八、蛇神さまのいうとおり
しとしとと雨が降っている。だんだん暑くなってくるこの時期には、雨が多くて憂鬱になると猫猫は毎年思っている。
猫猫は薬棚の引き出しを開けると、中に入った薬が湿っていないか確認する。
(去年は医局でやったなあ)
杜撰な管理をするやぶ医者の尻を引っぱたきながら、掃除をしていた。やぶはこの一年でまた薬棚の中身を駄目にしていないだろうか。
猫猫が薬棚を片付ける中で、足元には毛毛が腹を見せていた。野生の欠片もないだらけた姿に猫猫は邪魔だとつま先で隅に寄せる。毛毛は不満そうに顔を上げたが、動くのが面倒くさいらしくそのまま壁際に寄せられた。
猫猫は悪くなった薬草をはじくと、木簡に足りない分を書き足していく。市場で手に入るものもあれば、ちょっと商人に頼んで持ってきてもらわなければならないものもある。
(これは、手に入りそうだな)
何種類かは、今の季節に生える植物だった。少し遠出をして採取しよう。
(雨も止んでいるな)
湿っているが、雨が降り出すほどではない。思い立ったが吉日である。晴れの日を待っていたら、仕事にならない。
猫猫は薬屋の外を見る。妓女は大体夜の仕事に備えて眠っているので、いるのは男衆か手習いをさせられている女童たちだ。
猫猫は、男衆が詰めている部屋に向かう。襖をがらりと開けると、床の上にだらだらと寝そべる男衆たちがいた。その一人に左膳がいた。
「店番を頼む」
「はあ? いきなりだな」
左膳は面倒くさそうに頭をぼりぼり掻きながら起き上がった。
「夕刻までには戻る。近くの村までだ」
「へいへい。で、店番だけでいいのか?」
猫猫にしごかれて仕事を覚えてきたので、それくらいは気が利くようになったらしい。
「天井から吊り下げて干してある薬草、乾いたものだけすりつぶして粉にしておいてくれ。保管はいつもやっているとおりだ」
「へいへい」
左膳はよっこらせと立ち上がった。襟に手をつっこんで腹を掻いている。猫猫はそれを半目で見る。爪の間に垢が詰っているのが見えた。
「ちゃんと手は洗えよ」
「わあってるよ」
物覚えは悪くないのだが、もう少し衛生面ではしっかりした性格のほうがいいかもしれない。客人の中には、それでいちゃもんをつける奴だって大勢いる。
そこはちゃんと言い聞かせなくては。
(今の時間なら乗合に間に合うか)
個人で馬車に乗せてもらうと高い。近くの村なら、都に食糧を運ぶために日に何度も馬車が通る。帰りは荷物がないので乗合馬車として機能していた。乗り心地は最悪だが、安いに他ならない。
早く片付けようと、猫猫が男衆部屋から出てくると、きらきらした目がこちらを見ていた。
「そばかす。どこかでかけるのか?」
ようやく生えそろえた前歯を見せて趙迂が言った。隣には梓琳が子分らしくくっついている。
猫猫はあからさまに嫌な顔をする。くっついてくる餓鬼どもを押しのけて薬屋に戻ると、必要な道具を布包みにする。
「なあ、出かけるんだろ? 市場か? 買物に行くならつれていけよー」
趙迂が薬屋に上がりこんで、寝転がっていた毛毛を抱き上げる。連れていけ、連れていけと、毛毛の前足を使って猫猫をつついてくる。毛毛は迷惑そうに「な~」とだけ鳴く。
「入るのは森だよ。お前が行ってもつまらん田舎だ」
「森! 森行きたい! 行きたい、行きたい、行きたい!」
毛毛の前足でばしばし叩く。さすがに毛毛も嫌だったらしく、後ろ足をじたばたさせて、趙迂から逃げ出した。
趙迂は床の上で駄々をこねる。十にもなればこんな駄々などこねることもないだろうにと思うのだが、甘やかされて育ったからだろうか。他は妙にませているところがあるのに、と猫猫は頭を抱える。
梓琳も親分の趙迂の真似をしようとしていたので、首根っこを持って立たせる。
「やり手婆に言いつけるぞ」
そう言って脅すと、直立不動になり、首だけかくかく縦に振った。
「なに騒いでいるんだい?」
気だるそうな顔でやり手婆がやってきた。梓琳がびくっと反応する。
「雨が降らないうちに、薬草をとりに行きたいんだよ。こいつ連れていっても邪魔なだけだろう」
