六、歪な何か
ひどくぶすくれた顔で椅子に座っているのは派手な顔の泣き女こと、死んだはずの卯柳の娘だった。
そこに多少の怯えはあるものの、それ以上に自分が何をしたのだ、という態度が現れていた。
すでに彼女の葬式は終わってしまったので、場所を壬氏の屋敷にうつして誰にも見つからないようにしている。猫猫はそっと眺める形で部屋の隅から窺っている。
彼女の周りには、どうにもいたたまれない顔をした男たちがいる。卯柳とその息子だ。呆れ顔の壬氏とこめかみを引きつらせている馬閃は、彼らを見ている。
「つまり、隠ぺい工作をはかったとみて間違いではないのですか」
壬氏の言葉尻が確かめるような形をしているのは、卯柳の娘の顔をしっかり覚えているからだ。卯柳には子どもが三人で、娘はこの不機嫌そうな女と里樹妃しかいない。では、死んだ娘は誰だというのだ。
そこのところは死体など、いくらでも拾ってこられる。貧民街に行けば、妙齢の女など転がっているだろう。そこのところはわざわざ作る真似はしていたとは思いたくない。
遺体を潰して焦がしたのは、それを誤魔化すためだろうし、そのためにあんな目立つところで首つりを見せたのだ。
「共犯ですか」
卯柳は焦げた遺体を娘と判断した。そういうことになる。
しかし、それに異を唱えたのは隣にいた息子だった。名前はよく覚えていない、卯なんとかだった。
「一体、なんのことやら。大体、首つりを発見したとき、私たちはあなた方とともに見ていました。どうやって、そんな隠ぺいをしたと?」
つまり、首つり死体を塔から下ろし、身元がわからぬように焼くのは不可能だと言っている。皇弟を前にして、少し横柄な態度に見えなくもないが、それはかなり焦っているからだろう。
たしかに、それを説明しないと話は進まない。横暴な人間なら、権力を振りかざしてしまうところだが、生憎壬氏はそんな性格をしていないのだ。
勿論、そんなことはすでに猫猫は壬氏に説明していた。
壬氏は、冥銭が入った箱を取り出した。そして、もう一つ花街に使いを出して持ってこさせたものを隣に並べる。やぶの故郷から届いたあの上質の紙だった。
「冥銭にずいぶんよい紙を使っていたようだが、これも手に入るだろう」
柔らかく薄い紙だ。一枚の大きさは三尺四方あってけっこう大きい。
「これを衣装に見立てて簡単な人形を作る」
それを塔からぶら下げる。それを遺体の代わりに見立てるのだ。
「見立てたところで、どうやってそれが消えたと? 大体、それを設置するところで誰かに見られていたらどうなりますか? あんな目立つところですよ」
「それは、これだよ」
壬氏は、紙を細く千切ってねじり糸を作る。それを引っ張るとなかなか丈夫で千切れない。だが、それに水を一滴垂らすと、ぷつりと軽く千切れる。
塔をもう一度調べてもらったところ、上の柱に紙の切れ端がこびりついていた。そして水の染みが柱についていた。
「紙で作った人形を二本の紐で吊るす。一本を細くするなり、水に浸かりやすくするなりして、先に切れるように細工すれば、それで時間が稼げるだろう。水でどうやって濡らすかといえば、氷でも使えばいい」
氷が溶けて水になったら紙で作った紐は切れる。二本目が切れたところで、塔から人形が落ちていくという算段だ。
それを聞いて卯柳の息子が息を吐く。
「では、その落ちた人形というのはどこにあるのでしょうか? 探して見つかったならまだわかりますが」
「人形は見つかっていない。すでに処分されたあとだからな」
使用人たちは人形が落ちたところを浮いているように見えたと言っていた。そして、その落ちた場所を探しても見つからないと。
その場所を詳しくたずねてみると、池の傍だった。
「使用人が言うには、やたら鯉が暴れていたという」
悪食の鯉は水面に葉が落ちただけで餌と間違えてやってくる。
そこに、紙の人形が落ちてきたらどうなるだろうか。
