三、たからさがし
「とうとう猫猫にも春が来たわねえ」
うふふ、と口元を袖で隠しながら笑うのは白鈴小姐だった。寝起きなのか、髪は少し乱れ、襟元は崩れたままだ。もっとも、彼女の場合、着物をわざと着崩すことが多いのだが。
ごくごく自然に薬屋に入ると、脇に置いていた文を手にする。壬氏の筆跡のものは別の文箱に入れて、残りは置いたままだ。五通ある手紙の中で二通は同じ筆跡、残りは違うもの。普通に考えると四人から手紙が来ていることになる。
(物好きなこと)
おそらく猫猫の名前も知らないのだろう。顔すら知らない。だから、禿に渡している。さすがに変人軍師の娘が客をとってはいないと思って。
娼館にいる娘がお偉いさんの娘だという話は実は珍しくない。客としてやってくれば子どもができるようなことを奉仕するのが、花街だ。それでもって、打算に走った妓女が堕胎もせず産むことがある。そして、産まれた子を「貴方の子よ」と見せたところでどうなるだろうか。
一部の者は、妓女の言葉を信じて育てるだろう。たとえそれが私生児として扱われてもまだ救いがあるほうだ。子どもが男なら、上手くいけば引き取られることもある。
だが、残りの者はその子どもを認めず、拒否するだろう。
「自分は先の皇帝の落としだねだ」と言い張った娘が煎餅のような褥の上で、性病や流行病で死んだ話は珍しくない。もっとも、今の皇帝はともかく先の皇帝の落としだねとは、到底考えられにくい話だと、猫猫は後宮事情に詳しいのでわかっている。
(ただのたわごとだと思えばいいのに)
変人軍師自ら口にしたものだから、こんな面倒事になる。
なぜ、今更変人が何かしたのかといえば、心当たりはある。
猫猫は文箱を開けると、中から香がたきしめられた文をとりだした。
筆跡は壬氏のものだ。ただ、文体が妙に堅くいつもと違うのが気になった。書き方がみょうにたどたどしい。いつもなら、その姿と同じく流麗な文字なのに、ところどころ文字が歪だったり、変に空白が空いていたりする。
それから、もう一つ気になることがあった。
(なんだろう、これは?)
普段、壬氏の文は三つ折りにして布で包まれて持ってこられる。しかし、今回のは少し違う。四辺が同じ長さの四角形の紙に奇妙な折り目がついていた。
猫猫は首を傾げる。どれも同じ折り目だ。手紙を折りたたむには不自然な形である。
猫猫は薬屋の戸から顔を出した。ちょうど禿と遊んでいた趙迂を見つけ、こっちへ来いと手招きをする。
「どうした?」
「おまえ、これで紙折りをして遊ばなかったか?」
四角い紙を折り、それで箱や花を作る。それをやるには上質な紙が必要で、そうそう庶民がやるものではない。
緑青館では、花の代わりに紙を折った飾りをつけることがあるが、手紙はこのように折りはしない。するとなれば、悪餓鬼の仕業だろうと猫猫は思った。
「そばかす。俺を疑ってんのか?」
「おまえ以外に誰がやるっていうんだ?」
「ちげーし。俺、やってないから! 他の手紙ならともかく覆面のにいちゃんのものを粗末にしたら、婆がこえーだろ!」
それもそうだ、と猫猫は頷く。
「元からこうだったよ」
ぷんすか鼻息を荒くしながら趙迂が出ていった。そのあとを子分の禿が真似してついていく。
それではどういうことだ、と猫猫は首を傾げて折り目通りに折っていく。
「……」
四つの同じ形ができる。小刀の先のような形のそれをじっと睨む。そして、奇妙なことに気が付いた。もう一度紙を広げてみる。そして、また折り目に戻す。
ちょうど折り目に当たる部分の文字が歪だった。
(もしかして)
壬氏が書いた文がところどころ歪だったのは、この折り目が付いていたからではないだろうか。文を書いたあとではなく、文を書く前にこの折り目がつけられていた。
猫猫は四枚の紙を重ね合わせたり、挟み込んだりした。
二枚の紙と紙を重ね合わせたとき、歪な文字の部首がもう一枚の歪な文字と重なった。
(……なるほど)
四枚の紙を折りこんで重ね合わせる。そこにできたのは、風車のような形をしたものだった。
そして、そこに隠された文章が現れる。
歪な文字があった理由。それは、まずこの四枚を重ね合わせたこの形を作った上で書かれたものだった。それを広げ、何事もなかったかのように隠ぺいするために、さしさわりのない文にした。妙な空白もそのためだろう。
そこに書かれてあるのは……。
猫猫は、薬屋を出ると緑青館の裏側に行く。そこには、濃い桃色の花を咲かせた木蓮があった。
猫猫は根元を見る。
根元の地面が少しえぐれている。雑草がそこだけなかった。
落ちた枝を拾い、その土をえぐっていくと、中から布に包まれた箱がでてきた。
「……」
土を払い、布をめくると木箱が出てくる。蓋を開けると、その中には茸のようなものが入っていた。名前は鹿茸といい、茸のようだが実は鹿の角だ。
滋養強壮の薬として、高級なものである。
(気づかなかったらどうする気だよ)
猫猫は口がにんまりと弧を描きながらも、眉間には皺が寄っていた。
貴重な生薬を前に嬉しさは止まらないが、それと同時に見つけるかもわからないのにこんなところに隠していたことにちょっとむっとなってしまう。
