九、踊る水精 前編
「そばかす、まだ終んないのか?」
切株に座り込み、足をぶらぶらさせて趙迂が言った。
(だから嫌だったんだよ)
餓鬼は飽きっぽい。連れてきたのはいいが、お荷物になるのは目に見えている。婆が趙迂を連れていけといったのは男衆の仕事の邪魔をする悪餓鬼を片付けたかったからに違いない。なにが寂しがっているだ。
猫猫は趙迂の小言を無視して、木の根元に生えた草を刈っている。若芽の部分だけ使いたいが選別はあとだ。
「なあー、そばかすー」
「うるさい。ついてきたのはおまえだろ」
猫猫は麻袋に薬草をつっこみながら言った。
趙迂は股の間に両手を置いて、不服そうに猫猫を見ている。
「だって疲れたんだよ」
距離はたいして歩いていないが、草や落ち葉で足場は悪い。身体に麻痺が残っている趙迂にとっては疲れやすいのはわかる。これはどうしようもないことだろう。だからといって甘やかす猫猫ではない。
「なら、そこで待ってろ。私はまだ奥に行くから」
「えー」
趙迂が口をあんぐり開けて猫猫になにか言いたげな顔をする。
「置いていくのかよ!」
「疲れたんだろ? 待ってろ」
趙迂はぐぬぬっと顔を歪ませると、切株の上から立ち上がった。婆が言うようにさびしがり屋な一面はある。花街にいるときも大体男衆か女童のところにいることが多い。
「行く! 行くから置いていくなよ!」
趙迂は足をもたつかせながら、猫猫の後ろについてきた。猫猫は冷めた目線で趙迂を見ながら、林の奥へと進んでいった。
林にはいろんな樹木が生えていた。広葉樹林が多いので秋には実りが多いだろう。針葉樹林があれば、木材に適しているがこの国でそんな森や林があるのは大体北部のほうらしい。
猫猫は途中、木苺を見つけると口に運ぶ。趙迂も真似して食べるのはいいが、口が赤くべたべたになる。
「これ酸っぱいなあ」
「まだ、生り始めだからな」
そう言いつつ、木苺をつまむのを止めない。
「そばかす! この茸食えるか?」
趙迂が枯れ木についた小さな茸を見つけて言った。
(珍しいな)
もう少し南部にある茸だと思ったが、こんなところにまで生えているのかと猫猫は小さな茸をつまんだ。
「食べられるか?」
「残念だが美味くないよ。あと毒もない」
つまり猫猫には興味がない代物だった。
残念そうに趙迂が肩を落とす。
途中、霊芝を見つけ喜びながら進んでいくと湖が見えた。元々、この林も湖を取り囲む大きな森だったらしいが、田畑を作るようになり森がいくつも分散されて小さくなったという。
わけられた残りの森は違う村に隣接している。むしろ、村ができる際にわざと分けたのかもしれない。
水べりにだけ生える植物もあるので、猫猫は湖へと向かう。湖の中心には小島が見える。林と湖の境界には注連が囲いのように張り巡らされている。昔から水場は、異界の入口と言われている。湖の小島にもそのためだろうか、小さな祠がある。湖の主がそこにいて、それが蟒蛇の化身だと聞いたことがある。蛇を殺すなとはそこから来ているのだろう。
そして、それを管理するために湖のほとりに小屋がある。
猫猫はその小屋へと向かう。
小屋は高床式になっている。大雨になると、湖の水位がこの小屋まで上がるらしく、そのためだ。小屋の柱には、どこまで水が上がってきたのか、そのあとがついている。
趙迂は面白そうに水位のあとをさしてみている。猫猫は階段を上り、小屋の中を覗き込んだ。
猫猫の視線に気づいたのか、奥から毛むくじゃらの爺さんが出てきた。
「ここ数年見ないから、嫁にでも行ったかと思っておったが」
「残念、いき遅れだよ」
「その割にはでかい子どもがいるようだが」
相変わらず口が悪い爺だと猫猫は思った。養父の羅門の古い知り合いらしく、昔は都で医者をやっていたらしい。腕はよかったらしいが、偏屈な性格で人間嫌いなため今は隠居してこんな辺鄙な場所で暮らしている。
