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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
市井編1
119/389

十八、阿多の企み

 

 とりあえず阿多アードゥオに言われた手前、猫猫はきっちり言われたことをやった。なにも準備がなかったので、とりあえず早馬で緑青館に教材・・をとりにいってもらった。


 最近、本の普及に力をいれているためか、色本の値段も少しずつ下がっているらしい。それを踏まえてもやり手婆はまたふっかけた値段をつけそうだが。


 今回はそれとは別に、ちょっと変わったものを持ってきてもらった。どういうものか具体的に口に出すのはよしておこう。少々、いやかなり品がなく、それをとりだして里樹妃に見せたところ、まるで油虫ゴキブリでもみたかのような顔をして、そのまま後ろの壁まで離れて行った。


 せっかくなので阿多も呼んでみたが、明らかにひいていた。どうやら東宮妃時代の夜の営みはごくごく真っ当なものだったようだ。


 時々、子どもたちが部屋に入ろうとするので、


「こら、まだ早い」


 とか、


「見ちゃいけない」


 とか言って目を覆いながら追い返している。


 授業の途中で何度も逆上(のぼ)せるので、困ったものだ。そのたびに、一緒に連れてきていた侍女頭が里樹妃を介抱していた。


 一応、妓女が初めて客を取る前の手はずを教えてみた。客の好みに合わせて、妓女に対し、前以てとある処理をしておくこともある。


「やってみますか?」


 里樹妃に聞いてみたら、即座に首を横に振られた。


 どんな処理かはまたご想像にお任せする。


 というわけで授業が終わったのは、もう日も傾いたころで、せっかくなので晩餐をごちそうになった。そうなると、阿多はもう遅いから泊まっていけという。


(断ろうか)


 急なことだったので、猫猫の意思を尊重してくれるだろう。薬の調合もやっておきたいし、出かけるとなんだかんだで趙迂チョウウがうるさい。先日、やぶ医者の故郷に行ったときもうるさかった。


(でもな)

 

 猫猫はあえてその誘いを受けることにした。






 食事はうまいし、風呂は広いし、寝台は暖かくやわらかい。布団の中に詰まっているのは綿だろうか、こもを重ねた上に敷布シーツをかぶせたものとはわけが違う。


 このまま夢の中に落ちてしまいそうになるが、いかんいかんと首を振る。


 用意された部屋着の上に、上着を着て部屋を出る。外の護衛には、「ちょっと散歩にでる」とだけ伝える。怪しかったらついてくるだろうし、ついてこられても問題ない。


 かつかつと回廊を歩く。皇帝の離宮ということもあってそれはもう豪華である。すぐそばに宮廷があるのに、なんでこんな場所に離宮を作るのかという疑問はあるが、それはおそらく空気だろう。


 ここは後宮とも外廷とも違った静かな空気が流れている。昼間騒いでいた子どもたちも、今は寝息しか音を立てていないだろう。


 中庭は、月明かりで照らされていた。金持ちの趣味はわからないが、庭の中心に大きな岩がある、穴がぽこぽこ空いていて、それが多いほど縁起が良いのだと聞いたことがある。

 

 それを背もたれにして手酌で酒を飲む者がいる。


(相変わらずだな)


