四、軍部の医官
仕事初日、まず宮廷に仕える官女としての心得を叩きこまれるらしい。
ゆえに百足らずの新人官女は、先輩官女に連れて行かれ、大きな講堂で説教を受ける。前に猫猫は後宮の講堂で講義をしたことがあるが、正直他人の説教は本当に眠い。
机と椅子は余分にあるので、新人官女たちは部署ごとにまばらに座っている。
猫猫の周りには誰も座っておらず、前の席に先ほどぶつかってきた官女たちが仲良さそうに座っていた。
官女になる女は大体が官の娘、たまに裕福な商家の娘がほとんどだ。後宮の中でも女たちのいさかいは少なくなかったが、ここでも同じだ。前に壬氏のところで働いていたときも、かなり嫌がらせを受けたからわかる。
ただ後宮内はある意味下剋上の空気が漂う空腹精神があったが、こちらはすこし違う。
元々ある金字塔にどう上手く自分を位置づけるかそれが重要らしい。なぜかといえば、新人官女たちはすでに数人単位の群れを作っており、その中の重要人物が空気でわかるためだ。
(親の官位がそのまま娘の立ち位置になってるんだろうな)
その中にどこの馬の骨かわからない猫猫がいたら、もちろん排除する、もしくは立場をわからせる方法をとる。と考えれば、さっきの行動もわからなくもない。
のだが、やはり幼稚だと猫猫は思う。
半時ほどの説明が終わると部署ごとにわかれる。猫猫とその他同じ部署の皆さまと共に医局に向かうことになった。医局といっても宮廷内にはいくつかある。猫猫がよく立ち寄っていたのは、西側にある医局でおやじが常駐している。
対して東側にもあるが、今回はそちらに向かうらしい。
猫猫は顔をしかめる。
宮廷の西は文官が多くおり、東には武官がいる。おやじこと羅門が西側に配置されたのは、できるだけ武官と関わらないようにしてくれた配慮だったのだが意味がなかったらしい。
なぜ、武官を避けると言えば、猫猫としても同じ理由で避けたかった。
(なんでもう気付いているんだか)
出来るだけ平静を装いつつ、猫猫は通路を年配官女に連れられて歩く。歩いている中、いかつい武官たちがちらちら見る。猫猫はともかく、他の官女たちは若く見目良い顔立ちをしている。つい、男なら覗いてみたくなるものだ。
もう夏も入りかけのじめっとした季節だ。歩いているだけでむわんと汗の匂いが漂ってくる。男たちが上半身開けた姿で訓練をしているのを見て、新人官女たちは視線を泳がせている。
そんな中、いかにも怪し気な影が後ろからついてくる。
猫猫はその存在を無視したかったが、視界の端っこにやたら入ってくる。尾行しているつもりが、下手でばればれなのだ。誰が付いてくるかといえば。
無精ひげに狐のような眼、とりあえず洒落者のつもりかわからないがあるだけ無駄な片眼鏡、ここまで言えばだれかわかろう。名前も言いたくないあの人だ。
「何、あの人」
こそこそと話している新人官女たち。
(ここで一番偉い奴だよ)
軍部にはまだ上がいたと思うが、そうなると中央に執務室がある。暇そうにうろうろしているが、一応肩書だけは偉いらしい。
面白いほど変人軍師の存在に気付くと、ちらちら見ていた武官たちが目をそらしつつ真面目に訓練にいそしむ。触れては駄目だという鉄の掟が彼らにあるのだろう。
(うるさい)
猫猫はさっさと移動してしまいたかったが、年配官女の足がゆっくりなので困る。裳で隠れているが、尻の動きからして纏足をしているのかもしれない。
(歩きづらかろうに)
新人官女たち、猫猫合わせて五人は軽い足取りだ。官の娘ともなれば、一人くらい纏足していそうなものだが偶然にも皆健全な足をしている。
「あちらが医局です」
訓練場の近く、飾り気のない剛健なつくりの建物を指す。西側の医局のほうがまだ華やかだ。
そんな感想を持っていたとき、背後から叫び声が聞こえた。
皆が振り返ると担架に運ばれた男がいた。身体はぐったりとして、身体には打身のあとが見える。
「医局へ運ぶぞ!」
力強い武官たちは、慣れた様子で医局へ走る。
「私たちも行きましょう」
猫猫たちもついて行く。
医局につくと困惑した男たちがいた。
「どうしたのですか?」
「いや、いつもなら医官がいるはずなのだが」
中には誰もいない。留守にするという書置きもない。
倒れた男はぐったりしたままで、寝台に寝かしつけられている。ふと、猫猫は男を見る。体中打身だらけ、まだ髭も生えそろっていない若者で、毎日しごかれているのがわかる。
「どういう風に倒れたのですか?」
猫猫は若者の顔をのぞき込む。
「ちょっとあなた!」
新人官女の一人が猫猫を止めようとするが、年配の官女に逆に止められた。目で「わかるなら診て頂戴」と言っている。
「訓練中、突然倒れた。これといって打ちどころは悪くなかった……はずだ」
どことなく歯切れが悪い。しごいているのが見てばれているからかもしれない。それとも、窓から顔半分だけ覗き込んでいる変人がいて居心地が悪いのかもしれない。
体温は正常、汗もかいている。ただ、脈が少し少ないようだ。
「打ちどころと言うより」
猫猫は医局にある手ぬぐいを何枚もとり、水がめにつける。水で濡らした手ぬぐいを倒れた若者の身体にのせて冷やす。
「棚の物を使ってもいいですか?」
年配の官女に聞くが、返事は微妙だ。代わりに窓の外の人物が親指を立てる。それを見て官女が「使っていい」と返事する。
変人軍師は、目ざわりだが一応役に立った。
棚の中には、薬の他、夜食でも食べるためか調味料の類が入っている。
水を器に入れ、塩と砂糖を加える。何かといえば、前に壬氏が避暑地にて倒れかけた時に作ったものと同じだ。若者が倒れたのは、暑さによる水分不足である。
ゆっくり頭を起こし、器から唇を濡らすように飲ませる。意識がだいぶ戻ってきたようで、あとは自分で飲んでもらう。
若者が意識を取り戻したことで、しごいていた武官たちはほっと息を吐いた。ただ、猫猫としては、じろりと思わず睨みたくなる。
ぬるくなった手ぬぐいをまた濡らし、身体を冷やしていると、ぱちぱちぱちと拍手が聞こえた。
何かと思えば、白い上着を着た男たちがやってくる。白い上着は医官の証だ。老人が一人、壮年が二人いる。
「合格だ」
「な、なにがですか?」
質問をしたのは、新人官女の一人だ。
「なにがって? 自分たちの助手が来るんだから、ただ筆記試験だけで決められていても困るだろ。ちょっと見たまでだ」
つまり、今まで猫猫たちがどうするか隠れてみていたようだ。
性格が悪い行動だ。
「使えなかったら、その場で切ることもできたんだがなあ」
どことなく残念そうに猫猫を見ながら、水がめの水を飲む老人医官。
(癖がありそうなじいさんだ)
猫猫は正直な感想を口にださないよう心掛けた。
ちなみに、まだ外には変人軍師が覗き込んでいたが、もう無視したままでいいだろう。