十三、黒幕は誰か 後編
通された部屋は殺風景だが、掃除がちゃんとされていた。
普段は使わない客間だろう。家具は渡来のもので高級品のようだが、年代を感じさせた。先ほど、先代当主たちと話した部屋も大体同じような家具が置かれてあったが、そこは新しい家具も置いてあった。ただ、それらはあまり飾り気のないものだった。
食事はまあまあで、食材も悪いものは使われていなかった。肉と魚、両方使われていたが、魚は少し塩辛かった。塩漬けのものを使っているのだろう。内陸に入るとともに、海産物は塩漬け保存されることが多い。宮廷料理で使われる魚は、海でとれたばかりのものを早馬で悪くならないうちに運ぶので、塩漬けにされることはない。
あの変人軍師や羅半は先代当主たちにやはり十分な生活費を与えていた。家事をする使用人を雇い入れるくらいの余裕はあったが、高級な家具を買い足したり、食をやたら贅沢にするほどではないようだ。
十分甘い措置だと思うが、都で贅沢な暮らしをしていた人間にとっては屈辱だろう。
その屈辱は長年くすぶり続けて、なにかのきっかけで爆発するかもしれない。そして、そのきっかけが何だったのか。
猫猫は、羅半母のつけていた白い紐を思い出す。あのしめ縄に似た、蛇のような白い紐。
思い違いでなければいいが、嫌なものを想像する。
寝台の上で腕を組んでうなっていると、とんとん、と戸を叩く音がした。
「湯あみの湯を持ってまいりました」
使用人の声が聞こえた。
猫猫は戸を開ける。大きな湯桶を持った男が中に入ってくる。湯がこぼれないようにゆっくり床に湯桶を置くと、体を拭く布が入った籠を隣に置く。着替えも中に入っている。麻でできたこの季節には一般的な衣だ。華美でも粗末でもない。
こういう場合、たとえ重くても女が湯桶を持ってくるものだと思っていたが、そうではなかった。普通なら、女の客人の部屋に男一人入れたりしない。せめて付き添いに女が入ってくる。
使用人は顔を下げたまま部屋を下がる。
猫猫は違和感を覚えたが、それはすぐに消えた。籠の中の布を取ると、ひらりと一枚の紙が落ちた。何も書かれていない白い紙だ。粗悪な品ではなく、しっかり作られた上質の紙である。中に草花がすきこまれてある。
(なるほどね)
猫猫はにやりと口角を上げると、その紙を湯桶に浮かせた。
先代当主たちは、猫猫が変人軍師たちをぞんざいに扱っていることを不思議そうに見ていた。別に不思議はなかろう、血縁があろうともそれが他人のつながりより希薄なときもある。逆に、憎らしいと思うこともある。当の本人たちがそうであるのに、猫猫になにを求めようというのだ。猫猫に言うことを聞かせるために、変人軍師たちを人質にしようとも正直、水たまりに落とした月餅より価値がない。
ただ、そのまま捕まっているだけでは面倒臭いこともあったので、少しだけ協力することにしただけだ。
猫猫はただ、連れ去られた。
それだけで十分仕事を果たしたと言える。
派手な音が聞こえたのは、猫猫があくびをして寝台に横になったころだった。
(ちょうど時間通りか)
猫猫は塵箱に入れたぐしゃぐしゃの紙を見た。粗悪な紙だと、湯に浮かべたらすぐにばらばらに溶けてしまう。良い紙はしばらくその形をとどめる。
猫猫は戸を開ける。鍵はかかっておらず、外には見張りもいない。自分の足で移動してもよかったが、場所がどこかわからないので部屋に戻ってひと眠りすることにした。用があればだれか起こしに来るだろうと。
「おい、起きろー」
頭をぐしゃぐしゃされて目を覚ますと、そこには世話焼きな中年がいた。男衆頭の右叫である。
猫猫はあくびをする。
「遅かった」
「そうでもないけどな」
右叫は暗色の服を着ている。夜の屋敷に潜りこむにはちょうどいい色合いだ。
「大変だったぞ。まずお婆に話つけないといけないし、その次に人員だな。あと、なかなか趙迂が眠らないから出て行こうにもいけないし」
大変だったというわりには、涼しい顔をしている。
つまり、陸孫が猫猫の元にやってきたときから話は決まっていた。陸孫を上手く逃がしつつ、猫猫を捕らえることが相手側の狙いだったのだろう。噂としては知っていたようだが、それが誰か、はっきりわからなかったのかもしれない。
薬屋で話を聞いていたときも、猫猫は気付かなかったが見張っていた人間がいたのだろう。
そういうことで、猫猫はわかりやすくさらわれやすい状況を作った。