猫猫は、床に転がる趙迂をさして言った。
やり手婆は目を細めて、趙迂を見る。呆れたように息を吐くと、猫猫に言った。
「連れてっておやり」
「はあ?」
なんでまた、と猫猫は不満な表情を浮かべる。やり手婆なら、徹底的な合理主義なので、邪魔な餓鬼を仕事に連れていく理由なんてないと思っていたのに。
「えっ、うそ! ほんとか、ばあちゃん!」
やった、と趙迂が立ちあがり、ぴょんぴょん跳ねまわる。
梓琳も真似してぴょんぴょん跳ねるがそこはやり手婆が頭をおさえる。
「おまえは駄目だよ」
その言葉に梓琳はがっくりと首をうなだれる。なんだかんだで特別扱いの趙迂と違い、梓琳は禿だ。一緒に出掛けようものなら、他の禿たちに示しがつかない。
落ち込む梓琳に対して、ぽんぽんと趙迂が肩を叩く。
「ちゃんと土産持ってかえってやるから」
「それ、誰が金払うんだ?」
猫猫はすかさずつっこむ。
「外に出たいなら、ちょっと我慢してろ。俺がそのうち身請けしてやる」
「!?」
どこでそんな台詞を覚えてくるのやら。ちなみにそんなことを言う客は大体、ろくでもない客が多い。
はしゃぐ餓鬼どもを置いて、やり手婆が猫猫をつついた。
「なんでまた連れていくんだよ?」
猫猫が反感を持って言った。
やり手婆は鎖骨を掻きながら餓鬼どもを見る。
「おまえは、この間遠出してただろ。そん時、趙迂がどんな様子だったかわかるかい?」
そんなものは知らない。どうせ、いつも通り騒いでいたのだろう。男衆頭の右叫にも懐いているし、猫猫がいなくともやっていけるはずだ。
「あれでも元気がなかったんだよ。なんだかんだで親もいないままここにいるんだから、あんたみたいなのがいないだけでも心細いのさ」
「とても、女衒から子ども買いたたく婆の言葉とは思えないね」
猫猫は皮肉を交えていった。猫猫は養父の羅門に引き取られるまで、どんなに泣きわめこうが部屋に一人閉じ込められ放置されていたらしい。泣いても無駄だと悟った赤子の猫猫はそのうち泣かないようになったという。猫猫の涙腺がやたらかたいのもそれが原因かもしれない。
別にそれを恨もうなんて考えていないし、なにより覚えていない。猫猫を産んだ女は仕事をしなくてはいけないし、乳を与えてくれた白鈴にも仕事がある。緑青館が傾きかけたころなので、猫猫はやっかみの対象ともいえただろう。
くびり殺されなかっただけ、幸せなのだと思っている。
やり手婆は両手を袖の中に入れる。
「女衒に売られたのは仕方ないさ。親の業だ。あたしには関係ない。でも、仕事をさぼって何もできない愚図が育ったら、ここにもいられなくなるさ。そんなことにならないように教育してやるだけ親切だと思わないのかい?」
「趙迂は?」
「あいつをどうこうするのはあんたの仕事だろ。あたしゃ、死なないように見ているだけだよ。銭貰ったぶんは育てないとね」
そりゃそうだ。どんだけふんだくってるんだよ、と猫猫は悪態をついた。やり手婆は、「さあねえ」としらを切ってどこかへいってしまった。
がたごとと乗合馬車に揺られながら半時、ついたのは林の近くにある村だった。川沿いにあり、やぶの故郷と似た雰囲気だが、作られているのは水稲と野菜だ。田植えを終えたばかりの水田は、空がうつしだされて大きな鏡のように見える。
「ほええ」
馬車から身を乗り出し、趙迂が外を眺めている。
確かに、この時期の水田は圧巻だ。今のところ雨が降る様子もなく、空も青い。空と地上、青に囲まれた世界は、不可思議な気がしてならない。
「なあ、そばかす。あれなんだ?」
趙迂が猫猫の袖を引っ張っていった。なにを指しているかと思ったら、なにか二つの砂山に棒が刺さり、それをつなぐようにねじった藁がぶら下がっている。水田の傍を流れる川にそって置いてある。
「あれは注連じゃないのか?」
猫猫もあまり詳しくはないが、確か呪いの一つだったと思う。悪いものが入ってこないように境界を作るとかいうものではなかっただろうか。
縄の形が少し変わっているのは、それにこの地方の民間信仰が混じっていたと思うが。
(あれ?)
