14 看病
梨花妃の容体は思った以上に悪かった。
雑穀の粥を重湯に作り直したが、匙から吸う気配はなく、口をこじ開けて流し込むとゆっくり嚥下させた。
食事をとらない。それが一番の問題だ。
根気よく、しつこいくらいに食事を与えた。
部屋の換気を行うと、むせるような香が薄れ、かわりに病人特有の匂いがする。
体臭をごまかすために香をたきしめていたのだろう、風呂に何日も入っていないようだ。無能な侍女たちに憤りが増す。
折檻を受けた侍女は謹慎を言い渡されたらしい。おしろいは買い置きを隠し持っていたものだった。可哀そうに、おしろいを回収しそこなった宦官は鞭打ちになったというのに。生まれで罰も左右されるのだ。
統括する宦官には、猫猫が「無能もの」と侮蔑をこめてにらんだが、あまり意味をなしてなかった気がする。
湯桶と布を準備させ、呼びつけた侍女たちとともに身体を拭く。侍女たちは難色を見せたが、猫猫が睨み付けると大人しくしたがった。
肌は乾燥し、水をはじかず、唇は痛々しげに割れていた。紅の代わりにはちみつを唇に塗り、髪は簡単に結わえる。
あとはことあるごとに茶を飲ませる。時折、茶の代わりに羹を薄めて与える。
小用の回数が増える。
怪しげな新参者に敵意を示すかと思ったが、人形のような梨花妃は概ね大人しく世話を受けていた。うつろな目は誰が誰かを認識しているのかわからなかった。
一度に食べる重湯の量が茶碗半分から一杯に増えると、少しずつ中の米粒の量を増やしていく。顎を押さえずとも自分で嚥下するようになると、肉の旨味をとじこめた汁物とすりおろした果実を加えた。
小用も手伝いなしにできるようになる頃、ふと梨花妃の唇が動いた。
「……して、……のか」
漏れ出る言葉を聞き取るため、梨花妃のそばに立つ。
「どうして、あのまま死なせてくれないのか」
小さな消え入りそうな声だった。
猫猫は眉をひそめる。
「ならば、食事をとらねばいいことです。粥を食むということは、死にたくないからでしょう」
と、温めた茶を梨花妃の口に含ませた。
こくんと喉が鳴ると、
「そうか……」
かすれた笑いがこぼれた。
猫猫に対する侍女たちの反応は、二つに分かれた。
猫猫を怖がるものと、怖がりながらも反発するものだ。
(やりすぎたか)
どうにも、感情の沸点をこえると過激な反応になってしまう、悪い癖だと思った。
無愛想だが概ね温厚でとおっている猫猫としては、遠巻きに鬼か妖怪かを見る目つきでみられると地味に傷つくわけである。
今回の場合、梨花妃の看病に必要だということで、仕方ないとした。
帝だか、玉葉妃の命だかなにか知らないが、きらきらしい壬氏どのがちょくちょくあらわれてくれた。使えるものは何でも使う勢いで、水晶宮に突貫工事で風呂場を作らせた。元々あった湯殿に加えて、蒸気風呂ができた。
用がないのでもう来るな、と猫猫なりに婉曲に伝えるのだが、壬氏は化け物のごとく扱われる猫猫をことあるごとに笑いにくるのだった。
暇人すぎる宦官である。
毎度、菓子折りを持ってきてくれる高順を見習っていただきたい。
ああいうまめなのがいい旦那になれるだろう、宦官であるが。
繊維質を取り、水分を取り、汗をかき、排せつを促す。
身体から毒を排出することだけを考えて二か月が過ぎると、梨花妃は自分で散歩に出かけるまでになった。
もともと、気の病による衰弱が深刻だった。毒を新たにとらねば、問題はない。
以前の豊満な肉体はまだ取り戻すのに時間がかかるが、頬に赤みがさし、もう死の淵をさまようことはないだろう。
翡翠宮に戻る前夜、挨拶をしに梨花妃のもとに向かう。
意識がはっきりしてきたら、下賤のものなどと罵られることを予想していたが、そうでもなかった。
自尊心はあるが高慢ではない。東宮のあれこれで、嫌なお嬢様を想像していたのだが、実際は妃にふさわしい人格を持っていたようだ。
「それでは、早朝に辞させていただきます」
今後の食事療法、いくつかの注意点を伝えて部屋をでようとすると、
「ねえ、私はもう子は生せないのかしら」
何の抑揚もない声だった。
「わかりません。試してみればよろしいかと」
「帝の寵愛は潰えたのに?」
彼女のいわんとすることはわからなくもなかった。
元々、東宮を身ごもったのは、寵妃である玉葉妃のつなぎで夜伽をしていたからだ。
公主と東宮が三か月違いで生まれているのは、それを如実に語っていた。
「私に、ここに来るように命じたのは主上でございます。私が戻る以上、帝も梨花さまのもとにいらっしゃられるのではないかと」
それが政治的であれ、感情的であれ問題はない。
やることは一緒だ。
「玉葉妃の言葉も聞かず、みすみすわが子を殺した女が、彼女に勝てるのかしら?」
「勝てる勝てないの問題ではないと思います。それに、間違いは学習すればいいのです」
猫猫は壁に飾られた一輪挿しを取る。星形の花を咲かせた桔梗が飾ってあった。
「世には百、千の花がありますが、牡丹と菖蒲のどちらが美しいというのは、決めつけるものではないと思います」
「私には胡姫の翡翠の瞳も淡い髪もなくてよ」
「他のものがあれば問題ないかと」
と、猫猫は視線を梨花妃の顔から下に移動させた。
普通、痩せる部分はそこからだといわれているが、ちゃんと哈密瓜が二つくっついていた。
「それだけの大きさはもとより、はり、形は至宝かと」
妓楼で目の肥えた猫猫がいうのだ、間違いない。湯あみをさせるたびに見惚れたのは内緒である。
玉葉妃に仕える身としては、あまり肩入れするわけにはいかなかったが、最後に手土産をひとつ置いておくことにした。
「ちょっと、耳を貸していただけますか」
ごにょごにょと周りに聞こえない声で、梨花妃にあることを教えた。
遊郭の小姐たちが、「覚えていて損はない」といった秘術である。
林檎のように真っ赤な顔をした梨花妃が何を聞いたのか、侍女たちのあいだでしばらく話題になったという。
その後、翡翠宮にて、帝の御通りが一時極端に減ったことがあった。
「ふう、睡眠不足から解放されるわ」
と、皮肉交じりに玉葉妃が言ったことに、猫猫が目を泳がせたのはまた別の話である。