#9 うわさのふたり
次の日の朝。
詩が教室に入ると、それまで騒がしかったはずのクラスメイトたちが一瞬で静まりかえった。
──新手のいじめ?
いじめられる理由なんてどこにもないはずだが、と詩は思い返す。
──ま、いじめって唐突に始まるものらしいしね。
他人事みたいに考える詩。
詩はみんなに構わず、スクールバッグを机にどさりと置いて、椅子にどっかり座った。
それから、いつものホラースプラッタB級殺人鬼小説を開く。
後ろの方で誰かがひそひそ話してるのが聞こえる。
「ねえ、行きなよ。」
「えーっ、私やだよ!土井さんってなんか……怖いじゃん。」
「もー、私だってやだよー!」
──やっぱり新手のいじめ?
詩は後ろを振り返って、ひそひそ話をしていた五人組をじろっと見た。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ったら?」
左目で五人を睨みつけて、小説に戻ろうとすると、ひとりがおずおずと「あのう……」と口を開く。
「なに?」
「……あの、土井さんが澪ちゃんとペア組むって本当?」
詩はぎくっとした。
澪はダンスパーティーのことを徹底的ににごしていたはずだ。詩が言いふらすわけもないし、どうしてみんなに知られているのか、分からない。
「ええっと……」
詩は、言葉に詰まってしまった。こういう場合を切り
抜ける嘘を、知らない。
そのとき、ガラガラ音がした。
「あっ、澪ちゃーん!」
詩の次の言葉をじっと待っていた五人組が、いっせいに扉の方に注意を向ける。
「澪ちゃんがペアを組む相手が土井さんって、本当?」
──私と組むなんてありえないって感じの口調ね。
詩は半ば呆れながら五人の背中を眺める。
澪は「ええっ?」と戸惑ったあと、後ろにいる詩に目線を送る。
詩はどうしてこんなことになってるんだか、全然分からないって感じに、肩をすくめた。
「それって、どこから──」澪は言いかけて、やめる。「……ほんとだよ。」
五人が同時に「ええーっ!」と声をあげた。澪の発言を聞いた教室にいた他のクラスメイトたちも、ざわざわし始める。
まだ何か聞きたそうな五人を察してか、澪は、
「わたしから誘ったの。練習は順調だよ。」と、付け加える。
「澪ちゃんから?」
「どうして土井さんを──」
口々に質問する五人を置いて、澪は席につく。
「いいの?みんなに言いたくないんじゃ……」
澪は何も言わずに頷いた。
──あの反応、いいわけない。
今まで澪は、詩と組むことをひた隠しにしてきたはずだ。どうして隠したがるのかは、分からない。でも、いつの間にか隠したがってたことを知られてたなんて、いいわけないだろう。
詩は俯いている澪を見て、それから、五人組を振り返った。椅子から立ち上がって、内輪で話をしている五人組の前まで歩いていく。
「私と澪の話、どこから聞いたの。」
「えっ?」
自分たちが質問される側に回るとは思ってなかったのか、驚いた表情で聞き返される。
「どこから聞いたの?」
「えっと……ダンス科の先生から。ねっ。」
「うんうん。」
話を聞いてみると、彼女たちもダンスパーティーに出る予定らしい。衣装室の鍵を借りにいったとき、職員室の話が聞こえてしまったのだという。
「なるほどね。……ありがと。」
次に、澪のところへ行く。
「聞こえてた?そういうことらしいけど。」
「そう。」澪はどうでもよさそうに、横目でちらりと詩のほうを見た。
「あのねえ……人がせっかく聞きに行ったのに──」
「どんないきさつでも、秘密が秘密じゃなくなったなら、仕方ないね。」
澪が机から数学の教科書を出す。
「そろそろ、朝のHRの時間じゃない?」
○
「え〜っと、この問題は……今日は25日だから出席番号25番の桜宮さん!」
澪は立ち上がると、すらすらと解法を読み上げた。
「正弦定理からSinA=1/2。Aは0度より大きく180度より小さいことから、30度と150度が答えです。」
「正解!桜宮さんには簡単すぎたかな。」
詩は澪の背中を頬杖をついて見つめる。次に当てられるはずなのは、澪の後ろの席の自分なのだが、そんなことは気にしていられなかった。
詩と組むことを澪がずっと秘密にしていた理由。
最初は、陰キャオタクと組むのが恥ずかしいからかと思ってたけど──それならわざわざ詩と組まなくても、ほかの友達と組めばいいということになる。
──わからない。
どうして澪がダンスパーティーに出ることを頑なに言いたがってなかったのか、詩にはわからなかった。