 猫猫はふうっと息を吐いた。前にもこんな場面があった。あのときは、後宮の外壁の上で、そのときと変わらない男装をした姿だった。


「おや、見つかってしまったか」


 髪を後ろでくくっただけの阿多は、青年というにふさわしい。凹凸の少ない身体がよりいっそうその男前を引き立てる。


「ええ、寒くないですか?」


 阿多は返事の代わりに酒を見せる。酒精が濃いらしく、これを飲むだけで温まるのだろう。


 ここに座れと阿多は自分の横を叩く。ご丁寧に手ぬぐいを置いてくれた。


「それでは失礼します」


 といいつつ、猫猫に遠慮した様子はない。それくらいで阿多が怒るとは思えないし、なによりそれが目当てで眠い目をこすってやってきたのだ。


 阿多が近くにいるためか、護衛は少し離れたところで待っている。あれだけ離れていたら、兎の耳でも持たぬ限り、こちらの声は聞こえないだろう。


 その考えは阿多も同じだった。


「……で、何の用だ?」

「話が早くて助かります」


 本当ならもう少し暖かい場所で話したかったが、酒があるのなら悪くない。阿多は猫猫に杯いっぱい酒をついで渡すと、瓢箪に直接口をつけて飲む。


「たとえ話をしてもよろしいですか?」

「いいぞ」

「阿多さまのお父さまが実は血のつながりがない赤の他人と言われたらどうします」


 阿多は首の裏をぽりぽりかいた。


「私が生まれる前に父は死んだ。義父はおらず、母は主上の乳母をすることで私を育てた」

「たとえ話です。その父とある日、結婚せねばならないと言われたらどう思うでしょうか?」


 これが誰のことを言っているのか、わかってくれるだろうか。それが心配だったが、阿多はわかったらしい。


 阿多はぽりぽりと鼻の頭をかいて、次に頭をかきむしった。


「……そういうことか」

「ええ、そういうことです」

「父親とはそれほど大きいものとは思えぬが」


 猫猫もだが、少なくとも養父に至っては尊敬すべき存在である。世の中には、男女の仲を最上のものと考える人間は数多くいる。でも、猫猫はそれがすべてではないと思う人間の一人だ。


 そしてもう一つ。

 

 阿多にはこれが一番欠けていると思った。


「主上もまた、同じなのでは」


 その言葉に、阿多は目をぱちぱちさせた。


「……平気だろう? 姉のような生き物とつがうくらいだぞ」


(つがうとは……)


 ずいぶん言い切った。不敬極まりない。だが、皇帝の乳兄弟である阿多だからこそ言えるのだろう。


(そういうわけか)


 彼女にとって皇帝は弟なのだ。たとえ立派な髭をたくわえようと、国の頂に立とうと弟なのだ。


 弟の指南役になった阿多は、そういうものだと割り切ったのだろう。自分が割り切れた故に他の者もできると思う。

 人とは、自分にできることは他人にもできると思う、そういうものだ。


(弟ね)


 ふと、主上が東宮時代、阿多以外の妃をとらなかったことを思い出した。すでに、子を産むことができなくなったあとも後宮に置いていた。


「……」

「どうした?」

「いえ、なんでもありません」


 阿多は首をかしげている。

 知らぬというのは、それだけ残酷なことだと思う。


 そして、知らぬふりをするのもまた残酷なことだ。


「私にとって娘のようなものなら、主上にとっても娘か」


 阿多は、くすっと笑って、その笑いを呑みこむように瓢箪に口をつけた。


「でもこのまま、その娘を後宮内で肩身が狭い立場にさせたくはない」


(それはもっともだ)


 前より減ったものの、名ばかりの上級妃ということで、皆、里樹妃を軽んじている。


 あちらを立てればこちらが立たず、ままならないものだ。それはこの世にいくらでもある。


「それでも耐え難いというのなら、もう一つ手があるのだがな」


 ちらりと猫猫を見て、阿多はにやりと笑った。どこか意地悪そうな顔である。

 

 猫猫はこれ以上言う事はなかった。ただ、杯の中身だけはしっかり空にしておいた。






 阿多の離宮から帰ってきて、数日がたった。猫猫は川べりに座り込んで、目に優しい緑を見ていた。

 

(ふむ、良い感じだ)


 猫猫は道端に生えた蓬を千切っていた。籠にはふきのとう、せりが入っている。つくしは、まだ頭が出たばかりだったので取るのは保留しておいた。

 今度は趙迂チョウウを連れて手伝わせようと思うが、あやつは毒ぜりを間違えてとってくるだろうなと思う。しっかり教え込まねば。


 川の近くは土壌が豊かだ。たまにこうして都の外を散歩がてら歩いては野草を取る。前に調子にのって遠出をした際は、そのまま人買いに売り飛ばされたが今後はそんなことがないように気をつけねば。


