十一、羅の一族
どうしようもなく面倒くさいことは、本当に突然やってくるものである。
(もう厄介ごとは飽和状態ですって)
そういって受け取り拒否などできるわけもなく、猫猫は目を細めてその人物を見た。
三十路ほど、柔和な優男は普段のおっとりした雰囲気もなく、疲弊していた。
その着物は泥で汚れ、ところどころ破れ、血がにじんでいた。
そんな男が乗ってきた馬は、疲弊しきって倒れていた。
この国の軍師の副官ともあろう男が、こんな姿を見せるとなれば異常というしかない。よほど急いできたのか、後ろから南門の見張りたちがこちらへとやってくる。緑青館に向けて一直線でやってきたため、そのまま突っ切ってきたのだろう。
「どういうことだ?」
猫猫は表が騒がしいので出てきただけだ。しかし、この花街でこの男に接点がある人物といえば猫猫だろう。つまり、その目的でここに来たようだが。
息も絶え絶えの優男こと陸孫は、ほっとしたのか一瞬笑顔になり、懐から文を取り出した。
そして、そのまま気絶した。
猫猫は文を受け取り、目を細める。
「どうしたんだい?」
やり手婆が顔をしかめながらやってきた、食事のあとのようで歯木を噛みながらやってきた。
猫猫もまた婆とそろいの表情を浮かべた。
「なあ、あの役人たち、うまく追い払うことできるか?」
「銭次第だね」
「このにいさん、金持ってるんじゃないかな」
無責任に猫猫がいうと、婆は陸孫を値踏みする。薄汚れているが、着物が上等なものだと確認し、顔だちや指先を確認する。やや、首をかしげていたが、しばし観察していると納得したようで、「よし」と役人たちを説得するように向かった。
「また、なんか面倒そうだなあ」
猫猫が倒れた陸孫を抱えようとしていたら、右叫が話しかけてきた。猫猫に代わり、陸孫を抱えると薬屋へと運び込んだ。
右叫に床に転がしてもらうと、猫猫は陸孫の着物をはぎとる。上着を脱がせ、袴の帯をほどこうとしたら、右叫が止めに入った。
「猫猫、下はかわいそうだから勘弁してやれ」
「気絶してるからわかりゃしないだろ。それに傷はなくても打撲があるかもしれない」
見た感じ、陸孫のけがは矢傷だった。全部、かすったあとで深く刺さったものはない。皮膚も変色しておらず、毒の可能性は低いと思うが、そのままにしておくこともできない。
淡々と陸孫の傷の手当をする猫猫に対し、右叫は額をおさえる。
「わかった。わかったから、下は俺が確認するよ。すぐ終わるからちょっと外に出てくれ」
「どこのご令嬢だよ」
肌を見せたら舌でも噛むのだろうか。
「こいつ、狐殿の部下だろ? 知ってるぞ。あとあと、それでなんかいじめられたらこいつがかわいそうだろ。それに、あの文の中身をしっかり確認したほうがいいんじゃないのか?」
猫猫は仕方なく、陸孫から受け取った手紙をもって、薬屋を出た。
よく李白が禿たちと茶を飲んでいる椅子に座ると、中身をじっと見る。
そこにはこれまた面倒くさいことが書かれてあった。
なぜ、武官である陸孫が満身創痍で花街にやってきたのだろうか。もっと頼るべき者はいるはずなのに。
それがわかりやすく文に書かれてある。
ここにたどりつくのも怪しく、ついたとしてもすぐさま状況を説明できないからとあらかじめ手紙にしたのだろう。
そして、その手紙を書いた主は、羅半だと容易にわかる。計算高いやつらしい。
文字の形もまた理想の数字があるらしく、あの算盤はじきの男は字がうまい。字はうまいが、そこに個性というものはなく、ただ、手本のような整然とした並びがむしろ特徴になっているくらいだ。
陸孫に羅半、そうなるともう一人、ある人物が頭に浮かぶがそこで猫猫は顔をあからさまにゆがめた。
手紙の内容を要約しよう。
陸孫、羅半、そしてもう一人、片眼鏡のおっさんはとある屋敷に向かった。そして、その家主たちに襲われ、捕まったという。陸孫のみ、なんとか抜け出すことができて、こうして助けを呼ぶことになったのだが……。
その家主というのが問題だった。
