#6 ダンス・ダンス・ダンス
「いいこと思いついた」と言う澪が詩を連れていったのは、先生たちも絶対に見つけられない場所。旧第1体育館だ。
昔、といってもほんの数年前までは、使われていたらしいのだが───今は、ここを潰して更地にし、すでに女子キャンパスにふたつほどあるプールをもうひとつ増設する予定らしい。
詩は入れないんじゃ?と心配したが、そんなことはなかった。澪が軽い力で押しただけで、ギイ、と音を立てて、錆びた扉が開く。もともとある二つのプールに近いことで施設のあちこちが錆びているのが、立て替えの一因だ。
澪が中を覗き込む。詩もその後ろから、ちらと扉の向こうを見た。宙を舞う細かいほこりが、陽の光にきらきら輝きながら落ちていくのがわかる。
澪は扉の隙間に身体を滑り込ませた。そして、体育館の中央にむかって、ずんずん歩いていく。詩も同じように旧体育館に入り込んだ。不審に思われないように一応、扉を閉めなおす。
「これから、何すると思う?」
澪が後ろに手を組み、サプライズパーティーを考えてる子供みたいな目で、わらう。
だいたい予想がついていた詩は、スマホを取り出して、YouTubeを検索。
「特訓の続きでしょ。」
わざと、ムード台無しの言い回しをする。手に持ったスマホから、「ダンスパーティー用・ワルツ集」が流れはじめた。
澪は、あら、と言ってくすくす笑うと、詩に一歩近寄った。
「なによ。」
詩は、近付かれたぶん、一歩後ろに退こうとした。でも、澪に左手をとられて、立ち止まる。
そして澪はスカートのまま、片膝を立てて跪いた。
「私と踊っていただけますか?ma chérie。」
詩は何が起こったのか全く分からず、しばらく棒立ちになっていたが、数秒後、
「男性役は私でしょ!」といって、澪を立たせた。
「それじゃ、詩ちゃん、本番はお願いね。」
「どうしてこんなこと、お願いされなきゃならないの!」
少女マンガの王子様みたいなことを急に任され、真っ赤になって首をぶんぶん横に振る詩。
「どうしてって───小さいころにお父さんがやってくれたの。確か、スケートリンクに連れて行ってくれたときにね、転んじゃってわんわん泣いてるわたしに、お父さんが王子様のまねをして、慰めてくれたの。その真似。」
「そりゃ桜宮湊──澪のお父さんがやるなら様になるだろうけど、私にはできないし、似合わないでしょ、こんなの。」
言ってるうちに、詩は、ドレス姿の澪の前に跪いて「マシェリ」などと言っている自分を想像してしまった(マシェリって、一体どういう意味なんだ?)。
恥ずかしさにどんどん声が小さくなる。
「わたしは詩ちゃんの王子様も、見てみたいなあ〜。」
澪が、いつもの「ねえねえ。」の顔になったので、めんどくさいことになったと詩は直感した。
「それとも、また校内ランでも、する?楽しかったねえ、あれ。」
「……考えとく。」
喉の奥から絞り出すみたいにして、詩が言った。
「ほんと?うれしい。」
澪が満面の笑みで、両手をぱちんと胸の前で合わせる。
「まだやるって決めたわけじゃないんだから、もう……。」
そうは言ったものの、今まで押し切られたことしかないから、説得力がない。
沈黙の間に、練習用ワルツが流れてる。
「───じゃ、はじめようか。」
そう言われて、詩は左の手のひらを澪の手のひらに合わせ、右手はそっと背中にのせた。見えないけど、澪の右手が、肩のあたりに乗ってるのがわかる。最初は恥ずかしかったけれど、「こういうスポーツ」なんだと捉えてからは、気にならなくなった。それに───さっきの保健室でしたことの方が、この百倍恥ずかしい。
ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー。頭の中でカウントが鳴る。何度もターンを繰り返し、ふたりのスカートが円形にぱっと広がる。ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー。澪の家も広かったけれど、体育館はもっと広い。いくらでも、ステップが踏める。角まで行ってまたターン。ふと澪の顔を見ると、彼女も詩を見返した。リードの感覚はもう、身体でおぼえた。澪の薄い腰から手を離し、ブーメランのようにくるくる回ってもどってくる彼女を、優しくキャッチする。ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー……
ワルツのリズムが心地よくて、疲れ果てるまで踊っていられると、ふたりは思った。たとえ疲れ果てても、踊っていられるだろう。さっきまでくっついていたすべすべの脚の感覚が、まだのこっている。澪の脚は私の脚、私の脚は澪の脚。腕も、背中も、首も、同じことだ。ふたりだけの舞踏会。誰も知らない、誰も邪魔できない、このふたりのためだけに用意された舞踏会───
曲がとまった。
遠くで鐘の音───いや、チャイムの音が鳴っている。詩は、きゅうに夢から覚めた気分になった。
「来週、練習したら、月曜日が本番。がんばろうね。」
澪は、腕を解くと、にっこりと笑って言った。いつの間にか、澪はいつものクラスのアイドルの笑顔にもどっていた。
○
「そういえば、マシェリってなんのこと?」
家に帰ってから、詩はふと王子様の澪が言っていたことを思い出した。
マシェリ……詩には聞きおぼえのない言葉だった。少なくとも、怪奇ミステリー小説にはそんな言葉は出てこない。
検索窓に、「マシェリ」と打ち込む。
「Ma chérie……フランス語なのね。女性に対して言う言葉で、意味は……わ、私の愛しい人ぉ!?」
中古の一軒家全体がぐわんぐわん揺れそうなほど大きな声で、詩はさけんだ。たちまち両親が、「どうかしたの!」と、部屋のドアを叩く。
「いや、なんでもない!あの───映画を見てて、それでびっくりしただけ。」
適当な嘘をでっちあげ、両親を追い返す。
詩が取り落としかけたスマホの画面には、「意味:私の愛しい人。恋人などに、使う言葉。」と書いてあった。
───こ、こここ、恋人!冗談じゃない!友だちだって、地の果てまで追いかけられても、私は絶対絶対絶対絶対ならないって決めてるのに!それなのに、こ、恋人!!
詩は布団に頭を突っ込み、「うわーっ!!!」と絶叫した。顔どころか、首まで真っ赤になっている。
確かに、恋人になりたいと澪が考えているならば(?)、今までの「ねえねえ。」も、今日の保健室も、全部納得いくかもしれない。でも、そんなのまっぴらごめんだ!
「う、うわーっ!うわーっ!うわーっ!!!」
───もう絶対、口聞いてやんない!
○
一方そのころ、桜宮家───
「そういえばお父さん、昔、スケートリンクで王子様の真似してくれたの、おぼえてる?」
帰って早々に、澪が尋ねた。
「ああ、懐かしいね───おぼえてるよ。」
湊は、しおりを優しくはさんで、読書を中断した。懐かしい話に、目を細める。
「あのとき、Ma chérie───かわいいお嬢さん、って言ってたけど、あれって自分の子供に言う言葉よね?」
「フランスでは、親しい人全般に言う言葉だよ、あれは。家族の他にはたとえば、恋人とか───」
「えっ?」
持っていた連絡用のプリントが、ばさばさ音を立てて、床に落ちていく。
「えっ?」
湊は聞き返そうとしたが、澪が全部のプリントを拾い上げ、湊に押し付けたあと、「これ、読んでおいて!練習に行ってきまーす!!」と走って部屋を出ていく方がはやかった。
珍しく感情を表に出している娘に、湊は「何かあった」ことを察したが、それ以上は何もいわなかった。ただ、娘に初めての「親しい人」ができるなら───友だちでも恋人でも、それでいいじゃないかと思って、そっとほほえんだ。




