16 暗躍
壬氏に連れられて来たのは、宮官長の部屋だった。
中年の女官は、壬氏の指示で退出した。
正直、申し上げよう。この生き物と同部屋二人きりなど、まったくもって無理なのだ。
猫猫とて、きれいなものは嫌いではない。
ただ、あまりにきれいすぎるとほんの少しの汚点が罪悪のように感じられて許せないのである。磨き抜かれた玉にほんの一筋の傷が入るだけで、価値が半分になるのと同じである。
ゆえに、つい地面を這いずり回る虫を見るように接してしまうのだ。
全く仕方のないことである。
(鑑賞物として接したい)
小市民猫猫の本音である。
女官と入れ替わるように高順が入ってきたときは、ほっとした。
最近、無口な従者が癒し系に変わりつつある。
「これらは一体何色くらいあるんだ?」
医局から持ち出した粉を並べる。
「赤、黄色、青、紫、緑、細かくわければもっとあります。具体的な数はわかりません」
「では、木簡にその色を付けるにはどうすればいい?」
粉のまま擦り付けるのは無理がある。いくらなんでも怪しかろう。
「塩ならば塩水につければいいだけです。こちらも同じようにいけると思います」
白い粉をよせる。
「他のものは、水以外のもので溶けるものがあるみたいです。これも、専門外なのでわかりません」
「十分だ」
青年は腕を組んで、思考にふける。
それだけで一枚の絵になるようである。
壬氏が後宮内のいろんなことを掌握していることはわかっている。
今の猫猫の言葉がなにかの根拠になったのだろう、頭の中でばらばらになった欠片を組み合わせているようである。
(暗号……かな?)
導き出される答えはおそらく同じものであろう。しかし、それを言うべきではないと猫猫は重々承知していた。
雉も鳴かずば撃たれまい、である。
これ以上、用はなさそうなので、退出しようとすると、
「待て」
呼び止められた。
「なんでしょうか?」
「土瓶蒸しが好きだ」
何の?というまでもない。
(やっぱばれてるか)
肩を落として、
「明日にでも探してまいります」
と伝えた。
○●○
ぱたんと、扉が閉じたのを確認すると、壬氏は甘いはちみつの笑顔をしまった。かわりに水晶の切っ先のような視線になる。
「ここ最近で、腕にやけどを負ったものを探せ。とりあえず部屋付以上、それにつく侍女も調べておけ」
「御意」
高順が退出すると、宮官長が入ってきた。
「申し訳ないね。いつも場所を借りてしまって」
「そ、そんなことは」
年甲斐もなく顔を赤らめている。
壬氏の表情には、また天上の甘露の笑みがはりついていた。
女とはこうあるべきなのに。
ほんのひと時だけ、唇を尖らせると、またもとの笑みを浮かべて、部屋を出た。
○●○
「はい、これ着てみて」
先輩侍女である桜花は猫猫に真新しい衣を差し出していた。
色は生成りの上着に、薄赤の裳、袖は薄黄色でいつもよりも大きく広がっている。
絹ではないが、上等の綿でできていた。
「なんですか、これ?」
色は下女にふさわしい地味なものだが、意匠は実用には向かない。それに、胸元の大きく開いた服など、猫猫は着たことがないので、明らかに嫌な表情が浮かんでいる。
「何って、園遊会の衣装だけど」
「園遊会?」
先輩侍女たちの好意に完全に甘えていた猫猫は、毎日毒見と薬作り以外は、外を駆け回り薬草を採ったり、小蘭とおしゃべりしたり、医局で茶をいただいたりしていた。ゆえに、上流階級の話題はほとんど耳に入らなかった。
首を傾げる猫猫に呆れた顔で桜花が教えてくれる。
年に二度、宮廷の庭園で社交会が開かれること。
后のいない皇帝は、正一品の妃を連れてくること。妃の世話をする女官もついていくこと。
後宮内では、玉葉妃が『貴妃』、梨花妃が『賢妃』を冠している。
他に二人、『徳妃』と『淑妃』を合わせて四夫人、それらが正一品となる。
本来、冬の園遊会は『徳妃』と『淑妃』のみ出席のはずである。だが前回、赤子を生んだばかりの玉葉妃と梨花妃は欠席したため、今回全員参加のこととなった。
「全員参加、ですか」
「ええ、心してかからないと」
桜花の鼻息が荒くなるわけである。
ただでさえ、後宮の外にでる滅多にない機会であるうえ、鈴麗公主のお披露目、上級妃の揃い踏みと行事満載なのだ。
侍女の数が少ない玉葉妃のため、慣れないことを理由にして猫猫が辞するわけにはいかない。そういう公の場所こそ、毒見役が重要視されることくらいわかっている。
(血の雨が降りかねない)
猫猫の勘は当たる。
困ったことに当たるのである。
「少し、胸元は詰め物をしたほうがいいわね。おしりの回りもかさましするけど大丈夫?」
「お任せします」
ぎゅうぎゅうと帯を締めつけられ、裳の丈や袖の長さを調整する桜花はさらにとどめをさしてくれた。
「ちゃんと、お化粧もしないとね。たまには、そばかす隠す努力もしなさいよ」
にやりと笑う桜花に、ひきつる笑顔を返したのはいうまでもない。