羅半にとっては親と祖父、おっさんにとっては弟と父。
つまり、羅の家を追い出された先代当主たちが相手だった。
道理で、宮廷に知らせずわざわざ花街に来るわけである。
傷の手当を終えた陸孫が目を覚ましたのは、一時後のことだった。
薬屋は寝かせるには狭いので、緑青館の使ってない部屋を借りている。あとで、部屋代を徴収されるだろう。
「話が手に負えないようなら、さっさと追い出すからね」
そういって婆は、右叫を見張りにつけて行ってしまった。
「!?」
陸孫はうっすら目を開けたかと思ったら、がばっと上体を起こした。矢傷が響いたようで、顔をしかめてさらしを巻いた腕をさすった。
猫猫は湯冷ましを差し出した。陸孫は、いつもの柔和な男とは思えない動きで湯のみを受け取ると、一気に流し込んだ。
一息ついたところで猫猫は口を開く。
「手紙は読みました」
猫猫の言葉に、陸孫は顔を伏せて、こぶしをぎゅっと握りしめる。
「……もうしわけありません。私がふがいないばかりに」
いや、それ以前に護衛もつけずにほいほい出て行った莫迦どもが悪い。
「そんなことよりも、何をしたいのですか? 今はそちらのほうが大切かと」
緑青館にやってきた理由としては、親族同士のいざこざだからだろう。正直、あの家は敵にしたくないと宮廷中に知れわたっている。同時に、味方にもしたくないと思っている。
なので、ここで大っぴらに助けを求めたところで、手を出してくれる人間がいるかもわからず、それどころかこれ幸いと思う人間のほうが多いに違いない。
なんとも人徳のない一族である。
いや人徳はすべて養父の羅門に吸収されてしまい、他は残りかすも残らなかったといったほうが正しいかもしれない。その羅門の人徳もまた、当人の不幸体質で相殺されているようだが。
羅門は宮廷の医局に住み込みでいるので、そうなると消去法で猫猫の元にやってきたようだが、お門違いだ。
部下として陸孫がこうして助けを求めに来たのは、ふがいないどころか十分すぎることだと猫猫は思う。猫猫だったら見捨てている、確実に知らん顔をして巻き込まれないように遠巻きに見ている。
「あの二人が幽閉されているといいますが、私は何もできませんよ。一体なにがあったんですか?」
手紙にはそこまで書かれていない。
羅半の祖父と父は当主の座を追い出されたあと、都を出てひっそりと地方にある屋敷に移っていたらしい。さすがに、ある程度の生活は保障していたらしいが、こんな行動にでるとは思わなかったらしい。
何もできないといいつつ、どんないきさつでそうなったのかは、興味がわく。じっと陸孫を見て詳しい話を聞く姿勢になる。
横では壁にもたれかかった右叫がいる。過保護な男衆頭は、猫猫が厄介ごとに首を突っ込もうとするとこうやって見張ることが多い。
陸孫はそんな右叫の前でべらべら話したくないようだが、男衆頭が動かないのを見ると観念したかのように口を開く。
「……元はあちらから会いたいという話があったのです」
羅半の祖父たちは、十数年ぶりに羅半たちに会いたいと申し出た。内容は、今までのことは水に流し、仲良くやろうといったものだ。
(んなわけあるか)
そんなものは建前に決まっている。それがわからないほど愚かだとは思わないのだが。
「羅半殿にとっては、親ですから」
あの算盤野郎にも身内の情なんてものはあるのだろうか。猫猫は首をかしげるが、よくよく考えてみれば、幼いころに親元から引き離されて、無理やり養子にさせられたのだった。ふつうに考えると、羅半が恨むべき相手は、片眼鏡軍師だろう。
あまりにごくごく普通に慣れ切っているのを見ていたので忘れてしまう。
多少、親に情が残っていたら、羅半がその話を聞こうと言い出すかもしれない。
そして、不用心な眼鏡二人は、伴に誰を連れていくかと思えば、この優男のみだったという。
「……休日出勤じゃないですか。断ってもいいんですよ?」
