三、右叫
なんでこんなものが、と猫猫は思う。
たしか、あのあと子昌の砦は封鎖されたはずだ。あの場所にあったものがここにあるのはおかしい。たとえ、砦の荷を移動したとしても、こうやって市中に出回るということは横流しを意味している。
(んー)
そういうことなら。
猫猫にも考えがあった。
二日とおかずに犯人は見つかった。
どうやって見つけたかといえば簡単だ。
「わざわざ、こんなことで呼びつけるなよ、嬢ちゃん」
面倒くさそうに言うのは、李白だった。そういいつつもそわそわと緑青館の中を見ている。
場所は猫猫が商う薬屋の中で、狭い店内にでかい身体を縮めて入っている。
「こそ泥相手にさ、俺も暇というわけじゃねえんだぞ」
そう言いつつ、ちらちら吹き抜けの天井を仰いでは上の階にいる花の顔を探している。
知り合いの武官李白は、この緑青館の三姫の一人、白鈴にべた惚れだ。しかし、妓楼に通うも金がいる。なので、白鈴と仲がいい猫猫の頼みなら、なんだかんだ言って融通をきかせてくれる。
書庫が荒らされた、盗品が市中に出回るかもしれないから見張ってほしい。
そう頼んだ。
図録なんて珍しいものが盗まれたといえば、売りに出した時点ですぐ足がつく。一応、あの本屋以外にも売り払う可能性があったので、こうして李白に任せた。
「ふふ、朝から見張ってたんだから感謝しろよ」
「部下に頼まなかったんですね」
よほどいいところを見せたいのか、自分でがんばったらしい。まだ寒い季節に張り込みとはご苦労さまである。
李白は手に持った包みを猫猫に渡す。手土産の団子のようだ。そして、ちらちらとまた吹き抜けを見る。
皆で茶でも飲め、そして白鈴を呼んで来いという意味だろうか。
しかし、その前にやってもらうことがある。
「それで下手人は?」
「それなら、表でお前さんとこの男衆に見張ってもらってる」
「そうですか」
猫猫は窓から外を見る。
二人の男衆に囲まれたのは、痩せた貧相な男だった。顔には発疹があり、いかにもな風体の男である。
(はて?)
「おい」
李白の声を無視し、猫猫は履をはいて、男衆のほうへと向かう。
屈強な男衆二人に囲まれた盗人は、見た目以上に小さく見えた。
「危ないぞ、あんまり近づくんじゃない」
古参の男衆が猫猫の着物の衿を掴んで言った。
このように猫みたいに扱われるのは不愉快だが、小さい頃からそうなので仕方ないだろう。猫猫はそのままの姿勢で、盗人を見る。
「……」
「……」
盗人と目があう。
発疹と思っていたら、どうやらなにかにかぶれたあとみたいだ。だいぶ治りかけているが、まだまだ目立つ。
盗人が猫猫の顔をじっと見て、そして、顔を真っ青にする。
そして、何を言い出すかと思えば……。
「毒娘!」
唾を飛ばしながら言った。
猫猫は半眼になり、男衆二人は顔を見合わせて大笑いした。
(こいつは……)
人の顔はあまり覚えない上、顔がかぶれていてよくわからなかったが、確かこの男は、砦にいた男だ。猫猫が漆を顔に塗りつけて、股間を踏みつけて気絶させた男だった。
(なーるほど)
そういうわけだ、と猫猫は納得した。
あの砦でどさくさまぎれに逃げ出した一人だということだ、
猫猫は腕を組み、しばし考える。
「どうした、嬢ちゃん」
李白がやってきて罪人を睨む。
罪人はあからさまに震える。
(ふむ)
これは使えるなと猫猫は思う。
「申し訳ありません。こいつ知り合いです」
猫猫はあっけらかんとした口調で言ってのけると、にやりと罪人に笑いかけた。
猫猫の態度を少しおかしいと思った様子の李白だったが、猫猫が茶菓子を持って白鈴を呼んだらすぐ尻尾をふりながらいってしまった。
そういうわけで今、猫猫の薬屋にいるのは猫猫と例の盗人、それから……。
「おっちゃん、別に見てなくていいよ」
猫猫は煩わしそうに古参の男衆を見る。皆が、茶をはじめている中で、この男だけは猫猫の方へとやってきた。ちゃっかり手には団子を持っている。
