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僕は猫だから世界を見たい  作者: 星乃こよい


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3/4

日本に着いて 3

 紫陽花(あじさい)のかげに身をひそめながら、ローズメアリ号を降りてからのことを思い返して、僕はちょっとうんざりした。

 横浜の路上でうっかり馬車に乗ってしまったのが、二日前の午前中。

 あの馬車はたぶん、北の方に走ってきた。

 ここは北半球で、僕は馬車の後ろの窓に鼻をくっつけていて、太陽は左の頬に当たっていたから。

 だから、横浜に戻るにはその逆だと思って、ずっと南へ向かって歩いてきた……つもりだ。

 だけど、歩き始めて翌日になっても、海が見えることはなく、波の音もしないまま。

 それから、夕暮れ時になって雨が降り始めた。

 この国の雨は、一粒一粒が大きい。ザアザアと音を立てて、路地はすぐに水浸しになった。

 僕は濡れるのはあまり好きじゃない、ていうか嫌い。

 だから、目の前にあった寺で雨宿りすることにした。

 その寺の敷地に入ったら、どこかで魚のにおいがして、探してみたら仏像の前に魚が置いてあったから、こっそりもらって縁の下で食べていたけど、しばらく待っても雨は止みそうにない。

 そのうち僕は眠ってしまって――そして翌日の昼、千早の声で目を覚ましたのだった。




 そういうわけで一晩この寺で過ごしてしまったけど、もう三日目だ。

 早く横浜に戻らないとローズメアリ号が出航してしまう。

 そう思った時、砂利を踏む音と、千早(ちはや)沙恵(さえ)の話し声が近づいてきた。

 僕は紫陽花のかげで耳をすませた。

「沙恵さん、あの猫、きっとケガをしてるわよ」

「あんなに素早かったのに?」

「でもほら、そこの砂利に血が付いてるもの」

「あ、ほんとだ」

 僕のこと? でも血なんて出てないし……?

 僕は首を回して背中を見てみた。ふわふわだったグレーの毛が泥で汚れてゴワゴワしていたけど、ケガはしていない。

 大丈夫。

 さて、さっさとこの寺から出よう!

 僕は紫陽花の後ろから、外の路地をめざして飛び出した。

 だけど、寺の門に向かって走りかけたその時、前足に刺すような痛みが走った。

 体のバランスがくずれる。

 「しまった!」と思った時には、僕は転んでいた。すぐさま起き上がろうとしたけど、後ろからひょいと両手で抱き上げられた。

「さっきの子猫ね?」

 僕を抱えたのは千早だった。

「どこかケガしているの?」

 千早は僕の足をそっと持ち上げて、足の裏をじいっと眺めた。そして、

「肉球にガラスが刺さってる……こっちの足と、こっちも。よくこれで走ったわねえ」

 え、ガラス…?

 そういえば目が覚めた時から、何だか足の裏がチクチクしていたような……。

「このへんの野良猫かなあ? まだ小さいね」

 沙恵が、千早の肩越しに僕の顔をのぞき込む。

「そうねえ、こんな色の猫なんて、めずらしいわね」

 千早は少し首をかしげた。

 それから、僕の耳の後ろを撫でながら言った。

「ね、沙恵さん、この子猫なんだけど――」

「ん?」

「このままじゃ歩けなさそうだから、うちに連れていこうかしら?」

「千早さんの家に? 手当てするの?」

「ええ。薬もあるし」

「でも、猫の薬じゃないでしょ?」

「んー、兄さんが言ってたけど、猫に使う薬もあるみたい」


 え? 

 僕をどこかへ連れていくってこと?

 ふたりの会話を聞いて、僕はちょっとあせった。

 困る困る!

 足をジタバタさせないと!

 抵抗しないと!

 早くローズメアリ号に戻らなきゃいけないんだ、って騒がないと!


 だけど、そのとき僕は、そうはしなかった。

「もう大丈夫だよ」

って声が聞こえたから。

 千早が僕を両腕で抱きしめていた。

 温かかった。

「こんなに泥まみれになって。きっと何か大変だったのね」

 僕は、とても疲れていたことを思い出した。


 ――青い海。潮風。

 母さんのとなりで寝転がること。

 兄さん達との追いかけっこ。

 船が波をかき分けて進む音。

 僕の好きなものはたくさんあるけど、「大丈夫だよ」って誰かに言ってもらうのも、好きなものに追加してもいいな。

 目をとじて、そんなことを思った。



「……あれ、寝ちゃったのかな?」

と、千早が言ったのが聞こえたような気がした。


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