勘のいい右叫なら、そんな話をした後、猫猫が一人であばら家にこもる理由くらい理解していると思って。
とてもよくできた男だ。
本当に花街で男衆をしておくにはもったいない。
「……」
「ん? どした?」
猫猫が右叫をじっと見ていたため、不思議そうな顔でのぞき込んでくる。
「……別に。それで、どうなってる?」
「離れに狐殿とその甥御はいたよ。長卓に墨で碁盤目を書いて碁をやっていた余裕ぶりだ。『遅かったな』とまで言われたくらいだ。負けが百に届きそうな甥御殿はようやく解放されると安心していたよ」
安易に想像がつく。
同じ部屋にあのおっさんと一緒にいるなんて、たとえ相手が羅半でも同情してしまう。
「んでもって、広間にみんな集めてるんだが、どうする?」
「別に私は行かなくても問題ないだろ?」
正直、あの狐眼鏡がいるところに一緒にいたくない。
「そうもいかないんだが。今、甥御殿たちが、狐殿を押さえているよ。お前が行かなきゃ、まず狐殿が暴れだして話にもならない。それに……」
「それに?」
もったいぶるように右叫は言った。
「来てみればわかる。なんか妙なもの釣りあげちまったみたいだ」
仕方なく猫猫は言われるがままに、広間へと向かった。部屋の入口の前には、どこかで見たことがある男たち、おそらく花街で用心棒まがいをしている右叫の知り合いと、廊下に転がされたならず者たちがいる。
部屋に入り、猫猫は早速、表情をゆがめた。
「まーおーまーおーーーー!!」
取り押さえていた羅半の顎に拳を食らわせ、いつのまにかやってきた陸孫を払い飛ばすのは片眼鏡の変人だった。普段、運動不足でちょっとの段差でぎっくり腰になる野郎とは思えない動きで猫猫に突っ込んでくる。
猫猫はすかさず懐に手を入れると、小瓶を取り出し、狐野郎にぶっかけた。狐はそのまま突っ込むかと思ったが、猫猫にぶつかる手前でふらりと倒れてしまった。
「おい、何をした?」
顎を撫でながら羅半がやってくる。眼鏡にひびが入っていたが、深く突っ込まないでおこう。
「毒じゃないので問題ないよ。秘密の妙薬だ」
猫猫は小瓶を懐に戻す。
「秘密の妙薬? それは量産できるか?」
商売の匂いを嗅ぎつけたらしい羅半が食いついてくる。
「できないこともないが、このおっさん専用だ」
簡単に言えば、高濃度の酒精だ。もうおなじみの品で、この尋常でなく酒に弱いおっさんだから効くのだ。しかし、顔に振りかけただけでへろへろになるなんて、前より弱ったのではないかと猫猫は顔をゆがめる。おっさんは、とろんと真っ赤な顔をしながら寝息を立てていた。
「これで静かになった」
猫猫は念のため、異常がないか目を開き、瞳孔を確認しておく。問題ないだろう。
「義父上のことはお前に任せるに限るな。なんで、もっと顔を出さない」
羅半がしみじみ言う。
「断る」
猫猫としては、極力顔を合わせたくないのだ。今回は仕方なくだ。
「それよりも、この件についてどうするつもりだ?」
猫猫は羅半をにらむ。
羅半は、まだ顎をさすりながら視線を部屋の奥へと見せた。
「その点は大丈夫だ。とてもいいものを見つけたのでな」
「なんだ! その物言いは! それよりどういうつもりだ、羅半!!」
しわがれた声が聞こえた。
奥には、椅子に縛り付けられた老人こと先代当主がいた。その横には、悔しそうな顔をした羅半母と羅半兄がいる。
猫猫はそれからその先にいる人物に目を丸くした。
「……そいつは」
「言っただろ、妙なものが釣れたってな」
右叫が苦笑いをまじえて言った。
そこには、白い衣を着た女がいた。頭から白い紗をかぶり、近くにある光源から目を背けるようにうつむいていた。
衣からこぼれて見える肌も髪も白い、ただその双眸だけは柘榴石のように赤かった。
「白娘々……」
お尋ね者のその人がそこにいた。
あまりにあっけなくて、笑えてくる。
「私たちのみならず、仙女さままで! お前たち、ただで済むと思っているの!」
声を上げるのは羅半母だ。
確かにそんな繋がりをにおわせる気がしていた。彼女の帯や扇、それはあの水の精の村にあったしめ縄を思い出した。
それに、里樹妃の異母姉のように、占いに没頭する人間がいるのも事実だ。それらのものに問題を起こさせている元凶が白娘々だとすれば、今、ここにある問題がつながっている可能性もないわけではなかった。
ただ、それがはまりすぎて逆に拍子抜けしているだけだ。
白娘々は黙ったまま、椅子に縛り付けられている。