「そういうわけにもいかんさ。変な虫がついたら、狐殿にも覆面殿にも怒られる」
狐とは片眼鏡軍師のことで、覆面は壬氏だろう。たとえ、傷物になった顔でもまだ十分玉の価値がある男だ。見た目だけでも十分目立つ上、立場を考えるとなおさらだろう。
皇弟たるものが花街でうろうろしていいはずがない。しかし、十日おきにこちらにやってくる物好きである。
「なーに、俺は黙って団子を食べるだけだよ、なーんも聞いちゃいない」
そう言って、壁に寄りかかっている。
四十路前で猫猫が生まれる前からここにいる。
何事もそつなくこなす男で名前を右叫という。どうせ、やり手婆に言われているのだろう。聞いちゃいないというが、やり手婆に聞かれたら話すに決まっている。
そうなると、やり手婆に聞かれても困らないところまでしか話せない。
(ばれても問題はないか)
猫猫はそう思いながら、目の前に座った男を見る。板張りの床の上には二冊の本が並んでいる。猫猫が本屋で見つけたものと、今日、この男が売りにきたものだ。
「これ以外の本はどうした?」
猫猫の質問に、男はぷいっと顔を背ける。わからなくもない反応だけど、正直、そんな余裕はなかった。
別の場所で売られていたら、また誰かに買われてしまう可能性がある。
猫猫はだんっと床を叩く。
「あそこにいる武官な、あの砦の制圧に関わった男だけど、あんたがあの場にいたことを話してもいいのか?」
ゆっくり低い声で猫猫は言った。
男の顔色はさらに悪くなる。顔のかぶれがまだ痛々しいのを見て、猫猫は少し罪悪感があったが、あの場で逃げるには相手に加減するわけにもいかなかったので別に後悔はしていない。
右叫はあんぐりと団子を頬張り、ゆっくり咀嚼している。
男はむむっと口を歪めると、諦めたように頭を下げた。
「まだ三冊、手もとに残ってる。二冊は別の街で売って、残りはもってこれなかった」
火薬の爆発によってあの部屋まで燃え移ったりしていなければ、残りの置いてきた本は手に入るかもしれない。
そうなると、売った残り二冊が問題だ。
手もとにあるのは、鳥と魚の図録である。
「虫の図録は売ったのか?」
「いや、一冊は手もとにある」
(一冊は?)
ふむと猫猫は首をひねる。鳥の図録には数字が振ってある。『壱』と書いてあるからには、『弐』があるのだろう。
「その図録はすぐに持ってこれるか?」
「俺を突き出さないっていう約束はできんのかよ」
「おまえの態度次第だ」
威圧的に言う猫猫に対し、ずっと横に立っていた右叫が深いため息をついた。
「おいおい、猫猫。そんなんじゃ脅しと一緒だぞ」
そういって右叫は狭い薬屋の板張りに腰掛けると、男の肩を叩く。
「おまえさん、腹減ってないか? なんかわけありのようだし、ちと気を抜いたほうがいいぜ」
「……」
男は無言だが、右叫が黙って薬屋を出て行った。すぐに、丼一杯の飯と菜を盆にのせて持って帰ってきた。
菜は残り物の蝗の煮つけしかないが、男は右叫に箸を差し出されると躊躇うことなく丼にがっついた。
その勢いに猫猫は驚いた。
「……」
「まだまだだな」
右叫が猫猫の肩を叩く。飯にがっつく男はこちらには目もくれない。
右叫が小声で言う。
「あの様子だと、都まで来るのにいろいろあったんじゃねえのか? 本を売るって言っても、どうしてもくいっぱぐれて仕方なくだろうが。本自体は丁寧に扱ってる。悪い人間じゃないと思うがね」
「そうかねえ」
猫猫としては第一印象があれなため何とも言えない。
「飴と鞭は上手く使いこなすもんだ」
「わーったよ」
やり手婆が緑青館の鞭だとしたら、この男衆頭は飴役だろう。背丈も高くなく顔も並でおっさんだが、妓女たちにもてるのはこういうところだ。
「ん? どうした?」
もしゃもしゃ飯を食らっていた男の手が止まっていた。右叫が首を傾げて見る。
「まずい」
「蝗は嫌いか?」
