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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
市井編1
111/391

十、白蛇仙女 前編

 それは、とある客人の話からはじまった。


「どうりで最近、お客が少ないと思ったわよ」


 しどけなく横たわりながら、梅梅メイメイ小姐は碁盤に石を並べている。それを見ながら、小姐付の禿が悩みながら碁石を置く。珍瓏つめごをやっているのだ。


「お偉いお大臣さまたちは、珍しもの好きだからねえ」


 そう言って煙を吐くのは女華ジョカ小姐だ。


 猫猫は小姐たちに頼まれて灸の準備をしていた。二人とも女の道が重いため、こうして時折つぼを刺激して和らげていた。


 昨日、梅梅が碁の相手をしていた客人が教えてくれたという。緑青館の三姫よりも珍しい、仙女のような娘がいると。


「どうせあたしたちは鼻につくお年頃ですよー。昔は宝玉を愛でるように扱ってたってのに」


 けっ、と女華が吐き捨てるように言った。猫猫は「はいはい」と相槌を打ちながら、女華をうつ伏せにさせると、皮膚にもぐさを置いて火をつける。「はぁ~」っと色っぽい声が聞こえ、つま先がぴんとなる様子は、まだまだ十分いけていますよ、と言ってやりたくなる。


「なんか話によると、真っ白な髪をしてるんだってね。それだけならただの白髪って言えるんだろうけど」


 目も真っ赤だそうだよ、と梅梅は付け加える。


(髪が白く目が真っ赤)


 それは珍しいと猫猫は頷く。女華の次に梅梅のもぐさを用意する。


 梅梅がすらりとした足を着物の裾から伸ばす。猫猫は裾を焦がさないように丁寧に折り曲げると、もぐさを置いて火をつける。


「髪はともかく目も赤いってか。それじゃあ、白子しろこかい?」

「そうなんだろうね」


 小姐たちがうんうん唸る。碁石を持っている禿はよく意味がわからず、猫猫の袖を引っ張る。先日、壬氏が飛蝗を食べる姿に泣き叫んでいた娘だ。名前はたしか梓琳ズーリンという。


 猫猫は面倒くさそうに目を細めたが、びくっと怯えた仕草を見せた梓琳に仕方ないと口を開く。


「人には稀だが、生まれつき色を持たない子どもが生まれる。そいつらは、髪も肌も白く、目はその奥の血が透き通って赤く見えるんだ。そいつを白子アルビノっていうんだ」


 動物にもある。白い蛇や狐はめでたいとされ神としてあがめられるが、人だとどうだろうか。遠い異国では、白い肌の子どもは万能薬になると信じられ、食らおうとする風習があるという。しかし、その話は眉唾だ。髪も肌も白いが、そこにある色が欠けているだけで、中身は変わりやしないよと、猫猫はおやじである羅門から教えられている。


 白い個体なら猫猫も一度だけ蛇を捕まえたことがあったが、あれは本当に不思議な生き物だと思う。


 今回は物珍しく仙女としてあがめられているほうらしい。


「お偉いさんもそのうち飽きてくるだろうに」

「それがさあ」


 梅梅がもう一本の足を延ばしながら言う。


「本当に仙術を使うって話だよ」


 その言葉に、猫猫の眉がぴくりと動いた。






 その仙女が使うというのは、人の心を読み、金を生み出す力を持つという。


 眉に唾をつけたくなるような話だが、物好きなかたの食いつきはいい。最初は、小さな見世物小屋でやっていたものが、今では都の劇場を借りているという。


 夜に一度だけ開かれるという見世物に、金持ちたちが集まるものだから花街の妓女たちが愚痴をこぼすのも無理はなかろう。

 久しぶりにやってきたと思えば、その人外のごとき仙女の容姿をたたえ、その能力を誉めるものだから面白くない。


 普段より二割減の実入りに、やり手婆も煙管を強くたたきつける有様だ。中級妓女の客の入りは変わらないが、緑青館は高級娼館である。上の客が入るか入らないかで、売上はだいぶ変わってくる。