猫猫は気になったが、今は後回しだろうと先代当主のほうを見る。三人は猫猫に対しても、怒りをあらわにかみつきそうな表情をしていた。
(あれ? ひい、ふう、みい……)
そこにいるのは三人だ。もう一人羅半父がいたはずだがどこへ行ったのだろうか。
「一人足りないようだけど」
「父さんがいないのは気にしなくていい」
『父さん』と羅半は言った。やはり十数年離れていてもこやつにとって父親は父親なのだろう。
「あの莫迦息子め! 儂が捕まっているのに、何をしておるんだ!」
羅半は気にしなくてもいいと言っているが、老人にとっては大問題のようだ。
「今は、牽牛の世話をしている時間でしょうね」
羅半は窓の外を眺めながら言った。御簾を開けると、朝日が昇りかけているようだ。まぶしそうに窓のそばにいた白娘々が顔を背ける。
「花の世話だと! ふざけるな! なぜあいつだけ、そんな自由にさせている!」
(おやおやおや)
捕まったら捕まったで誰も助けに来ないのではないだろうか、そんな疑問を持ちながら猫猫は椅子に座った。卓の上に、月餅があったのでつまむ。羅半兄が恨みがましい目で見るが、気にしない。
(おっ)
月餅の中身は季節外れの栗みたいだ。だが、今まで食べた中で一番おいしい栗だ。甘く味付けされており、ぱさついた感じがしない。いや、栗だろうか。豆を丁寧に裏ごしした食感にも似ている。
甘いものがあまり好きではない猫猫でも、かなり美味と感じる月餅だった。都の菓子屋でもそうそうこんな味は出せない。
感心している間に、老人は口を動かしていた。
「どいつもこいつも! できそこないどもめ! 一族の恥さらしどもが!」
地団太を踏む老人。床が抜けそうな音がする。
「まともに人の顔の見分けもつかない長男に、農民の真似事をする次男とは。どちらも植え付けた胎が悪かったわ! もう一人、ちゃんとしたのをこさえておくべきだった!」
老人の悪態は続く。
その言葉に周りの者たちは、目を細める。
猫猫は気にせず月餅を食べる。やはり栗とは違う、何が入っているのだろうと口の中をもぐもぐさせる。喉が渇いたので、勝手に茶もいただく。
「まともに剣も持てぬ上、宮刑なぞくらいおった羅門といい、儂の周りはまともな奴がいない!」
急須を持っていた猫猫の手が止まった。
口の中のものを全部飲み込み、急須を持ったまま立ち上がる。
猫猫は老人の前に立つ。そして、急須の中身を老人の足元にこぼす。
「なんのつもりだ!」
「なんのつもりも何も、お茶をこぼしただけです」
猫猫は静かな声で言った。
「かけようとしただろうが!」
「ええ、思いとどまりました。私にも理性がありますから。でも、一つ言っておきますが、これ以上養父の悪態をつくようでしたら、すぐ熱湯を準備してきます。だから、少し黙ってください」
「何を偉そうな口を! 儂が誰だと思っている!」
「椅子に縛られた煩い爺さんです。急須の湯も避けられないただの爺さんです」
猫猫は笑って言った。
老人の顔が引きつり、羅半母と兄の顔が青ざめる。
「猫猫、もういいから下がってくれ。いいな。これ以上口出すな。義父上が静かになっても、お前が煩ければ話が進まないだろ」
羅半が言う。その後ろでは、陸孫も頷いている。
右叫が猫猫の肩を押し、椅子に座らせる。その手には籠を持ち、見たこともないものが中に入っていた。大根を干したものを平べったくしたような何かが白い粉をふいている。
「これ、なんかわかんないが、けっこううまいぞ」
そういって右叫は猫猫の口に謎の物体を入れる。
甘い、それでいてかみしめるとねっとりしている。筋っぽいが嫌な感じはしない。
(月餅の中身はこれか)
猫猫はじっとその物体をにらむ。甘いが砂糖もはちみつも使ったかんじではない。
果物を乾燥させたものだろうか、なんの果物だろうかとにらんでいると入り口の扉が開いた。
首に手ぬぐいをかけた柔和な中年男が入ってきた。羅半父だった。牽牛の世話をしていると言っていたが、その手には何やら植物の茎を持っていた。
「……あなた、またそんな汚らしい真似を」
羅半母が言う。
「羅紅! はやくこれをどうにかしろ!」
老人が叫ぶ。
「父上!」
羅半兄も叫ぶ。
羅半父は、手ぬぐいで顔をふきながら卓の上に茎の束を置く。猫猫はそれをじっくり観察する。なにかの蔓のようだが、なんの蔓かわからない。
牽牛の世話と言っていたが、それとは違うようだ。
羅半父は、手ぬぐいを置いた。その顔は柔和で気弱そうで、やはりどこか羅門に似ている。
