二十、出会い 後編
(足速えな)
猫猫は素直にそう思った。
ただ、直線距離で走って速いわけじゃない。路地裏の狭い道、使われなくなった樽といった障害物が多い中、まるで速度の衰えがない。
(おいおい、やめろよ)
猫猫は持っていた器を置いて追いかける。
曲がりくねっているが、基本、一本道なので助かった。生まれたときから都に住んでいる猫猫でも、全部道を把握しているわけじゃない。
(あんまりこっちには行きたくないんだけど)
人通りが少ないところでは、鼠のような奴らが巣食っている。そいつらはまともに働かず、もしくは働けず、しかし縄張り意識だけは一丁前にある。
馬閃が聞こえたという音は、そいつらの縄張り争いだろうか。
(首を突っ込む必要ないのに)
少し短絡思考すぎやしないか、と猫猫は思う。
そんなとき、火花が散るような金属がぶつかる音と、叫び声が聞こえた。
猫猫は二手に分かれた先を見る。左右を見て、音がするほうへと曲がる。左に曲がり、その先へ進む。
(!?)
曲がった先は、広場になっていた。奥に倉庫があり、その手前に人影が見える。
一人、二人、三人……。
(七人か)
破落戸が男二人を襲っている。本来、二対四のところ、そこに馬閃が混じっていた。
男二人の格好は、身なりのいい町人といったところで、強盗にあっている最中に見えた。
しかし、手に持った刃物は護身用というにはいささか無骨なものだ。何かを守るように破落戸の相手をしている。
そして、破落戸四人は、身なりは汚らしいが、その手にもった得物は使いこまれたものである。刃こぼれもしていない。
それを瞬時に判断したのか、馬閃はどう動くのか決めたらしい。
(おいおい)
頭の中も、その手のひらも無手だというのに、何をする気だ。
猫猫は壁の影に隠れながら思う。
しかし――。
まず、先に倒れたのは破落戸のほうだった。
(!?)
馬閃がいない。いないと思ったら、その影は破落戸の真後ろについていた。
何をしたのかわからない、ただ、気が付けばもう一人、破落戸が倒れていた。
よくわからないが、倒れた二人はどちらも馬閃がやったのだろう。
一人は白目をむいており、もう一人は膝をおさえて震えている。
(壊されてる?)
足は奇妙な方向に曲がっていた。折られているのではなく、壊されている。今、一瞬の隙にやったにしては手際が良すぎる。
そして、猫猫がそれを観察している隙に、残り二人も片づいたようだ。
どうやったのかわからないが、破落戸の残りは宙に浮いていた。その際、絶妙に馬閃の手が破落戸の腕をねじり、嫌な音が響いた。
(再起不能じゃね?)
地面に転がった四人の破落戸は、皆、関節を壊されている。
確かに、刃物を持った強盗に手加減なんて必要ないが、行き当たりばったりで助けるには、行き過ぎた気がする。
だが、助けられた二人組は、馬閃に対して礼を言うわけでなく、ただ膝をついた。
(あれ?)
