第040話「餌場」
五日分の巡回データが揃った。
最短間隔は初日の六割五分。最長は一・二倍。平均するとほぼ初日と同じだが、ばらつきが大きい。安全時間を組むなら、通過直後から最短間隔の八割で撤退を開始する。それが一番堅い。
五日かけた結論は単純だった。主の通過後すぐに入り、四割の時間で奥まで進み、四割の時間で戻る。予備の二割で想定外に対応する。
今日、回廊の奥へ行く。
◇ ◇ ◇
主の一回目の通過を拾い、振動が遠ざかったのを確認してから拠点を出た。
回廊に入る。棚と壁走りで南東へ進む。キャンプ跡を通過。巡回の溝がある区間を抜け、骨を見つけた場所も通過した。壁走りLv3で壁面移動が速い。今までの到達地点まで、以前の七割の時間で着いた。
到達地点を越えた。ここから先は未踏だ。
回廊の幅がさらに広がっている。壁面の擦れ跡が濃い。天井が高くなり、棚が途切れた。壁走りでしか進めない区間に入る。垂直に近い壁面を横に這い、方向転換しながら進んだ。Lv2では一度止まらなければならなかった曲がり角を、Lv3は流れるまま通れる。
回廊が終わった。
壁面の先に、広い空間が開けている。天井が高い。縦穴の気流がここにも届いているのか、霧が薄い。熱感知で見渡すと、泥底の中央に大きな窪みがあった。
窪みの中に、積み重なったものがある。
……ここか。
殻だ。大量の蟲の外骨格が泥底の窪みに溜まっている。大小さまざまな甲殻、脚の断片、顎の欠片。全部が食い散らかされた残骸だった。主が獲物をここに運び、食い、残りを捨てている。
餌場だ。
◇ ◇ ◇
壁面から窪みの縁まで降りた。振動感知を最大に広げる。主の気配はない。安全時間の中だ。
残骸の山を舌先で調べた。嗅覚強化が大量の匂いを拾う。蟲の体液、泥、腐敗。何種類もの匂いが混ざっている。晶角鹿虫の角の欠片。泥沈み蟹の鋏。沼底百足の灰色の殻。主は手当たり次第に食っている。
残骸の底の方に、蟲のものではないものが混じっていた。
——金属だ。
錆びた金属の板。鎧片と同じ曲面で、裏に繊維が貼りついている。その横に骨が三つ。先日見つけたものと同じ内骨格の断片だ。一つには刃物の切り痕。もう一つには、蟲の顎では付かない形の穴が開いている。
主がここで食ったもの一覧に、「鎧を着けた内骨格の持ち主」が入っている。
前世の記憶が、蛇の体には関係ない反応を返した。骨と金属が混じった山を見て、腹の底が冷える感覚。蛇に冷や汗はかけないが、感覚だけが残る。この体になって二ヶ月近く経っても、前世の反射は消えてくれなかった。
振り払った。ここは感傷ではなく情報を拾う場所だ。
残骸をさらに調べようとした時、窪みの底から振動が来た。
小さい。複数。残骸の隙間から這い出してくる黒い甲殻。鉄噛み蟻だ。四匹。金属片の周囲に集まっている。この場所に金属がある以上、こいつらが集まるのは当然だ。金属片を守ろうとしているのか、こちらを排除しようとしているのか。顎を開いて威嚇してくる。
個別に噛みつくのは時間がかかりすぎる。安全時間を消費したくない。
毒霧。
口を開いて、溜めていた毒を霧状に放出した。この技を戦闘で使うのは初めてだ。進化で得た技だが、この層は元から毒霧が充満しているため温存していた。だがここは霧が薄い。縦穴の気流で換気されている分、俺の毒霧が拡散せずに残骸の山に被さった。
鉄噛み蟲の動きが鈍った。外殻が硬い分、毒の浸透は遅い。だが足を止めるには十分だ。鈍った個体を一匹ずつ噛んで仕留めた。四匹。全部片づけるのに一分半。温存していた技の初実戦が、ゴミ捨て場の害虫駆除だった。締まらない。
四匹まとめて食った。硬いが、量はそれなりになる。
通知が来た。
『Lv9になりました』
全回復。ステータスは拠点に戻ってから確認する。今は安全時間の方が大事だ。ただ一つ、防御の数字が50に届いたはずだ。体の表面の鱗が一段硬くなった感触がある。あの沼底百足の鉤爪を、今度は傷なしで受けられる。
◇ ◇ ◇
安全時間の四割を消費していた。残り四割で帰る。予備の二割は使いたくない。
壁走りで壁面に戻り、来た道を引き返す前に、餌場の奥を一瞬だけ見た。
窪みの向こうに、壁面が途切れている場所がある。穴だ。回廊とは別の通路。穴の奥から、この空間とは違う空気が流れている。
嗅覚強化が拾った匂いは、泥でも蟲でもなかった。もっと古い。乾いた石と、錆びた金属と、かすかに焦げた匂い。焚き火の灰の匂いに近い。
主の餌場のさらに奥に、何かがある。そしてその匂いは、人間のキャンプ跡の匂いと同じ系統だった。
帰路を取った。確認は次にする。今日は生きて帰ることが最優先だ。
拠点の裂け目に滑り込んだ。振動感知で主の二回目の通過を確認した。予備の二割を使わずに済んだ。計算通り。
体を丸めて、今日の整理をした。
餌場の位置。残骸の構成。金属と骨。毒霧の有効条件。そして、奥の穴から漂う匂い。
あの奥に何があるのか、まだ分からない。だが匂いは嘘をつかない。あの先には、人間が通った痕跡がある。




