#8 本音
昼休み、詩と澪はお弁当も食べないままでダンス科の棟へ直行することにした。
ふたりのいるスポーツ科と、新しくできたダンス科の棟のちょうど真ん中に学食がある。おなかを空かせてなだれ込む人たちにシャケみたいに逆らいながら、ふたりはなんとかダンス科に到着した。
「詩ちゃん、お昼ごはん、本当に後ででいいの?」
澪はまだ、詩が朝に倒れたことを心配してる。
「早めに行ったほうが、人も少なくていいでしょ。」
「……それもそうだね。」
なぜか言い淀む澪に、詩は首をかしげた。ふだんの澪なら、すぐ二人っきりになりたがるのに。
先生に鍵を借り、棟の端っこにある衣装室を開ける。
衣装室には、ふつうの教室によくあるみたいな、廊下につながる窓がついてない。その代わりに、倉庫のような巨大な鉄の扉がそびえ立っていた。しかも教室から離れたところにあるせいで、よけいに不気味だ。
でも、その大きな扉を開けてみると、ふたりの口からは自然に息がもれていた。
外からは物置みたいに見えていた衣装室には、きらびやかな色とりどりのドレスがぎっしり詰まっていた。奥には、スパンコールやビジューが散りばめられたステージ衣装も並んでいる。まるで、おもちゃ箱の中に入ってしまったみたいだ。
「すごいすごい!シンデレラの靴もあるよ、詩ちゃん!」
そう言って、澪が棚に置かれた透明なハイヒールを指さす。
ハイヒールひとつとっても、色やラメの入り方、つま先のとがり方までもが、全然ちがっているのだが、その「シンデレラの靴」は、所狭しと並べられたハイヒールの中で一番目立っていた。本物のガラスでできているんじゃないかと思うくらいに透き通って、部屋の蛍光灯の下でもきらきらと輝いている。
澪はほかにも、おとぎ話のプリンセスみたいなドレスを次々に見つけては、「これは○○みたい」と詩にひとつひとつ見せていった。
「はは……。」
──子どものころから逆張りして、プリンセス映画を全然見てなかった陰キャオタクに言われても……。
「あっ、これ、詩ちゃんに似合いそうじゃない?」
「えっ?」
てっきりタキシードを着るのかと思っていた詩は、つい間の抜けた声を出してしまった。
「正装なら、男女の服の区別はどうでもいいらしいよ。男性役がドレスを着てもいいし、女性役がタキシードでもいいんだって。」
「へえ……」
「わたしはドレスが着たいんだけど、詩ちゃんは?」
そう言われると、困ってしまった。
正直なところ、ドレスを着てみたい気持ちは、ちょっとだけある。一生のうち何度着れるかわからない──というのは建前で(だってそれはタキシードにも言える話だし)、ドレスってかわいいし、華やかだし、素敵じゃないか。
でも、いつも教室でひとり、バラバラ殺人をしてはルイボスティーをズーズー啜ってる殺人鬼のB級ミステリースプラッタ小説を読んでる詩は、ドレスなんて柄じゃない気もするし……。そもそも、ダンスパーティーに出るような柄でもないのだが、それならまだ、タキシードの方がマシな気もする。
考えこんでいると、
「これは、わたしの意見なんだけど……」と前置きして、「詩ちゃんは、ドレスの方が似合うと思うな。」と、澪がにっこりほほえんだ。
「ええ?」
「だって、詩ちゃん、かわいいもの。」
「はっ?」
詩は手に持っていたスマホを落としそうになった。頭の中に「Ma Chérie」が過ぎる。かわいい?かわいいだって?