今は薬草を摘みながら細々とやっている。祠の管理者というが、結局は大したことはしないらしい。湖には舟もなく、祠へ行くこともないようだ。
「ほれ。いるもんあるなら持って行け」
爺さんは粗末な長卓の上に、壁に干してあった薬草を並べる。今の季節にない薬草や、珍しい薬草はこの爺さんから買った方が手っ取り早い。
猫猫は小屋の中に入ると、その薬草を値踏みする。
爺さんは「よっこらしょ」と椅子に座ると前かがみになった。羅門より十以上年上なのでいつくたばるかわからない。
三年会わない間に、さらに老化が進んだように見える。
しかし、薬草はちゃんと丁寧に乾燥しており、品質も悪くない。それに量も老いぼれの割にしっかり集めていると思った。
「耄碌してないんで安心したけど、よくこんだけ集められたもんだな」
「いき遅れはやはり口が悪いね」
猫猫に対する言葉に、笑ったのは趙迂だった。猫猫は半眼で趙迂を睨むと、必要な薬草を布包みの上にのせる。
「なあに。最近、手伝いが来てるんだよ」
「手伝いねえ。村の子どもか? ちゃんとしてるなあ」
猫猫はわざとらしく趙迂を見た。趙迂は「なんだよ」と言いたげに唇を尖らせる。
「いいや。この間都で拾ったやつなんだが。なかなかできる奴でね、ほら、噂をすれば……」
そう言うと、階段を上る音が聞こえてきた。
「じいちゃーん。言われたもの採ってきたぞー。あれ? お客さん?」
なんだか聞き覚えのある底抜けに明るい声だ。
大きな布袋を振りながらやってきたのは巾で眼帯をした若い男だった。
(聞き覚えがあるわけだ)
そこにいたのは、都で職を探してたはずの克用、顔に疱瘡のあとが残る男だった。
「いやー、それでねえ。こんな不気味な顔をした医者などいらぬだってさー」
克用という男は、またもや自分の不遇を全然そうとは感じさせない声で話してくれた。
お喋りなこの男は、猫猫に気づくなりべらべらと話しかけたのだ。爺さんからは「知り合いか?」とたずねられ、趙迂からは「変なにいちゃんの知り合い多いんだな」と呆れられた。
簡単に言えば、この男は都で医者をはじめようと、診療所を回ったらしい。そして、その度に眼帯の理由について聞かれ、莫迦正直にその痕を見せたという。知識のない医者は、病がうつるから二度と来るなと追い出した。知識のある医者でも、もう感染することはないと知っていたが、医者とはいえ客商売だ。眼帯の怪しい男を簡単に雇い入れる理由はない。
そんな中、注文を受けた薬草を老体に鞭打って届けにきたこの爺さんが拾ったという。ちょうど診療所を追い出される場面に出くわしたそうだ。
人間嫌いの爺さんだが腕は確かな医者だ。動き回るのもきつい年齢なので、ちょうどいい手伝いが欲しかったという。ためしに医者としての知識を聞いてみたら、思った以上にまともだったというわけでここにいるとのこと。こんな辺鄙なところなら、都ほど眼帯男が騒がれるわけでもなし、村長には説明しているらしい。
「ははは。世知辛いよねえ。とりあえず飯は食べられるからいいかー」
克用はこんな様子だし、爺さんはいい使いっぱしりができてとりあえずどちらも不満がないようだ。
(これなら、こっちに呼べばよかったか)
猫猫は少し勿体ないことをしたと思ったが、今更である。もし連れて来たとしても、養父の羅門並みにやり手婆からこき使われそうなので、こちらのほうが克用にはよかったのかもしれない。
克用は新しく採ってきた薬草を並べる。
「とれたて新鮮だよー」
にこにこ笑う青年に、趙迂は下から覗き込んだ。間抜けな栗鼠のような面を克用に向け、手を伸ばす。
「にいちゃん、この眼帯の下、どうなってんだ?」
「あっ、見る?」
気持ち悪いよ、と前置きをつけながら、眼帯をはずした。趙迂は、「うわー」と失礼極まりない声を上げて、ぽんぽん克用の肩を叩く。
