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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
市井編1
123/389

二十二、噂と面倒事


 帰りの馬車の中は、大層うるさかった。


 馬閃は、履底を打ち鳴らし続けていた。理由は言うまでもなく、里樹妃である。その反応を見ると、疑惑がもうほとんど実証されかねん勢いだが、それでは困る。


 里樹妃にも、こやつにとっても。


「馬閃さま」

「なんだ?」


 不愉快な顔のまま、馬閃が猫猫を見た。


「その様子だと、里樹妃については、問題がないようですね。壬氏さまのお相手として」

「……あっ、う、うん、いや、まだわからないが……」


 どもっている。

 

「少なくとも、今より幸福になれるのではないでしょうか?」

「……」


 壬氏のことか、それとも里樹妃のことか。


 猫猫がにこりと作り物めいた笑いを見せると、馬閃はぎゅっと唇を噛んだ。


(他人のことはとやかく言うくせに)


 自分のことで我を忘れては、周りが迷惑することを考えてほしい。

 と、猫猫は自分のことを棚に上げ、釘を刺しておいた。


 馬車は先に緑青館にとまった。離宮との距離を比べると、馬閃の実家のほうが近いのだが、馬閃の馬がこちらに置いたままだった。


 ついでだから、今日の分の稼ぎも補填してほしいと思いつつ、馬車を降りる。


 すると、別の馬車が緑青館にとまっていた。


「……」

「……」


 猫猫と馬閃、二人は顔を見合わせる。


 冷や汗をかきながら、馬車を降り、そっと薬屋の窓口の隙間から中を覗き込んだ。


 そこには、茶をすすりながら、高級な茶菓子に囲まれた覆面の男が座っていた。


(いや、まだ訪問には早いはず)


 だから、馬閃も今日やってきたのだろうに。

 しかし、この場にそのかたがいるのは紛れもない事実だった。


 茶菓子の種類と数からして、やってきて時間がたっていることがわかる。

 

 さすがにこの空気は、馬閃にも通じたらしい。まずい、と顔色が変わっていた。なにがまずいのかわからないが、まずいことはわかっていた。そろりそろりと緑青館の玄関にまわり、そっと中を覗き込む。


 眉間に深い皺をきざんだ高順ガオシュンが、趙迂チョウウにまとわりつかれている。

 

 こっそりのぞいているつもりだったが、この武の者にはそれすら気配を感じるに十分だったのだろう。


 目をかっ、と見開くと、立ち上がりずんずん近づいてきた。


 そこで動けなくなっている馬閃。


 無言で、怒気を孕んだまま近づいてきた高順は、猫猫に一礼すると、自分の息子の頭を右手で掴んだ。


「少し失礼いたします。壬氏さまがお待ちですので、すぐに行っていただけるとありがたいのですが」

「……はい」


 そういって、高順は馬閃を引きずって奥へと連れて行った。

 子犬の首根っこをつかまえて運ぶ親犬というより、野兎をつかまえた猛禽類に見えるのはなぜだろうか。

 

 とりあえず荷馬車に揺られる子牛を見る目をおくっておいた。


 猫猫もまた、薬屋に入る。

 じとっとした視線を感じる。覆面の下からでもわかる粘着質な視線だ。


「遅かったな?」


(来るとは聞いてなかったもので)


 猫猫はゆっくり頭を下げると、狭い中に入っていった。茶菓子は手を付けられていない。座れないからと、どうするか聞いたら、いらないと言われたので、うろちょろしていた趙迂にやると、わらわら禿かむろたちが集まってきてすぐさばけた。


「馬閃は?」

「高順さまにつかまっております」

「……そうか」


 頬杖をつき、横柄な態度だ。どうにもぶすくれているように見えるのは気のせいか。


 猫猫が戸を閉めると、ようやく覆面を脱ぐ。


 猫猫は戸棚から塗り薬を取り出す。生薬を数種類配合して、それを数日寝かせてつくるのだが、たぶんもう大丈夫だろう。


「では、失礼します」


 猫猫は膝立ちになり、指先で軟膏をすくう。壬氏の頬の傷は、もう治っているがその傷痕はしっかり残っている。右頬に一線、縫ったあとが残らないだけましなのかもしれない。


 ねっとりした軟膏を優しく壬氏の頬の傷に塗りつける。息を吹きかけないように呼吸を止める。

 長いまつ毛がふせてある。その視線の先には、猫猫の指先があり、頬に滑らせる指の腹を追っているように見えた。

 傷口を確かめるために顔を近づけると、生暖かい息がかかった。


(こやつは花の精か?)


