十四、紙の村 中編
話し合いはその大家の村にある飯屋でやることになった。紙作りの村からそんなに遠くないところにある。歩いて一時間もかからないところだ。殺風景な飯屋は、そこそこ大きな造りをしていた。本来、地元民相手でなく街道を通る旅人を相手しているのだろう、宿も兼ねているようだ。
こちらがやぶの義弟とその息子二人、あと村に住む壮年の男が三人。やぶと猫猫というおまけの計八人でいる。
対して向こうは十人以上がたいのいいおっさんたちがいて、その中で偉そうな髭の中年がどすんと座り込んでいた。
飯屋の親爺とおかみさんは面倒くさそうにその一団を見ている。
話が無理難題なのでなにかしら乱闘になるかもしれないと、この場を選んだのだろう。迷惑な話だ。
やぶはぶるぶる震えている。店のおかみさんをのぞくと、女は猫猫しかいないのでとても浮いている。生憎、鶏がらのような娘には皆興味はないようで、「なんでこんなのがいるんだ?」と首を傾げたり、鼻で笑っている。
ついていくのには苦労した。
やぶ小母さんが止めたからである。一応、こんななりでも嫁入り前だ、なにか危ない目にあっては大変だと言われた。なにより場違いすぎる。
そうは言われても、一方で情けなく猫猫を見るやぶはいるし、猫猫もその契約とやらが気になった。
しかたなく、適当な理由を口にした。
「私の遠縁にその手のことに詳しい者がいます、私がきいてそういうことがあったと伝えては駄目でしょうか」
と。
その手と言われて、小母さんは司法官でも思ったのか、しぶしぶ納得した。
残念ながら司法官の知り合いはいない。似たようなことをしている宦官もどきなら知っているがそれは別であるし、猫猫のいう遠縁とは、算盤はじきが得意な小柄な男である。あやつに相談すれば、法に触れない金儲けの方法などいくらでも知っていよう。
というわけで、猫猫は少し離れた席に座り、店のおかみから茶を貰う。酒場も兼ねているのか、酒の匂いがぷんぷんして、思わず頼みたくなったが我慢しよう。
酒は濁り酒のようだ、調理場の方に大きな樽があり、そこから中の白い酒が見えている。都では澄んだ酒や蒸留酒が好まれるので、典型的な田舎酒という印象である。
猫猫が酒に気をとられている間に、向こうは向こうで話し合いをはじめていた。一応、耳だけは傾けておく。
「金は準備できたか?」
三文役者が悪役をやるような台詞を吐くのは、やはり偉そうに座っていた髭の中年だった。地主の男の周りには、小作人だが用心棒だかわからないごつい野郎ばかりいる。
旦那さんたちも体格はいいが、人数的にどうみても不利だなと猫猫は思う。
「期限はまだあったはずです。もう少し、考えていただけないでしょうか?」
旦那さんが神妙な面持ちで言った。地主と旦那の間には、一枚の紙が置いてある。あれが契約書だろう。
「考える余裕はない。こちらも善意だけでやってるわけじゃない。払えないなら出て行ってもらうしかない」
とりつく島もない。こんな様子で何度も言われていたのだろう。
「俺たちだって、多少の便宜は図りたいと思ってる。だから、今年の冬まで待とうっていうんじゃないか。ただ、その間にちょいと教えを乞いたいって言ってんじゃないか」
(滅茶苦茶だなあ)
今すぐ出ていくか、それとも年末までに出ていくか。たとえ猶予期間を与えられたとしても、それは相手に自分らの技術を教える期間になる。
次に住む場所も決められるわけもなく、後者を選択したところで技術の流出になろう。おそらく、宮廷御用達の看板もそのままかっさらって人間だけ入れ替えるという寸法だ。
腹立たしいがそれが普通にまかり通るわけがない。
なによりその証拠が卓の上にある。
しかし、変だと思う。わざわざ仕事を農民に覚えさせてから出ていかせるよりも、借金をかたにいいように下働きさせればいいのに。それほどよそ者が嫌なのだろうか。
猫猫はとことこと旦那さんの後ろに立つ。横にはやぶがいて、髭を震わせている。
契約書はもう十年以上前に書かれたというのに、紙質は綺麗なものだ。粗悪な品なら数年でぼろぼろになるだろう。
そこには、二十年で支払い終える旨と、月々の返済金額が書かれている。ちゃんと最後に花押印という署名代わりの印鑑が押されている。