なってしまうが、それくらい探し出せるだろう、と笑う顔が思い浮かぶようで悔しい。
(それにしても鹿茸とは)
効用を知って選んだのだろうかと猫猫は軽く首を傾げた。
猫猫は箱が埋めてあった穴に土をかぶせると、箱を撫でながら薬屋に戻った。
なんだかんだで、それを見透かされているようで腹が立つが、鹿茸に罪はない。
〇●〇
「ようやくあの娘が帰ってきたようです」
机の上に追加の書類を置きながら、馬閃が言った。
壬氏はふざけた案件の書類をはじきながら、それに耳を傾ける。だいたい一月ほど、花街の薬師は出かけていた。こちらに何か一言あるかと思えば、伝言くらいなものだった。
連れて行ったのが、かの娘の義兄に当たる人物なので、どんなものかある程度想像はついたが、思った以上に留守の期間が長かった。
思わずちょっとした悪戯を仕掛けてしまう程度に。
そんな壬氏に対して、馬閃がじっとこちらを見ている。
どことなく高順に似た目線だ。
「なんだ?」
「いえ。ご機嫌なようで」
「そうでもないぞ」
机に積み重ねられた書類の山を見て、ご機嫌なわけがなかろう。しかも、そのうち半分以上は内容が希薄なものばかりだ。もうこれは嫌がらせといっていい。
その嫌がらせをしている人物については、壬氏は笑うしかないのだが。
「軍師殿からです」
意味のない書類のほとんどが、宮廷一の変人の元から送られてきている。
前々から、その手の嫌がらせは定期的に受けてきた。たまに、執務室に変な置物が増えていたり、部屋のあちこちが豚脂で汚れたりしたが、とりあえず黙認した。どうやって入り込んでいるのだろうと思うが、席を外す際は重要なものは置かないようにしているので問題ないはずだ。おそらく。
馬閃を見ると、妙に視線が痛い。高順ほど成熟していないが、妙に説教じみたところは父親似だったりする。
「どういうおつもりでしょうか?」
「なにがだ?」
「先日、軍師殿におっしゃった件です」
嫌がらせが増えたのはそのせいだと壬氏は思っているし、馬閃もわかっているだろう。
「ちょうどよかろう。変に四方八方から話を持ってこられるより」
「相手が悪すぎるでしょう?」
馬閃がなにを言いたいのかといえば。
壬氏はその立場から、そろそろ妃を娶るべきだと周りからせっつかれている。
高官の娘たちを押し付けられそうになったり、異国から姫がやってくるなど話が持ち上がっている。中には、後宮から皇帝の妃を下賜していただく話も上がっている。
「……牽制にはちょうどよかったぞ」
何が牽制といえば。
普段、壬氏の宮には、乳母の水蓮しか女はいれない。しかし、新しく入りましたとわざとらしく侍女が宮の前に待っていたりする。侍女というには、派手で香の匂いをぷんぷんさせた女ばかりだ。
仕事中も、官女の出入りが増え、普段よりやたら瞬きが多く、目がうるんでこちらに荷を運んでくる。わざとらしく、重い荷物を持ち、それを落として裳をめくれさせたりするのだから仕事が進まない。
前から色目を使われることは多かったが、そのときはまだ宦官扱いだった。そこで、一歩引く者もいたのでよかったのに。
「なんのためにこの傷があるんだか」
壬氏は思わず右頬の傷をそっと撫でた。
「壬氏さま。そんなことは言わないでください」
「悪かった」
この傷は壬氏が自分で避けずに受けたものだ。それについて、後悔はなく、むしろ気に入っている。だが、壬氏に傷をつけさせたということで、馬閃は高順からぼこぼこにされていた。壬氏の晴れやかさとは裏腹に、馬閃はかなり落ち込んでいた。
最近、ようやく吹っ切れたかと思っていたが、今度は妙なため息が増えている。また、新しい悩みでも増えたようだが、壬氏には話さない。問い詰めれば、話すだろうがそこまでする必要はなかろう。馬閃もまた、苦労性なのは父親似の性格なのだろう。
そんな馬閃は、却下された書類を集め籠に入れる。
「もっと他の方法はなかったんですか? 薬は薬でも劇薬だったかと」
「それもそうだな」
壬氏が、しつこい周りの態度を変えた方法は。
「あんなに観客がいる前で、なにも軍師殿に娘の話題を振らなくても」
周りはどうであれ壬氏からは誰かを誘ったことはない。そこで、あの軍師に娘がいることを明言した上で、壬氏が興味を持っているように見せたらどうなるだろう。
少なくとも小蠅を黙らすのには十分すぎる効果だった。代わりに嫌がらせが増えたが。
「たとえふりでも、面倒なことになります」
「……」
馬閃の言葉に訂正を入れようか迷ったが黙っておいた。
かわりに違うことを聞いてやった。
「なあ、接吻した相手がなんの反応もなかったらどう思うか?」
「せ、せっぷ!!」
馬閃は目を見開き、顔を真っ赤にした。もっていた書類が落ちて床にばらまかれる。
「そ、そんな真似をしたらどう責任をとるつもりですか!?」
だんっ、と机を叩く乳兄弟を見て、壬氏はある種の優越感を持った。少なくともここまでこじらせていないのだと、安心する。
「まず、そういうものは文のやりとりからはじめて……」
「文から始めるのか?」
「ええ! それが正しい交際というものでしょう!」
いや、ないだろう、それは。
壬氏は、高順を思い出しこちらのあれこれを突っ込む前に、息子をどうにかすべきではないかと考えた。