「随分、杜撰だな」
「申し訳ありません」
馬閃の言葉に男の一人が頭を下げる。もう一人は、懐から紐を取り出すと、倒れた破落戸たちを縛り上げる。
どうやら顔見知りだったらしい。
「馬閃さま」
猫猫が首を傾げながら出てくる。
馬閃はそれを無視して、奥の倉庫へと向かう。
「奥か?」
「は、はい」
思わず男が口をおさえるのが見えた。杜撰にも程があると言いたい顔で、馬閃はずかずかと歩いていく。
(……)
猫猫も早足で馬閃に追いつく。
馬閃が乱暴な手つきで、倉庫の扉を開けると、中にうずくまる影が見えた。
「……」
「……」
そこには愛らしい町娘がいた。いや、町娘というには十分すぎるほど上玉だ。女衒が一押しで売りつけてくる娘などとは比べものにならないくらいの娘である。
もちろん、それが普通の娘なわけがない。
(そういや普通にかなり綺麗だよな)
後宮にいる間は忘れがちになる。絢爛豪華な花の園だ、どんな綺麗な花もより大きい花に囲まれては、多少かすむものだ。
そこにいたのは、里樹妃だった。
合点がいった。外の男たちは妃の護衛で、武官かなにかだろう。馬閃も面識があったにちがいない。
そして、猫猫が心配した通りだった。妃の外出は漏れていたのか、それとも偶然強盗に居合わせたのか、おそらく前者だろう。
武器の手入れといい、路地裏の袋小路に追いやっていることといい、行き当たりばったりの犯行には見えない。
里樹妃は、いつもの絢爛豪華な衣装は脱いでいる。それでも、大店の娘が着るような服を身に着けていた。狭い倉庫の中でずっと震えていたためか、扉を開けた際、ぶわっと香の匂いがした。
いつもより薄い化粧の眦は、普段以上に涙をためている。唇が歪み、全身を小刻みに震わせている。
その目は恐怖に彩られていた。
里樹妃の目には、逆光になった馬閃がうつっている。
馬閃もなにか言えばいいのに、突っ立ったままだ。このままでは、気が弱い里樹妃は恐怖で、鼻水まみれになりながら失禁しかねない。
業を煮やした猫猫が、馬閃の後ろから顔を出す。
「お怪我はありませんか?」
実に自然に、妃の緊張をほぐそうと猫猫は笑顔を作った。
しかし、里樹妃は毛を逆立てるように後ずさった。何気に「ひっ!」と声を上げていた。
いや、馬閃を見たときよりひどくないか、と猫猫は思いながらとりあえずしゃがみこんで、怪我がないか勝手に見る。服はところどころ汚れているが、外傷はないようだ。
ようやく落ち着いてきたのか、引きつっていた里樹妃の顔が少しずつ緩んでくる。
ただ、その顔は熱っぽい。緊張が解けて、今度は一気に疲れたのだろうか、少し顔が呆けている。
「馬閃さま」
猫猫は馬閃を見る。
逆光になっていて彼の表情がよく読めないが、まだ緊張が解けていないことがわかった。
「しばらくそちらは任せる。私はあちらの処理を手伝う」
かたい口調で言い残し、馬閃は護衛たちの元へと向かう。
猫猫は、少々馬閃について考え違いをしていたようだ。
彼が壬氏の側近であるのは、高順の息子であり、壬氏の乳兄弟だからだと思っていた。根はまっすぐで直情的だが、それも若さゆえ成長を待っているのだとずっと思っていた。
(んなわけなかったか)
正直、馬閃が有能じゃないと思っていた。むしろ扱いやすい単純な人間だと思っていた。
それを改めよう。
たしかに、文のほうで見る彼は壬氏に仕えるには少々足りない気がしていた。勿論、同年代の文官と比べると十分優秀な方だと思う。だが、それだけでは足りないのだ。
残念ながら、彼の才能は武のほうで優れていたらしい。無手で破落戸四人を倒すなんて簡単にできるわけがない。だが、馬閃はそれを呼吸するような流れでやってのけた。
武術についてよくわからぬ猫猫もそれくらいわかった。
そういえば、子の一族の制圧に向かったとき、壬氏と一緒についていたのは高順ではなく馬閃だった。壬氏が顔に傷をつけて帰ってきたので、馬閃は高順に殴られ顔を腫らしていた。
しかし、高順も壬氏を息子可愛さで護衛につけないだろう。馬閃が殴られたのも、その信頼を裏切ったからかもしれない。
(からかうのは少し減らしてやろう)
女子どもに手をあげる風には見えないが、一応、見直したという気持ちの表れである。
それにしても、と猫猫は里樹妃を見る。
「大丈夫でしょうか?」
「えっ、あっ、ああ」
へ、平気よ、という里樹妃の顔は、さっきよりさらに赤い。
そして、その赤い顔は広場に立って、護衛たちに指示している馬閃を見ている。
「……」
嫌な予感がした。
そして、それは大概的中する。
「……さま」
小声で妃が何か話している。
しかし、よく聞こえなかった。今のは無効だ、とそういうわけにはいかなかった。
「馬閃さまとおっしゃるのね……」
妃の潤んだ目に、三割増しの馬閃がうつっていた。
(……やめようか)
里樹妃の顔は、すこぶる面倒くさい乙女になっていた。