これだけしっかりしたものがあるのに、何を偉そうにふんぞり返っているのか。首をかしげていると、こっそり下の息子のほうが教えてくれた。やぶにいったつもりだろうが、猫猫にも聞こえる声だった。
「契約書は無効だって言ってるんだ」
それでもって、中の文は代書屋が書いたと言っている。
「花押があるのに?」
「それは本物だけど」
先代の地主は字が読めなかったらしい。
「読めないんですか?」
猫猫がたずねる。
それはおかしくないか、と猫猫は首を傾げる。地主なら書類に目を通すこともあるだろうし、第一、そういう教育は受けているはずだ。
「婿さんだったからな」
(あっ)
察した。
婿養子なら、わかる。よく働く小作人の一人だったのだろう。ならば、勉強なんてできるわけもないし、婿になったあとに覚えようと思ってもなかなかできることじゃない。
「前は代書屋じゃなくて、奥さんがやってたんだけど」
奥さんが死んだあとに契約したらしい。
(ふーむ)
契約書は本物だと信じたい。花押印は本物だと言っているので、先代地主の目の前で契約されたことは本当だろう。
「代書屋とその場に立ちあわせた人はいないんですか?」
「それがどちらも死んじまってな」
十五年前の契約で、どちらも高齢だったらしい。
(本当に滅茶苦茶だ)
猫猫が頭をかいてる間に、地主は選びようがない二択を旦那につきつけている。周りの農民たちがにやにやといやな笑いを浮かべる中で、紙職人たちは小さくなるしかない。
ただ、あの長男だけは複雑な面持ちで唇を噛んでいた。
「今すぐ出ていかないようなら、仕方ないなあ。明日から、うちの若いのそっちへよこす。手伝ってやるから、年末までに仕事覚えさせてくれよな」
紙職人たちが拳を震わせる。やぶはついてきたものの、やはりでくの棒だ。役に立つわけがない。
猫猫だけは淡々と周りの様子を見ている。
やはり、酒が気になった。
あとで一杯ひっかけようかと思うが、この中でそれをやるのは空気が読めてなかろう。
しかし、地主側ではその空気満々で、上機嫌に酒を頼みはじめた。
「おい、こいつらにも頼む」
地主の大盤振る舞いについてきた農民たちは大騒ぎで、逆にこちらは葬式のようだ。
店のおかみさんがしぶしぶお盆に酒と杯をのせて持ってくる。
猫猫はくんくんと鼻を鳴らす。
(あれ?)
農民たちが持っている杯の中身を見る。濁り酒じゃない、透明な酒だ。地主の男が飲んでいるのは、それとはまた違った琥珀色の液体で蒸留酒だとわかる。酒にはかなり強そうだ。
地主はわかる。自分好みの酒を飲むのは当たり前だ。しかし、小作人たちにまで清酒を与えるというのはとても大盤振る舞いな気がした。もう一段階劣る濁り酒はこの飯屋にたくさんある。
(……)
猫猫は面倒くさそうに酒を運ぶおかみさんに悪いと思いつつ手を上げて呼んだ。
「なんだい?」
「私にも一杯。あのお酒で」
仕方ないねえ、とおかみさんが酒を持ってくる。
「嬢ちゃん、こんなときに……」
やぶだけでなく紙職人の旦那たちも呆れた目で見ている。
猫猫は勢いよく酒を飲み干した。
甘い口当たりのよい味だ。都の酒ほど洗練されていないがこれはこれで悪くない。ただ、酒精は味のまろやかさに比べて濃い。
これが格段にまずかったなら、まだ理由はついた。
猫猫はぺろりと唇を舐める。
面倒くさい客を入れなくてはいけない飯屋に、そこにある大量の濁り酒。それでもって、横暴な地主だけど農民には違う酒をふるまっている。
(ふーん、なるほどねえ)
猫猫は呆れ顔の旦那を見る。
「すみません。ここらへんに酒造場はあるんですか?」
「……いや、それらしきものはなかったと思うが」
「ですよねえ」
猫猫はにやりと唇をゆがめると、酒を盛った杯を持って、がやがやと騒ぐ地主たちの前に立つ。
猫猫は杯をどんと卓に置いて猛禽を思わせる笑みを浮かべた。
「なんなんだい、お嬢さん。酌の一つでもしてくれるのかい?」
莫迦にしたような笑いを地主が浮かべたことで、どっと笑いが起きる。
「じょ、嬢ちゃん!」
やぶが猫猫にすがりつき、早くここを離れようとする。でも、猫猫はそんなのを無視して、笑いながら地主に向かって言った。
「飲み比べをいたしませんか?」
そう言って猫猫は自分の身体をぽんと叩いた。