#5 吐息
リムジンに乗って帰ってきた娘に、両親はひっくり返るほどおどろいた。そして、金メダリスト桜宮湊の娘・桜宮澪と知り合ったせいだと聞いて、本当にひっくり返った。
「そ、そんなすごい子と知り合ってたなんて。」
「同じ距離を走ってることは知ってたけど───」
「二人とも、そんなに驚かないでよ……」
遅めの夕食を食べながら、詩は両親の反応に小さくため息をつく。
──どうしてこう、桜宮の名前を出すだけで反応が変わるんだろう?
少し変わってはいるけど澪だって中身は普通の女子高生だということが、詩にもだんだん分かってきていた。
「桜宮さんとは友だちなの?」
「友だちなわけ、ないでしょ。───今度イベントで、いっしょに組む用事があるだけ。」
「でも、こんなに遅くまで練習してたなんて、熱心な子だなあ。」
「ほんとね。さすがメダリストの娘。」
「詩も、仲良くしなさい。光栄なことなんだから。」
「そうよ、なかなかないのよ、オリンピック選手の娘とお近付きになれるなんて───」
「ごちそうさま。お風呂入って、もう寝るね。」
両親の話にうんざりした詩は、逃げることにした。
───どうして、友だち付き合いを強制されなきゃならないんだ。
もともと、澪といるのは無理やりダンスに誘われたからだ。
それに、もしも万が一澪と友だちになりたくなっても、それはオリンピック選手の娘だからじゃない。万が一そんなことになるなら───それは、澪が怪奇ミステリー大好き少女だとわかったときだろう。
○
「さて、どうやって断るか───」
部屋のくるくる回る椅子に座って、詩は考える。
架空の用事をでっち上げてもいいけど、澪に「土日はなんの用事だったの?ねえねえ」ときかれたら厄介だし───
「無難に体調不良……同じことになりそうね。」
こんどは「体調、大丈夫?ねえねえ」とすり寄る澪が頭に浮かぶ。頭を振って想像上の澪を無理やり退場させる。
体調不良といえば───「通院」と言えば、さすがに澪も止めないんじゃないだろうか?詩はふと、いい案を思いついた。
スポーツに特化しているため、この学校には定期的に病院に通っているという人が割と多い。小さなケガや貧血などの体調不良の元を早めに見つけて、重大な体の不調を防ぐというわけだ。詩も、市内の病院に通っている。嘘にはならない。
「土日は定期通院があるから。」
素早くメッセージを打ち込み、送信しようとしたとき、詩の手がとまった。
───本当に、いいの?
頭の中にいる澪が、捨てられた子犬みたいな目をしてるのに気付いて、一旦、スマホをおく。そのとき、コンコンとノックの音が部屋に響いた。
「詩。もう寝なさい、疲れてるんだから。」
「はーい。」
母がひょっこり顔をだす。
「電気、消すよ。」
詩が答える前に、部屋の明かりがプツンと消える。
「あのさ、お母さん。私ももう高校生だし、ひとりで出かけても───」
「ダメよ。」母が即答する。「詩は右目が見えない分、もし右側から車が突っ込んできたら、人よりずっと反応がおくれるの。分かってるでしょ?───だから、家族なしで外出なんて、認めるわけにはいかない。陸上だって、お父さんは楽しそうだけど、私は……」
「わかった。もう言わない。おやすみ。」
詩は、母の言葉をさえぎると、布団をかぶった。
メッセージを澪に送信する。少し考えたあと、詩は続けて「ごめん。」と送って、スマホを閉じた。
○
翌朝。
「おはよう、詩ちゃん。」
「……おはよ。」
澪は今日も、うつむいて小説を読む詩に挨拶をする。
「土日、通院なんだね。」
「……そうよ。」
「少し残念だけど、しかたないよ。来週はわたしが用事あるから、お出かけは舞踏会が終わってからだね。」
「……。」
「 そうだ、少し早いけど、ダンス科の子たちにドレスを見せてもらわない?本番のイメージができたら、もっと上手くできるかもしれないし。」
「……そうね。」
「詩ちゃん、今日元気ないの?大丈夫……?」
澪に顔をのぞきこまれ、詩は煩わしい、とだけ思った。
心配されるのはきらいだ。
───だって……
「少し頭が痛いかも。保健室、行ってくる。」
詩はがたりと席を立った。
「私、一緒に行くよ。」
「大丈夫。ひとりで行ける。ドレス、いいのがあったら、教えて。」
そのまま教室の扉を開け、廊下に出る。
「詩ちゃん……。」