大量の鯉についばまれ、人形は水に溶けてしまうだろう。
そして、まったく別の場所で焼けた遺体が見つかる。
「屋敷の周りには、客人の馬車がたくさんあった。娘を外に出そうにも出せないだろう。だから、葬儀に泣き女たちをかき集めた」
猫猫が紗を被って顔がわからなかったように、娘も白い服を着て紗を被った。一人、やたら下手な泣き女がいたのはそのためだ。
そして、猫猫はそれが本当に卯柳の娘なのか確かめるためにかまをかけたのだ。
移動途中、その下手な泣き声の女ともう一人の裳の裾を踏んづけて転ばせた。そして、下手なほうに近づくと自分が持っていた木札を見せて言った。
「これ、落としませんでしたか? 無くすと屋敷から出られませんよ」
違うのであれば、もう一人転んだほうのだというはずだ。だが、その女は何も言わず、猫猫の木札を取ったのだ。
卯柳の娘はうつむいたまま、唇を尖らせたままだ。
卯柳もその息子もこれ以上は何もいうことはないらしく、黙っている。黙ったままかと思いきや、卯柳が一歩前にでた。
「これはすべて私の責任です」
そう言ってゆっくり頭を下げた。
それを見て、息子が前にでる。
「父上は何もしていない。私がやった。遺体を間違えたのも、気が動転してのことだ!」
「いや、私が!」
(どっちでもいいから)
親子の庇いあいは美しいかもしれないが、一番の問題である娘はちらちらと壬氏のほうに色目を送っている。そんな色仕掛けで落とせるわけがなかろうに。
そんな中、ぷるぷると震える者が一人いた。
「……」
無言で前に出る。
壬氏が制しようと手を伸ばしたときはもう遅かった。
めきっと鈍い音が響いた。それとともに何かが倒れる。
それが二回続いた。
馬閃が拳を上げていた。床には顔を歪めた卯親子二人が倒れている。顔を歪めたとは文字通り、いや、馬閃に歪められたといったほうが正しいか。
床には血が飛んでいて、奥歯が数本落ちていた。
「家族愛を見せるのは別にどうでもいい。だが、そこに里樹妃は含まれないのだな」
皮肉たっぷりに馬閃が言った。
「馬閃!」
壬氏が馬閃の襟をひっぱり引き倒す。一瞬、馬閃の顔が苦渋に満ちたものになったが、それをなんとか元に戻す。
「申し訳ございません」
馬閃は謝った。
さっきまで何食わぬ顔でいた卯柳の娘は顔面蒼白になり、震えている。
女にまで手を出さないだけの理性は馬閃にもあったらしい。
「申し訳ない。これは、治療をしてから話の続きをしよう」
壬氏はそう言うと、別の従者を呼びつけた。
(やっちまったなあ)
猫猫はそう思いつつ、すこし首を傾げる。
卯柳親子のどちらがやったのかは問題ではない。どちらにしろ、娘を、妹をどうにか助けようとしたまでだ。
しかし、やっていることが極端すぎる。
子の一族の例を思って過剰な反応をしたと考えられるが、逆も取れる。女帝の時代ならともかく、今の主上がこれ以上家臣をどんどん切り捨てる性格ではなかろう。
(なにか考えがあってのことだろうか)
ふむ、と猫猫は部屋の端っこで頭をかく。
部屋の床を見るとまだ、折れた歯が転がっていた。
(ここで殴るのはまずかろうに)
なぜ、馬閃が怒ったかについてはあまり考えないでおく。先送りだ、先送り。
怯えた娘は、まだ椅子の上でぶるぶる震えていた。
こんな娘が外に一人放り出されたとしてもまともに生きていけるわけがないな、と猫猫は思った。
そうなると、外で彼女を保護する誰かがいたはずだ。
それも聞きださないと、と思っていたときだった。
見張りは部屋の外にいる。この部屋にいるのは隠れている猫猫と卯柳の娘のみだ。
娘は自分一人しかここにいないと思っていたのだろう。
「どうして、仙女さまの言うとおりにしたというのに」
「!?」
がばっと猫猫が立ちあがったのは仕方ないことだった。
驚いた娘は部屋の隅にいた猫猫を見た。
「仙女とは、 白娘々のことでしょうか?」
気が付けば詰め寄っていた。