 都の周りには大きな外壁があるが、基本的に出入りは自由だ。


 都の周りには街道ぞいに田畑が広がっている。

 都の人口数十万を支える食糧を毎日運び込むため、出入りを制限すると不便なのだろう。


 さすがに大きな馬車は、その荷を確認する作業が行われるが、猫猫はその横をぺこりと頭を下げて都に入る。


 南側の門は、直接花街とつながっているため、とくに規則は緩い。米が詰った麻袋をつんだ馬車は、木簡を衛兵に見せて中に入っていく。


 さて、川べりの戦利品はどうしようかと猫猫は考える。せりとふきのとうは夕飯の足しにするとして、蓬はお灸のもぐさにするか、それとも草餅にするか使い道はたくさんある。


 そんなわけで少し浮き足立って歩いていると、がしっと肩を掴まれた。そのまま、路地裏に引っ張り込まれる。


 昼間とはいえここは花街、都の中でも治安が悪い。猫猫はすかさず襟の中に入れてある苦い薬の塊をとると、掴んだ者の目にめがけて押し付けた。


「あっ……」


 薬は命中し、引っ張り込んだ男は両手で目を押さえ、地面に転がっている。

 破落戸ごろつきにしてはいい身なりで、なおかつ見覚えがあった。


「なにやってるんでしょうか? 馬閃バセンさま」

「それはこっちが言いたいわ!」


 ごろごろ転がりつつ、馬閃は悪態をまき散らした。






 濡れた手ぬぐいで、目を押さえつつ馬閃と猫猫は場所を移動した。緑青館に向かおうとしたが、馬閃が「やめてくれ」というものだからやめた。顔が見えないのに、声色だけでその切実さがうかがえる。よほど、先日、大事なものを白鈴パイリン小姐に奪われそうになったのが怖かったらしい。


 里樹妃もそうだが、この男はこの男で問題だよな、と猫猫は思う。父親である高順ガオシュンとしては、すでに別の子が孫をつくっているので、さほど気にしていないようだが。


 ようやく目の痛みがとれたらしく、手ぬぐいをとる馬閃。


「なんだここは? 馬小屋か?」

「我が家です」

「……」


 緑青館が駄目なら他に場所はない。こんなあばら家に住んでいるのか、と憐れんだ目で見ている。


「……おまえ、もしかして借金があるとかじゃないよな」

「ええっと、ご心配なく」


 室内に入れても、その粗末な雰囲気に、また同情されそうだ。猫猫はもう外でいいや、と薪割りの土台を持ってくる。それを馬閃の椅子に、自分はそこらにあった大きな石の上に座る。


 周りは人気ひとけがないので、別に問題ないだろう。


「どうしたのですか?」


 普段なら明日か明後日あたりに壬氏がくる日取りだ。その前に馬閃がやってきたというのは、緊急の用事があったのだろう。わざわざ出かけていた猫猫を探していたくらいだ。


「それがな」


 複雑な顔をして、どこかもごもごしている。

 

「特にないのなら、洗濯してきていいですか?」

「おい、ちょっと待て!」


 馬閃は大きく息を吐くと、猫猫に顔を近づけてきた。


「なあ、里樹妃とはどんな人物かわかるか?」

「そういうことなら、高順さまに聞いた方がいいかと」


 猫猫より、いつも壬氏についている高順のほうが詳しいに決まっている。


 ずいぶんいい時機タイミングに話が来るものだ。


「それができないから、困っている」


 真剣な表情で馬閃が言った。

 

 猫猫にとって高順とは、見た目は寡黙だが、中身は苦労人のけっこうお茶目なおっさんである。息子の前では、その中身を見せることはなく、優秀な皇弟の従者としか映っていないが。


「どうといわれましても」


 性格は臆病で泣き虫、まだいろいろな面で幼いが、よく言えばすれていない。その幼さに好みはわかれるが、基本的に可愛らしく保護欲はそそられる。


「……本当にそうか?」

「なぜ、そんなに疑うのですか?」


 目をすわらせた馬閃は腕組みをしたまま、猫猫にこっちへ来いと手招きをする。


「壬氏さまも、父上もその名を聞いたとき、しぶっておられたからな」

「なにをですか?」


 話が読めないなあ、と猫猫は首を傾げる。


「家柄については、最近でしゃばっている卯の一族なのが気になるけれど、断るほどでもない。いや、むしろ……」

「いえ、一人ぶつぶつ言わないでください」

 

 普段、自分がやっていることを棚に上げ、猫猫は唸る馬閃に言った。


「……誰にも言わないな?」

「それなら別に聞きたくありません」

「おい、ここまできたら言わせろ」


 そう言って、馬閃は猫猫の耳元でささやく。


「里樹妃を下賜する話が出ている。相手は壬氏さまだ」

「おやまあ」


 先日の阿多の笑いはこういうわけだったのか。

 猫猫はぽんと掌を打った。


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― 新着の感想 ―
阿多様、自分がどれだけ主上に愛されてるか全然気づいていないですね…けど、 >知らぬというのは、それだけ残酷なことだと思う。 >そして、知らぬふりをするのもまた残酷なことだ。 これを猫猫が言うのはブーメ…
[一言] 阿多さん、猫猫並みにマイペースだな。
[一言] 猫猫は血筋は若干低いけど羅の者だから側室程度はこなせる血筋だよね。
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