十二、黒幕は誰か 前編
慣れというものは困ったものである。どう困るかといえば、危機感がなくなる。
猫猫は、ならずものたちに挟まれたまま、茶をすすっていた。猫猫をさらった者たちだ。ごとごと揺れる馬車は、思ったより内装がきれいだ。
「しょっぱいものありませんか?」
先ほどは茶が飲みたいといい、次はしょっぱいものを所望する。その結果、周りはあきれた顔をする。
「おい、お前、立場わかっているのか?」
ならずものの一人が口にした。
猫猫は差し出された干し肉を食みながら、こくりとうなずく。
「わかっているから、こういう態度をとっているんです。大体、客人に対してその態度のほうが問題ではないでしょうか?」
口調を丁寧にするのは、こちらのほうが有利に働くと思ったからだ。たしかに有無を言わさぬ態度で、猫猫についてこいと言ってきた輩だが、その扱いは丁寧だ。
「私は客人なのでしょう?」
確認するように猫猫は話しかけてきた男を見る。この中で頭のようで、一人だけ育ちがよさそうだ。
あと、嫌な感じで狐顔である。
(羅の一族の傍系か?)
猫猫はそんなことを考える。あの軍師のことだから、追い出した元当主の下についていたものをそのまま放置したことも考えられる。血のつながりで取り立ててもらおうにも、才能がなければあの男は無視するだろう。
ぐぬぬと顔をゆがめるが、それ以上口にしないのは猫猫に価値があるとわかっているのだろう。少なくとも手荒な真似はしないと猫猫は高をくくった。
馬車に窓はなく、外をうかがいしれないが、それほど揺れないので道らしい道を通っているのだろう。
時間はどれくらいたっただろうか。特にやることもないので、寝ていた。枕替わりになるものはないかと所望した外套を丸めてそれを使った。かすかに香の匂いがしたので、やはり育ちは悪くないようだ。
ただ、この季節、窓も開けないことが暑かった。
「ついたぞ」
寝ぼけ眼をこすりながら起きると、男が馬車の扉を開けた。
猫猫は、あくびをしながら外に出る。
目の前には一軒の屋敷があった。
街中ではなく、ぽつんと屋敷だけがある。
周りは農村地帯のようで畑が見える。その向こうに小さな家がちらほら見えるが、集落というには離れすぎている。
(なるほどねえ)
屋敷は立派だが、いかんせん周りは田舎だ。もともと、都で高官をしていた男がこんなところに追いやられたとあらば、屈辱以外の何ものでもなかろう。
と、猫猫は地べたに座り込みながら思った。
「なにをしている?」
不機嫌そうに男がたずねる。
「いえ、きれいな桔梗がありましたので」
「花に興味があるのか?」
「いい薬になります」
庭の手入れは行き届いているようだ。桔梗が星型の花をつけている。このつぼみはまるで風船のようで、猫猫はよく花が咲く前に潰して遊んでいた。そして、怒られていた。
この花の根は、生薬として使われる。株も大きいのでいい薬ができそうだ。
「……とりあえず中に入れ」
なにか言いたそうな顔をしたが、知ったことではない。とりあえず、言われた通り、屋敷の中に入る。
「こっちだ」
案内された先にいたのは、老人と中年の男、そして中年の女だった。老人と女は、目つきがきつくじっと猫猫を値踏みするように見る。初老の男のほうは、どこか見覚えのある八の字眉毛をした気の弱そうな男だった。
「おまえが、羅漢の娘か?」
「違います」
猫猫は真顔で即答する。
老人は顔をゆがめる。その皺は深く、長いひげで隠しきれないほど多かった。加齢による皺もあろうが、その人の性格によってより深く刻まれているように見える。
「おい、何をやっていた? 違うといっておるが」
「そ、そんなことありません! ちゃんと本物を連れてきました!」
あたふたしながら男が、老人に言った。
女はそれを見て、ゆるやかに団扇を口元にやる。もとはそれなりに美人だったのだろうが、性格のきつさがにじみ出ているのが残念だ。団扇の柄の先に、白いねじった紐がついていた。猫猫はそれに目を細める。婦人の帯にも似たような白い紐飾りがついている。
気になるが、今はそれはあとにしておこう。
「お義父さま、うちの子がそんなへまをするわけないじゃないですか」
普通に考えると、老人ははた迷惑な先代当主だろう。兄弟である羅門とは全然似ていない。中年の男と女は、羅半の両親と考えるのが妥当だ。
そうすると。
(うちの子?)
