第010話「温かい獲物」
10日目、東の隙間を再び通り抜けた。
昨日は鱗が引っかかって苦労した場所だ。今日は体の角度と進入方向を意識した。鱗の重なりに逆らわないように、やや斜めに入って、腹筋で壁を押す力加減を調整した。2分で通過。
1回目は3分以上かかったのに、2回目で2分。蛇にも学習曲線がある——いや、中身は人間だから学習するのは当然だ。蛇の体が俺の意図に追いつくまでのラグがあるだけで、基本的にこの体は「覚えた動きは再現できる」仕様らしい。ゲームの操作キャラだと思えば、慣れれば慣れるほどスムーズに動かせる。
二股の分岐点に着いた。右は昨日の探索済み——大型の岩トカゲがいた空間。死体は残っていないが、血の臭いがかすかに漂っている。
今日は左だ。
◇ ◇ ◇
左の通路は右よりも長かった。そして下っている。
傾斜は緩やかだが、確実に深くなっている。10メートル、20メートル。通路の幅は体長の倍くらいで安定している。壁面の苔が変わった——これまでの緑色から、やや青みがかった種類になっている。
空気が温かい。
池の周辺より2〜3度は高い体感がある。変温動物の俺にはありがたい環境だ。蛇の体は外気温が高いほど活発に動ける——逆に気温が下がれば動きが鈍る。RPGで言えば「氷属性に弱い」というステータスが常時付いているようなもので、暖かいエリアは常時バフがかかっている状態に等しい。
30メートルほど進んだところで、通路が開けた。
空間があった。天井が高い。池のエリアよりは小さいが、三叉路の広間よりは広い。壁一面の苔が他より強く発光していて、空間全体がぼんやり照らされている。床に水が薄く流れていた。
そして——熱源があった。
普通じゃない熱源だ。
◇ ◇ ◇
これまでに俺が熱感知で捉えてきた生物は、百足も岩トカゲも蜘蛛も水生甲虫も、全員が「周囲の気温とほぼ同じ体温」だった。変温動物だから当たり前だ。動いていない時は背景との温度差が小さく、輪郭がぼやける。
目の前の熱源はまるで違う。
明るい。
周囲との温度差がはっきりしている。暗い背景の中で、それは——光っていた。小さいが、くっきりと浮かび上がっている。体長10センチ以下。四足。尻尾が長い。
ネズミだ。
洞窟ネズミ。暗所に適応した小型の齧歯類。ゲーマー的に言えば、ここまでの敵が全部「蟲系モブ」だったのに、突然「哺乳類系モブ」が出現した格好だ。属性が違う。
しかも1匹じゃない。
壁際に3匹、中央付近に1匹、奥の方にさらに2匹以上——少なくとも6匹の熱源。全員がくっきりと「温かい」反応を返している。群れだ。
ネズミは群れで行動する。1匹が警戒音を上げると全員が逃げる。つまり最初の1匹を仕留めるまでのスピードが全てだ。
MMOの狩りで言えば「リンク型モブ」——1体に手を出すと周囲の同種が一斉に反応する仕様。対処法は「引き離してからの単体釣り」か「範囲攻撃で一網打尽」だが、俺に範囲攻撃はない。単体釣りも、この空間では相手が一瞬で巣穴に消えるので非現実的だ。
残るのは速さだけだ。
◇ ◇ ◇
壁に沿って、低い体勢のまま移動した。
蛇の利点の一つは「体高がゼロに近い」ことだ。地面に完全に張り付いていれば、視覚では発見されにくい。岩と蛇の区別は、動かなければ難しい——はず。
問題は臭いだ。ネズミは嗅覚が優れている。
2メートルまで寄った。一番近い個体は壁の苔を齧っていた。雑食系か。
1メートル。
ネズミが頭を上げた。鼻が小刻みに動いた。何かの臭いを察知している。
迷う余裕はない。
突進。噛みついた。首の横に毒牙が刺さった。小さな体がビクッと跳ねた。
ネズミが鳴いた。甲高い、耳をつんざく声だった。
群れが動いた。壁際の2匹が一瞬で壁面下部の穴に飛び込んだ。中央の1匹が奥に走った。奥の熱源も消えた——2秒で空間から全ての「温かい光」が散った。
想定通りだ。
噛んでいるネズミは暴れていた。体が小さい分、暴れ方が激しい。後脚で俺の顔面を蹴り続けている。HP-3。大した数字ではない。体が小さいから攻撃力も小さい。
5秒で止まった。
毒牙Lv2が10センチのネズミに対して発揮する毒速は、百足や岩トカゲとは比較にならない。体重が軽い分、毒の効きが段違いに速い。
食べた。
小さい。が、温かかった。
変温動物の獲物とは食感が違う。蟲も爬虫類も「冷たい中身」だが、ネズミは体温が残っている。言い方はどうかと思うが——蛇になって初めての「温かいご飯」だった。
