四、浮かぶ女 前編
すらりとした菖蒲が青いつぼみをつける頃、その荷物は届いた。荷馬車は緑青館の前にどんどん麻袋を置いていった。
荷物はすべて猫猫あてである。
「ふーん、品質は悪かないね」
偉そうに勝手に中身を検分するのはやり手婆だ。麻袋の中には、小麦が入っている。猫猫が紙の村の騒動の時、賭けで勝った取り分だ。米を要求していたのだが、小麦でもまあいい。ただ、粉にするのは少し面倒だ。
小麦を見る限り、婆の言うとおり品質は悪くない。猫猫は数粒取ると、殻をむき中身を取り出してみた。まだ、水っぽい気がする。今年とれたばかりの麦だろう。
相手側の反抗だろうか。粉にするにももう少し寝かしたほうがいい。猫猫としてはちゃんとくれるだけ儲けものなのでそれくらいで怒る気はしない。
一袋だけ粥用にでもとっておいて、残りは粉屋にでも卸してしまおう。ずっと保管するつもりはさらさらない。
「いい粉屋紹介するよ」
婆は猫猫の意図を汲んで言った。
「手数料はねる気だろうが」
それでも買い手に舐められないために、やり手婆を通すほうが賢いので猫猫はその話に乗ることにする。最初からそのつもりで、緑青館の前に置いてもらったのもある。
猫の毛毛は、小麦袋に興味津々で袋に爪をたてていた。最近、盛りがついてきたので、子猫をぽんぽん産まないように目を光らせなければならない。
猫猫は顔を歪ませながら毛毛を袋から離すと、毛毛はじたばた四肢を動かして抗議した。
(おや?)
小麦袋の奥に隠れて何か箱が置いてあった。箱を開くと、そこには良質の紙が入っていた。
猫猫は一枚つまんで手触りを確かめる。
「これはいいねえ。こんなに薄い紙は初めて見たよ」
これまたやり手婆が手を出してくる。婆の言うとおり、薄くて透けている紙だった。色もこれまた鮮やかで、桃色や若草色とある。それだけでなく、紙に花びらがちらしてあった。
「新作みたいだね」
宮廷御用達というにあたり、洒落たものを作る。たかが紙、されど紙といったところだ。やぶ医者の実家からだろう。
毛毛が目を真ん丸にしながらさらに前足をばたつかせる。どうやらあの紙で爪とぎをしたいらしいが、そんな真似はさせない。猫猫は毛毛を投げ捨てると、紙の入った箱をしっかり閉めてあばら家の奥にしまおうとした。
――が思い直してやり手婆に見せる。
「いくらで買う?」
「おや、ただで貰ったものを売ろうっていうのかい?」
「いらないならいいけど」
「おまえはほんと、誰に似たんだい?」
(婆の教育のたまものだよ)
押し花がすきこまれた一枚だけとって、あとは婆に見せる。
雅なかたが好みそうな紙ならば、上客の文に使うのに適している。客人の中には妓女の品格を問う者も少なからずいるので、この手の道具は悪くないはずだ。
(これはどこにしまおうか)
下手に置いておくと、趙迂がらくがきに使うだろう。とりあえず、薬棚の奥にでも置いておくか、と思っていたら馬の嘶きが聞こえた。なんだと思ったら、外に見覚えのある顔があった。
「どうしたのですか? 馬閃さま」
「説明はあとだ、とりあえず乗れ!」
そう言って猫猫を無理やり、馬に乗せた。
(最近、こんなんばっかりだな)
猫猫は汗だくの馬が可哀そうだな、と思いつつ落ちないように馬閃の腹に手を回した。
到着した場所は、都の北東にある屋敷だった。
建物の高さと敷地の広さからかなり有力者の家だとわかる。
「どこですか? ここは?」
「……壬氏さまの離宮だ」
そして、馬閃はそっとその斜め向かいを見る。
猫猫はその視線を追う。これまたなかなか立派な屋敷だ。
「あちらは?」
「あっちは、卯柳様の屋敷だ」
詳しいことは中で説明すると、馬閃は門の中へ入っていった。
壬氏の離宮というからには、もちろん、その主がいることも想定にいれなければならない。言うまでもなくいた。ちゃんといた。堂々といた。
壬氏は長椅子に気だるげに横たわり、ずっと窓の外を見ていた。今日の表情は、疲れているというより、憂いているようだった。
なにがあったというのか。
「来たか」
壬氏がこちらを向いたので、猫猫は頭を下げる。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです、壬氏さま」
