第034話「削れ片」
金属の欠片が気になっていた。
昨日見つけた縦穴の内壁に挟まっていた、錆びた薄い破片。蟲の体から出るものではない。焼け跡も、切断面も、全部ばらばらの場所にある。だが方向は同じだ。どれも南東を向いている。
高所ルートから南東へ進む。嗅覚強化で霧の薄い帯を辿りながら、棚の上を移動した。HPは昨晩の仮眠で六割程度まで戻っているが、万全ではない。無理はしない範囲で進む。
◇ ◇ ◇
棚が途切れる場所に出た。
壁走りで繋げるかと思ったが、壁面が湿りすぎていてグリップが足りない。ここは一度泥底に降りるしかない。
降りた。泥が足元で重い。粘着無効のおかげで吸われはしないが、移動速度が落ちる。霧の濃度が上がる。嗅覚強化で周囲を確認しながら進んだ。
泥底を二十メートルほど渡った場所で、匂いが変わった。
蟲の体液でも毒霧でもない。金属の錆びた匂いだ。昨日の欠片と同じ系統だが、もっと濃い。近い。
泥の中に何かが半分埋まっていた。掘り返してみる。金属の帯だ。幅は鱗三枚分くらい。薄く、曲がっている。片側が鋭く研がれている。
……刃だ。
何かの刃物の一部。折れたか欠けたかして、ここに沈んだもの。錆びているが、形は分かる。蟲が作れるものではない。
刃の匂いに混じって、もう一つの匂いがあった。焦げた繊維。焼け跡の近くで嗅いだのと同じだ。泥の中を探ると、黒く変色した布の切れ端が出てきた。指先ほどの大きさしかないが、繊維の編み方がある。織られている。
蟲は布を織らない。
刃と布を並べた。どちらも同じ方向——南東——を指す場所にある。ここを通って、南東へ向かったものがいる。それは蟲ではなく、金属の刃物と布の衣服を持っていた。
……何度も通ったのか。
泥底を注意深く見ると、布の切れ端が一つではなかった。最初のものから三メートルほど離れた場所にもう一片。さらに先にも小さな繊維の塊がある。一度に落ちたのではなく、何度か通る間に少しずつ落ちたか、あるいは少しずつ壊れながら進んだ跡だ。
◇ ◇ ◇
繊維の跡を追いながら南東へ進んでいた時、泥底に振動が走った。
近い。五メートル先。泥の中から浮き上がってくる。
六本脚。だが枝脚蟲より一回り大きい。体色が赤黒く、頭部に見えるのは巨大な顎だ。顎の先端が金属質に光っている。岩ではなく、金属を噛む構造に特化した蟲。
鉄噛み蟻だ。
名前は顎の光沢から付けた。この蟲が金属を噛んでいるなら、さっきの刃の破片もこいつが噛み砕いた残りかもしれない。
鉄噛み蟻は泥底で体を固定し、こちらを向いた。顎を開く。間合いは四メートル。
HPが万全ではない。正面から顎を受けるのは避けたい。高所に逃げるか。
壁面を見た。ここは壁が遠い。泥底の開けた場所だ。棚も岩の突起も届く範囲にない。泥の中で戦うしかない。
鉄噛み蟻が突進してきた。泥底を蹴って、六本の脚で泥をはじきながら一直線に来る。速くはないが、重い。
横に逸れた。泥が重く、反応が遅れる。鉄噛み蟻の顎がこちらの胴を掠めた。鱗硬化が間に合った。顎が鱗の上を滑り、火花に近い音がした。
——硬い。
あの顎は外殻粉砕以上の硬度がある。正面から噛み合えば、こちらの牙が先に負ける。
側面へ回る。鉄噛み蟻は泥底での旋回が遅い。六本脚で安定はしているが、方向転換には全脚を踏み直す必要がある。その隙に後脚の関節へ頭を突っ込んだ。
牙を入れる。関節の接合部は顎ほど硬くない。外殻粉砕の振動を乗せて、殻の合わせ目をこじ開けた。毒を流す。
鉄噛み蟻が暴れた。顎を振り回して、こちらの体を泥底に叩きつけようとする。尾で泥面を叩いて体勢を立て直し、噛みついたまま耐えた。毒が回り始めるまでの時間が長い。体が大きい分、毒の浸透に時間がかかる。
顎がこちらの尾の先を挟んだ。痛い。鱗硬化で耐えたが、圧力が尋常ではない。鱗が軋む音がする。
このまま毒が回るのを待つか、一度離れるか。HPが六割からさらに削れている。尾のダメージ分を考えると、もう四割を切っているかもしれない。
離れる判断をした。牙を抜いて、泥底を滑って距離を取る。鉄噛み蟻は追ってこなかった。後脚の関節から体液が漏れている。毒は入っている。あとは時間の問題だ。
三分待った。鉄噛み蟻の動きが目に見えて鈍くなった。脚が二本、泥底から浮いている。残りの脚で体を支えているが、もう突進の構えは取れていない。
近づいた。顎がまだ動く。正面は避けて、再び後脚側から巻きついた。締め付ける。毒の回った体は抵抗が弱い。顎の開閉が遅くなり、やがて止まった。
食う。顎の部分が異常に硬くて、外殻粉砕をフルに使っても砕くのに時間がかかった。金属を噛み砕く顎を、こっちが噛み砕いている。洞窟の食物連鎖で言えば、俺はもう完全に蟲を食う側に回っている。問題は、その上にまだ何層かいることだ。
通知が来た。
『Lv5になりました』
全回復。ちょうどいい。あのまま戻っていたら、HPが三割台で帰路を渡ることになっていた。
捕食継承の判定。——来なかった。顎の硬さだけでも経験値として回収できたと思うことにする。
◇ ◇ ◇
鉄噛み蟻を食い終えた場所から、さらに南東を見た。
嗅覚強化が拾う匂いの中に、金属と布の残り香がまだ続いている。ここで終わりではない。繊維の跡は、もっと奥へ続いている。
だが今日はここまでにした。レベルアップで全回復したとはいえ、泥底での長時間行動は毒霧の蓄積が大きい。高所に戻って整理する方が先だ。
壁走りで棚に戻る途中、足元の泥底を上から見下ろした。鉄噛み蟻がいた場所の周囲に、小さな金属片が散らばっているのが見える。あいつが噛み砕いた残骸だ。刃物の欠片を食っていたのか、それとも別の金属を齧っていたのか。
どちらにしても、この先に答えがある。
棚に戻って体を休めた。頭の中の地図に、今日の発見を追加する。繊維の点在ルート。鉄噛み蟻のテリトリー。金属片の散布範囲。全部が南東を指している。
この層を何度も通ったものは、南東の奥にいるか、南東の奥から来ている。刃物を持ち、布を纏い、火を使う。そしてその痕跡は、新しくない。繊維は泥に半分沈み、金属は錆びている。少なくとも、昨日今日のものではない。
だが何度も往復した跡がある。一度だけ通り過ぎたのではなく、この場所を繰り返し使っていた。