「断るとそれはそれで面倒なので。気が付けばほかの者たちはさっさと退室していました。護衛を別につけようと思えばできましたが、あのかたはあの性格なもので」
かわいそうに貧乏くじを引きまくったこの男はこうして傷だらけになったというわけだ。
もう少し考えて護衛を連れていけばいいのに、と猫猫は思った。立場を考えると、いつ暗殺されてもおかしくないのだ。
しかし、あの眼鏡二人を捕まえたところで何になるのだろう。今更、当主の座に戻ったところでどうなる。あの変人片眼鏡も一応軍部では三本の指に入る高官らしいが、その席がそのまま当主とともに入るわけでもない。たとえ、万が一なりかわるようなことがあったとしても、片眼鏡の能力で一種の生態系が出来上がっている。まわりはこれ幸いに羅の一族を潰しにかかるだろう。
それがわからないほど、羅半の祖父と父親は阿呆なのだろうか。
「おいおい、大切なこと忘れてるぞ」
そんなところで口を出してきたのは、部外者である右叫だった。
「何が忘れているって?」
猫猫が首をかしげると、あきれたように右叫がため息をついた。
「味方を作ればいいんだろうな。でっかい繋がりを」
「……」
無言の猫猫に代わり、陸孫が口を開く。
「向こうは、あなたを養女にしたいようです。皇弟と繋がりを作りたいそうで」
どこからか壬氏がやらかしたことを聞きつけてきたようだ。
猫猫は顔を思いっきりしかめて、「おい、やめとけ」と右叫に額をたたかれた。
「そんなもんあてにして、狸の皮算用もいいところだろ」
「それもそうなんですけど、世の中、追い詰められた人間はなんでもするものですから」
そういう人間はいる。いるにはいるが、周りにわいてでないでほしい人たちである。
「大体、護衛も連れて行かないのが悪いのではないですか」
「それについては何も言うことはありません。でも、たとえ連れてきていてもうまく対応できたかわかりません」
「含みのある言い方しねえで、単刀直入に言ってくれると嬉しいんだがな」
猫猫の言葉を代弁してくれる右叫。
「なぜか、分不相応なとりまきが周りにいました。傭兵を雇うにしても、そこまで余剰な金銭はもっていないはずなのに」
そして、そんな中、優男だけがうまく逃げだすというのにも少し問題がある。
むしろ、わざと逃げ出すように仕向けられたのではと考えもする。矢を放ったのもわざと外すようにしたのではなかろうか。
そして、こうやって猫猫のところに駆け込むことを想定して逃がしたのであれば……。
猫猫は窓の外をちらりと見た。
夕刻の花街にはちらちらと人通りが増えている。そこに怪しい影があったとしてもおかしくない。
猫猫はぼりぼりと首の裏をかきながら、部屋から顔を出した。
「おーい、趙迂」
猫猫は泥だらけになって帰ってきた子どもに声をかける。
「なんだー?」
趙迂は、右叫あたりに作ってもらった釣り竿と古びた桶を持っている。中には、躄蟹がうごめいていた。今日はごちそうらしい。
「今日は、ここに泊まれ。梅梅小姐あたりが茶ひきだったから、寝かせてもらえるだろ」
「なんでだよ? いきなり」
「薬を煮詰めないといけないんだよ、一晩中。お前、苦汁の臭いかぎながら眠れるか?」
それを聞くと、趙迂は納得したようだ。
「あらー。私も今日はお休みよぅ」
近くにいた白鈴が近づいてきて、趙迂に頬ずりをする。相変わらず着物から豊満な肢体がのぞいている。
「白鈴小姐はだめ。まだ、そいつは食うのは早い」
「食うってなんだ?」
まだよくわかっていない趙迂。白鈴にべたべたされているのに気付いたのか、いつのまにか梓琳がやってきて、離れろと白鈴の袖を引っ張っている。こちらは「食われる」という意味がわかっているらしい。
「なあ、食うってなんだあ?」
「とりあえず、梅梅小姐のところ転がり込んどけ」
「ねーー、あたしはぁ?」
白鈴小姐を無視し、猫猫はそっと右叫を見た。右叫はこくりとうなずく。
察しがいいので助かる。
その夜、花街のあばらやにならず者たちが乗り込んできた。
猫猫はおとなしく降伏し、そのまま連れ去られた。