「そ、それってどういう──」
「タキシードって、身長が高い方が映えるでしょ?詩ちゃんはわたしよりは背が高いけど、バレーやバスケットをやってるくらいの身長の方が、似合うのかなあって。」
──なんだ。
詩はほっと息をついた。どうやら、「かわいい」って、身長の話らしい。少しだけ残念がっているもうひとりの自分のことは、見ないふりをする。
そのとき。
「あれっ?衣装室、開いてるのかな?」
と、外から声がきこえた。詩たちと同じく、ダンスパーティーに出席する生徒だろう。
詩が何気なく入口に目をやったとき、
「これ、持ってて。」
澪は手に持っていたドレスを詩に強引に押し付けると、入口までつかつか歩いていく。そして、内側から、カンヌキみたいなロックをがちゃりとかけてしまった。
「な、なにやってんの!」
「しっ。」
澪は薄ピンクのくちびるにそっと人差し指を立てる。そして、入口の近くのスイッチに手をかけ、明かりを全部消してしまった。
衣装室には、窓がない。衣装の日焼けを防ぐため、廊下に面した窓も、外に面した窓も、教室にあるような窓が全くないのだ。だから、昼間だというのに、部屋は真っ暗闇になってしまった。
「あれ?開かない。」
ガチャガチャと音が聞こえる。少したって、その生徒は諦めたらしく、「まあ、いっか。」と、去っていった。
でも、澪は電気をつけないままだ。
「詩ちゃん。」
澪の鈴を転がすような声は、たくさんの衣装に吸い込まれ、響くことなく消えていく。
「……なに。」
「ドレスにしなよ。」
「……どうして。」
「詩ちゃん、かわいいもの。」
かつ、かつ、と、澪が近づいてくる足音が聞こえる。
詩はドレスをもったまま、動けずにいた。
「本当だよ。詩ちゃん。」
澪はいつの間にか、詩の目の前まで来ていた。少し手を伸ばせば、触れてしまいそうな距離だ。でも詩は、まるで肉食獣ににらまれている瀕死のウサギみたいに、動けない。
「詩ちゃん。」
その瞬間、ドンドンドン!と、鉄の扉が響く音が聞こえた。
「何やってるの!もう昼休みは終わり!ここを開けなさい!」
澪が長い髪をふわりと揺らして振り返るのが、気配でわかる。
「学校じゃ、いつも邪魔が入っちゃうね。」
澪はぼそりとつぶやいた。それから、「はあい。」と、平坦な声でこたえる。
カンヌキを開けると、中から桜宮澪が出てきたことにまず、先生はおどろいていた。さっき鍵を借りたのとは、また別の先生だったのだ。
「すみません。夢中になっちゃって。」
澪がほほえむと、「わかればいいのよ。」と、先生はすぐに解放してくれた。
教室までの帰り道、詩も澪も、何も言わなかった。けど、ダンス科を出てからたった一言、
「あの、明日も、ドレス。」と、詩がどきどきしながら言うと、
「もちろん。」と、澪はまた、ほほえんでくれた。
──さっきの澪、いつもと違ってた。あれが澪の本音?
まだ、なにかを話した方がいい気がする。「なにか」がなんなのかは、わからないけど。
完全な見切り発車だが、詩はとりあえず話を切り出すことにした。
「桜宮さん。」
「──その呼び方、やめてくれないかな?」
今度は詩の方を見ないままだ。平安貴族の御簾のような長い髪にかくれて、表情は読み取れない。でも、声色にはとげがある。
「澪でいいよ。」
「……うん。」
「澪ちゃん」と呼ぶ人は大勢いれど、「澪」と呼び捨てにしてる人は、少なくともこの学校の中では、見たことがない。
「さっきの先生みたいな人ばっかり。学校なんて──世間なんて、桜宮の名前しか見てないのよ。」
「……。」
「詩ちゃん、ダンスパーティーが終わるまででいいから、わたしのこと、名前で呼んでくれないかな?おわったらもう、関わり合いにはならないから。──いつも、ごめんね。」
澪はさみしそうにほほえむと、もう話したくないとでも言うように顔をそむけ、小走りに教室に行ってしまった。
澪の背中がどんどん遠ざかっていく。
「……なんで、こんなことを。」
そうは言いつつ、詩は全速力で、澪をおいかけることにした。今追いかけなかったら、後悔しそうだったからだ。
「待ちなよ!」
上履きじゃ走りにくい。いっしょに先生から逃げたときに澪が言ったことを、詩は思い出した。
「本っ当に、走りにくい!」
学校の上履きは重いし、柔軟性もないし、足がきゅうくつだ。できるなら、早く澪に追いついて、この靴で走ることから解放されたい。
「澪!バカ、待ちなってば!」
自分が何を言ってるんだか全くわからなくなりながら、詩はそれでも振り向こうとしない澪の背中に呼びかけた。
「バカ、そんなふうに拗ねるのは私の役割でしょ!バカ!」
──本当に、何を言ってるんだかわからなくなってきた!
