十五、紙の村 後編
「飲み比べたあ、随分度胸がいいなあ」
目の前に現れた生意気な娘に向かって地主は言った。莫迦笑いをする農民たち。
「おい、本気か?」
紙職人の旦那たちが心配そうに猫猫を見る。やぶはあまりのことに、放心状態になりそのまま床に倒れてしまった。頭を打つ寸前で、下の甥っ子が受け止める。
「問題ありません。それより質問ですが、どれくらい借金が残っているのですか?」
「……年間で銀千枚、今年は半分支払ってるから、残り四千五百だ」
ふむ、それは金貸しに頼んでも簡単に貸してくれるものではない。御用達というけど、大量生産には向かず、そう簡単に金が作れるものでもない。
「そうですか」
猫猫はどかっと、椅子に座った。
「せっかくなので、賭けをいたしましょうか?」
「賭けたあ、大きく出たなあ」
地主は酒にはよほど自信があるらしく、完全に莫迦にしている。
「何か賭けるものでもあるっていうのかい?」
「ええ、だから、さっきからさしているじゃないですか」
猫猫は自分の胸をぽんと叩いた。
「女衒に売れば、三百はいけますよ」
ぶほっと、酒を噴く野郎どもが続出する。
「はははは! 三百たあ、大きく出たもんだあ。嬢ちゃん、物の相場ってものがわかってるのかい?」
わかっているから言っている。何人の売り飛ばされてきた娘を見てきたと思っている。
「どんな上玉でも百もつかねえぞ、なのに、なのに……」
つぼに入ったらしく、唾を吐き散らしながら笑っている。酒の回りも良いことで都合がいい。
そんな奴らを見て、猫猫は「ぷっ」と笑って見せた。明らかに嘲笑とわかるそれに、酔っていた男の半分が猫猫を睨む。
「だって、土に汚れたままの大根をそのまま引き渡しても銀五十もつかないに決まってるじゃないですか。そんな常識も知らないなんて」
猫猫の身体ががくっと揺れた。襟首を掴まれて、つま先立ちになっている。
大根が田舎娘の揶揄だと十分伝わったらしい。
「おい、もういっぺん言ってみろ!」
顔を真っ赤にさせた農民その一が猫猫に掴みかかっていた。振り上げた拳は、土で黒ずんでたこだらけで、殴られたらひとたまりもないだろう。
(殴られても仕方ないけど)
ここで引くわけにもいかない。
やぶはぶっ倒れ、紙職人の男たちは顔を引きつらせているばかりだ。
「読み書きもろくにできない。ふふ、それなら紙なんてもの一生使うことはできませんよね」
殴りかかろうと手が動いたところで、その手は猫猫を殴ることはなかった。
「やめとけ。傷物になったら、価値が下がるだろうが」
大地主に言われて、農民その一が猫猫を下ろす。
地主は価値が下がるといった。
つまり、猫猫の賭けにのったことを示していた。
「さて、誰から始めましょうか?」
呆れた紙職人たちは呆然と猫猫を見ている。
飯屋の主人とおかみさんははらはらした顔をしている。
やぶは床に転がったままだ。
そして。
「俺が最初に相手にしてやる!」
猫猫に掴みかかってきた男が言った。
大変、好都合だった。
空の酒瓶が床に何本転がっているだろうか。
そして、床にぐでんと倒れた野郎どもの数は四人、いま五人目が倒れた。
「……冗談だろ?」
呆れた声で言ったのは、やぶを介抱しているやぶの下の甥っ子のほうだった。
「あら、もう終わりですか?」
猫猫は、杯に残った酒をくいっと飲み干した。喉が焼けるような蒸留酒だ。こんな田舎の飯屋には上等すぎる品だ。だが、もっと強い酒を飲み慣れている猫猫にとっては大したことない。
猫猫をさっさと潰そうと、酒精の高い蒸留酒を出したのが間違いだった。飲み慣れぬ度数の高い酒に男たちはどんどん酔いつぶれた。ぐったりしてるが、死ぬほどではないはずだ。なにより、猫猫としては売り飛ばされてはたまらないので、手加減などするつもりはない。
「百五十だ」
それが猫猫の価値だと言われた。
元々、銀三百と吹っかけたのでそれで十分だと思った。
ちなみに、買いたたく女衒屋は、村娘を銀二十ほどで仕入れることもある。
それを元手に一人目に勝った。すると、二人目が出てくる。最初から酔いが回っていたのだろうと高をくくって、濃い酒を一気飲みし潰れた。
三人目、四人目とそうやって挑戦する。前の分の酒が残っている分、猫猫には不利である。それが常識だが、残念だが猫猫はその予想をこえるざるだった。
(これで五人か)
一人目で百五十、二人目で三百、三人目で六百。五人となると銀二千四百が猫猫の取り分となる。