「見世物なら一度見れば十分だろうに」

「そうでもないぞ」


 と、猫猫のひとりごとに反応したのは男衆頭の右叫ウキョウだった。四十路前のこの男は、最近は趙迂チョウウ左膳サゼンのお守りで大変だろう。夜店の提灯が上がる前にようやくひといきついたようだ。大きな肉饅頭を食んでいる。


 猫猫は出がらしの茶をついでやると、右叫は「すまねえな」と湯飲みを取って茶を流し込んだ。


「錬丹術って知ってっだろ」

「なにをいまさら」


 錬丹術、不老不死の仙人になる薬を作ろうという術である。そんなものをおやじから聞かされて猫猫が目を輝かせないわけがなかった。そして、すぐさま釘を刺されたことを覚えている。


「あれは真似するんじゃないよ」


 と、羅門は言った。

 つまり、そういう大変怪しい術だということだ。


「不老不死の力をあやかりたいって話かい」

「まあねえ。その珍しい容姿もさることながら、人の心を読むときたもんだ」

「ほほう」


 眉唾でやってきたお偉いさんが自分の心を見透かされて、どう思うだろうか。莫迦にしていた気持ちが覆されて、信仰という形になるかもしれない。

 そして、不老不死の薬というものも実在すると思うかもしれない。


(そんな阿呆なことあってたまるか)


 猫猫は不死の薬の研究の末、蘇りの薬を作った者を知っている。医官として優秀だったろうに、今はその副作用でその面影もない。


 猫猫はぎゅっと手を握りしめる。彼の知識があれば、もっとちゃんとした蝗害への対策ができるだろうにと悔やんでも仕方ないことはわかっている。


 まだ、災害はその途中だ。これからやっていくことで、変わりゆくかもしれない。


 壬氏たちは、今後起こりうる災害の対策に頭をひねっているのに、暢気すぎる他のお偉いさんたちにため息がでてくる。


 ただ、猫猫はその術について気になった。


「つまりあれか? その仙女ってのは、不老不死の薬をねたに客を集めてるってわけか?」

「そこまで知らねえよ。俺は、お役人たちのお付の話が耳に入っただけさ」


 そう言って、右叫は饅頭を口にほうりこむと、残りの茶で流し込んだ。


 行燈に火を入れる時間だった。


「気になるようなら行ってみたらどうだ?」

「そんな高い見世物料はらえねえよ」

「なら、頼みこめばいいじゃねえか」


 そう言って、右叫は右目だけ器用にぱちんと瞬きすると、とっとと行ってしまった。


(誰にだよ)


 猫猫はけっと吐き捨てながら、やはり思い浮かぶのは一つの顔だった。






 いっそ忙しいから無理だと言ってくれれば楽だったろうに。


 ちょいと口に出してみたら、大層乗り気になってしまった。それどころか、すでに壬氏の耳にも入っていたようで、気になっていたらしい。


 すぐ行く準備をするようにと言われた。


 猫猫はそう思いながら上着を羽織った。服屋からただでもらったそれは、上等の綿入れだった。少し色が派手だが、くれるものは貰っておかないと勿体ない。そして使わないと勿体ない。


 暖かい格好になって外に出ると、馬車が待っていた。

 

 外はもう暗く、空からぼたん雪が降っている。趙迂に知らせるといろいろ連れていけとうるさいので、右叫に夕餉を食べさせてもらっている。


「行きましょうか」

 

 高順に言われ、中に入ると覆面をとった壬氏がいた。


 猫猫はゆっくり頭を下げ、座れと合図を受けてから馬車の椅子に座る。


「壬氏さま、覆面をしていくのですか?」

「だろうな」


 猫猫は怪訝な顔をした。


 それに対して壬氏は落ち着いた顔だ。


「大丈夫だ。問題なかろう」


 そう言って馬車を動かした。






 仙女がいるという劇場は都の中央、やや東よりにある。商店が並ぶ都でも一番栄えた場所で、高級住宅地が近い。

 普段は、演劇を中心にやるこの場所で、仙女の独演会が行われているとあれば不思議なものだ。


(どうにも俗な仙女だこと)


 仙女はその容姿から 白娘々(パイニャンニャン)と呼ばれている。


 馬車から降りると、すでに人がたくさん並んでいた。受付の男が銭を貰い、どんどん中へと案内している。


(なるほどねえ)