「父上、今更当主の座に戻ろうとしても、宮廷には私たちの居場所はないですよ」
羅門に似た優しい声で羅半父は言った。
「それにその仙女さまとやらと一緒にいることは得策ではありません」
「あなた! 何をいうの?」
羅半母が言った。白娘々はぼんやりとしたままで何を考えているのかわからない。
「仙女さまの占いは、私たちをすべて見透かしていたじゃないの!」
「そんなもの、君のわかりやすい眉間を見ていればわかるさ」
羅半父は優し気な声でずばり言い切った。
隣にいる息子もまた、それについて思い当たるようで何とも言えない表情をしている。
「君は占いを信じたいんじゃなくて、自分を肯定してもらいたかっただけだろ。それで、何もかも壊してしまったら元の木阿弥だろ」
「何よ! 何もかもって何よ! こんなど田舎で何を楽しめっていうの!? まともな店もなく、舶来の品も買えない。ただ、畑があるだけ。しかも、野菜どころか、わけのわからない草ばかり。何が残るっていうのよ!」
癇癪をおこすような声で言った。耳が痛くなる。
「命あっての物種だ。子の一族の話を聞いているだろ。まだ、宮廷は混乱している。下手な真似を起こせばどうなるかわからない。兄さんはあれでも主上から一目置かれているんだよ。そんな人の代わりに僕がでたところで、どうなると思う? 周りから潰されるのがおちさ」
「だから、今が機会なんでしょう!」
「そう仙女さまに焚き付けられたんだね」
羅半父はさみしそうに笑う。
図星だったのか、羅半母は黙る。
「その仙女さまに思い入れがあるのはいいけど、それがばれたら僕たちはともに首を切られるかもしれないよ。君が考えているより、その人を囲うことはよほど重い罪なんだ」
「だから、僕に連絡をよこしたんですね、父さん」
羅半が言った。
「おまえ! 儂に黙ってそんな真似を!」
老人がまた足を踏み鳴らす。
「珍しく今回の件に乗り気だったのはそのためか!」
「……」
無言が肯定を示していた。
羅半父は羅半に向かう。
老人がまた叫ぼうとしていたが、話の邪魔になると右叫がやって来て猿轡を噛ませた。ここでの会話にこの老人はもう必要ないだろう。
「この仙女を引き渡せば、お咎めはないかい?」
「いつ頃から囲っていたかによるかと思います。その娘を探すために、多くの人員を割きましたから」
「……じゃあ、これを差し出すと言ったら、どうだろうか」
そういって、羅半父はもっていた茎の束を見せる。
「それは?」
「昔、面白い牽牛があるって、苗を高く買ったことがあったんだ。南の品でね。ところが似ているが違う花のようで、種じゃなくて根茎で育つんだよ。しかも、どういうわけか花が咲かないので、どうしても花を咲かせたくなってね」
羅半父は窓の外を見る。
「こちらに来て、ずいぶん大きな畑になってしまった。花はごくたまに条件を満たしたときにだけ咲くっていうのがわかったんだけど、妙な副産物ができてしまってね」
そう言って、羅半父は右叫が持ってきた謎の食べ物をつまむ。
「甘藷という芋で、栗よりも甘く、痩せた土地でも育つ作物だ。おそらく、この国で栽培しているのは、僕くらいじゃないかな。手伝ってもらっている近隣の人たちには少しだけ種芋を配っているけど、みんな育てずに食べているようだからね。売り物として、回すときはすべて加工品にしているし」
畑はこの屋敷周辺だけで、周りは水田地帯だった。水田をつぶしてまで、新しい芋を育てるまでには至らないのだろう。
謎の食べ物はその芋を干したものだったようだ。
もしかして、ならず者を雇った金はそこから来ているのではなかろうか。
羅半父はそれを口にしてかみしめる。
「根茎で増やす他に、この茎を使って増やす方法もある。もう植え付けの時期は終わりだけど今すぐやれば、まだ間に合うだろう」
猫猫は目をぱちぱちさせる。羅半もまた同じく。しかし、彼の目はとても輝いていた。
「羅半言っていたよね。蝗害の対策に使える作物はないかって。それに、今なら、その役に立つものを比較的簡単に取り入れてくれるって」
猫猫が壬氏に煙草の話を持ち掛けたのはいつだっただろうか。壬氏は栽培に積極的になるはずだ。それを羅半が目にし、たまたま羅半父とやりとりをしていたということになると。
(おやじに似ているってのは撤回だな)
羅半の父は、やはり羅半の父だったということか。
猫猫は優しい顔をした黒幕を見て、何とも言えない気分になった。
ただ、甘藷についてはよい誤算だったといえよう。