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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
市井編1
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八、図録


 診療所は一度、閉鎖されたという。全員でないとはいえ、後宮脱出を助けたとなれば重罪で、その中でも深緑シェンリュという女官の罪は重い。

 深緑は自殺をはかり、命は取り留めたものの罪人として捕らわれている。


 しかし、医局がどうしようもない後宮では診療所は、なくてはならない存在だ。宦官の監視がついたものの、閉鎖は解かれているらしい。


 ただ、その前に、猫猫がさらわれた際、診療所にあったものは根こそぎ押収された。そして、猫猫が見ていた図録もまたそこにあった。


「これでいいんだな」


 壬氏が図録を差し出す。今日はようやくお休みをいただいたらしい。薬屋の外では高順が禿かむろから茶を貰っているはずだ。


「失礼します」


 猫猫は図録を受け取ると、ぺらぺらと頁をめくる。その中にやたら書き込みが多いところを見つける。ゆっくり開いていくと、どばっと中から書きこまれた紙が落ちてきた。

 

 猫猫は頁を開いたまま、床に置いて壬氏に見えるようにする。そして、落ちてきた紙を丁寧に並べていく。


「これですね」


 丁寧に描かれた虫の絵がたくさんある。似たような絵ばかりだが、飛蝗と書かれてあるので飛蝗だろう。

 

 全体を描いたもの、脚や翅に注目し、解体して描かれたものといろいろある。少しくすんでいるが、色を付けてある丁寧さだ。


 その中で、虫の絵は大きく二つ、細かくすれば三つに分けられていた。猫猫は図録の記述を読みながらそれを分類していく。


「こちらが普段見られる飛蝗のようですね」


 緑で塗られた飛蝗をさす。全体を描かれたものではわからないが、解体し翅の部分だけ描かれたものを見ると、他の二つに比べてやや短く見える。


「そして、今年増えると思われるのは、これです。蝗害を起こすのはこちらの種類とのことです」


 壬氏も図録の文を読めるはずだが、あえて口にする。そうすることで記憶がはっきりと刻まれ憶えやすくなるからだ。

 壬氏が黙っているのもそういう考えをくんでのことと思う。


 茶色に塗られた飛蝗は、緑色のものより翅が長い。


「そして、昨年、発生した小規模の蝗害はこちらのものではないかと書かれています」


 真ん中の飛蝗の絵を取る。

 緑と茶の中間の形をして、色も間をとっている。


「つまり、段階をへて、この茶色の飛蝗になるというわけか」

「そのようですね」


 飛蝗はある条件がそろうと、その体色や翅の形を変えていく。それには数世代かかり、そのたびに数を増やすようだ。


 数が増えるから形を変えるのか、形を変えるから数が増えるのか、どちらかといえば前者が原因だと図録には書き加えてある。


 つまり、小規模の蝗害はのちに起こる大規模な害の前触れということだ。


「今年はもっと大きな害が起こると?」

「ええ、どの程度の規模かわかりませんが」


 ただ判断を間違えると餓死者が出るのが蝗害というものだ。虫と侮るなかれ、時に空を覆いつくし、あらゆる穀物を食らい尽くすのである。


 猫猫は都育ちであり、そんなものは見たことないが、農村から花街に売られてきた妓女の中には蝗害によって食うに食えず売られてきた娘も多かった。


 それに、時期も悪い。


 昨年、子の一族を滅ぼした話は国中に響き渡っている。

 蝗害というのは、その被害の大きさからその治世を試すものと昔からされるらしい。なので、蝗害がでたらその治世に問題がある、天が帝を罰しているのだと認識するものも少なくない。


 子の一族の一件とその翌年に蝗害が重なれば、国としては面白くないものだろう。


 さて、猫猫も壬氏も知りたいのはそこだけじゃない。蝗害を研究していたとなれば、それを防ぐ方法も調べてあるだろうということだ。


 だが……。


『……』


 そこに特効薬となる記載はなかった。


 小規模の害がでたら、その次の害が出る前に対処すること。それが羅列されている。そのどれも人海戦術に近い形だ。


 幼虫のうちに駆除をすることが大切であり、そのために効果があるとされる殺虫剤の製造法が書かれている。大量に消費するためか、比較的手に入りやすい材料で作られるようだ。


 また、成虫になった場合、かがり火を焚くことをすすめている。これは古くからある対処法である。飛んで火にいる夏の虫というやつだろうか。


「大した情報は得られませんでしたね」

「いや、知らずにそのままにしていたら大変なことになっただろう」


 壬氏は頭を掻きながら、懐から大きな地図を取り出した。この国の中央から子北州、そして西部にかけての地図であり、そこには朱色に赤丸がいくつもついてあった。余談だが、中央は華央州と呼ばれる、今後、子北州がどう名目が変わるのかわからない。