「ああ。さっそくだが本題に移らせてもらう」
壬氏は窓の外をもう一度見る。そこには先ほど馬閃が見ていた卯柳の屋敷があった。
「昨夜、卯柳殿の屋敷で宴があった」
壬氏はそれでより近いこの離宮に泊まったようだ。
「内容としては、親睦を深めるものと言っていたが、娘の誕生日の祝いも兼ねていた」
「誕生日ですか」
娘、というと里樹妃を思い出すが、ここで言うのはその異母姉のことだろう。
普通、庶民は誕生した日時はそれほど重要視しない。生まれたときで一歳、それから年が明けると一つ年を取る。わざわざ生まれた日を祝うのは、皆無ではないが少数派だろう。
(結婚話でも持ちかけられたのだろうか)
形だけでも祝う形をとらせれば、娘を表舞台に出す理由がつく。そこで壬氏と会わせるとなれば、その手の話題に流れるだろう。
里樹妃の姉となれば、十分適齢である。
普通考えれば、里樹妃を下賜するより、こちらのほうがごく自然だろう。
卯柳という人物が、里樹妃について今どう思っているのかわからないが、官として壬氏に娘を売り込むことはおかしくない。
それがどうしたというのか。壬氏の憂い顔は。
乗り気でないにしろ、うまく断れない壬氏でもなかろうに。
「その卯柳の娘だが、昨夜、自殺した」
壬氏の言葉に、猫猫はぽかんと口を開けた。
「……そんなにこっぴどく振ったのですか?」
壬氏に振られることで、若い娘なら衝撃を受けるかもしれない。それを今まで上手くやってきたと思っていたのに、どこでへまをしたのだろうか。
「いや、振るとかそういうものではなく」
「お可哀そうに。天女に地の底へと落とされてしまったのですね」
猫猫は俯いてぼそりと言った。
「違うと言っているだろう!」
壬氏は少し声を荒立てて、ばさりと卓の上に書類をのせた。
なんだ、と猫猫はそれを見る。
そこには、先日、都で襲われた里樹妃のことが詳細に書かれてあった。
「これは……」
「どうやら里樹妃襲撃事件の糸を引いているのは、その異母姉ではないかとの情報があってな」
「それで、昨晩、かまをかけたと」
「……そうだ」
壬氏が気まずそうに言った。
たしかにかまをかけてそれが原因で自殺されようものなら、気まずいことこの上ない。
しかし、たとえ異母姉とはいえ、後宮の花に危害を加えようものなら、やはり極刑は免れない。
「腹違いとはいえ、実の姉にですか」
本当に散々な人生を送っているなあ、と猫猫は里樹妃を思う。当人に知らせるには酷だろう。
(ああ、それでか)
里樹妃関連だから、あれほど馬閃が騒いでいたのだろうか。
しかし、それと猫猫を呼び出すのではなんの関係があるというのだろう。
壬氏はじっと卯柳の屋敷を見る。
「里樹妃の異母姉は、首を吊っていたという」
「はい」
「それは宴にいる全員が見ていた」
「はい」
それは思い切った方法をとるものだ。そんな目立つところにいたというわけか。
そこで猫猫を呼び出したわけというのが。
「宴の席から見える場所で、首を吊っていた。そして、皆が助けにいったところ、そこに彼女はいなくなっていた」
ぴくりと猫猫は動いた。
「首を吊ったと思われる場所に、履だけは残っていたが、その死体はなく首を吊った紐だけがぶら下がっていた。紐には切れたあとがあった」
そして、必死に皆、異母姉を探したところ、見つかったのは……。
「松明の火が燃え移り、焼け焦げた遺体だった」
「……」
(後味悪すぎる)
壬氏が憂い顔の理由もわかる。
これでは罪に問おうにも問えないではないか。逆に壬氏を追い詰める材料にもできるのではないか。
正直、今日は壬氏がどんな態度で来るのか気になっていた。悪いが、猫猫にとって他のことで頭がいっぱいなほうがやりやすかった。
これならいつも通りやれそうである。
「それで、私を呼んだわけですか」
自殺をしてしまっては、事の真相がわからない。なにより、本当に自殺だろうか。
それを調べろと言いたいらしい。
(どうしようかと言われても)
はい、というより他ないわけだ。
猫猫はこくりと頷くと、窓の外を眺めた。