六、変わらぬ後宮
後宮に入る前に、宦官であれ女官であれ、身体検査をされる。猫猫やおやじはなれたものだったが、姚と燕燕にとってはけっこう屈辱的なことだったようだ。宦官が触れることにひどく不愉快だったようで、あからさまに触れるなと顔に出ていた。おやじは諦め顔で女官を呼んでくれた。
「今回だけだからね」
「わかりました」
一応、おやじに逆らうことはするつもりはないらしい。ただ、宦官であると話を聞いてから、少し態度が悪い気がした。
(別に珍しくもないか)
宦官がさげすまれることは珍しくもない。おやじも慣れているのでさほど気にしていないだろうが、猫猫としては腹立たしい。
後宮の中に入ると、懐かしい空気が漂ってきた。女の園、周りにいる男は宦官のみ。そんな特殊な空間が日常と化している場所では、住む人間も少し特殊になる。
やってきた猫猫たちをちらちらと眺める。自由に出入りできないこの場所では、外界からやってきた人間に敏感だ。何か面白いねた、もしくは噂話の種でも持っていないか目を輝かせる。
その中に見知った顔がいくつかあった。別に親しくしていたわけではないが、洗濯場でだべっていたとき、たまに混じっていただけの下女たちだ。毎回毎回猫猫が後宮を出て行っては戻ってくるので不思議そうな顔をしている。
おやじはまず一直線に、後宮の医局に向かう。二人の官女は少し物珍し気に回りを見ながら歩くが、おやじと猫猫は特に気にせずに歩く。その様子が気に食わなかったのだろうか、珍しく猫猫に姚が話しかけてきた。
「なぜ、慣れた動きなのかしら?」
「ここには二年近く勤めていたから」
質問に答える。とびとびであるが、昨年の秋までいた。
「後宮女官の年季は二年ですから」
いろいろ説明するのが面倒なので、こう言っておけば納得するだろう。
会話はそれっきりで、無言のまま医局に着いた。医局では、どじょうひげの懐かしい顔が、居眠りをしていた。
「こんにちは」
おやじが申し訳なさそうに声をかけると、鼻提灯をぱちんと割り、慌てて飛び起きた。
「おや! 羅門さんじゃないか。それに嬢ちゃん! 久しぶりだねえ」
とてとてと重い腹をかかえて近づいてくるやぶ医者。久しぶりといっても猫猫はやぶ医者の実家である紙制作の村に同行していたのでほんの数か月ぶりだ。
猫猫がやぶ医者と顔見知りなことも姚にとっては気に食わないらしい。
(縁故採用ねえ)
一応試験を受けたつもりだが、周りからそうみられていてもおかしくなかろう。さっき、軍部勤めの医官が言った言葉を反芻する。思われても仕方ないが、気にすることではない。
「後ろのお嬢ちゃんたちは?」
姚たちを見て、やぶ医者が言った。
二人は微妙な顔をしている。相手は宦官だが一応医官だ。頭では理解しているがどういう態度をとればいいのか少し困惑しているようだ。やぶはそんな表情など読み取れず、いや読み取らず、「茶菓子はなにがいいかい?」と戸棚をあさり始めている。
ある意味うらやましい性格だ。
「この三人は今後、医官の手伝いをすることになった宮廷の官女ですよ。私たちだけで、後宮内を見るのは難しいということで、試験的に一緒に回ってみることになりました。連絡は来ていませんか?」
おやじの言葉に、やぶ医者ははっとなる。ちらりと、机のほうに目をやる。まだ開封されていない文が見えたのだが、そこはつっこまないでおこう。
「あー、そうだった、そうだった。それでどうしようかね」
わざとらしく、「知ってますよ、そんなこと」と言わんばかりにやぶ医者が言った。猫猫はいつものことだと思い、おやじは苦笑いを浮かべている。姚と燕燕は、さっそくこの医官、どこかおかしいぞと疑いの目を向けている。やぶ医者がやぶとばれるまでそう時間はかかるまい。
「今日は梨花妃のところへ向かい、その後、中級妃のもとへ向かいます」
後宮の上級妃は、楼蘭妃が謀反でいなくなり、玉葉妃が后となられ後宮を出た。そして、里樹妃もほぼ出家状態。実質、梨花妃一人である。
(男が生まれたと聞いたがどうだろうか)
