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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
砂欧編
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二、受験資格


 高順の手際の良さは今回も見事にやってくれた。


 すでにやり手婆は買収済み、薬屋については見習いの左膳サゼンが留守番をし、猫猫は緑青館の空き部屋を借り切って勉強というわけだ。わからなくなったら、すぐそばにいるので聞いてくる。付きっきりというわけではないが、今のところへまはしていない。


 時々、悪餓鬼の趙迂チョウウが猫猫の邪魔をしにくるが、そのたびにやり手婆や男衆たちに首根っこつかまれて連れて行かれる。


 部屋には集中力を高める香が焚かれ、隣の部屋では優しい二胡や琴の音が聞こえる。音楽が得意な妓女が演奏してくれているのだ。


 勉強をすると甘い物が食べたくなるというが、猫猫には代わりに塩っ気のある煎餅と冷たい果実水が差し入れられる。


 いたれりつくせりだ。


(一体、いくら積んだんだろう?)


 そんな疑問さえ浮かぶ。同時に、猫猫がさぼって昼寝でもしないかとやり手婆が巡回にくるので実にやりにくい。ただ、やり手婆は、今は昔だが、若い頃はかなりの高級妓女だった。ゆえに、学も人並み以上にある。


「あんた、まともに漢詩もできないのかい」

「不思議なんだけど、なんで医官の試験に漢詩が必要なわけ?」


 正しくは医官の試験ではなく、医官に仕えるための官女の試験である。この国では官女になるための資格はいくつかあって、今回新たに作ったという。どうせ作るなら、漢詩なんてもの消してしまえばいいのに。


「詩は医学には関係ないだろ。歴史もあるし、あと写経ってなんだよ」

「歴史は知っているのと知らないのでは、人間としての奥行が変わってくるのさ。字は綺麗なほうが見やすい、そのためには写経はいい勉強だ」


 やり手婆はこういうときだけまともなことを言う。普段通り、「銭にならないことは覚えなくていいよ」とでも言ってくれればいいのに。


 さらさらと手本として書く字は綺麗だ。今はしわがれた枯れ枝の手は、昔は艶やかな爪を持つ白魚の指をしていたのだろう。


 字が美しい女は好かれる。見た目がいい女は好かれる。


 男のために女を磨いてきた女なのに、いまだ花街で妓女たちを仕込んでいる。そんなに綺麗だったというのなら、何故もっと違う人生を選ばなかったのだろうか。それとも選べなかったのだろうか。


「綺麗な字を書いていても中身まで綺麗とは限らないのにな」


 やり手婆の拳骨が降りてくるかと思ったら何もなかった。


「中身の綺麗汚いなんて誰もわかりやしない。なら、字だけでも綺麗なほうがいいじゃないか」 


 やり手婆は、「さあ書け」と言わんばかりに見本をちらちら見せる。癖のない均等な字は、科挙の模範解答のようであった。


「はいはい」


 さぼったら鞭が飛んでくる。猫猫は、袖をまくり、筆をとった。

   





 官女の試験はけっこう頻繁に行われているらしい。科挙の類と違い、受験するのは若い女ばかりだ。男と違い、働く期間は短く定期的に人員を入れていかないとすぐさま人手不足となる。


 もっとも官女になりたがる女たちのほとんどは官の娘で、いわば花嫁修業と婿探しを兼ねているのだから、人が多少減っても問題ないような気もする。


 試験会場は都の北側にある学舎だ。科挙は都の北にある地方都市で行われるが、頻繁にある試験は都で行ったほうがいい。


 半月ほどの詰め込み勉強を終えて、猫猫はげっそりとなりながら試験を受けに来た。試験会場、受験者は百名ほど。医官見習い以外の受験者もいるのでそんなものだろう。


 試験については深くいうこともなかった。一時にじかんほどで終わり、さくっと帰る。すでに書類審査は終えているらしい。書類選考で落とされることはさすがにおしている面子を見たらないだろう。


 猫猫にとって問題があったのは、漢詩や写経といった興味のない分野であり、他はかなりいい成績をとったはずだ。むしろ間違いがあったら教えてもらいたいという内容だった。


 書くもの書いて試験を受けたあとはこれといってやることはなく、歩いてさっさと花街へ帰ろうとしていた。


 間抜けな声を聞かなければ。


「えー、なんで受けさせてくれないんですか?」


 試験会場の前でなにやらもめている。もめているのは試験を取り締まる官と受験者のようだが、どう見ても受験者がおかしい。女物の着物を着ている、着ているが女にしては大きい。大きいだけならいいが、声が低くその上聞き覚えがあった。 


(前にもこういう場面見たことがあるような)


 嫌な予感がして無視したかったが、異様な場面なので無視できない。


「なんで入れてくれないんですか?」


 しなを作る女は顔半分を布で隠していた。この時点でもう疑いが確信に変わる。確かに顔だけ見れば女に見えなくもない。整った顔立ちをしているし、線自体は細い。化粧もけっこう綺麗にしてある。でも、声は裏声を使っていても誤魔化しきれないし、なによりやたらくねられた身体の動きが気持ち悪い。