「問題なかろう」


 壬氏が覆面の上からでもしたり顔をしているのがわかる。周りの客人の半数は、覆面もしくはヴェールを被っている。猫猫の頭にもまた、高順がどこからともなく持ってきた紗をのせられた。


 金持ちやお偉いさんがこんなものを面白がって見ていたとあれば、少々はしゃぎ過ぎだとみられるのか。それとも、これもまた祭りの一興のようなものか。その怪しげな雰囲気にのまれそうになる。


 劇場は奥に舞台がありその前に卓が何十も置いてある。二階からも眺められるように、天井は吹き抜けになっている。一度に百人以上は入れるようになっている。

 後宮にあった建物のほうがもっと大きく人が入るような作りだったが、ここは劇が全員に見られるように設計されているのだろう。その分、柱や梁に刻みこまれた模様は、細かく美しい。


 天井から大きな行燈がぶら下がり、それを頼りに薄暗い中を歩く。

 

 壬氏が座った場所は、舞台から二番目の左側の席だった。真ん前ど真ん中には、恰幅のよい男が若い娘をはべらせて座っていた。


「すみません。中央の席をとれませんでした」


 悔しそうに言ったのは、いつのまにか合流した若い男だった。声からして覆面をしていても、馬閃バセンだとわかる。


 卓は四人用で、そこに高順が加わってちょうどになる。


「いや、むしろもう少し後ろでもよかった」


 そういうのは高順だ。確かに、いくら覆面をしていても、良い席を陣取ってしまえば、相手の権力や財産がどの程度か想像がつきやすくなる。


 見たところ、中央の席の男は金ばかり余っている成金にしか見えない。たしか、最近花街で大きな顔をしている交易商があんな男ではなかっただろうか。


 席に座ってすぐにっこりと笑みを浮かべた女中たちがやってきて、杯を持ってきた。


 猫猫はそれをくんくん嗅いだ。


「酒だぞ、飲まないのか?」


 酒は好きだ。でもしっかりした目でその白娘々とやらを見ておきたい。


「あとでいただきます。それとも毒見しますか?」

「いや、いい」


壬氏も真似するように卓に杯を置く。そうなれば、高順や馬閃も置くしかない。周りを見る限り、杯の酒はなかなか美味のようだ、可哀そうに飲めばいいものをと思いつつ、猫猫は舞台に目をやった。


薄暗い室内に白い靄がかかった。そして、銅鑼の音とともに奥から、輝きを放つように舞台の主役が現れる。


 白い衣に白い肌、白い髪を結わえることなく後ろに流した娘だった。その真っ白な色彩の中で、赤く染めた唇と双眸だけが際立って見える。

 銅鑼の音が鳴り響く中、白娘々は舞台の中央に立つ。そこには美しい机が一つ用意されている。

 娘はその前に立つと、机の上にあらかじめ用意された紙を見せる。そこには、今ある舞台と机の配置が描かれていた。

 