猫猫は、誘拐犯の男の顔を見る。
「はい、間違いありません」
嫌な狐目だと思ったが、狐目はもう一人いた。羅半の顔にそっくりだ。
そういえば、羅半があの変人の甥っ子だと聞いていたが、その甥っ子に兄弟がいる可能性もあった。年齢を見る限り、羅半の兄にあたるのだろうが。
「兄のほうですか?」
「悪いか?」
そのとおりのようだ。
猫猫は目を細める。羅半兄は莫迦ではなさそうだが、なんというのだろうか、平凡だった。よく言っても優れている程度で、秀でているとはいいがたかった。
変人軍師は、兄ではなく弟を養子にした。性格の問題もあるだろうが、この場合、本人の資質で選ばれたのだろう。
(ある意味幸運)
変人軍師の義息子にならなくて正解だが、当人としては屈辱ではなかろうか。
『兄』という言葉を聞いて、羅半兄はむすっとしている。
「緑青館で薬屋をしている猫猫というのは、お前で間違いではないか?」
「確かにその通りです」
それは間違いない。
老人の言葉を肯定する。
「ならば、そこで儂の弟である羅門に育てられた娘であろう?」
「はい」
これも肯定する。こんなのがおやじである羅門の兄だというのには少し不服だが。
「羅漢の娘ではないか」
「それは違います」
ここはきっぱり否定する。
周りのみなが首を傾げる。
「あやつが妓女との間に娘をこさえたと聞いていたが。それを羅門が育てていると」
「たしかに私は妓女の腹から生まれましたが、ならば父親が誰かなどわかるわけありません」
「それもそうだねえ」
ようやく羅半父の声を聞いた。どこか間延びした話しかたが誰かに似ている。
「羅紅」
老人が羅半父らしき名を低い声で言った。猫猫に同意する言葉に、不機嫌になったようだ。羅半父は、無言になる。狐目でないぶん、この男には親近感がわく。どちらかといえば羅門側の顔だちだ。
それにしても、名前がみんな似たり寄ったりでややこしい。
「どちらでもいいではないですか。それより、問題は皇弟との関係についてでしょう。しかし……」
羅半母は、目を細める。
「こちらのほうがどうにも怪しい気がしてなりませんね」
なぜ、こんな娘を、と目が語っている。
お世辞に言っても、傾国の美丈夫と釣り合うわけがない。そんなもの、言われなくとも猫猫が一番わかっている。こっちが聞きたいくらいだ。
「そういうことで人違いなら、帰らせていただけないでしょうか。仕事がありますので」
「いや、そういうわけにもいかん」
老人が真っ白なひげをいじりながら、猫猫をにらむ。
「要は、我が一族と関係が持てればよいのであろう。どんな者であれ、その役割を果たせば問題ない」
「そういうことですわね、お義父さま。私が娘を生んでいれば、こんな面倒なことをしなくてもよかったのに」
(そんなわけあるか)
何が楽しくて、変人一族に付き合うものだろうか。そう言いかけてやめた。なんだろう、それを言ってしまうと一族ではなく、猫猫に関心があるからという風にとらえられてしまう。自意識過剰の身の程知らずと、鼻で笑われそうだ。
このまま否定したところで話は進みそうにないので、猫猫は違う話を振ることにした。
「ところで、ここに狐目変人片眼鏡中年とその甥がいるのですか?」
「……なんだそれは?」
なぜか聞き返してくる。
「では、下戸盤遊戯莫迦と面食い算盤男ならわかりますか?」
「……」
何とも言えない無言になる空間。
形容としては間違いではないのだと思うが。
仕方ないので、もう一度言い方を変えてみる。
「羅半とその伯父はいますか?」
養父と言ったら、本物の父親がいる手前、失礼になるのではというささやかな配慮だ。
「会いたいか」
「会わなくてけっこうです。とりあえず生きてここにいるようですね」
猫猫の反応に、周りの者たちは首を傾げている。
「私は長い移動で疲れているので、休んでも問題ないでしょうか? 部屋があるのなら案内していただきたいです。あと、軽く食事と湯の準備をしていただけたらありがたいのですが」
ついでに着替えも頼んでおこうかと、追加すると周りの目線が痛かった。
「もう一度いうが、立場をわかっているのか?」
羅半兄が言った。
「わかっています。だからこそ、頑張って肥え太らせて少しでも見目良くする努力を推奨いたします」
だから美味いものだせや、と遠まわしに言いながら、猫猫は薄っぺらい笑みを浮かべた。