梨花妃と会うのは本当に久しぶりだ。以前、つきっきりで看病をしていたのでいろいろと思い入れがある妃だ。里樹妃ほどではないが、梨花妃もまたいろいろついていない妃だ。ろくでもない侍女たちは一掃されたらしいが、今はどうだろうか。
それから中級妃といえば、新しく入った砂欧の女、愛凛のことも気になる。もとは、この女のために医官付きの官女になったようなものだ。
「とりあえず、水晶宮に行こうかね」
というわけで、梨花妃に会いに行くことになった。
上級妃のもとへ行くにあたり、いつも医官とは別に宦官が護衛につく。医官に対する護衛であるとともに、妃に対して害を与えることはないかという監視なのだ。面子はそう変わることはないので、これまた猫猫の顔見知りだ。仕事に忠実な彼らは必要事項以外猫猫たちに話しかけることがないため、名前も知らない。別に猫猫としてはそれでいいし、むこうもこっちが面倒ごとをかけなければいいのだろう。
上級妃の一人、賢妃である梨花妃の宮は相変わらず絢爛だった。以前、猫猫は水晶宮を間借りして薔薇を育てたことがあった。その時、残りの薔薇をいたるところに植えたわけだが、そのため宮の庭に薔薇が多い。猫猫が植えたのは白い薔薇ばかりだったが、今、庭を手入れしている者は、色味がないのをさみしく思ったのかもしれない。赤や黄色、変わり種で緑と鮮やかになっている。花の季節がもう終わり掛けなのが少しもったいなかった。
「ひっ!」
水晶宮の玄関で応対にきた侍女が猫猫を見て声を上げた。
古参の侍女も何人か残っているらしく、猫猫を見てあからさまに顔をゆがめる者がいた。毎度、変わらず猫猫を妖怪扱いするのはやめてもらいたい。
また姚たちに変な目で見られている気がする。
それどころかおやじまで、猫猫を見る。「ここでもなにかやらかしたのかい」と、不安そうに眼が語っていた。
宮の奥へと通される。場所は寝室ではなく応接間。しばらくすると、衣擦れの音とともに、大輪の薔薇のような妃が現れる。その手には、ふっくらとした赤子がいて、むにむにと口を動かしていた。ほんのり乳臭く、先ほどまで母乳を与えていたのかもしれない。
梨花妃はおしろいをせず、紅を軽くさしていただけだった。もともときれいな肌なので、おしろいを叩かなくても問題はない。
やぶとおやじにならって、猫猫たちも挨拶をする。久しぶりに会った妃が健康そうでよかったと猫猫は思う。腕の中にいる赤子も、血色がよい。ずいぶん前に身まかられた東宮の年齢をとうにこえていた。
正室である玉葉后の男児が今の東宮であるが、次の皇位継承権はこの梨花妃の子にある。世継ぎ問題を考えると将来は少し不安になるが、今はただ健やかに育ってくれればそれでいいと猫猫は思う。
「挨拶は短くていいわ。それよりも、体の調子を見てくださらない?」
梨花妃は、そっと赤子を猫猫へと渡す。いきなり渡されて、ちょっと戸惑ったが、赤子は人見知りすることはなく、指をしゃぶりながら目を細めている。
(子どもはあまり得意ではないのだが)
これは梨花妃が猫猫に見せたいのだろう。前の子を失ってから、抜け殻のようになった梨花妃が、今こうして元気な男児を生み育てていることを。そう思ったら、赤子がかわいくないなんていえるわけない。
水晶宮に追加で入った侍女は優秀だ。猫猫が赤子をしっかり抱けるように椅子を用意してくれる。
おやじが梨花妃に問診をして、手首をとり脈をはかっている。やぶ医者は何をするわけでもなく、隣でにこにこしている。やぶの代わりに道具を出すのは燕燕だ。
猫猫は赤子をしっかり見る。
だいぶ暑くなってきたためか、赤子の首にかるくあせもができていた。他に気になるところはなく、健康そのものだ。目をほころばせたやぶ医者に耳打ちすると、おやじに伝言してくれる。おやじにとっては想定内のようで、やぶはおやじに言われて持ってきた薬箱からあせもの薬を取り出す。
健やかに育ってなによりだったが、赤子を抱いている間、ずっと姚たちが猫猫をにらんでいた。