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#7 笑う理由

結局、昨晩の詩は全く眠れなかった。「もしかして、と思ったら…澪が自分を好きになった原因かもしれない行動リスト」を頭の中で作りつづけ、その長さがついに1メートルに達したころには、夜が明けていたのだ。


──まず、初対面のときに、まるで助けたみたいになってしまったこと……。あれは悪手だったかもしれない。それから、中二の全国大会で、澪の落としたハンカチを拾った気がする。それから、中三は……これは何も無くて、いや、でも受験のときに……


ここから先は、1メートルのリスト用紙が印刷されることになってしまうので、やめておこう。

とにかく全く眠れなかった詩は、ふらふらで教室に入る。


クラスの中には、詩と澪以外にも、ダンスパーティーに出ることを決めているペアがいくつか。その子たちが固まって、ダンス科の同期から話を聞いていた。


「これなんてどう?○○ちゃんに似合いそうだよ!」

「でも、こっちの水色もいいよねえ。」

「いいよね〜っ!」


彼女たちが囲んでいる机の上には、ドレスのカタログ。

キャーキャー騒ぐ声が、耳を裂くようにうるさい。ただでさえ女子のこういう声は苦手なのに、徹夜明けだとなおさら、頭にひびく。


「まったく、うるさいな……。」

詩は誰にも聞こえないよう、ぼそりとつぶやいた。


そのとき、「澪ちゃんが着るならどれがいい?」と、声がきこえて、詩は思わずどきりとする。

今日の澪は、いつもより少し遅れて教室に入ってきていた。走って教室まで来たのか、さらさらの長い髪が少しだけ乱れている。

「えっと……」


詩は、髪の毛のすき間から向こうをのぞいた。

困ったように笑う澪が見える。

「わたしが着るなら、この青色……かな。」

澪は、おずおずとカタログの真ん中あたりを指さす。「わたしが着るなら」って言ってるのは、澪がかたくなにダンスパーティーの出席を公表したがらないからだ。

「えっ、絶対似合う〜!」

取り巻きたちがいっせいに声をあげる。

そのとき詩は、胸の奥にズキンとするものを感じた。

──なによ。


澪が、「授業の準備があるから。」と言って、自分の席に向かうのが聞こえてくる。

詩はさっと顔を元に戻し、小説を読むふりをした。

でも、文章が上手く頭に入らない。殺人鬼が次の被害者を殺しに行く、重要なシーンなのに。

「おはよう、詩ちゃん。」

「……おはよ。」

澪が、いつもと変わらず、にっこりと笑いかける。

詩はきのうの「もう口きいてやらない!」という決心はどこへやら、つい挨拶をかえしてしまった。

毎日のように挨拶をされていたから、反射的に口から出てしまったというのもあるけど──でも……。


それから澪は、スクールバッグから教科書やノートを取りだし、机の上に揃えて置く。


詩は、とっくに背を向けてる澪に何か言ってやろうとしたけど、言葉が出なかった。

「ドレス、私と選ぶんじゃなかったの?」って、心で戸惑ってるもうひとりの自分の口をふさぐ。

──あの人たちは、関係ないでしょ。

──青だろうが赤だろうが、どうでもいいけど……なんで、最初に教えてくれないの。

ちがう。どうでもよくなんて、ない。どんな色でも、澪が「これがいいな。」と指さしたドレスをみて、それを着ている澪を一番に想像できないのは、いやだ──


──私、どうしてこんなこと考えてるの?

詩は、手に持ったミステリー小説の余白部分を見つめた。

昨日のことがあってから──“マシェリ”の意味を知ってしまってから、なんだか、おかしい。


「詩ちゃん、」

澪がまた、振り返る。仕方なく顔を上げる。本当は、澪の顔なんて、今は見たくなかったけど。

「お昼休み、ドレスの実物を見せてもらわない?」

「ひとりで、行きなよ。」

「なにか用事でもあるの?それなら、都合のつく日に──」

「ひとりで行きなよ。それか、“友だち”と一緒に行ったら?」

“友だち”のところを皮肉たっぷりに、詩はいった。


詩は分かりやすく拗ねている自分に気付いた。そして、とっても嫌な感じだと思った。

でも澪は、おこらない。

悟られないくらいにちょっとの間だけ固まったあと、またすぐに、「そっか。なら、詩ちゃんの都合のいいときに行こうね。」とだけ言って、また前を向いた。


──ちがう。あんなこと、言いたかったんじゃない。


詩はもう一度澪と話そうとしたけど、先生がHRのために入ってくるほうが、はやかった。

──でも、今澪の肩を叩いたところで、一体なんて言えばいいんだ?