「……何やってる?」


 無視しても良かったが、からまれている官が可哀想になり話しかけた。優しい官だ。猫猫ならさっさと、武官にでも引き渡している。


克用コクヨウ


 以前、船着き場で知り合った男だ。顔の半分に疱瘡のあとがあり、布で隠している。医者として働いていたが、この顔のためまともに仕事にありつけなかった不幸な人物だが、その性格の莫迦っぽさから、あまり不幸に見えない。


「あっ、猫猫。ひっさしぶりー。聞いてよー、この小父さん私に試験受けさせてくれないの」


 話を合わせろと言わんばかりに隠されていない目をぱちくりさせる。やめろ、気持ち悪い。


(合わせろと言われても)


「もう試験終わってるし」

「えー、うっそー」


 両頬を手で包み、裏声で言われても困る。


「ほら、小父さん困っているから」


 猫猫は克用の着物を引っ張って試験会場から出した。

 






 流れというものは怖いもので、猫猫はそのまま女装した変態とともに飯を食らうことになった。着替えてくれればいいのだが、生憎着替えを持ってきていないらしい。ちなみに服は住んでいる村の村長の妻から借りたそうだ。


「せっかく就職先決まると思ったのに。次の受験は二か月後かあ」

「まず受験資格からして受けるの無理だ」


 女に見えなくもないそれなりに美人だが、顔半分隠している上、声が低いので怪しいことこの上ない。こいつは受かったら普通に宮廷で働けるとでも思ったのか。本当に突き出されないだけ幸いだった。


「就職って、じいさんところはどうしたんだ?」


 確か近隣の村に住んでいる偏屈な老医師のところで手伝いをしていた。仲も悪くなさそうだったのだが。


「じいさんがさ、ここ最近元気ないんだ。そろそろ仕事も辞めるから、仕事先は今のうちに探しておけってさ」

「……」


 猫猫は少し複雑な顔をしてしまう。老医師の気が弱っている原因については多少覚えがあったからだ。


「ちょうど新しく医官の助手扱いになれる資格がとれるって聞いたんだけど」


(まず性別を確認しろ)


 というか、女装をどうにかして欲しい。しかも問題は、けっこう綺麗に見えるので周りの男たちがちらちら見ていた。顔半分隠しているのも幻想的ミステリアスに見えるらしい。声を聞かせれば、一気に落胆するだろうに。


 猫猫は軽めの饅頭を、克用は水餃子を食べる。


「村には薬草もたくさんあるし、じいさんは住み続ける分なら、家はやると言ってくれるんだけどさー」

「じいさんのあとをそのまま継げば問題ないんじゃないか?」

「そう上手くいかないよー。じいさんは元々医官だったんだろー。そういう肩書があったからこそ診てもらいたいって人が遠くから来ていたのもある。どこの馬の骨かわからない奴が継いだところで、怪しくて診てもらおうとは思わないさー」


 確かにそうだ。村の中ではある程度信頼を得たかもしれないが、あの小さな村で食っていくには難しい。薬草を卸したり色んな副業をやってかつかつと言ったところか。


 ぴんと、猫猫は人差し指を立てた。


 前に、薬屋に人員が欲しいと思っていたが、左膳のこともありやめておいたほうがいいと結論付けていた。でも、今の状況だと違うのではないか。


「なあ、村から花街まで、月に何度か、出張できないか?」

「交通費持ってくれるならいいよー。あと、ご飯もつけてくれると嬉しい」

「米なら売るほどあるから問題ない」


 やぶ医者の里関連で受け取った米もあれば、甘藷もある。


「内容は見習い薬師に薬草の知識を教えることと、今まで卸してもらっていた薬草を引き続き卸してもらうこと。ついでに見習い薬師が手に負えない薬の調合をやってもらいたい。その時、薬の確認は見習いと薬屋の大家であるやり手婆に見てもらう」


 あくまで素性がはっきりしない人物なのでそれくらいの処置は取らせてもらおう。


「あと店番は基本、見習い薬師にやらせるから接客はしなくていい」

「えー、接客には自信あるのになあー」


 くねくねと身体を揺らす。生憎、容姿のせいで就職先が見つからない相手の言葉なので無視しておく。


「給金は、こんなもんでどうだ?」


 猫猫が指を一本立てる。村の仕事と合わせても食っていける額だ。薬師としての給金としてはいささか足りないが。


「こんなもんかな」


 克用は、猫猫の指をさらにもう二本立てさせる。


『ふひひひひひひ』


 互いに笑いつつ猫猫はにらむ。


 莫迦な行動をしている割に、物の相場をわかっていた。


 猫猫は饅頭を食みながら、指を何本立てるところから細かい計算になるまで、話し合う羽目になった。


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[良い点] お互い『お主も悪よのう』とか思ってたりして。
[一言] 流石、トップの猫猫は違いますね
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