「解任された治癒師、喋る黒猫と偽聖女の化けの皮を剥ぐ
リリアーナ様は、本日をもって解任です」
礼拝堂の朝礼で、司教はそう言い放った。
「先の収穫祭で、来賓のワインに毒を盛った疑いがかけられています。潔白を証明できない以上、聖職を退いていただきます」
隣に立つセラフィナが、悲しげな顔を作りながらも、口の端をわずかに緩めていた。半年前に赴任してきた彼女は、派手な「奇跡」を連発しては人気をさらっていった。曰く、枯れ井戸を一夜で満たし、禿げた頭に髪を蘇らせ、独り身の若者に理想の伴侶を引き寄せる――そんな噂は、聞くたびに眉唾だったが、村人たちは信じたがった。
私の加護は、地味な治癒の力だった。派手さはないが、確実に効く。だが確実さより、話題性の方が人を集める時代だったらしい。気づけば私の礼拝の列は日に日に短くなり、セラフィナの前には黒山の人だかりができていた。
追い打ちをかけるように、後方に控えていた婚約者のオズワルドが、気まずそうに口を開いた。
「リリアーナ、こんな状況になった以上、私たちの婚約も、一度白紙に戻させてほしい」
「……あなたまで、ですか」
「セラフィナ嬢との縁談の話も出ている。家のためだ、分かってくれ」
半年前まで熱心に通ってきたはずの彼が、今はセラフィナの陰にすっかり隠れていた。分かりやすいものだと、いっそ感心してしまった。
「私ではありません。誰かが仕組んだことです」
「証拠もなく、言い訳を並べるのは見苦しいですよ、リリアーナ様」
セラフィナが、わざとらしくため息をついた。膝の上で丸まっていた黒猫のニルが、片目を開けて呟いた。
『白々しい。台詞を紙に書いて練習してきたな、あれは』
ニルの声は、私にしか聞こえない。加護の一部として与えられた、ちょっとした特典だった。口は悪いが、なかなか鋭い観察眼を持っている。
「荷物はまとめてあります。礼拝堂の外までお送りします」
衛兵に促され、私は静かに立ち上がった。振り返らなかった。振り返ったところで、そこにあるのはセラフィナの勝ち誇った顔と、オズワルドの気まずそうな顔だけだと分かっていたからだ。
『まあ、こんな辺境の礼拝堂、猫の額ほどの狭さだったしな。婚約者も含めて、せいせいするだろ』
ニルの軽口に、少しだけ笑ってしまった。
村外れの街道で、荷馬車の車輪が外れて立ち往生していたところを、通りかかった役人風の男に助けられた。
「王都から来た監査官だ。ジャスパーという」
「監査官が、こんな辺境に何のご用でしょう」
「この地方の礼拝堂、奇跡の報告件数が不自然に多い。しかも、金の流れも妙だ。調べに来たら、車輪が壊れた」
ジャスパーは、荷馬車の下を覗き込みながら、器用に工具を扱っている。とても王都の役人には見えない身のこなしだった。
『こいつ、絶対に本業を隠してるな』
ニルが、私の腕の中で目を細めた。
「その黒猫、喋るのか」
「え……」
まさか気づかれるとは思わず、私は固まった。
「別に驚かない。加護持ちの相棒に、一匹くらい変わった猫がいてもおかしくない」
『こいつ、意外と話が分かる』
ニルが、満足げに尻尾を揺らした。
事情を話すと、ジャスパーは工具を片付けながら、あっさりと言った。
「面白い。同行しろ。ちょうど、生きた証人が欲しかったところだ」
「それは、同情ですか」
「いや、実利だ。あなたが本物の加護持ちなら、偽者を見分けるのにこれほど役立つ人材はいない」
その素っ気なさに、少しだけ肩の力が抜けた。
ジャスパーとの調査は、賑やかだった。彼は村々を回っては、セラフィナの「奇跡」の記録を一つずつ洗い出していく。
「禿げた頭に髪が生えたという証言、本人に会ってきた。かつらだった」
「かつら、ですか」
「本人は『生えた』と言い張っていたが、風で見事に飛んでいった。証人が十人はいる」
『傑作だな』
ニルが、腹を抱えるように笑った。私も、思わず噴き出してしまった。
「枯れ井戸を満たした件も、前夜に隣村から水を運ばせていたと、御者が証言した。理想の伴侶とやらも、報酬をもらって仕込んだ役者だったらしい」
「そこまで、杜撰なのですか」
「杜撰というより、誰も本気で確かめなかっただけだ。派手な噂ほど、検証されずに広まる」
「これで、五件目の捏造だ」