「起立!」

日直が、号令をかける。詩ももぞもぞ立ち上がったとき、一瞬で目の前が真っ暗になるのを感じた。

ガタン!とすごい音がして、詩は自分がたおれたのが、わかった。でも、動けない。

「土井!大丈夫か!」

先生がかけよってくるのがわかる。

「詩ちゃん!」という澪の声は、途中で途切れてしまった。



「土井さん、朝ごはんはちゃんと食べてるの?それに、睡眠時間も足りてないんじゃない?」

「はあ……」

詩が保健室で目を覚まし、しばらく経ったあとで、先生のお小言がはじまった。


「目の下、クマができてるわよ。」

──それは、ほとんど生まれつきなんですが。

詩は思ったけど、何も言わなかった。体調管理も、選手の務めだからだ。


「とにかく、今日はちゃんと食べてちゃんと寝ることね。先生の話だと頭を打ったようだから、倒れたことも含めて、病院でいちおう見てもらうことをおすすめするわ。」

「はあ。」

詩は、あいまいな返事をして、うなずいた。


ちなみに、頭は打ってない。とっさに腕をついてかばったのを、自分でも覚えてる。先生の角度からは、頭を打ってしまったみたいに見えたのだろう。


「具合が良くなったなら、もどりなさい。まだ具合が悪いなら寝てるか早退か、選びなさい。」

──こないだも来たから、先生からの目がきびしい……。

「あの──」詩は少し考えたあと、言った。「もどります。教室。」



後ろのドアからはいると、もう、古文の授業は終わりかけていた。

クラスのほとんどの人は、ドアを開ける音でちらっと詩の方をみて、また、黒板の方に目を戻す。じろじろ見ている人もぽつぽついるけど、まるで動物園の珍獣でも眺めてるみたいな目つきだ。

ペンを握ったままで詩の方を心配そうにふりかえっているのは、ただひとりだ。

「だいじょうぶ?」

席にもどると、澪はひそひそ声で、詩を気づかってくれた。

「うん。低血圧で、たおれただけ。」

「ノート、あとで貸すね。」と澪は言いかけたけど、「──ううん、今は無理しないで。」と、すぐに言い直す。

「あの、これ。」

詩は、ノートの端ににささっと何かを書くと、切り取って澪に差し出した。

「読んどいて。」

「──うん。」

澪は、切れ端を受け取ると、また前をみる。

数分後、まわされた課題のプリントといっしょに、返事がかえってきた。

「ドレス選び、いっしょに行ってくれるの、ありがとう。楽しみだね!(体調には、気をつけて!)」と、書いてある。それから右端に得体の知れない謎の物体も、かいてある……。

「なに、これ?」

詩は授業そっちのけで紙切れをひっくり返したり、色んな角度から見てみたけど、よくわからない。コンセントプラグの形をした輪郭線の中に、ぐにゃぐにゃの顔みたいなものが描かれている。


「これ、なに?」

授業が終わったあと、気になった詩はきいてみた。

「これ……ウサギなの。」

とっても気まずそうに答える澪。

たしかに、言われてみれば、かなりデフォルメしたウサギに見えなくもない。

「あの、わたしが昔通ってた小児科にね、ウサギのぬいぐるみがあって、それで……」

「下手くそ。」詩はちょっと笑っていった。「ウサギってのは、こうやってかくの。」

澪のかいたウサギのとなりに、詩は丸顔のかわいらしいウサギをかく。

「わあ、詩ちゃん、上手なんだね!かわいい!」澪はなぜか、とてもよろこんでいた。

「これ、もらってもいい?」

「──まあ……。」

──こんなので、喜ぶ人間がいたとは……。

詩は呆れ顔をしたつもりだった。でも、自分の口元がちょっと緩んでるのには気づいてない。


「そうだ。昼休み、ドレス部屋を貸してもらえるように、ダンス科の先生にたのんだの。そしたら、良いって。」

「えっ……いつの間に?」

「朝、教室に来る前。」

詩は、今朝の澪がいつもより少し遅く教室に入ってきた理由をようやく、理解した。


「もし、私が本当にドレス選びに行かなかったら、どうする気だったの?」

「詩ちゃんならきっと、来てくれるでしょ?」

目を細めてほほえむ澪。

「はっ?」

「あと、さっきわたし、嘘ついちゃった。本当は青色のドレス、一番先に候補から消したの。」

「はあ?」

──う、嘘ついた?なんでわざわざ……。

詩が目をぐるぐるさせてると、

「ドレス選び、体調が悪かったら別の日にしてもらうから、そのときは遠慮しないでね。」

言い終わると、澪は、長い髪を揺らして、また前を向いてしまった。ふんわりと甘い香りがただよう。高級シャンプーのにおいみたいだ。


──結局、こいつの思う壷じゃないの!

詩は、ぎりぎりと拳をにぎりしめた。澪は自分の心が読めてでもいるみたいだ。

ドレスの話で嘘をついた澪に、なぜかほっとしてる自分を見ないようにしながら、詩は左目で澪の後ろ姿をにらんだ。

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