そこのところを理解しているのか、顔を真っ赤にしながら野郎どもは睨んでいる。
向こうはまだあと半分残っているが、猫猫としてはあと一回勝負に勝てば問題ない。借金の残りは四千五百だったはずだ。
相手が酔っぱらっていてよかった。口から出まかせで、簡単な証文と、手形をとってもらっている。それが五枚。どうせ奴らは、その証文がただの紙切れだと思っているのだろう。上に立つ大地主さまが反故にしようとしているところからわかる。
ぐぬぬ、と顔を歪める中、ようやく本命が酒瓶を持った。
「お相手願おうか?」
髭面の地主は笑っていたが、目は鋭かった。
猫猫は腹を撫でる。
(いけるかなあ)
さすがに五人分相手にするとなれば、多少はたまってくる。
地主はいつも蒸留酒を飲んでいるだけあって、酒には強そうだ。少し苦しそうな猫猫を見て笑いながら、証文に目を通す。
「こいつらと俺を一緒にするなよ」
書きなぐったような署名をすると、ばんと証文を机の上に置く。
「女衒に明日にでもきてもらうからな」
「それくらいわかっています」
猫猫は仕方ないと、懐から小瓶を出した。
「おい! なんだそりゃ!」
地主の取り巻きが突っかかってくる。
「この酒の味に飽きたので、ちょっと味を変えようと思っただけですよ」
そう言って、猫猫は琥珀色の液体が漂う杯の中に小瓶の中身をとくとくと入れた。
それを見て地主がぴくりと動く。
「ちょい待ちな。それなら、俺の分も頼もうか」
そう言うので、猫猫は小瓶を地主に渡した。地主はじっとその小瓶を見ると、その残りを全部、杯の中にいれた。
「酒の酔いが回りにくくなる薬とかじゃねえよなあ」
にやりと笑う男に対し、猫猫は無表情のまま杯をあおった。
地主は猫猫が全部飲み終わって素面の顔だと確認すると、にやりと笑って杯をあおる。ごくんごくんと飲み干して、そして――。
倒れた。
駆け寄った取り巻きが地主を起こすが、ぐったりしている。
「おい! 何を盛った」
「盛ったもなにも、私も同じものを呑みましたけど」
ぐったりする理由は、酒に他ならない。
「賭けは私の勝ちですね」
『……』
一同唖然とする中で、猫猫は立ち上がると証文を手に取る。ふらつくこともなくそれを紙職人の旦那に渡すと、飯屋のおかみさんの前に立った。
「厠はどこですか?」
「ここでて右だよ」
「ありがとうございます」
猫猫はやや小走りになりながら、厠へと向かった。
酒瓶を何本も空けてしまえば、尿意のひとつくらいあるものだ。
猫猫とて、人前で漏らすなんて真似は恥ずかしくてできないのである。
「なあ、お前さん。何をやったんだ?」
紙職人の旦那が証文の紙を丁寧に折り曲げながら言った。
「別に、私は酒の味を変えたくて酒精を足しただけですけど」
猫猫は着物の衿に薬草や医療器具をよく入れている。消毒用の酒精もまた入っていた。
消毒用なので、その濃さは並の酒とは違う。普通の奴なら一口飲んで倒れてしまうのに、地主ときたらなみなみと入れてしまった。
「……一つ、聞いていいか?」
「なんでしょう」
「おまえさんもその酒精とやらを入れて飲んでたよな」
少し顔を引きつらせながら言った。
「ええ、あれくらいならまだ平気だとわかっていましたから。ただ、早く終わればいいかなと思いまして」
ああやって、猫猫が不審な行為をしたら、向こうが乗ってくるかなと思った。上手い具合にのってくれてよかった。
普通にやっても勝てただろうが、正直それまで尿意を我慢できるかわからなかった。
「厠に間に合ってよかったです」
「……それは何よりだが。いくら自信があったからといって、自分の身を担保に賭けをするとはどうかと思うぞ。ましてや、俺たちのために」
「なにか勘違いされてませんか?」
猫猫は折り曲げてあった証文を旦那から受け取る。
「これは私の取り分です」
にこりと猫猫は笑う。
「ちょ、ちょっと嬢ちゃん!」
唖然とする旦那に代わり、ようやくやぶが目を覚ましていた。
「そんな殺生なこと言わずにさあ」
「そう言われましても、私にはそこまで義理はありません。それに、まだ話は全部終わっていませんし」
ちらりと猫猫が目をそらすと、そこにはぐらぐらする頭を押さえながら手下の手を借りて起き上がる地主がいた。
床に嘔吐物が散らかっていることから、酒を吐いて無理やり正気に戻ったのだろう。店主が嫌な顔をしている。
