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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
市井編1
122/388

二十一、困惑と困惑

 世の中、まったくもって上手くいかないことばかりである。


 それも、人の心が入るとなれば、上手くいかないだけでなく、ねじくれ、からまり、混乱する。


 もっと、気軽に、単純に、簡潔に物事を考えればいいのに、と猫猫は思う。


 思いながら、緊張した面持ちの馬閃バセンを見た。


 その眉間のしわの深さは、今までで一番深いのではなかろうか。父親の高順ガオシュンをこえる掘り込み具合で、新記録達成である。


 猫猫はその仏頂面の男を見ながら、茶をすする。点心おやつには、芝麻球ごまだんご、外にたっぷり胡麻がかかって中に胡麻餡が入っている。胡麻餡がそれほど甘くないのは、男の馬閃に気を使ったためかもしれないが、猫猫はこのほどよい甘さが気に入った。


 二つ目をとり、竹匙で割って食べる。


 場所は、阿多の離宮の客間だった。

 

 あの騒ぎのあと、すぐ阿多たちが迎えに来た。里樹妃の侍女頭が、怯えているであろう妃に駆け寄っていた。


 残念なことに、そこに怯えて青い顔をしている妃はおらず、変な幻想を抱きまくった面倒くさいお年頃の娘がいるだけだ。


 そして、そのお年頃の娘が見ている先にいたのがこの男である。


(ふむ)


 猫猫はじっと馬閃を見る。


 年齢は、壬氏と同じと聞いたので、数え二十歳か。壬氏と違い、年齢は見た目相応である。

 背丈は、五尺七寸(百七十センチ)くらいだろうか。武官としてはやや小さいかもしれないが、まだもう少し伸びる可能性はある。


 顔は高順に似ているので悪くないが、圧倒的に渋みが足りない。もう少し落ち着きを持てばいいのだが、まだまだ未熟な雰囲気が漂っている。

 しかし、同年代の若者というものは、大抵こういうものではなかろうか、と猫猫は思う。勿論、仕える相手を考えるとそれで足りないのはわかっているが。


 物件としては悪くない。

 一応、馬の一族ということで、名前に一文字与えられている。


 そして、先ほど見た武術の腕前は、かなりのものだった。無手で刃物を持った複数の相手を倒す。それは、見た目ほど簡単なものじゃない。


 まず、人間は怯える。

 

 刃物を持っただけで、それに刺されるかもしれないという感情が働き、動きに躊躇いが生まれるものだと昔、男衆の一人が言っていた。


 だが、そんなもの微塵も見せずにやってのけた馬閃はそれだけの手練れということだろう。


(多分、それで)


 壬氏の傍につけられている。


 この男のことは、ずっと文官的な補佐だと思っていたのが間違いだった。現在の役割としては、それも兼ねているようだが、正直、性格に合わないだろう。


 こういう男は、軍部にでも放り込んでおいたほうが合っているだろうに。


(意外と、李白リハクとか性格合うかも)


 などと思っていると、「ん?」と顔を上げられた。


 猫猫はなんだか気まずくなり、芝麻球の皿を見る。


「なんだ?」

「いえ、ごまだんごいただいていいでしょうか?」

「勝手に食え」


 団子は五つあったので、猫猫が一つ多く食べることになる。正直、二つでお腹いっぱいだが、なんとか三つ目を口に入れる。


 馬閃は「ふう」とか「はあ」とか、似合わぬため息をつきながら、外を見ていた。


(なんだろう、この空気)


 せめて、話し相手に誰か置いてもらいたかったと猫猫は思った。この際、あのうるさい餓鬼どもでいいからと。


 そんなことを思っていると、ようやく阿多が客間に入ってきた。


 入ってくるなり、深々と礼をした。


「な、なにを!」


 馬閃が慌てて顔を上げた。


 この様子だと、元上級妃とはいえ、阿多の権限は残っているのだろうと猫猫は思った。


 正直、どちらが、位が上とか下はよくわからない。なんとなく雰囲気でこっちのほうが偉そうという気持ちで察している。


「里樹妃を助けていただきありがとうございます」

「それはわかっています。頭をお上げくだしぃ!」


(あっ、噛んだ)


