はい。ちょうどその料理人には、まだ小さな妹がいて、お嬢様のおかげで路頭に迷うこともありませんでした」
燕燕は口角を上げた。
(普通に笑えるのか)
朗らかな笑みはどことなく、気恥ずかしそうな姚に向けられているようだった。
(そういうことね)
燕燕がなんでこんな話題を話したのかわかった気がした。
ただ、黙って知らないふりをしてあげるのが、猫猫なりのやさしさだろう。