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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
市井編1
127/389

二十六、女の思惑

 大きな屋敷であれば、それなりに密談に向いた部屋の一つや二つあるものだ。

 

 羅半ラハンは、給仕に話しかける。そこで、懐から重いものを出すのを忘れない。こういうときはさすがに奴でもけちったりしないらしい。


 しばらくすると、給仕は鍵を持ってきて、「こちらへ」と案内してくれた。あんまり手際がいいのでこれでいいのか、と思って首を傾げていたら、羅半がこそっと耳打ちをする。


「これが普通なんだ」

「ふーん」


 もやもやするものがあるが、仕方ない。長いものには巻かれろ、そういう規範ルールなら従おう。

 しかし、せっかく毒見で気を付けていても意味がないではないか。


 回廊の抜けたところにある部屋は、いかにもな部屋であった。円卓には酒と干し果実、干し肉があり、どれもちょっと元気になれる成分が含まれている。長椅子カウチと寝台があるが、どちらも二人で寝そべっても余裕がある大きさだ。

 

 そんな中、五人も入るとなれば少し狭いようだが、通訳が席を外してくれた。外で見張りをする気らしい。

 さて、ではどうやって会話をすべきかと思ったら、女の方が話しかけてきた。


「わざわざこちらまで来てくださりありがとうございます」


 その口から出たのは流暢な言葉だった。


「私は、アイリーンと言います。連れは従者で、口が堅いのでご安心ください」

「愛凛さんとお呼びしてよろしいですか? 私は、漢 羅半と申します。こっちの連れは身内ですのでお気になさらず」


 ごくごく簡単な自己紹介、どちらかといえば、すでに相手のことを知っていて確認作業として話しているようだ。


 羅半は部屋を見渡した。猫猫は軽く壁を叩いてみせる。石を素材とした部屋は、音漏れの心配もなく密談にはぴったりだ。


 羅半は懐から紙を取り出した。蜜蝋で封がされていたそれを開く。


「最初に、砂欧シャオウの商人から話を聞いたときは驚きました。本気ですか、とね」


 円卓の前の椅子を従者がひく。愛凛が羅半を見た。羅半がにこりと笑い、手で促すと愛凛は椅子に座った。 

 従者の真似事だろうか、それとも砂欧式の礼儀なのか知らないが、羅半もまた椅子を引いて猫猫に座れと促す。猫猫は、そのままのせられるのも嫌だが、立ちっぱなしもつらいので座ることにした。

 

 従者はいつのまにか長椅子を持ってきて、羅半が座りやすい位置に置いてくれている。


 羅半が座ると、従者は飲み物の用意を始めた。ただ、そのまま飲むのではなく、水で割っている。酒精の強い蒸留酒だからだ。


(一体なんの話を始めるんだか)


 猫猫はここにいる必要があるのだろうか。酒はいただくとしてやることがない。せっかく大きな寝台があるので、寝ていては駄目だろうか。

 

 しかし、愛凛という女は、閉じかかった猫猫の目を覚ます話を始める。


「回りくどいことを言うのは難しいのではっきり言いますね。私たちをそちらの国へと住まわせていただけませんか?」

「……どういう意味ととらえればよろしいでしょうか?」


 羅半は眼鏡を押し上げながら言った。


 そのまま移住ととらえればよいだろうか。異国の芸人が他国のことが気に入り、そのまま住まうことは皆無ではない。商人でもよくあることだ。


 しかし、目の前のこの女は芸人には見えないし、商人というには空気が違う。


「どういった理由で?」

「私の国の政のやりかたは知っていますか?」


 愛凛の質問に、猫猫は首を傾げる。貿易の中継ぎ国として利用しているとしか、猫猫の知識にはない。

 そこのところは、羅半はよくできていた。


「巫女による宣託を元にするまつりごとを行っていると、聞いております」


 占いによって政治をあれこれする。この国、リーでも比重は少ないもののいくつか頼っているところもある。宮廷には占いを専門にする部署もある。


「正しくは神です。幼い少女を神として祭り、その言葉が神の声となる」


 猫猫には理解しがたい話である。羅半もまた同じだ。猫猫も羅半も自分の目で見て確認できるものを信じる性格だ。だが、そういう概念もあるのだということだけは頭に入れておく。でなくては、世の中上手くわたっていけない。


 羅半は顎を撫でながら、愛凛を見る。


「私が知るには、当代の女神殿は在位三十年近いと聞いておりますが?」


 『僕』ではなく『私』と使っていることから、羅半はここが公の場として認識しているのだろう。つまりこの女に対して気を許していない。


 その質問に、愛凛の表情が微妙な笑みになる。


「ええ、過去に神のまま寿命が来たかたもいらっしゃります。今の女神さまはまだ、女のしるしが来ておりません。ゆえに、未だ神の資格を持っています」


 つまり、初潮が来ていないということだ。極端に遅い例もあるが、三十を過ぎてこないのであらば、もう来ることはないだろう。


「本来なら、長くても十年ほどで変わるものなのですけど」

 