 ほのかに花の香りがすると思ったら、飲んでいた茶が薔薇茶だった。うん、いくらなんでもそうだろうな、と少し安心する。


 塗っている薬は、昔、おやじが火傷のあとが残った妓女に処方したものだ。つけてすぐ傷痕が消えるものではないが、つけるとその部分の新陳代謝が良くなり、新しい皮膚ができる。

 

 壬氏の頬には新しい皮膚が再生されているが、そこは赤みがあって目立つ。少しでもいいから目立たなくしていきたい。


(自分で塗ればいいのに)


 毎度、壬氏はこの薬を猫猫に塗らせる。部屋では、水蓮あたりに塗らせているのだろうか。

 

 猫猫だったら、こそばゆくて自分でやったほうが絶対いいのに。

 そういうのは上流階級ハイソだからだろうか。


「どこへ行っていた?」

「……阿多さまの元へ」


 どうせ、馬閃が吐かされるだろうと、猫猫は素直に言った。


「……では」

「ええ、いらっしゃいました」


 では、のあとに何が続くか想像がついた。だから、固有名詞を入れなくとも、壬氏は理解したようだ。


「いろいろと大変なようですね」


 ねぎらいつつも、無関係と猫猫は強調する。


「ああ。あちらが色々考えているようでな」


 あちらとは、里樹妃の実家のことを言っているのだろうか。

 話を聞くに、子の一族と似て非なる構造をしているのが、里樹妃の一族のようだ。『卯』と一文字もらっている。


 たしか、干支の一文字を貰った一族は、この国が興った際の忠臣たちの子孫だと聞く。つまり、高順たち馬の一族と同じ位古い一族ということだ。


 子の一族がなくなった今、自分を大きく見せようとするのはわかる。もう一人、自分の娘を入内させて寵を得ようとする、それもわかる。皇帝の好みではない上級妃を、壬氏の元へと下賜する話がいくのもわからなくもない。


 ただ、気になるのが。


(どうして、娘の命を狙うのか?)


 いや、それは里樹妃が言い出したことだ。間違いである可能性も高い。


 でも、実際、妃は襲われた。


 別の手の者か。

 

 それとも。


 あともう一つ。

 なぜ、里樹妃はあれほど父親に疎まれているのかということ。


 先帝の元に嫁がされた件については、もうご愁傷様としか言えない。幼女趣味ロリコンの先帝の趣味を知っていたら、若い娘を入れるのはわかるが、当時、先帝は病に倒れていた。

 

 そんなところに入れたところで、御手付きになる可能性などほとんどない。


 まだ、政治の道具としてなら使い道があっただろうに。


「おい、何を考え込んでいる」


 壬氏が怪訝に猫猫を見る。


(いかん、いかん)


 この件は猫猫には関係ない。

 首をつっこむのは野暮というもの。


 だが。


「……一つ、質問なのですが」

「なんだ?」


 今更、思うことがあった。


「阿多さまについて、あの御方はずいぶん合理的な性格のようですね」


 皇帝を弟のように思いながらも指南役として徹した様子や、壬氏と里樹妃の件についてすぐさま話をすすめるなど。


 猫猫にとっては、やりやすい相手だが、人によっては理解しがたい部分もあろう。


 そんな人が、なぜ数多いた当時の後宮の中で、里樹妃を庇う真似をしていたのかということである。他にも、同じような理由で後宮に連れてこられた娘もおろうに、それらすべてを庇う真似は、東宮妃というだけではわきまえていないことになる。


 それから考えられることは一つだ。


「元々、里樹妃と阿多さまはお知り合いだったのですか?」

「察しがいいな」


 壬氏は少しばつが悪そうな顔をした。


「阿多殿と里樹妃の母上は、友人だった」

「ほうほう」

「そして、今上も友人だった」

「……」


 今上、皇帝も友人となると、「ふふん?」と疑問がわいてくる。


 下衆で野暮な考えというものは、人間の根底に根付いているもので、同性間の友人は気にならないが、異性間だと話が違ってくる。


 ましてや、相手は国の頂点におわす御方。


 猫猫の表情を読み取ったのか、壬氏は聞きづらいことを口にしてくれる。


「当時、阿多殿に次の子は望めなかった」


 そして、当時の帝は病に臥しており、東宮だった今上に他に妃はいなかった。


「女帝は、なにやら卯の一族に話を持ちかけていたと聞く。たびたび、女帝の手引きにて、当時の今上の宮に妃の母は呼ばれた」


 当時、卯柳ウリュウという夫がいたものの、所詮、親戚筋からもらった婿だった。余所に妾を作り、子を作り、卯の本家としては、他に考えることもあったという。


 猫猫は、耳をおさえたくなったが残念なことに、それに感づいた壬氏におさえられていた。壬氏の声は、猫猫だけに聞こえるように、耳元でささやかれる。香と軟膏の匂いがまじり、独特の香りが鼻をくすぐる。