「被害報告があった農村の位置だ。これでなにかわかることはないか?」

「といわれましても」


 蝗害が起こるのは広大な平原に多いと聞く。たしかにその農村の位置はどれも平原近くにある。


「平原に多いのは、やはり飛蝗が育ちやすいからでしょうか?」

「だろうな。だが、この地方ではもう数十年、蝗害が起きたことがなかったんだがな」


 壬氏は地図をくるりと指で囲んで見せる。北部の子の一族の直轄地のあたりだ。豊かな農村地帯だが、森や山地に隣接している。


 なぜか壬氏はその森の部分を指で苛立たしげに叩いている。


「普通、森が近いと鳥が虫を食べると思うのですが……」

「それがな」


 木材豊かな子北州だったが、その周辺はすでに禿山と化していたらしい。この国の木材は、女帝の時代に無闇な伐採を禁じられている。


 女帝が身罷られたことによって、子の一族のろくでもない奴らは中央に知らせることなく伐採していたようだ。


 国内に流出する分は、値を上げてばれぬように、それ以外は他国に売り払っていたという。

 無茶な伐採によってその地方の自然はだいぶ荒れたものになっているらしい。


「……それって、そのせいで鳥がいなくなったから、蝗害がでてきたのでは?」

「十分考えられるな」


 なんだろう悲しくなってくる。


 壬氏の落ち込みも激しいのは、多少なりとも子北州の森林資源に期待していたからかもしれない。穀物がとれない穴埋めを木材を売ることで得た銭で、遠くから食料を買い足せばなんとかなると踏んだのかもしれないが、その根底から崩されることになる。


(あれ?)


 そうなると、女帝が森林伐採に制限をかけた理由について、もしかしてとおもうところがでてくるが、それはまた考えることにしよう。


 猫猫はじっと図録を見る。殺虫剤の記述を何度も見て、そして立ち上がる。


 部屋の書架から本を一冊取り出すと、それをぺらぺらとめくり、壬氏に見せる。


「この調合だけでは、到底薬は足りないと思います。効果は減るかもしれませんが、他の調合も準備します」


 それから、他に思いつくことは。


「いっそ、幼虫が発生した場所を野焼したら駄目でしょうか?」

「うーん。それは場所にもよるな。焼き殺すのは手っ取り早いと思うが」


 あと、考えられるのは……。


「雀の禁猟くらいですかねえ」


 害鳥として扱われる雀だが、害虫を食べてくれることも大きい。穂がつく前なら、まだ被害も少なかろう。ただ、それを生業とする方々には文句を言われそうだ。


 それらをすべて試したところでどこまで被害を減らせるかわからない。なにより何もないかもしれないが、それはそれで幸運なので問題はない。


 負の可能性を潰していく、それがまつりごとを行うものの仕事なのである。それに正しい評価を得られることがなくとも。


「雀の禁猟か、いきなりやると反発をくらいそうだな」


 都の市にも雀料理は並ぶ。どこにでもいるので比較的一般的な食材だ。


「代わるものがあればいいが」

「いっそ、飛蝗料理を宮廷料理として作り上げてしまえばどうでしょう」


 思わず名案だとばかりに猫猫は言った。そうすれば、飛蝗は宮廷御用達の食材となり、それを捕ろうとするものが増えるだろうし、帝が食べているとなれば追従するかたちで官たちも食べるようになるはずだ。


 しかし……。


 壬氏がかたまっていた。

 いつも華やかな色彩を放つ男が、灰色に見えた。

 

(こいつ……)


 まだ残っている飛蝗の煮つけをこの場で出してやろうかと思った。


 ようやく動いたかと思ったが壬氏は上を見て、そっと眉間を指で押さえ、唸るような声を出す。彼なりに葛藤しているようだ。その結果。


「……それは最終手段でいいだろうか?」

「別に増えなかったら問題ありませんので」


 猫猫はそう言ったが、少し残念に思えた。


 ただ言えることは、壬氏が先ほどより意欲的になにかせねばという雰囲気になったということである。


 それほど、食べるのが嫌らしい。


(……)


 猫猫はうっすら笑みを浮かべる。


 それを見て壬氏がまたかたまる。


「あの、壬氏さま」

「な、なんだ?」


 少しどもりながら言いかえす。


「お食事をして帰られてはいかがでしょうか?」


 猫猫は丁寧にそんな申し出をした。


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