 すると、檀上に白い衣をきた男がやってくる。髪は黒いが、それ以外は白娘々に準ずる格好で、娘の配下なのだとわかった。


 男は娘からその配置図を貰うと、檀上の壁に貼る。そして、それに向かって何かを投げた。


 投擲武器の一種だろうか。細長いそれは紙を貫き、壁に刺さる。壁はあらかじめ用意していた張りぼてで、すぐ突き刺さるようになっていた。


「さて、この席に座るお客様は」


 紙の上に穴が開いている。


 ちょうどそれは、左側、前から二番目の席だった。


「ここだな」

「ここですね」


 つまり猫猫たちが座っている席である。


「どうする?」

「どうすると言われましても」


 壬氏は目立ちたくないらしい。


 高順もそれではしゃぐような年齢ではない。


 馬閃といえば……。


 少しうずうずしている。ちょっと出てみたいけど、自分から言い出すのもあれだよな、という顔だ。生真面目な分、そういうことに素直になれないのだろう。


 しかし、このままでは誰も出て行かないのであれば仕方ないと。


「では、わた……」

「おまえ、行け」


 と、壬氏がさしたのは猫猫だった。


「間近で見られる機会チャンスだろう」

「……」


 横で立ち上がりかけた馬閃がちょっと困っている。ここで、彼に上手くボールを投げ渡してやりたいところだが、猫猫もそういう性格ではない。


「では行ってきます」


 と、がっくりうなだれる馬閃を横目で檀上をのぼっていった。


 ちらちらと揺れる行燈の光の下で、白娘々はより煌々としていた。その白すぎる肌は、透けて血管が浮かんでいる。肌を白く塗っただけのそれとは違うことがわかる。


「一から十まで、お好きな数字をかいていただけますか」


 か細い消え入りそうな声が聞こえた。それを補足するように、隣の男が同じ言葉を大声で言う。


「私に見えないように書いて、誰にも見えないように小さく折り曲げてください」


 白娘々も男も後ろを向く。その間に猫猫は渡された筆でさらさらと文字を書く。筆にはあらかじめたっぷり墨が含んでいて、おかげで少し書きにくかった。少し書き味も悪いのであまりいい墨を使っていないのかもしれない。机につかぬよう下敷きが置いてある。


 数字をかき終えると、猫猫は小さく折り曲げる。


「できました」


 そう言うと、白娘々と男は振り返る。男は、今度は奇妙な荷車をからからと押して持ってきた。代わりにさっきの机は舞台裏へと下げられる。


 そこには奇妙な筒が底面に何本も突き刺さった箱があった。縦に十、横に十並んで計百本ある。


「その紙をそのどれか一つに詰め込んでいただけますか」


 そう言うと、また白娘々も男も後ろを向いた。


 わざわざ後ろを向かなくても観客からも舞台からも見えないだろう。

 

 猫猫は紙をさらに小さく丸めてその筒の中に突っ込む。紙は柔らかいが、突っ込む筒の幅が狭く苦労した。


 できたら上から薄い紗をかぶせて見えないようにする。


 するとまた男がそれを移動させる。筒のつまった箱を舞台上の端っこにある別の机の上に置く。紗は薄くて軽いためか、ふわふわと揺れている。


「できました」


 それを言った途端、だーんと銅鑼の音が鳴り響いた。思わずびっくりして目を見開いたが、紗を被っていてよかったと思う。


 ただ、それに壬氏はなぜか気づいたようで、遠い席で肩を揺らしているのがわかった。


 とても腹立たしい。


 白娘々は、にっこり笑うと手を差し出した。


 猫猫は言われるがまま、手を出すと冷たい白い手が猫猫の手首を持った。


 しゃらんしゃらんと今度は鈴の音が鳴る。


 白娘々はじっと猫猫を見る。


(あっ、この人)

 

 目が悪いのだなと猫猫は思った。時折、目がかわった動きをしている。

 そういえば、目に色素がないので他と比べて不自由な面も多いだろう。


 そう思っていると……。


「書いた数字は七ですね」

「!?」

「当たり」


 赤い唇がにいっと歪んだ。その赤い目と合わさって、猫猫は昔捕まえた白蛇を思い出した。

 赤い目に白い肌をしたそれを蒲焼にしようとしたら、おやじに怒られたのだ。神の使いだからだめだよ、と言われたけど、本当はそんなものじゃないって猫猫は知っている。おやじは神さまとは無関係に白い肌を持っているのに、たまにそういう倫理観を持ち出してくるので困る。


 つぶらな赤い瞳に吸い込まれそうになると、また銅鑼と鈴が鳴る。


 周りに靄がかかっているからだろうか、妙に暑く、妙に頭が痛かった。

 耳の周りで蚊が飛んでいるような感覚にふっと苛立ちを覚えていると、また白娘々が口を開く。


「上から三番目、左から二番目」

「……」

「どうですか?」


 男が紗をとり、箱の中身を客に見えるようにする。そして、その中の上から三番目、左から二番目の筒を取ると、その中に細い棒を突っ込んだ。


 すると。


 中から紙が出てきた。細かく折り曲げられた紙を男が開くと、そこにはしっかり『七』という数字が書いてあった。


 言うまでもなく猫猫が書いたものだった。



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[一言] 手品か… キャバクラと比較するかはともかく、 現代にも手品バーってありますね。
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