「蝗じゃねえよ」
男が箸で蝗をつまみながら言った。
「蝗だろ?」
「こっちの奴らはまとめてそういうかもしれねえけど、農民は分けて呼ぶよ」
「どういうことだ?」
猫猫と右叫は男をのぞきこむ。男は山盛りの煮つけの虫を箸でつかみ、一つ一つ噛んで選り分けていく。
二つに分けられたそれは、比率としては八対一くらいだろうか。
「こっちは蝗。農民が煮つけにして食べてるもんで、こっちは飛蝗だ。見た目は似ているけど、こっちはまずい」
「そんなに味が違うのか?」
右叫が聞き返す。
正直、飛蝗と蝗にそんなに違いがあるとは知らない。猫猫も深く考えずにいっしょくたにしている。
「食べればわかる。足を千切って煮付けてるから色もわかんねえから、性格悪い奴らは無知な商人に売り付けんだよ。だから、蝗はまずいって思われてる」
なるほど、お館さんは、それはいい商売相手だったに違いない。
蝗は一、飛蝗は八、道理でまずいわけだ。
猫猫は蝗のほうに手を伸ばして口に入れる。確かにこっちのほうが、身があって美味しい気がする。
男は深刻な顔をして、じっと飛蝗を見ている。
「なにかあるのなら言ってみろ」
猫猫に代わり、右叫がたずねる。
「今年は飢饉になるかもしれない」
その言葉に猫猫は、男に詰め寄った。
「やっぱりそうか?」
「か、確証はねえよ。ただ、蝗より飛蝗がたくさん増えた年の翌年は虫の害がひでえんだよ」
飛蝗と蝗の比率を考えると十分だろう。
猫猫はじっと男を見る。
「そういえば、お前はなんか詳しくないか? 虫についてもだけど、大体、あの部屋には本の他にまだ、金になりそうなものがあったと思うけど」
漆塗りの器については気分的に持っていたくなかったのかもしれないが、普通の奴らなら本よりももっと売りさばきやすいものを選ぶだろう。
男は少し照れくさそうに首の裏をかいた。
「……それに本当は図録を売りたくなかったんだよ」
「また、売りにくるとか本屋の主人に言ってなかったか?」
「それは、愛想よくしとかなきゃ高く買ってくれねえだろ。それに、余裕があれば買い戻す気でいた。図録なんて好んで買う奴はいないだろ」
いや、ここにいるぞという言葉は口の中でとどめておこう。
男の姿は正直、着の身着のままだ。まだ冬場だからよいが、垢で顔が汚れていて正直、薬屋に上がらせるのは嫌だった。
「あの砦に、あの部屋に前住んでいた爺さん。それに飯運んでいたのは俺なんだよ」
思わぬ話に猫猫は目を開く。
「新しい薬を作るとかなんとかで連れてこられてきたらしいけど、他にもいろいろ研究していたんだってさ」
「どんな?」
「それが、これだよ」
指し示すのは飛蝗だった。
「どうやったら、蝗害を起こさないか」
それを調べていたと男は言った。
ごくんと猫猫は唾を飲みこんだ。
そして、口を開いて男にたずねようとした瞬間だった。
ばんっと大きな音を立てて、薬屋の戸が開かれた。
「そばかす! お前の団子食べていいか!」
趙迂が両手に団子をもってやってきた。
男が目をぱちくりさせる。
「あれ? 坊っちゃ……」
言いかけたところで猫猫は近くにあるすり潰した薬草を手に掴むと、あんぐり空いた男の口に詰め込んだ。
「苦っ!」
悶絶して苦しんでいるのは申し訳ないが、とても不穏なことを口にしようとしたので、仕方ない。
世間体として子の一族は、根絶やしにされているはずなのだから。
ごろごろ転がる男を趙迂は面白そうに眺める。
「団子はやるからあっちいきな」
「なんだよ、しっしって。犬猫じゃないんだぞ」
趙迂は男のことを覚えていないらしく、普通に無視した。
「趙迂、おいちゃんが肩車してやろうか?」
「えっ、いいのか、おっちゃん。やってやってー」
上手い具合にはぐらかしてくれた右叫に感謝しながら、猫猫は手の指を折って数えた。
(確証はないけど)
一応注意喚起しておいたほうがいいと。
壬氏があと何日でくるか数えた。