ジャスパーが、証言をまとめた羊皮紙の束を軽く叩いた。
「セラフィナの従者たちは、金で雇われた役者兼、噂の仕込み役だったというわけだ」
夜、宿の食堂で調査の書類を整理しながら、彼はふと真顔になった。
「あなたの毒殺の疑いも、調べがついた。ワインに毒を混ぜたのは、セラフィナに雇われた給仕係だ。金と引き換えに、あなたの聖印付きの瓶を用意させられていた」
「……やはり」
「証言はもう取ってある。あとは、公の場で突きつけるだけだ」
『この男、意外と仕事はできるんだな』
ニルが、感心したように呟いた。私も、同じ気持ちだった。
ある晩、ジャスパーが書類の山に埋もれて居眠りをしていた。私は、そっと自分の肩掛けを、彼の肩にかけてやった。目を覚ました彼は、少しだけ耳を赤くした。
「……余計な世話だ」
「あなたこそ、毎晩根を詰めすぎです」
『分かりやすい照れ方だ、こいつ』
ニルの茶々に、ジャスパーが軽く睨みを利かせる。そのやり取りが、いつの間にか私の日常の一部になっていた。
「その猫、いちいち解説を挟むのをやめさせられないのか」
「無理だと思います。もう十年の付き合いなので」
『十年選手の解説には、それなりの価値があるんだよ』
ジャスパーは、深くため息をついた。だが、その口元は笑っていた。
検証の日、村の広場には、両者の関係者と野次馬が詰めかけていた。セラフィナは、以前と変わらぬ自信に満ちた顔で現れた。
「まだ、そんな身なりで人前に出るなんて。惨めですこと」
「ええ、惨めなものですね。かつらが風で飛んでいくよりは、ずっと」
セラフィナの顔が、初めて強張った。
ジャスパーが、集めた証言と証拠の束を広げた。給仕係の証言、かつらの目撃者、水を運んだ御者、報酬をもらった役者――一つずつ読み上げられるたび、セラフィナの表情から、余裕が剥がれ落ちていく。
「デタラメよ! この村人たちは、私を妬んで」
「妬みで、かつらの目撃証言が十人も集まるものか」
ジャスパーの一言に、広場中から笑いが漏れた。セラフィナは、真っ赤になって黙り込むしかなかった。
「私は、ただ本当のことが知られればよかったんです」
私が静かにそう言うと、ニルが得意げに付け加えた。
『猫の証言も採用してくれるなら、俺も証人に立つがな』
その一言に、広場がどっと沸いた。セラフィナは、逃げるようにその場を後にし、後日、正式に資格を剥奪された。噂では、隣町で似たような「奇跡」を再開しようとして、今度は初日でかつらがばれたらしい。
人混みの隅で、オズワルドが気まずそうにこちらを窺っていた。
「リ、リリアーナ。もし良ければ、婚約の話を、その……考え直しても」
『台詞を紙に書いてきたのは、こいつも同じらしいな』
ニルの一言に、私は思わず噴き出してしまった。
「せっかくですが、間に合っています」
オズワルドは、蚊の鳴くような声で「そうか」とだけ呟いて、そそくさと人混みに紛れていった。
「これで、良かったのか」
広場を出ると、夕暮れの中、ジャスパーが静かに尋ねた。
「ええ。誰かを傷つけるためではなく、ただ、本当のことが光の下に戻ればよかったんです」
「私は、王家直属の監査官だ。身分を隠していたのは、地方の不正調査に、正体を明かすと動きにくくなるからだ」
「道理で、荷馬車の修理が妙に手慣れていると思いました」
ジャスパーは、珍しく気まずそうに視線を逸らした。
「これから、どうする。礼拝堂に戻ることもできるが」
「戻りません。力のためではなく、私自身を見てくれる人と、新しい道を歩みたいので」
『おいおい、俺の扱いは』
「あなたも、もちろん一緒に」
ニルが、満足げに尻尾を立てた。ジャスパーは、少しだけ安堵したように息を吐き、私の手をそっと握った。
「なら、もう振り返らなくていい。これからは、俺が隣にいる」
「監査官の仕事は、よろしいのですか」
「あなたと猫を報告書に書けば、上司も面白がるだろう」
『俺の活躍、ちゃんと大きく書いとけよ』
ニルの注文に、ジャスパーが今度こそ声を出して笑った。
夕陽が、礼拝堂の尖塔を、静かに赤く染めていた。半年間、奇跡の陰でひっそりと働いてきた日々が、ゆっくりと過去のものになっていくのを感じながら、私は、長い間、その光を見つめていた。
完




