第7話 隠せなくなったもの
異変は、朝の鐘より先に起きた。
王都東区、第六結界区画。
通勤の人波が動き出す直前、空気が一瞬だけ軋んだ。
「……今の、何?」
誰かが足を止める。
次の瞬間。
――ガラスが割れる音。
結界の内側で、淡い光が乱反射し、
地面に細かな亀裂が走った。
「結界反応!?」
「警報は出ていないぞ!」
結界塔の技師たちが駆け出す。
だが、警報が鳴らないのは当然だった。
数値上は、基準値以内だったからだ。
被害は限定的だった。
倒れたのは露店一軒。
軽傷者が数名。
死者はいない。
――だからこそ、問題になった。
「どういうことだ」
現場に駆けつけた役人が声を荒げる。
「結界は稼働していたはずだろう!」
「していました!」
技師が叫ぶ。
「出力も安定、警報条件も未達!
理論上、破綻するはずがありません!」
理論上。
その言葉が、誰の喉にも引っかかった。
王城。
臨時の小会議が開かれていた。
「被害は軽微」
「死者なし」
「市民感情への影響も限定的」
評価局長ミルザ・フェンは、淡々と結論をまとめる。
「過剰反応する必要はない。
自然現象、もしくは一時的な魔力変動として処理する」
「しかし……」
若い官僚が口を開く。
「結界破綻は、戦後初です」
「だからどうした?」
ミルザは即答した。
「初めて起きたからといって、
すぐに制度を疑うのは非合理だ」
正論だった。
制度は、何千件もの“問題なし”を支えてきた。
たった一件の例外で、揺らぐはずがない。
――そのはずだった。
同じ頃。
英雄団の宿舎で、カイ・レオンハルトは窓の外を見ていた。
結界区画の方向。
かすかに残る、戦闘後と同じ“ざらつき”。
「……あそこだ」
確信だった。
討伐ではない。
戦争でもない。
後始末がされなかった場所。
カイは拳を握る。
「間に合わなかった、か」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
一方、フォルン辺境領。
同じ時間、アレインは巡回を終え、報告書を書いていた。
「結界、安定。
地脈歪曲、沈静化。
住民被害、なし」
いつもと同じ文言。
リシェルが、不意に顔を上げる。
「王都で……結界事故があったそうです」
伝令が持ってきた簡易報告だ。
アレインは一読し、静かに紙を置いた。
「……始まりましたね」
声に、驚きはない。
「やっぱり、ですか」
「ええ」
アレインは窓の外を見る。
「まだ小さい。
でも、これは初めて“見えた”だけです」
リシェルは息を呑んだ。
「止められますか?」
アレインは、すぐには答えなかった。
しばらくして、こう言う。
「止めるには、
最初からやり直す必要があります」
「最初……?」
「戦争が終わった、その日から」
つまり。
もう、王国一国では無理だ。
王都では、その日のうちに公式発表が出た。
結界異常は一時的な自然変動。
市民生活への影響はありません。
安心のための言葉。
だが、民衆は気づき始めていた。
――結界は、絶対ではない。
その夜。
カイ・レオンハルトは、決断する。
評価局でも、宰相でもない。
一人の人間として、
名前を思い出す。
「アレイン・クロウ」
今さらかもしれない。
それでも。
彼がいなかった場所から、
世界は壊れ始めている。