それから、先生を通じてクラスのみんなに秘密がバレたと知ると、澪は隠すことを諦めてしまった。特段焦るようすもなく、淡々と。その理由もなぜなのか、わからない。
詩は小さくため息をついた。
澪と初めて会った中学の全国大会からごく最近──ダンスのペアを組む直前まで、澪のことは真面目で淡白な感じの優等生だと思っていた。でも、今の彼女の印象について考えようとすると、「猫かぶり」とか「問題児」という言葉がちらつく。
正直なところ、詩からみた澪は、何を考えているのか分からないし、突然学校のルールを破ったり、昨日だって些細なことで泣き出したり、めちゃくちゃだった。
──あんなのがクラスのアイドルで、先生たちからも認められる優等生なんて、信じられない。
「えー、じゃあ次の問題は後ろの土井さん──」
そのとき、1時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「……は、明日当てるから。この問題、考えておいてね。」
「あっ、はい……。」
休み時間になると、詩と澪を除いたクラスの人たちがざわざわしてるのがわかる。
「……して、澪ちゃん、土井さんと……だろう?」
「さっきも……ってさあ。」
「朝も…………よ、土井さん。『言いた…………言いなよ!』って。」
「……気、強い……ね。」
「澪ちゃん、あんな…………よりも、可愛くて、……な人と組んだら…………ね。」
「あはははは……」
──最後の「あはは」しかまともに聞き取れないけど、私の悪口で盛り上がってるのは、よく分かった。
詩は聞こえないふりをして、小説の続きを読む。澪は、何も話したくないみたいに、次の時間の予習に没頭しているし。
詩には分かっていた。きっと、みんな、澪と組みたかったのだろう。それなのに、澪がよりにもよってスクールカーストの最底辺よりも外にいる、友達なんてひとりもいないようなホラー小説オタクを選んだから、ひがんでるんだ。
──席を立ちたいくらい不愉快だけど、何か反応したら負け。無視!
詩は殺人鬼が「うはははは!」と笑い声をあげながら雨に打たれるシーンを読み進める。
その数分後、地理の先生が教室に入ってきて、この居心地の悪さから詩は60分だけ、解放された。
「……詩ちゃん。」
「なに?」
次の休み時間になってようやく、澪が振り返った。
「わたしからも言ってこようか。あんまりだよ。」
「言ったところで、ちょっと経ったらまた始まるんだから、意味ない。」
詩は、小説にしおりを挟んで、ぱたんと閉じる。
「でも……。」
「私は別に気にしてない。これを入れたころから、ああいう目線って、慣れてるから。」
「……そう。お節介だったかな。」
「ううん、気持ちだけ、もらっとく。ありがと。」
詩は不安げな澪の目を見て、言った。
「それより、澪の方があれでいいわけ?」
「うーん……」
澪はまた、諦めたみたいに笑う。
まどろっこしくなった詩は、直接聞いてみることにした。
「そもそもどうしてダンスのこと、みんなに秘密にしてたの?」
「それは──」
澪は言いかけたが、結局口をつぐんでしまった。
「……言いたくないなら、無理して言わなくていいけど。」
「詩ちゃん、笑わない?」
「えっ?」
「笑わないなら、教える。」
「笑わないけど。」
──そもそも、人の前で笑ったことがあんまりないし……。
すると、澪は何かを決心したみたいな顔つきになった。
「それなら……耳貸して。」
「ええっ?」
面倒くさいことになったと思いつつ渋々耳を貸してやると、詩は、
「ふたりの秘密がほしくない?」と、囁いた。
「何よそれ!」
慌てて身体を反らすと、澪はくすくす笑った。
「詩ちゃんとなら秘密があっても悪くないかなあって。」
「はあ……?」
詩が眉をひそめていると、
「そろそろ次の授業始まるよ。」
と、澪は前に向き直ろうとする。
「あっ、逃げるな!」
何か言い返してやりたくなり、詩は澪の肩をつかんだ。
「なに?」
「……あの、」詩は少しの間口をぱくぱくさせたあと、「本当に私のこと好きよね。」と、皮肉っぽく言ってやった。
「えっ──」
「3時間目、始めますよー。みんな席について!」
先生の声を聞いた澪が、渡りに船とばかりにすごいスピードで、今度こそ前に向き直る。
──勝ったな。
詩は満足気ににやりとした。いつも澪には、してやられてばかり。たまには反撃してやりたいと思っていたからだ。
詩は、なんだか清々しい気持ちになって現代文の教科書を開いた。
でも、授業の準備に気をとられていた詩は、澪が首筋まで真っ赤になっているのを見逃した。
筋少の蜘蛛の糸がイメソンです。君よ俺で変われも合いそうかな