残された澪はひとり、立ち尽くした。
○
朝の保健室はがら空きだ。頭が痛いというと、体温を測ったあと、とりあえず寝るようにいわれる。
保健室のベッドと枕は硬くて、寝られそうになかったけど、布団は暖かくて気持ちがいい。
───だって、全部、私が悪いのに。心配してもらうなんて、おかしい。
詩の右目がないのは、自分でも覚えていないほど幼いころの怪我によるものだ。
外で遊んでいたとき、転んだところにたまたま木の枝がニョキっと出ていて、たまたま詩の右目に突き刺さってしまったのだ。
医者は「眼球摘出しかありません。」と残酷に告げた。「枝が脳まで入っていないのが、不幸中の幸いですな。」
それからというもの、両親は眼帯をつけて帰ってきた詩に、必要以上にくっついて過ごすようになった。心配するのは当然といえば当然かもしれないが、少し度が過ぎていた。どこへ行くにも、父か母が必ずついてくる。小学校の教室にまで、いっしょに入ろうとしたくらいだ。
うっとうしい、煩わしいと思ったことは、何度もある。
───私が悪いもの。
───私の右目がないのは、私のせい。だから、心配してくれなくても、いい。もし右目が見えないことが原因で怪我をしても、全部、私のせい。支えようとしてくれなくたって、いい。
でも、純粋に心配してくれていると分かっているから、強く拒否することができなかった。それで、両親はいまだに過保護をやめられない。
そもそも陸上だって、駅伝選手をやっていた父は賛成してくれたけど、母はいまだに、止めている。詩が全国大会に出るようになっても、それは変わらない。
母は、詩が出かけるとき、詩の右側に立つ。見えない視野を補うためだ。でも、誰かに自分の右側に立たれるのは、本当はいやだ。広い死角の範囲で何が起こるかわからないから、体が拒否するのだ。体の右側がずっとぞわぞわした状態で買い物や移動をしなければいけないのは、詩にはかなりの苦痛になる。
でも、いやだと言えない。
本当に心配しているとわかっているから───そこに悪意がないとわかっているからだ。
ことわってしまえば、自分がほんとうに世界でひとりぼっちになってしまいそうで、こわいのだ。
詩はそっと目をとじた。これ以上、いやなことを考えていたくなくなって。
○
授業のチャイムがきこえて、詩は目をさます。
「詩ちゃん、まだ具合わるいの?」
「うわあっ!」
突然頭上から声が降ってきて、詩ははね起きた。澪が、枕元に立っている。
「驚かせてごめんね、まだ寝ててもいいから。」
「……いや、なんで桜宮さんがいるのよ。」
「なんでって……心配で、来ちゃった。」
「てへっ」と効果音が出そうな笑顔で、澪がいう。
「まあ、いいけど……二限目は私も出るから、もう帰るよ。」
「え?───今のが、二限目のはじまりのチャイムだよ。」
「は?」
どうも、1時間まるまる寝ていたらしい。
そのとき、ガラガラと保健室のドアが開く音がきこえた。
「土井さん、具合はどう?」
詩は答えようとして、口を開けたまま固まった。
澪が布団に体を滑り込ませてきたからだ。
「ちょっと!何やってんのよ!」
小声でたしなめたが、澪は聞かない。
「土井さん?開けるわよ。」
「寝たフリしてっ、詩ちゃん!」
「うげっ……!」
細い腕からは考えられない力で布団の中に引きずりこまれる。
澪は頭からすっぽり布団をかぶり、詩は顔だけ出した状態で、ふたりで何とかベッドに収まった。
シャーッ!カーテンの開く音がきこえる。
詩は必死に目を閉じていたが、スカートから出た脚が同じく素足にハイソックスを履いただけの澪の脚にくっついている感触が、逆によくわかってしまった。それに、シャツのあたり───ちょうど胸元に、澪の抑えた息がかかっている。呼吸で布団が上下しないように気をつかっているんだろうけど、逆に熱くてしめった息をじわじわとかけられていて、胸のあたりがぞわぞわする。
「あら、まだ寝てるのね。競技の練習で疲れてるのかしら……」
───それは半分、当たりです。先生……。
もっとも、今は寝られるような状況ではないのだが……。
カーテンが閉まったあとも、ふたりは息を殺して、しばらくは先生が出ていくのを待たなければならなかった。でも、運の悪いことに、パソコンのキーボードを叩く音がずっときこえてる。