一生のうちドレスを着る機会よりも、こんな訳の分からないことを言いながら鬼ごっこをする機会の方が、絶対に少ないだろう。……そうあってほしいものだ……。
詩は頭の中でもよく分からないことを考えながら、澪を追いかける。
あのときのように最高のコーナリングで角を曲がろうとしたとき、つい、足がもつれた。そうだ、今日はお昼ごはんをまだ食べてないんだっけ……。それに、朝ごはんも、徹夜したせいでいつもよりずっと、食べてない。
あっ!と思ったときには、詩の体は、冷たいろうかに叩きつけられていた。まったく、今日はよく転ぶ日だ。これじゃ、どっちがバカだか分かりゃしない。
「詩ちゃん!」
澪がようやく振り向いて、こちらに駆け寄ってくる。硬い床のせいで、脚のあたりがジンジンと痛い。
「だいじょうぶ?ごめんね、わたしのせいで……。」
澪が半泣きで、じりじりと起き上がる詩に手を差し伸べる。
「こんなことで泣かないでよ、バカ。」
──またバカって言ってしまった……。
本当に毎日小説を読んでるのかときかれそうな語彙力だ。詩は自分にあきれかえった。
「ご、ごめんね。ごめんね……。」
澪は地べたにぺたりと座り込むと、うつむいてしまう。
「ちょっと……私が泣かせたみたいになるでしょ!こんなことで泣くなってば。」
「でも、わたしのせいで、う、うたちゃんが、痛い思いを……」
言い終わらないうちに、澪の大きな目からはぼろぼろと涙がこぼれ出した。
──バカバカしい、ちょっと転んだだけじゃないの!
「バカ!ちょっと転んだだけでしょ!」
詩は、思ってることをついそのまま言ってしまった。寝不足で、思うように頭がはたらかないのだ。
「ごめんね……ごめんね……。」
澪はボロボロ、泣きつづけた。詩は困ったことになったって感じで頭を抱える。
「……どうしたら泣き止んでくれるの?」
澪が、頭をぶんぶん横に振る。気づかってくれなくていい、とでも言うみたいに。
「泣き止んでくれないと、私だって困るのよ!トレーニングに行けないじゃない!」
ぶんぶん。
「置いていけって言うの?そんなことできるわけないでしょ!」
ぶんぶん。
「……あーもう!」
まどろっこしくなった詩は、澪に見えるように、片膝を立てた。
「ここ、私がさっき一番痛かったとこ。血も出てなければ、アザにもなってない。ただちょっと痛かっただけ。今は、大丈夫。わかった?」
澪は、何も言わずに、ちょっとだけ顔をあげた。というより、目だけを動かして、詩の方をみた。イタズラがバレて、あとは怒られるのを待ってるだけの子どもみたいだ。
「わかった?」
澪は、「全然納得いってません。」って顔で、1センチだけ、首を縦にふった。
──どこまで頑固なんだ、こいつは……
「だからもう、いいの。ほら。」
そう言って、澪に左手を差し伸べる。無理やり話を終わらせようとしたけど、澪は座り込んだまま、動く気配がない。
「……。」
詩は、ろうか中に響くような大きなため息をついた。
それからもう一度、澪のほうに手を差し伸べる。
「いっしょに、来てくれる?……Ma Chérie…………だっけ…………。」
勢いよく言ったはいいものの、最後の方は蚊の鳴くような声になってしまった。こんな尻切れトンボみたいな王子様がどこにいるんだ……。
澪の顔が見られず、目をそらしたまま真っ赤になっていると、左手に柔らかい感触がある。
「……うん……。」
もう一度澪の方を見る。
そこには、いつもはサラサラの髪はぐちゃぐちゃ、きれいな顔が真っ赤に染まり、涙と鼻水をこれまたぐちゃぐちゃに流しっぱなしの澪がいた。
詩が立ち上がると、今度は澪も、ようやく立ち上がった。
「ううう……」
澪がなぜかまた泣きそうになってるのを見て、「泣くんじゃない!」と、詩はポケットティッシュを差し出す。遠慮なく受け取り、ちーんと鼻をかむクラスのアイドル。
「……目、冷やしてから行こうか。」
「うん……。」
そのあと、なんの連絡もなくトレーニングに遅れていったふたりをコーチが容赦なく叱ったのは、また別の話……。