猫猫は身を乗り出した。前に見た注連とはだいぶ形が違っている気がする。前は、もっと簡素な縄の形だったと思うが、今年はなんだか少しねじってあり、それに白い紙切れが巻き込んである。形としては前より洗練されている気がするけど、ああいうものはほいほい形状を変えるものだろうか。
「もうすぐつくよー」
馬車を動かす農民が言った。乗合とはいえ、今のっているのは猫猫たちだけだ。この馬車のいいところは、人数が少なくても金額が変わらないところだろう。逆に、人数が多ければ安くなる乗合馬車もあるが、あまりごみごみしているのは嫌いだし、馬の速度も落ちるので猫猫はこちらのほうを好んで使う。
馬車を降りて猫猫は林を見る。
ここの林は村の所有地というわけではない。だが、村長に話して中に入れてもらうのだ。多少、銭を渡せば文句は言ってこない。長く付き合うためには、そういうことも必要であり、顔を覚えてくれればいろいろ気を利かせてくれる。
猫猫は趙迂の手を引っ張り村長の家へと向かう。
「……」
「なにもない村だなあ」
確かに何もないが口にする必要はないと、趙迂の頭を小突く。村の一番奥にある家を目指す。
粗末な家の軒下には、干した野菜がぶら下がっている。保存食として乾かしているのだろうが、この季節、気を付けないとすぐ黴が生えるだろう。干し野菜の隣には、さっきの注連を短くしたような縄がかけられていた。
猫猫がこの村に来るのは三年ぶりくらいになるだろうか。後宮でのお勤めがあったため、だいぶ時間が空いたのだが、村長が顔を覚えているといいが。
「こんにちは」
戸をとんとん叩くと、趙迂が真似してどんどん叩く。こらっ、と怒って趙迂の頭をおさえていると、家から若い女が出てきた。
「どなたさまですか?」
こんな田舎にしてはなかなか綺麗な女で、質素だが丈夫そうな服を着ていた。
「村長に会いたいと思いまして。薬師の羅門の弟子だと言えばわかるはずです」
自分の名前ではなく、養父の名前を出すのは、それがわかりやすいからだ。あまり猫猫が薬師だと名乗っても信じない者が多い。もう少し年齢をとればそれもなくなるだろうし、自分が薬師だと誇示する理由もないので相手が理解しやすい言葉を使う。
女は家の奥から、壮年の男を呼んできた。
猫猫の記憶が正しければ、それは村長の息子だったはずだ。息子も猫猫のことを覚えていたらしく、「ああ」と頷いた。
「親父は昨年、風邪をこじらせてしまい」
「なるほど」
ただの風邪だと莫迦にするなかれ。甘く見ればすぐ悪化し、肺炎になりぽっくり行く。
たしか前の村長は、薬の類は飲まなかった。酒でも飲んでゆっくり寝ればなんでも治ると言い張る豪快な性格で、客にはならないが嫌いではなかった。
「しっかり医者にかかれとは言ったんだが、まあ、仕方なかったんだ。いや、湿っぽい話はやめよう。林へと入るんだな?」
「はい」
猫猫はいつも渡す銭を新村長に渡す。すると、村長は首を振る。
「いらないよ。さっさと入らないと、日が暮れちまうぞ」
「……そう言っていただけたら、助かりますが」
どういう風の吹き回しだろうか。猫猫が銭を懐に戻そうとすると、趙迂が手を伸ばす。
「そばかす! それで飴買って! 買って!」
「おまえは自分で稼いでんだろ」
猫猫は銭をしっかりおさめて林へと向かう。
「この時期、蛇が出てくるから気をつけろよ」
「それくらいわかっています。良い材料になりますから」
「いや。そうじゃない」
村長は否定すると、軒下にぶら下がった注連をつまんで見せた。
よく見ると、縄の端と端で形が違う。一方の端はだんだん細くなっているのに対し、もう一方は太くなり先がぱかりと割れている。まるで蛇のような形だ。
「蛇を殺したら、村人が襲い掛かってくるかもしれないぞ」
「……なんですかそれ?」
蛇を見たら蒲焼だと思え、という猫猫の思想とはまったく相容れないではないか。
前は、蛇を何匹捕まえようと、「駆除ごくろうさん」とねぎらってくれたくらいなのに。
村長も苦笑いを浮かべる。
「親父の遺言でなあ。死んじまう前に、ちょっと気が弱ってしまって呪い師を呼んだわけよ」
それで、苦しみを和らげる香を貰うかわりに、教えを村に広めるようにと言われたという。
それで、妙な注連が流行っているわけか、と猫猫は納得する。
「元々、ここいらじゃ、蛇神さんを祀ってたからなあ。そういうわけだ。祀るのを」
村長は苦笑いを浮かべた。元々あった信仰なら仕方ないという顔をしているが、妙に引っ掛かった。
「でも、毒蛇はどうするんですか?」
蝮の類は農作業の敵である。噛まれてしまったら、元も子もなかろう。
村長は苦笑いを浮かべながら、囁く。
「それはばれないように殺しているよ。信心深いのもいるけど、それは仕方ねえからなあ」
村長にもいろいろ建前があるのだろう。ぎろりと若い女、おそらく村長の嫁が睨んでいる。
自分の旦那が内緒話をしているのを目の前で見るのは気分が良くないのかもしれない。
「ほれ、行くか」
「おう」
猫猫は趙迂を連れてさっさと林へと入ることにした。