「それは、私のようなものが聞いていい話でしょうか?」

「噂だ。実証はない」


 だが、その噂というものは、信じる者にとっては真実に他ならない。ましてや、その近辺にいるものとあれば、なおのこと性質が悪い。


「里樹妃は知っているのですか?」

「教えるのは酷だろう」


 先ほどの疑問の答えがわかった。


 なぜ、里樹妃が父からないがしろにされるのか。


 ふつふつと腹が立ってきた。

 

(面倒くさい野郎)


 なんて小さな男だろう。

 自分は余所で子を作っておきながら、妻は駄目だというのか。


 噂が真実かどうかなんて、猫猫にはわからない。


 阿多が里樹妃を皇帝にすすめていたのは、噂が嘘だということか、それとも噂を知らないだけだろうか。


 皇帝が里樹妃との夜伽を好まないのは、噂が真実だということか。


 ならば、壬氏との婚約はどうなると考えるが、お偉い方の婚姻関係に近親婚はつきものだ。別姓ならば、叔父姪だろうが異母兄妹だろうが問題はない。


 ただ、何も知らずなすがままにされる里樹妃だけが哀れだった。


「何を考えている?」

「近いです、壬氏さま」


 壬氏の唇はまだ猫猫の耳元にあった。

 薔薇茶の匂いがまだ香っている。


「何を考えている?」

「……里樹妃により良い将来さきを」


 幸せにするとは言わない。

 そんなの猫猫の領分をこえている。


「壬氏さま、里樹妃を大切にしてあげてください」

「……今、目の前にある頭を鷲掴みにして、壁に打ち付けたくなる衝動に駆られている」


 壬氏の声に深い怒気が混じっていた。それでもって猫猫の髪は、抜けんばかりに壬氏の手に掴まれている。


「折檻であれば、切り傷のほうがよろしいかと。致命傷は避けてもらいたいですが」


 切り傷なら、今試している薬がある。打撲よりそっちのほうがいい。


「その切り返しは新しいな」

「壬氏さまこそ、返しが早くなりましたね」


 いつもなら、ひと段落、肩を落としているところだ。少し手ごわくなっただろうか。


「埒があかぬと学習した」


 そう言って、壬氏は猫猫の髪を掴んだまま、壁際に追いやった。そのまま、本当に打ち付けられるのか、と目を瞑る。


 しかし、頭が壁にぶつけられることはなかった。


 髪を下にぐいっと引っ張られ、顔を仰向けにされる。

 そして、唇になにかが触れた。


 柔らかい薔薇茶の呼気が猫猫の中に入ってきた。ほんの刹那の出来事で、目を開けると、上に向けられた姿勢は元に戻され、壬氏は背中を向けていた。


「……」


 猫猫は無言でその背中を見る。


 壬氏は振り返ることなく覆面を被り、薬屋の戸を開ける。


「おい、帰るぞ」

「壬氏さま」

「な、なんだ?」


 覆面をしているので、どんな顔をしているのかわからない。


「軟膏を忘れないようにお願いします」


 猫猫は薬を布で包み、壬氏に渡す。壬氏は奪うように受け取ると、薬屋を出た。


 外には、お説教を食らったのか疲れた顔をした馬閃と、怒った側なのにさらに疲れた顔をした高順がいた。


 三人が帰ったのを見届けると、猫猫は戸を閉めて、ふうっと息を吐いた。


 唇を指先で拭うように、滑らせる。


「面倒くさい」


 先ほどの言葉を訂正しよう。


 かなり手ごわくなった。



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― 新着の感想 ―
やっと行動を起こしましたか。 いやいや、長かった(今後もこの歩みなのか心配)
うわぁ...甘々にならないのが、またそれもイイ。壬氏さまファイト!!
里樹妃は皇帝の子どもってことか・・・残酷すぎる
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