詩はたまらず、目を開けた。布団を少しだけ持ち上げて中を覗いたけど、澪は縮こまったまま、動かない。これじゃ、クラスのアイドルというより、ミノムシみたいだ。
「ちょっとは、どいてよ。しばらくは見回りにこないでしょ。」詩は、ひそひそ声で言う。
「……いや。」眠そうな声で、澪がこたえる。
「なにがよ!離れてよ、気持ち悪いんだから。」
澪相手じゃなくても、大して仲良くない人とベッドの中で生脚をすり合わせるなんて、誰だって嫌なはずだと詩は思った。
「でも、これ以上離れられるスペースなんてないでしょう?」
詩を見ないままで、澪がいう。確かにそうだ。左を見ても右をみても、これ以上スペースなんて、ない。保健室のベッドの狭さを、詩は思い知った。
どうやってこの気持ち悪さを軽減するか、詩が考えていると、澪からすうすうと穏やかな寝息が聞こえてくる。
「……この状況で寝られる人間がいたとはね……。」
詩はどうしても寝られなくて、キーボードの音を聞いていた。
しばらくして、音がやみ、ガラガラとドアを開け、また閉じる音がする。先生が出ていったのが足音でわかった。
「おきて。おきてってば、桜宮さん!」
澪を揺さぶる。起きる気配はない。布団を剥がしてみたけど、効果はなかった。
「おきて!」
澪は、「うーん。」と小さくうなり、寝返りをうった。詩とは逆側───つまり、ベッドのへりに向かって。
「あ、あぶなっ……!」
ベッドから落ちかけた澪を両腕で支える。細身に見えるが、澪もスポーツ選手だ。見た目の割に筋肉があって、下じきになっている方の腕に重さを感じる。
───っていうか、これって……抱きついてるみたいになってない?
背筋がぞーっとするのを感じて、澪をベッドに戻したあと、自分はベッドから下りようと詩は考えた。
「詩、ちゃん……」
澪が小さくつぶやくのがきこえる。鈴を転がしたみたいに綺麗な声。詩の胸元にまた、湿っぽい息がかかる。詩はぞわぞわするものを感じたけど、今もし不用意に動いたら、ふたりとも硬い床に真っ逆さまだ。
「早く起きなよ……」
声をかけたが、澪はうーんとうなるだけだった。よっぽど疲れているらしい。
詩はベッドの中央まで、澪を抱えたままもぞもぞ動いて移動した。脚はちょっとだけはみ出たままだけど、これでふたりとも落ちることはないはずだ。
安全地帯に入った瞬間、澪の腕が詩の腰のあたりに回り、詩はもっと背筋をぞーっとさせる羽目になった。人に抱きしめられたり抱きついたりするのなんて、小学校の低学年───いや、幼稚園のころ、母親にして以来かもしれない。抱きついてはしゃぐような友だちは、詩の周りにはいない。澪が深く息を吸って吐くたびに、詩のウエストのあたりに乗った細い腕が上下し、ほっそりした指が腰骨のあたりをなぞってゆく。内臓が入ったあたりを触られるのがどれだけの違和感をもたらすのか、このとき詩はよく理解した。
お返しに、澪の顔をそっと覗いてみる。どんなバカな寝顔を晒しているかと思ったが、さすがはクラスのアイドル、そんなことは全くなかった。むしろ、人形のように可愛らしい。生まれつきの赤茶色をした前髪が薄いまぶたにかかって、呼吸のたびに小さく揺れていた。さっきまで頭からふとんをかぶっていたせいか、頬が薄い赤に染まっている。
「ずっとこうなら、まだマシなのに。」
前髪を指で優しく払ってやると、澪がゆっくりとそのまぶたを上げた。ぱちりと目が合う。詩はあわてて腕を解き、後ずさった。
「こ、これは───落ちそうだったから───」
澪はなんのことだか分からず、目をぱちぱち瞬かせている。
「どうしたの?詩ちゃん、顔、真っ赤よ?」
「え?」
頬に手を当ててみると、気持ち悪くて真っ青になってるかと思っていた顔は確かに火照っている。
「ちょっとだけ、寝ちゃった。───教室、もどろうか。」
「今入ったら目立つでしょ。ひとりで戻ってたら」
「うーん……」
澪は、眉をひそめて考え込んでいたが、ふと「そうだ!」と顔をあげる。
「いいこと思いついた、ついてきて!」
そう言うと、澪はベッドからすとんと降りて上履きを履き直す。とん、とんと、左右それぞれ二回ほど、床に軽くつま先を打つ。
詩も渋々ベッドからおりた。澪のいた場所は、まだ体温が残って温かい。
「行こう!」
澪はあの雨の日みたいに詩の手を取ると駆け出した。今度は、左手をとって。