 この様子だといけないな、と猫猫は阿多を見る。


 阿多が発言をゆるすように、猫猫を見て頷くので、口を開くことにした。


「どうして、里樹妃を囮にするような真似をしたのですか?」


 猫猫は単刀直入に聞いた。


「鋭いな」


 阿多は、口元だけ歪めて笑うと、ゆっくり椅子に座った。


 猫猫は、これは首を突っ込むな、と理性が言っているのがわかった。どう逃げ出そうかと考えたが、結果として猫猫の自由意思は通らないだろう。


 ゆえにこんな質問をした。


「私は、ここにいても大丈夫でしょうか?」


 その質問に、阿多はにっこりとほほ笑み、がしっと手を掴まれた。


 逃げるな、ということらしい。






 おかしい点は最初からあった。


 たとえ帝の承認を得たとはいえ、上級妃が後宮の外へ出ている。


 その上、街に出かけるといい、それを本来部外者である猫猫に話している。


 そして、実際、里樹妃は路地裏で襲われていた。しかも、護衛はたった二人で、妃の傍には阿多どころか、お付の侍女頭さえいなかった。


 それが異常と言わずしてなんというのだろうか。


「里樹妃はあのとおり、命を狙われている」


 阿多は、茶を手ずから注ごうとしていたので、猫猫は先に急須を奪い、茶をいれてやる。翡翠宮で紅娘ホンニャンにしごかれたせいか、自然と行動に出てしまう。


「相手はわからない。ただ、妃の不安を取り除くため、荒療治をすることにした」

「そうですか、荒療治ですか」


 どこか非難めいた返しが聞こえたので、猫猫は思わず自分の口をおさえた。いや、違う。声が出たのは、猫猫の口からじゃなく、馬閃の口からだった。


 彼の眉間の皺はさらに、記録更新中である。きざみすぎて新しい線が二つ追加されている。


「それでか弱く可憐な妃を餌のように扱ったわけですか」


(か弱く可憐・・……)


 たしかに、里樹妃はか弱い。か弱い上に、見た目は愛らしいので可憐というのも問題ない。


 ただ、その言葉がでたのは、あの馬閃の口からだった。


 猫猫に対し、主の妻にふさわしい女かどうか、ずっと里樹妃のことを聞いていた男が、である。


 か弱いはともかく、可憐と口にするのは少し場違いではなかろうか。


 それでもって。


「あの場につけていた護衛は、昨年入ったばかりの新参者ではないですか」

「ほう、知り合いがいたか」


 阿多は面白そうに、笑う。


「妃の護衛としては不適切です。その上」


 馬閃は少しためらうように止まったが、言葉を続ける。


「周りにあれだけ、見張っているのにもっと早く出ていかないのは何ごとですか?」


 馬閃の言葉に、猫猫は目を見開いた。


「ほう、気づいていたか」


 阿多は顎を撫でながら、頷いた。その動きは、どこか帝を思わせた。なんだかんだで、一番夫婦生活が長かったので、似ているのだろうか。


(つまり、隠れて見ていたということか)


 猫猫は全然気づかなかった。それどころか、あの護衛や破落戸たちも気づいてなかっただろう。


「あぶり出しにしては、いささか乱暴すぎるのではないでしょうか?」


 きりっと馬閃が言った。

 阿多に対して、敬意を払いつつも言う事は言っている。


(ふむ、加点を一つ)


 猫猫は勝手に馬閃の評価をつける。今のところ百のうちの六十くらいの微妙なところだ。


「あのままでは、妃に手が伸びていたかもしれません」


 その言葉に、阿多はぴくりと動いた。


 残念ながら、馬閃はその反応まで読み取れるほど、事細かな性格じゃない。このまま話していても、阿多からはぐらかされ続けるのがおちだろう。


(減点ふたつ)


 そう頭で呟きながら、ちょっと手助けをすることにした。


 猫猫が小さく手をあげると、阿多がこくりと頷いた。


「一つ、質問をよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「里樹妃は、一体、誰に狙われているのですか?」


 まずそこが問題だ。

 

 正直、まだ玉葉后や梨花妃が狙われるのならわかる。しかし、帝の御通りもない里樹妃を狙う理由はない。

 しかも、下賜の話まででているとすれば。


「……」


 いや、待て。


 むしろ、そっちで命を狙われているのではないのか。

 

 たとえ、頬に傷痕が残ろうとも、かの君の美しさは衰えることない。むしろ、野性味が加わってよいという新しい層を開拓しているのではないのか。


 猫猫の思惑を読み取ってか、阿多が笑う。


「はは、ズイはもてるからな」


(瑞?)