転生10日目にして、食事の温度に感動する日が来るとは思っていなかった。
◇ ◇ ◇
群れは散った。壁の穴に逃げたネズミたちは当面戻ってこない。
ただし、群生生物は安全を確認すれば巣に帰る。RPGのリスポーンとは違うが——結果は同じだ。時間が経てば戻る。
その間に空間を一周した。
壁面の下部にネズミが消えた穴が3箇所ある。直径5〜8センチ——ネズミの体なら通れるが、俺の30センチの胴体では入れない。巣穴だろう。中に追い込む手段はない。
空間の奥にもう1本通路が伸びている。左の道はここで終わりではなく、さらに先がある。傾斜は相変わらず下り——より深い場所に繋がっている可能性が高い。
今日はその先には行かない。未知の領域を進むなら万全の状態で臨む。今はネズミ狩りに集中する。
空間の端に丸まって、じっとした。
20分後。
壁の穴からネズミが顔を出した。鼻がひくひく動いている。臭いで安全を確認しようとしている。
俺は空間の反対側にいる。距離は6メートル以上。ネズミの嗅覚の有効範囲がどこまでかは分からないが——どうやら、この距離では蛇の臭いは薄まるらしい。
ネズミが穴から半身を出した。もう少し。
完全に出てきた。地面に降りた。
丸まっていた体を一気に伸ばして、壁沿いに滑るように距離を詰めた。ネズミが気づいた——しかし遅い。俺の方が速い。
噛んだ。
8秒で止まった。2匹目。
待ち伏せ型の狩りは効率がいい。蛇に向いている戦法だ——というか、蛇はそもそも待ち伏せ型の捕食者だ。RPGのジョブで言えば「アサシン」だ。隠れて、待って、一撃で仕留める。ゲーマーとしてアサシンビルドを好んだことはないが、使う側に回ると合理的だと認めざるを得ない。
食べた。
◇ ◇ ◇
3匹目は、さらに15分後に空間に戻ってきた個体を壁際で仕留めた。
ネズミ3匹。1匹あたりの経験値は百足以下だろうが、数が多い。時間効率は悪くない。
そして今日の狩りで、一つ大きな発見があった。
恒温動物は熱感知にとって「見やすい」。変温動物は動いていないと背景に溶けるが、ネズミは静止していても体温で位置が分かる。暗い空間で恒温動物を相手にする場合、熱感知の優位性はさらに大きくなる。
逆に考える。恒温動物の側から俺を見たらどうなるか。
変温動物の蛇は体温が低い。周囲の岩や地面とほぼ同じ温度だ。仮にネズミが赤外線を感知できたとしても、俺は背景に溶け込んで見えない。変温動物であることが——そのまま天然のステルスになる。
変温動物のデメリットばかり気にしていた。寒さに弱い、動きが鈍くなる、不利だと。だが捕食者としての蛇は、変温動物であること自体が「気配を消す」能力として機能する。
キャラメイク画面で「ステルス特化」を選んだ覚えはないが、蛇という種族にはその適性が組み込まれていたらしい。手も足もない代わりに、存在を消すことに特化した体。
蛇で良かった——とまでは言わないが、蛇も悪くないと、初めて思えた。
通知が来た。
『Lv14になりました』
HPとMPが全回復した。
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【ステータス】
種族:仔蛇
レベル:14
HP:30/30 MP:15/15
攻撃力:15 防御力:13 素早さ:17 知力:13
魔力適性:なし
【スキル】
熱感知 Lv1、毒牙 Lv2、振動感知 Lv2
認識範囲:2m
次の進化まで:80%
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素早さが17。他のステータスから突出し始めている。蛇の体が最も得意とする能力が素早さだとすれば、レベルアップで優先的に伸びるのは理にかなっている。RPGで言うところの「種族補正」だ。
80%。あと2割で進化だ。
池に戻る道を辿りながら、東エリアの全体像を頭の中のマップに書き込んだ。
右の道——大型岩トカゲの生息域。奥は未確認。
左の道——ネズミの群生地。さらに深部へ続く通路あり。
北西の通路にはボスの大型百足。北東は百足・岩トカゲ・蜘蛛の混在エリア。そして東の隙間を抜ければネズミの狩り場。
マップが広がっている。池の周りだけだった世界が、日を追うごとに大きくなっている。
水面に映った俺は相変わらず30センチの蛇だ。でも10日前より、少しだけ胴が太くなった気がする。気のせいかもしれないが——そうであってほしくない。成長は、目に見えてほしい。
あと2割。