「もう少し寝ていたほうがよろしいのでは?」
「さっきの賭けは無効だ!」
おや、予想通りの反応である。
「酒の席の余興みたいなもんだ。最初から本気じゃなかった」
「でも、ここに証文がありますけど。手形に直筆、まさかこれも字が読めなかったとでもいうのですか?」
「知るか、そんなもん! 反故だ、反故!」
猫猫は腕を組み、仕方ないと飯屋に置いてある酒樽の前に立つ。
「なら仕方ないですね」
ぽんぽんと酒樽を叩いた。
「役人に税を誤魔化していることを報告するより他ありません」
猫猫の一言に、皆が静まり返る。
地主がぽかんと口を開け、まだ起きている農民たちはあからさまに動揺した。
飯屋の主人たちは少し不安そうだが、同時にほっとした顔をしている。
紙職人たちは顔を見合わせて、その後、猫猫を見た。
やぶはただ首をかしげている。
「税を誤魔化すってどういうことだ?」
口を最初に開いたのは、反抗的な長男だった。
「酒は作る際、国の許可がいります。個人で楽しむ分ならともかく、こうして店に卸しているならどう考えても酒税対象ですね」
商売をする上で、税はいくらかかかるものだ。そして、税率というものは、嗜好品ほど高くなる。飯屋より酒屋のほうが税は高く、娼館になるとその率が跳ね上がる。いつもやり手婆がぶつくさ言っていた。
どうしてこの店が、地主に話し合いの場を貸すのかと疑問に思った。店子だからかとも考えたが、それよりもこの大量の酒のほうが目に入った。
安くそこそこ美味い酒をたくさん仕入れられたら、店としては助かるだろう。多少迷惑でもないがしろにはできない。
地主が酒を頼んだ際、この濁り酒を出さなかった理由は、そこにあると考えた。農民たちを使い、酒を造っているのだろう。飲み飽きた酒を今更、ここで注文する理由はない。
「もしかして、酒の材料もはねているんじゃないでしょうか?」
酒には大量の米や麦を使う。この酒には米が使われているようだ。
ふと、この地主の言いがかりを思い出した。
「お前らが水を汚すから米の収量が減った。水が足りなくて米ができない」
猫猫は反すうする。
「これ、嘘でしょう? むしろ、以前より米の出来はいいのでは?」
稲作は上流から腐った葉や土の栄養が溶け込んだ水が流れてくることによって、土が痩せずに済む。毒を流すならともかく、紙作りで水に溶け込むのは、米などを原料にした糊や、紙の元になる木屑だ。むしろ、良い肥料として働くものだと猫猫は考える。
前の地主が賃貸契約ではなく、土地の売渡にすることにしたのはそれがあったからじゃないだろうか。
なにが原因か向こうはよくわかっていなかったかもしれないが、米の収穫が増えたことには違いない。ここに長く留めて置くことは、今後、役に立つと判断した。
そして、その収穫が増えた分をいつの頃か隠し、酒にするなりなんなりするようになった、と勝手な推測をした。二重の税逃れはけっこう厳しいことになる。
そこまで口にするのは、おやじの教えに反するので黙っていたが、地主や農民たちの表情を見る限り間違いでもなさそうだ。
「しょ、証拠はあるのか?」
農民の一人が口にした。
「そうだ! 証拠はないのか!」
それに呼応し、他の農民も口にする。
「大丈夫です。無実なら、役人が家を調べてもなにも出てこないはずです」
猫猫はわざと笑顔を張り付けて言った。
元気よく抗議していた農民たちが黙る。なんと図星だろうか。
「随分と強気だな、お嬢ちゃん」
まだくらくらする頭を押さえながら地主が言った。
「そんな真似してただですむと思っているのか?」
「その言葉、そのままお返ししますね。少なくとも今この状況を見ていってください」
猫猫は地主を見下ろす位置に立った。
手下の半分は酒で倒れて動けそうにない、地主自身もそうだ。残りといえば、倒れるほどではないが酒がだいぶ入っている。素面とは言い難い。
対して、こちらは素面のがたいのよい男たちが六人いる。やぶは戦力外なので最初から含まない。
飯屋の主人たちはできるだけ無関係でいたいらしい。酒のことも知らなかったことにしたいはずだ。
暴力でかたをつけるつもりはないが、向こうがその気ならこっちもそう動くだろう。
度重なる言いがかりで、紙職人たちも頭にきているだろう。
猫猫は大変下卑た笑みを浮かべて、ぴらぴらと証文を地主の頬に当てる。
「助けを呼んでもいいですよー。代わりにこっちは役人まで早馬を走らせますから」