 愛凛の言葉に、やや侮蔑の意味が込められている気がした。


「私とて、その役割に座っていたのかもしれないのですよ」


 彼女が、移住について話を持ちかけた意味がわかった。


「今の砂欧の政治は、女神の言葉だけで動いていると思いますか?」


 ここからが核心をつく言葉だった。


「北にけしかけられたとき、我が国はどう動くでしょうか?」


 そして。


「砂に囲まれた我が国が、他国から食料を買えなくなればどうなりますでしょう?」


 愛凛は空色の瞳をこちらに向けていった。






 猫猫は部屋に戻るなり、奇妙な衣装ドレスを脱ぎ捨てた。妙な型組が入った服もそうだが、なによりどっと身体が重くなった。


 愛凛という異国の女が言っていた『北』というのは北亜連のことだろう。


 そして、食料のことを口にしたというのは……。


(すでに、食糧不足が懸念されているってことか)


 猫猫は化粧を乱暴に拭うと、寝台の上に倒れ込んだ。


 砂の大地では、穀物を他国から仕入れている。痩せた土地で安定した食料を得るのは、難しい。


 あの様子だと穀物の値上げを北がしてきた。北は昨年の蝗害によって穀物が高騰している。それが顕著に表れるのはまず後回しにされる他国へ売るぶんだ。


 今の時点で、その様子なら今年また不作だったらどうなるだろうか。


 そうなると、北はどうでてくるだろう。穀物を売りおしみし、それどころか足りなくなる。自国で賄えないものは、余所から奪ってくるしかない。


 そうなると、一番近いのが砂欧であり、そこを落としてしまえば、そこに通じる他国への足掛かりとなる。


 最悪、戦が勃発する。


(いやいや待て待て)


 そこまで短絡思考な国だろうか。

 でも、世の中、相手に常識を求めるというのも、条件が必要だ。相手が自分と同じ価値観を持ち、ある程度余裕がある状況でこそ、常識というものが存在する。


 猫猫は手足を布団の上でばたばたさせて、そして止まった。


(よし)


 そういえば、猫猫がこんなことを考えたところで、一体何になろうか。

 

 こう言う事はお偉いさんがやるべきだ。たとえ過労になろうとも、それだけ良いおまんま食べている人たちの仕事である。ここで考えるだけ無駄というものだ。


 ただ、そのお偉いさんたちが無能だったら意味がない。


 猫猫は、ふと卯柳ウリュウという男を思い出した。

 里樹妃の父親で、娘を政治の道具としてしか考えていない男。


 もし、娘が自分の子でないと信じて始末しようとする浅はかな考えの人間だったら、なんの役にも立たない。


「……」

 

 猫猫は、うつ伏せになった姿勢から身体を起こした。そして、いかにも面倒くさそうな緩慢な動きで、部屋に備え付けてある机に向かう。

 硝子瓶に入った墨は、水で溶かす必要がない。筆の代わりに鳥の羽が置いてあり、紙は植物性のものではなく羊皮紙だった。


(勿体ないな)


 これは高いと、猫猫は引き出しを漁る。すると、羊毛紙が入っていたのでこちらに換える。筆記用具が使い慣れないので、墨が紙ににじんで無様な文字になる。あとで、とやかく言われそうだが、とりあえず読めればいいと、猫猫は用件を書く。


 そして、その紙をそっと羅半に渡すようにと、使用人を見つけて言づけた。


(さて、乗ってくれるかな)


 こういう時、羅半はどう動くだろう。相手に上手くこねを作ることができると考えたら乗るだろうし、そんな得にならないことは手伝わないとも言いかねない。


(まあ、どちらでもいいけど)


 やろうがやるまいが、猫猫には損得はない。むしろ、お節介ととらえるかもしれない。


 ただ、いつもならこういうことにちゃんと場を揃えてくれるんだけどなと思った。

 壬氏ジンシなら。


 さてさて、この旅から帰ったらどうしようか、と猫猫は違う問題が頭に浮かんだが、これもまた今は忘れることにする。


 悩んでもわからないことなら、悩む時間を他のことに充てた方がいい。

 それが猫猫の性格だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] あー、猫猫、このままでは変な人のままだぞ
[一言] 羊皮紙から羊毛紙ですよ
[良い点] まだ、途中ですが、面白いです。 最近、コミックも少し読み始めました。 [気になる点] 羊毛紙を見て、勿体ないと、引き出しを探って、見つけたのは羊毛紙? 変わってないような気がするんですが。…
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