「にいちゃん、もったいねえなあ。元はいいのに、それじゃあ客商売はむかねえなあ」
「だよねー。愛想は悪くないと思うんだけどー」
猫猫はそんなのんきな二人を無視し、薬草の値踏みを始める。見たことがない大きな葉っぱを見て目を細める。
「なんだこれ?」
「香煙の葉だよ」
克用は趙迂とじゃれ合いながら言った。
香煙、煙管はやり手婆や女郎たちが愛用しているが、意外と庶民の間には普及していない。前に猫猫が壊れた煙管を修理して、元の持ち主に届けようとしたこともあったが、それだけ大切なものだと思っていたからだ。
煙管の葉は嗜好品である。けちなやり手婆が吸う理由としては、それに依存性があるからだ。妓女たちもやり手婆が吸っていなければ、吸うことはできないだろう。吸い過ぎは身体によくないと、養父の羅門も言っていたことだ。
猫猫が知る限り、葉は渡来のものをよく使っている。乾燥して砕いたものしか見たことがないので、わからなかった。
「栽培自体はそれほど難しくない」
横から口を出したのは、爺さんだった。
「そうなのか」
猫猫は興味深そうに葉っぱを観察する。これを庭で栽培すれば、良い商売になるのではと思った。しかし、そう簡単にほいほい種をくれるだろうか。
せいぜい、葉っぱを分けてもらうくらいだろうが、安く仕入れて妓女たちに煙管の習慣を深く根付かせるのもどうかと思う。
一応、話だけはしてみる。
「これ、いくらで売ってる?」
「これは非売品だよ」
爺さんは香煙の葉を持つと、何枚かに束ねて軒下にぶら下げた。
(自家消費分か?)
しかし、この家に喫煙道具らしきものはないし、吸っているところも見たことがない。
猫猫の疑問に答えるように、爺さんは床に置いた壺を持ち上げると、長卓の上に置いた。蓋をとるとぷうんと独特の臭いがした。
「じいちゃん、これ臭いよ!」
趙迂がわざとらしく鼻をつまむ。つまみながら覗き込む。
「まさか飲み物じゃないよな?」
中には茶色い液体が入っていた。
「間違っても飲むんじゃねえぞ。死んじまうからな。香煙の葉をつけたもんだ」
「うええ、なんでまたそんなことをするんだよ」
趙迂が床に置いてある木箱の上に座って言った。
「蛇避けに使うんだよ」
猫猫はぽんと手を打った。
煙草の葉は食べると毒だ。そして、その毒は虫にも効果があることは知っていた。蛇にもあるのかと猫猫はそれを初めて知った。虫はともかく蛇は捕まえることばかりで、避けるなど考えたこともなかった。
「蛇を殺さないなんて、ふざけた話があるからな。こっちは大事になっては大変だからって気を使っているんだよ」
爺さんは吐き捨てるように言い、克用はにこにこ笑いながら茶を用意する。戸棚から饅頭が出てくるのを見て、趙迂の目が光る。
「大体、もう何十年も祠のことなんざ気にかけてなかったってのに。今更、蛇神の使いが現れたとか言われてもね」
「あははは。呪い師とか最悪だねー」
一応、私怨があるのか克用も明るい声で同意する。
猫猫としては、少し不思議に思うことがあった。いくら前の村長の遺言とはいえ、蛇を殺すことにそこまで嫌がる村人がいるのだろうかと。元々、こちらが蛇神を信仰していたからだろうか。
「その呪い師、そんなに説得力がある者なのか?」
何気なく聞いて見ると、爺さんは鼻で笑うような顔をした。
「はは、それがな。信心深い奴らはなんか化かされたみたいなんだよ」
「化かされた?」
狐ならともかく蛇に化かされたとなると。
(化かされるのは狐で十分なんだけどなあ)
猫猫が首を傾げていると、克用が小屋の窓を開けた。湖と祠が見える。
爺さんは外を見ると、もじゃもじゃの髭を撫でる。
「儂は直接見たわけじゃないんだけどな。話によると、その呪い師は……」
湖の水面に浮かび、その上で踊りながら祠へと向かったという。
「湖の主の使いだと言った」
とのことだった。