猫猫は上機嫌に歌うように言った。
「嬢ちゃん、なんかいつもと雰囲気違うんじゃないかい?」
やぶがそんなことをぼそっと言った。
そんな中、ばんっと大きく飯屋の扉が開いた。
何事か、と思ったら扉にはこぎれいな着物を着た娘が立っていた。そして、中の様子を見るなり、顔を真っ青にした。走ってきて倒れた地主の前に来たと思いきや、膝をついて頭を下げた。
「父さまがまた無茶な要求をしたのはわかります。ですが、無体なことはおやめください」
深々と頭を下げられる。
猫猫ではなく、紙職人たちに向けて頭を下げている。
「いや、俺たちじゃなくて」
次男が首を横に振るが、娘は頭を下げたままだ。額を床にこすり付けたまま、髪が乱れるのも気にした様子はない。
「ごめんなさい、ゆるしてください。莫迦な父を許してください」
周りの声など聞こえておらず、娘は謝罪するばかりだ。そんな中、動いたのはあの生意気な長男だった。
「そんなことはしねえよ。おまえの親父さんに」
娘の肩をゆっくり抱き、落ち着かせながら頭を上げさせた。娘は涙をぽろぽろ流しながら、長男の顔を見てこくりと頷いた。
それを見て逆上したのは、地主だった。
「おい! どこの馬の骨ともわからん奴が、うちの娘に近づくな!」
叫んで起き上がろうとするが、足がまだふらふらしているらしく床に転がった。
「父さん!」
「義父さん!」
「お前の親爺になったつもりはない!」
なんだろう、この空気。
呆れたように次男は兄たちを見ている。
「これってもしかして」
「大体、お察しの通りかと」
長男が農民よりな理由、地主がやたらよそ者を嫌い追い出そうとする理由、その二つがわかった気がした。
わかったのはいいが知らなければよかったなあと思った。
間抜けな喜劇にありそうな掛け合いが目の前で広がっていて、正直、描写する気にもならない。
「兄さん、一途だから」
「それで村一つ滅ぼされたらたまんねえわ」
猫猫はその他紙職人の皆さまの言葉を代弁する。うんうん、と頷く。大体、長男をこの話し合いの場に連れていく時点で間違いだろうと思ったが、よくよく考えるとやぶの身内だということを忘れていた。
やぶの身内なら仕方ない。抜けていて当然だ。
猫猫は、くだらねえと椅子にどかっと座った。
「お酒ください」
手を上げておかみさんを呼んだ。
「まだ飲むのかい?」
「まだまだいけます」
その言葉に、呆れた視線が集まったが気にすることもなかった。
案外、酒が回っていたのかもしれない。
普段より饒舌だったことに気づくのは、酔いがさめたあとだった。
「すごい悪人だったよ」
と、やぶに何度も言われた。
結局、猫猫の手もとに銀四千八百は来ることはなかった。勿論、貰ったところであぶく銭だし、変なわだかまりのほうが大きいだろう。
代わりに、今後十年間、百五十石の米を無料で緑青館に届ける約束をつけた。大体、緑青館の米の年間消費量は二人で三石くらいだ。かなり人数分より多いが、米は銭の代わりにもなるから問題ない。
やり手婆に貸しである。薬屋の賃料は五十年分無料にしてもらわないと割にあわない。
それでもって紙職人たちとの契約は、前と変わらずとなった。勝手に酒を造っていることがばれたのが大きい。農民たちは役人が怖いため、下手になにか言う事は出来なくなった。一応、あの後、やぶが宮廷仕えの身であることを教えておいた。
とりあえず、やぶの面目は立った。
今後、税を誤魔化すか否か、それは猫猫には関係ない。
それでもって紙職人の長男と地主の娘がどうなったかといったら知らない。さっさと別れちまえば、もっと円滑な関係を農民たちと結べるだろうに。一度、花街へ連れていくよう仕向けてしまおうかと、猫猫は悪いことを考えた。
そういうわけで、ようやく花街に戻ってきた猫猫だったが。
「にゃーお」
なんでここにいるんだろう。
行きの道中はあんなに落ち着きがなく、馬車の中でうろうろしていたのに。
土産にと貰った最高級の紙を入れた行李。その中に入っていた。一番上の紙がつめとぎにされてぼろぼろだ。
「おっ、毛毛だ」
目ざとい趙迂がやってきてさっそく帯の紐を揺らし、猫と遊んでいる。
やぶはさっさと後宮に帰り、猫猫はもう一度毛毛をおくりとどけようにも、部屋には薬の処方の依頼がたくさん来ていた。
猫猫は、ふうっと息を吐くと、処方に必要な薬草を棚から探し始めた。