 誰のことだろう、と首を傾げると、馬閃が肘で小突く。


「壬氏さまのことだ」


 なるほど、と猫猫は手をうった。そう言えば、あれは偽名だが、正直、本名を呼ぶことはないし、覚えてもいない。


「もてるのは、この国だけではないのだよ」


 阿多は、そう言って襟から折りたたんだ紙を取り出した。四つ折りにしたそれを開くと、地図が描かれている。


 この国、リーを中心に、東方の島国、四方に散らばった属国、それから北と西の国々が描かれている。これをさらに西に行けば、おやじが留学した国へとつながる。


「どうにも、うちと仲良くしたい国がいてな。それでもって、ぜひ、その国の女を妻にという話が入っている」

「……それでは、里樹妃のことは」

「ああ。断るのには、それ相応の相手がいたほうがよかろうと。実にちょうどよかった」


(……)


 なんだろう、この動きの速さは。


 数日前まで、床入りの件でいろいろ言っていたのはなんだったのだろうと、猫猫は首を傾げる。


 切り替えが早いと言ってしまえばいいが、正直猫猫はついていけない。もしかしたら、すでに選択肢としてあって、あのあと決定打になったのかもしれない。


「それで、すでに向こうのかたがたには、その件をお伝えしているのですか?」

「いや、まだだ。だが、もう耳には入っているだろう」


(間者か)


 わざと泳がせているらしい。

 怖い御方だと猫猫は思う。


「しかし、そのくらいで命を狙うというのは短絡すぎではないでしょうか?」


 馬閃の言うとおりだと猫猫も感じた。

 それで、里樹妃が消えたとしても、正直、他にも相手を見繕うことはできよう。なにより、帝や東宮ならまだしも、相手は皇弟である。そこまでする利点があるとすれば、相手が壬氏にほれ込んだとしか思えない。


(まさかね)


 実物を見たならともかく、それはなかろうと猫猫は考える。


「……だからだよ」


 ゆっくりと、低い声で阿多が言った。


「この申し出は、里樹妃からのものだ」


 と。






 里樹妃は、可哀そうな妃だ。


 幼いころに母を亡くし、父親は後妻をすぐ家に入れた。後妻は元々父親の妾で、異母兄姉がすでにいたという。


 元々両親は、はとこ同士で、卯の一族の本家である母の家に、父が入った形となる。


 子の一族と似たような家族構成だが、違うのは正妻の娘である里樹妃の扱われかたによるだろう。


「正妻の娘より、後妻の娘のほうが可愛いようでな。今度は、異母姉のほうを後宮に入れろと言ってきたらしい」

「なんだ。それは!」


 卓子を叩かんばかりの勢いで、馬閃が立ち上がった。


「あまりに妃が可哀そうではないか」


(いやいやいや)


 猫猫も、里樹妃のことについて大体言ったと思う。異母姉を後宮に入れたいと向こうが言ってきても今更そうですか、という内容だろうに。


 なにゆえ、今頃、怒っているのだと。


猫猫は、嫌な予感その弐を感じていた。


 しかし、それに気づくと大層面倒くさく、なにより巻き込まれることとなるので、無視することにしたい。


 とりあえず、その件は一度置いて、また話に戻ろう。


「可哀そうもなにも、それを言うなら後宮にいる多数の花たちに言えることだろう?」


 その元花の一つである阿多の言葉は実感がこもっている。


 このまま馬閃が話していれば、なかなか前に進まないので、猫猫も会話に加わることにした。


「それと妃が今回の囮になる件はどうつながっているのですか?」

「ああ、それがな」


 阿多は少し憂鬱そうに、視線を下げた。


 そして……。


「父親に命を狙われているかもしれない、と言い出したのだよ」


 阿多は、皮肉な表情で言い放った。




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